第3話 氷壁の念 ─ハワード─
金髪の男は“クリス"と名乗った。
燃え落ちた離れを背に、
救急車でもパトカーでもない、どこか大きめのバンのような車両だったが、中は後部座席がなく空洞だった。
車内には無線機が備えられ、運転席には目を鋭く光らせた別の男が座っていた。
勝は毛布に包まれ床に寝かされた。その傍らに壁にもたれるようにして武も座った。
女性三人も一緒に床へ直に座ったが、クリスは助手席へと乗り、運転手と話をしていた。
クリスの無線の相手は、今運転をしている彼だったのだろうか。
様子を伺いながら、車の中の冷ややかさと共に、武の頭も徐々に冴え始めていた。
病院に行くと思っていたがそうではなかった。
車は遠ざかる山道を抜け、町を背にしてどんどん知らない場所へ向かっていった。
武は直接、床に座ったまま、何も映らない暗闇の窓の外をぼんやり見ていた。
言葉が何も出てこなかった。
頭では何かを考えようとしても、感情が動かなかった。代わりに、胸の奥に小さく硬いものが沈んでいくような、そんな感じがしていた。
目にはまだ、母の顔が焼きついていた。
凛とした姿は最期を覚悟した顔だった。
彼の母が
隣では、従弟の勝がまだ眠っていた。
きっと煙を吸いすぎたせいだろう。そっと手を握ってみたが、返事はなかった。
「No tears?」
突然、運転席の男がルームミラー越しに話しかけてくる。鏡越しの眼差しは鋭かった。
武は反応できなかった。視線も向けず、ただ硬く口を閉じたままだった。
クリスは言葉を選びながら、慎重に話を続けた。
「……We are going to a safe place now to protect you.」
英語だった。
going to……行く
safe……安全
you……君
ゆっくりと武が考えていると、となりに座っていた女性が柔らかく日本語に訳した。
「あなたたち守る。……安全な場所、向かってる」
と教えてくれた。
だが、彼らは武たち二人を救急車には乗せなかった。そこは危険なのか?
冷ややかな反応のまま、伏せた目で武は考えていた。
この火事は、誰かに仕組まれたもの?
じゃあ、母さんは――誰かに殺されたのか?
「父さんに連絡が取りたい」
一言、小さい声だったが、武ははっきりと伝えた。
「だめだ」
短い返事が、運転している男から聞こえた。
――日本語が通じた――?
その出来事は一挙に武を緊張させた。
助手席のクリスが何かを運転手に聞いた後、肩をすくめた。多分、今のが訳されて彼に伝わったのだろう。
誰が敵で、誰が味方なのか分からない。
助けてくれたこの人たちも――本当に信じていいのか?
言葉にならない感情が胸の中で渦を巻き、武は、何も言わずに目を閉じた。勝の手を握る手に力が入った。
氷が固まるように、心が閉じていく。
感情を凍らせるようにして、自分を守る殻に入っていくのが分かった。
――思いだせ、父さんの言った言葉。
武の父親は、いつも彼に色々な事を伝えていた。
命懸けで助けに来た事実。目的はわからないが『利益が無ければ人は動かない』と武は父親から教わっていた。
車には女性3人と男性2人。助けに来たのは4人。
一対一で助けるつもりだったのなら、素人じゃない。
車は、夜の山道を黙々と走り続けた。
武は勝の手を握ったまま、これから起こる事を考えていた――。
◇
あの火事の日から、心の中に小さな氷が張りついたように動けなくなっていた。
母の顔。燃える部屋。守れなかった自分。痛みも涙も、言葉も、全部が重くて、胸の奥がざわついた。
誰も答えなった。誰も教えてはくれなかった。
それでもやることは決まっていた。
「勝を守らなければ」
それが父との約束。母との誓いだった。
それは、弱冠12歳の武が背負うにはあまりにも過酷だった。だが避けなければならないのは、それよりも小さい、わすが9歳の従弟、勝の不幸だった。
それだけは、絶対に避けなければいけなかった。
クリスが言った。
「安全だ」と。
だが、それは守るという事とは違っていた。
敵がいない。それだけだった。
結局彼らに残された道は、組織に入るしかないということだった。
選べる道はなかった。
もし断われば?
火事だって、事故ではない。
命を狙われて、狙われたからこそあの場から逃げた。
生きている事を知られたら、また
襲われるなら、力をつけるしかない。
「自分で決めた」わけでもない。ただ、とどまれなかっただけだ。
答えがないのなら、その判断は自分でしなければならない。
勝を守るため。勝にはまだ判断はできない。動けるのは自分しかいなかった。
心は閉ざしても、体は動かなきゃいけない。
泣いてもどうにもならない。
怒っても何も変わらない。
ただ、ひとつだけ。
勝だけは、絶対に守る。
それが、今の武にできる唯一のこと。
父と母の望みであり、武に残された
――ただ一つの希望だった――
こうして『武』は傭兵の訓練校へ入り、『ハワード』と名を変えた。
“勝を守れ”――あの日の火は、いまも胸の奥で燃え続けている。
さんざめく星々は、彼の決意を静かに心の中へと刻んでいった。
“勝を守れ”――あの日の火は、いまも胸の奥で燃え続けている。
夜空の星々は、父との約束と母の思いを、彼に残された唯一の希望として、静かに心の中へ刻んでいった。
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機械人形 ぱぴぷぺこ @ka946pen
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