鳴く烏はもういない

しずく

鳴く烏はもういない

 今よりも、およそ十年前……行方不明になった人間がいた。


 名を、優・アーサー・烏末からすえといった。イタリア人の父と日本人の母を持った優は十六歳になるはずだった誕生日前日に突如として行方不明となった。

 母と一緒に買い物に出かけておりそこから帰るまでの少しの間の母と離れた瞬間だった。


 どこに消えていたのか…?それは、別世界だ。


 優は別世界でその名前の通り本物の勇者としてスキルを覚醒させ、そして世界を救うための戦いに赴くこととなる。

 最初は良かった。少しばかり憧れていた別世界、そして勇者という立派な肩書を得て戦いに明け暮れ、崇められ、尊敬される日々。楽しかった。

 だが徐々に疲弊し、昨日ともに笑った仲間は死に倒れ、国は少しずつ少なくなり、世界は『破壊』を迎えて行った。


 勇者という肩書による圧、世界を救わなければならないという重荷、人の命がかかっているという精神的負荷……少しずつたまり、削りゆく精神は…戦わねばらなぬ勇者の前に大きな障壁として立ちふさがった。


 ―――お前がいなくたって、「破壊」が支配する日は近い。

 

 世界が私の助けを必要としているから戦うのだ。


 ―――世界は「破壊」の支配を望んでいる。


 なら死を待つだけの人々が私を望む。


 ―――人は死を前にして正常な判断が出来ずに狂うのだ。


 なら、私は、私のために戦っている。


 ―――なら、お前は何者だ?


 私は……。私は……私は、何者なんだ?

 なぜ、戦っているんだ?何のために、私はこの世界のために戦っているんだ?私は、思い入れもない、出会いも、名分もなく、なぜ戦うんだ?

 戦う、理由はなんだ?なぜ、なぜ戦っている?


 なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ?


『アーサー?』


 ああ、そうだ。帰る世界があったからだ……。

 私をアーサーくんとミドルネームで呼んでくるあのバカ恋人が居たからだ。


 この世界に破壊が支配しようというのなら、いつか私がいた世界にも破壊が来るかもしれない。それだけは、避けたかった。勇者である前に、私がいた世界を、ここからは見ることが出来ないほど遠くの世界から、守りたかったのだ。

 忘れていた。今まで忘れていたよ……。ありがとう。


「私は、勇者アーサーだ……。世界を支配せんと企む破壊に傷を負わすべく、世を背負う勇者である。」


 戦い、そして負い、そして戦い、そして悩み、そして戦い、そして傷つき、そして戦い、そして背負い、そして戦い、そして老い、それでも戦い、長い。長いながい、戦いを経て、私は破壊の王であるアルトワージェという存在を追い出した。


 三百二十五年、~~~……万回に及ぶ、長い戦いを、私は終わらせた。ただ、生きて帰りたかったから……。


 二本のつるぎを持ち、長い黒髪と双尾そうび斗篷とほうをはためかせ、盲目となりても戦い続けた一人の勇者は、その体を石像に変えてもなおその世界を見守り、そして世界のために戦い続けた。


【一話】


 落ちる。高く、冷たい空の中……


 ゴッー!っと耳にノイズだけが通り抜ける。仰向けに落ち、背中で重力を帯びた風をひたすらに感じる。

 意識はまだない。目を覚ますことなく、薄く、そして冷たい空気の中をひたすらに落ちていく。

 ぱちっと目を覚ます。見えないまなこを開き、状況を整理する。


 整理を終えたのか、アーサーはふぅっ…と息を整え、そして答える。


「飛翔せよ」


 ぶわっ!と風のようなものが体を支えて無理やり起き上がらせる。交互に広がる折れかけた三つの翼と、しっかりと伸びた立派な二つの翼。そして右の一番下から伸びる、根元から切られた最後の一本の翼が、背中から姿を見せて神々しく光り、存在を知らしめる。


『ここは、どこだろうか……?』


 見えない眼は心眼である。見えないものを見えるようにする目、まぶたを閉じていても周りを見渡し、そして理解するための眼である。どこに何があり、誰がいるのかを捉える。見えない場所も見えるので壁の裏に居ようが、姿を透明にしようが、後ろに回ろうがすべてを覗くみることが出来る。


『この景色、見た覚えがある…。』


 はるか昔、勇者となりて戦う以前に見た覚えがある。ぼんやりとした覚えだが間違いないと確信している。あの川は、確か鬮野川くじのかわで上流に行けば寺があったはずだ。

 その寺を基準に南を見れば…そうだ、駐車場がめちゃくちゃで気持ち悪い役所があったはずだ。


『ああ、やっと、やっとだ。』


 私は、ついに、帰ってきたようだ。


 アーサーは、すべての翼をおさめ自由落下する。正直なところ、あそこに浮かぶ積乱雲と同じ高さから落ちても、アーサーは死ぬどころか傷一つすら付かないだろう。

 街のはずれにある山に向かって落ちていく、ゆっくりと、だが確実に地面が近づいてきて……ズダーンッ!大きな音を立てながらアーサーは着地をした。着地の瞬間に一瞬だけ風を起こして衝撃を抑え、街に被害が及ばないように気を遣った。


 本来あの速度で突っ込んでいれば、確実に先ほど話していた川は蒸発して、役所は破片となりどこかとおくに吹っ飛んでいたことだろう。


 体は、異界で戦っていた時のままだ。焼かれたような傷や切り傷などのケガだらけの体に、見えない目、ぼさぼさになって伸び切った髪とぼろっぼろになっている服。

 これでは不審者だと認識されて一瞬でお縄になってしまうだろう。そう考えたアーサーはすぐに前の記憶を頼りにどうにかこの世界の服に着替えた。もちろん、勇者になったときに得たスキルを使ったものだが…。便利なので使わない理由はない。


 アーサーが得たスキルは三つだ。一つ目が飛翔、自由に空を駆け回れる。二つ目が破壊、これは破壊の王であるアルトワージェに傷を付けた際に飲み込んでしまった血肉の影響で得たスキルで破壊と再生をすることが出来る。最後に創造、新たに何かを作り出すことが可能になるスキルだ。一番使い、そして一番熟練しているスキルでもある。


 この創造というスキルはすべてを作り変える力をもつ世負いの勇者が持つ力で、このスキルを持つ者こそ、勇者であり、勇者であるにはこのスキルを得なければならない。


 破壊も、創造もお手の物ってことだ。

 皮肉だよな。破壊から守るために得た力は破壊を取り込む要因になったんだから……。


 苦労した。だが、涙は流れない。流れる目がないのだから。

 だが苦労は報われた。この世界がどんな変化を遂げているのか、どれくらい時間が経過しているのかは知らないが、帰ってくることが出来ただけで、私は満足だ。


「私の家、あるかな…?」


 記憶を頼りに、家に向かう。翼は使わない。せっかく帰ってこれたんだから自分の足で帰りたい。世を背負う勇者ことアーサーはこの日からアーサーではなく優に戻った。

 自然と優の口には笑みがこぼれ、軽快な足取りで歩みを進めることが出来た。



【二話】


 何年経っても、帰り道は覚えてるようだ。

 自然と知っている景色が流れると、次はこっち、その次はこっちと進むべき道が分かる。

 ああ、知っているよこの景色。この先にコンビニが合って昔アイスを買い食いして怒られたんだ…。

 ああ、知っているよこの公園。今はなくなってしまったようだが、当時ここにあった土管は猫のたまり場で朝から夕方まで猫の集会が開かれていたんだ。

 懐かしいな、この池。いまは生きているかわからないがここには確か三匹くらい鯉がいたはずなんだ。


 知っている。覚えている。懐かしい。なにもかも懐かしい。ああ、楽しい。


 軽快なステップは止まることを知らない。ただ見ているだけでも楽しいし、幸せだと感じる。

 少しずつ、なじみ深い景色が増えていく。私が昔住んでいた家が近いんだ。まだそこにあるかどうかはわからない。でも間違いなくそこにあるはずだ。


「……あった。」


 まだ残ってた。表札に烏末と書かれた懐かしい家だ。空は暗く、そして月が一つしか上っていない。道にある街頭の明かりは少なく、証明がついている家も多くない。

 優は、少しためらったが、覚悟を決めて呼び鈴を鳴らした。


『はい?どちらさま?』


 ああ、聞き覚えがありすぎる声だ。今となっては悲鳴や化け物の声の方が聴くことが多くなってしまったが、今でも覚えているよ、間違いない…。


「お母さん、帰ったよ。」


 呼び鈴に備え付けられた防犯対策用のカメラの前に顔を出す。そして上にある防犯カメラに全身が映るようにして手を振った。

 ボロボロだった見た目はスキルで服を着替えるときに綺麗にした。傷はあるがしっかり隠した。だから、何があったか知ることはないだろう。決して言うつもりもない。自慢するようなことではないんだから…。


「優…?」

「はい、優です。お父さんとお母さんのアーサー王ですよ。ただいま帰還しましたよ。」


 私が当時、学校やお出かけから帰るときに父親に言わされていたセリフ。まさかここで役に立つことになるとは思わなかった。


「ほんとに?」

「…映ってませんか?」

「……ってる。」


 少し聞き取りずらい。でもなんて言っているかはわかる。それにどんな心情なのかも理解できる。でも、この姿めちゃくちゃ寒い。今、何月だ…?


「あの、寒いので入れませんか?」

「い、今鍵開けるから」


 すぐ扉の向こうから、急いでるような足音と一緒にガチャガチャとカギを開ける音がして、勢いよく扉が開かれる。

 私を一目見たお母さんは、目に涙を浮かべながらがばっと私に抱き着いてきて離さない。ああ、やっと帰ってこれたという気持ちが今更どんどん大きくなってきた。当時、私と同じくらいだった身長はいつの間にか私の方が高くなってしまったらしい。

 私に抱き着いて涙を浮かべるお母さんの頭を優しくなでながら、空を見上げる。


 悲しいじゃないか、私の中では数百年離れ離れになって、やっと帰ってこれたのに、……涙が一滴も流れないんだから…。


「おっきくなった」

「ほとんどかわんないけどね」

「変わるよ~十年だもん」


 十年か…こっちではたかだかそれだけしか経過してないのか…。いや、十年でもじゅうぶんだよな…。


「あ、お家、上がろっか!」

「…はい」



【三話】


 私は、それからいろいろなことを聞かれた。帰ってきたお父さんだけじゃなく警察や、よくわからん機関にも質問攻めにされた。

 私が帰ってくる少し前に、空を飛ぶ、光り輝く翼を付けた天使みたいな人影が目撃されたり、その直後に隕石のようなものが落ちてくるのが目撃されていたりと、実は後のときの私はしっかり誰かに見られていたようでネットではちょっとした騒ぎになっていたらしい。


 いわく、この辺りはそこまで変化が少ないらしいが私がいなかった十年間の間に世界は結構変わってしまったらしい。……ほとんど話を聞いてなかったからわからないけどね。


「相変わらずアーサーは話を聞かない癖が抜けてないな」

「父さん、アーサーはやめて」

「アーサーじゃないか、私の王様だ」

「なんで家族がミドルネームで呼ぶのよ」

「まあ、まあ。いいじゃないか」


 お父さんはアーサー王伝説が大好きだ。子供に同じ名前を付けるくらいには好きらしい。私はアーサー王よりもイグナティウスの方が好きだ。小説家の方。


「雰囲気、変わったな」

「何急に?そりゃあね?十年らしいしね」

「いろいろな経験をしたようだ」

「そうだよ、いっぱい頑張ったんだ」

「……Bentornatoおかえり

Sono tornataただいま…!」


 変わったのは私だけじゃない。お父さんはもっと老けてちょっとカッコよくなったように見えるし、お母さんは私より小さくなった気がする。

 街の風景もどこかしら変わっていて、見たことがない物が増えていたり、よくわからない宣伝分が書かれたポスターがずらっと並んで貼られている。


「発音よくなったんじゃないか?」

「練習してたからね。頑張ったことの一つなの」

「じゃあ、今度僕の実家でも言ってみよう!」

「アーサー王呼びやめてくれたら考えよっかな」

「なら、もう少し先の話になりそうだな!」


 アーサー呼びを変える気は毛頭ないらしい。

 それからお父さんと街のいろんなところを周って、私は叡智の結晶を入手することに成功した。最初の連絡先はお父さんだった。


「ははっ、さやには悪いが僕が一番だ!ふははは!」


 さやは私のお母さんの名前、お父さんは私のスマホの連絡先の登録を一番最初にしたくてめっちゃ高くて新しいスマホを買ってくれたらしい。私も思うよ。バカだよね、この人。


 三百年間、バカみたいに戦って、死にかけるようなケガをして、そして数えきれない苦労をしたのに、得たのがこういう日常ってどうなの?報われたと言えるの?

 と、向こうの人には聞かれそうだけど、「そうだよ。」と私は自信を持って言える。少し休んだって誰も文句は言わないし、こちとら世界救ってますから~って言えばだれも文句言えないでしょ?


 こういう生活がいいんだ。誰にも求められず、誰にも頼りにされず、自分を縛って生きる必要もないんだ。

 何か後悔してしまうことがあっても、どこかで生きる環境が変わったとしても今を全力で楽しめばいい。って誰かが言っていた気がするから…私は今を全力で楽しむよ。


 家に帰ってきて、部屋のベッドの上に座る。

 前と変わっていない雰囲気の私の部屋は、ここに初めて帰ってきたときも思ったけどとてもきれいになっていた。十年経っていたとは思えないほどほこりもなくて、定期的に掃除されてたんだと思う。


 私はその日、父さんに買ってもらったスマホを見ながら眠りについた。

 ここだけ見れば、ただのガキだな。


【四話】


 朝起きて、顔を洗う。歯を磨いて、すぐにランニングに出かける。寒いけど太陽の光が東の空から昇ってきていてそれに当たればちょうど心地よい。

 この世界に返ってきてから継続している日課。どうしても体を動かさないと落ち着かないのだ…。おかしいよね、もうここは戦場なんかじゃないのにね。


 私はこの世界の浦島太郎状態だ。別世界に行って、そこで百年以上戦って、戻ってきたら十年経っていて、いろいろ変化していた挙句この世界の意記憶もほんの少ししか残っていない。

 正直生きづらくはある。でも、前よりは断然こっちの方が楽しいし、幸せをかみしめることが出来る。無意識に口元が緩んで笑うこともできる。

 幸せは案外近くにあるんだということを、今全力で経験している。


 近所の広場の周りを何週もしていると、同じようにランニングをしている人を何度も追い越す。


「おはようございます~」

「おはよ~!朝から早いね~!」


「横、失礼しますね」

「はいよ~」


「あ、ごめんなさい、横通りますね」

「早いね~」


「横通りま~す」

「ほ、ほんと早いな君……」


 と、そのあとも同じ人を追い越し、たかだか六回ほど追い越しただけでだいぶ引かれてしまった。

 空を見ながら、もうそろそろいい時間だなと思い広場の時計を見ると六時ちょっとすぎ、家で見た時計が五時前だったことを考えると一時間近く走っていたらしい。体力落ちて来たかな?


「なあ、君は陸上選手か何かなのか?」


 水を飲んでいたら、その途中で何度か追い越した初老くらいの男の人に話しかけられた。


「違いますよ?」

「いや~すごい追い越してくから何かやってるのかと思ったんだが」

「これでも最近ランニング始めたんです」

「最近?!すごいな~」


 二人で少し話した後に別れて、私はそろそろ両親が起きて朝食が出来る頃だと思い家への歩みを進める。

 時間の流れが、のんびりだ。あの頃は、いつも戦ってばかりだったからいつの間にか周りが明るくなって暗くなった。敵は必ず明るいときに来てくれるとは限らなくて、ずっと起きているしかなかったからいつも眠くて、一回の戦闘で何回も昼夜が入れ替わっていた…なんてこともざらにあった。

 世界が変わっただけでこんなにも静かで、のんびり過ごせるなんて、この世界はあまりにも平穏すぎてとても怖く感じるのは……きっと私だけなのだろうか。


「今そんなこと考えても仕方ないよな~」


 そう。今そんなことを考えても、思いにふけっても仕方ないのだ。いまは今は、全力で今を楽しむだけだ。


 家に帰る手前で、コンビニの近くを通った。何個か近所にあるうちの一つ、たまたまこの日、近くを通っただけ…


「アーサーくん?」


 そうしたら、後ろから誰かに声を掛けられた。私の、名前をそう呼ぶ人なんてそういない。ミドルネームどうこう以前に見た目日本人にアーサーはキツイ。

 優は声の方にゆっくりと振り返ると、そこには記憶の片隅に少しだけ残っている顔と名前が浮かび上がってきた。


日奈ひな?」


日奈は優に近づくと鼻をくんくんと動かしてにおいを嗅いできた。


「ひ、日奈?」

「わあ!本物?アーサーくんだ!アーサーくんだ~!」

 

 優が驚いて固まっていると、日奈は優に急に抱き着いて顔を擦りつけた。


「アーサーくんは変わってないね~!」

「ひ…」

「連絡もらってたんだけど、本当に帰ってたんだ~!うれし~!やっと会えたよ!」

「日奈、日奈…!落ち着いて!」


 日奈のトークマシンガンがやっと止まった。


「あ、ごめんね。うれしくてつい…おかえりアーサーくん!」

「た、ただいま?」

「んふふ~」


 なぜかとても笑顔だ。よくわからないが優もその笑顔をみて笑顔になる。だが優は知らない。この後すぐに地獄が待っているということを……。


「アーサーくん」

「なに?」

「私はね?二十五になりました」

「ん?うん…?」

「十年間放置されました。放置プレイにしては長いと思うんです。」

「え…?これ感動の再会とかではない?」

「なのに、アーサーくん、君はどうしてそんなに若い見た目のままなんでしょうか?私はね?仕事の都合上…くっそ!めっちゃ!ほんっとに!すっごく!モテるのに…十年以来の恋人をずっと待ち続けたの!――――なのに、なのに……なんで!こんなに若いの!?」


 なんかすっごく取り乱してる。いつも冷静で優しかった日奈がすっごく怒ってる気がする!とりあえず慰めて冷静にさせて話を聞かなくちゃいけない気がする。絶対に一方的に悪い私の務めだと思うから。


「日奈?い、いったん、そう一旦ね?落ち着こう?」

「むり!」

「…む、むり…?!なんで?」

「なんでって……かっ、かっこいい…から。」


 な、なんか思ってた回答と違う。もっと、こう、なんというか心配したのに本人めちゃくちゃのんびりしててなんでなの!みたいな、そういうのだと思ってたのに…そっちなのか…。


「かっこいい?」

「そう…。知ってると思うけどアーサーくんって昔からすっごく私のタイプなの」


 ここで、新事実。全然知らなかった。私と日奈は幼馴染で、自然とそういう雰囲気だけで、どちらかと言うとなんとなくという感覚で付き合っていた。それはどうやら私だけだったらしい。


「し、知らなかった…」

「そっか~。言わなかった私が悪いか~」

「でも、私も、考えてたから…ね?いない間も、ずっと日奈のこと思い出してたからね?」


 事実だ。間違いなく、まごうことなき事実。別世界に落ちた直後も、何年もたった後も、苦労してからも頭の端っこで帰らなきゃいけないと思っていたのには、日奈の存在があったからだ。


「でも、十年放置した…と。なるほど~。さいてい…だね。」

「ひらがなで言われると結構痛いね。それ。」

「でしょ。で、言いたいことはそれだけ?私は終わったけど」

「ご、ごめんなさい。心配かけて」

「そうじゃないでしょ?それはいいよ、見ればわかるし…。会いたかったって言ってよ。…はっ!もしや会いたくなかった?」

「あ、会いたかったです。日奈…」

「よかった~!あ、ん!」

「ん?」


 なにかあるのかなって思って待機する。なぜか日奈は目を閉じて、口を突き出して待っている。日奈と比べて私は身長が高いので、足先をぴんとして伸びをしてるのがめっちゃかわいい。


「ん?じゃなくて、口。ほらちゅーしてよ。ただいまって」

「え?!」


 そっか、キス…キスか…え、したことないよね!?私たちって…。え、あった?いやないはずだ。健全な付き合いと言えばそこまでだが、私はてっきり自然とそういう雰囲気でなった関係だと思ってたから、ほとんど自覚してない。

 だから私は唇を奪うのはちょっと…となって日酔ってほっぺに軽く自分の唇を近づけてちゅっとした。自分ではだいぶ頑張った方だ。


「ほっぺか…まあ、いいけどさ」

「それダメな奴じゃん」

「うれしいよ?ありがと」

「んっ!?」


 日奈は優の肩に腕を回してきたと思ったら、優の口に急にキスをした。

 驚いた優は今何が起きているのか理解できずに固まることしかできずにいる。


「んふふ~。私からすればよかっただけだった。」


 日奈は気づいてるのかな…んふふ~って笑ったあとの君の顔って誰にも見せたくなくなるくらい可愛い顔をしているということを。帰ってきてよかった、と思える人に会えて本当に良かった。本気で、苦労が報われたと心からそう思えるよ。


「ね~、アーサーくん」

「な、なに?」

「そんな警戒しないでよ、別に何もしないって」

「少し戸惑ってるだけ…急な再会だったし」

「そっか、あ、でね?久しぶりにアーサーくんのお母さんに会いたいなってなったんだけど…許されるかな?」

「さ、さあ…聞いてみようか?」

「やった~!」


 優はポケットの中からスマホを出すと、メッセージアプリを起動して慣れない手つきでメッセージを送った。


「二人しかいないね」

「なにが?」

「連絡先、アーサーくんのお父さんとお母さんの二人しかいないね」

「か、買い換えたばっかりだから」


 そういう設定にしている。今、決めた。誰にも言えない真実を私は隠したい。言ったって誰も信じてくれないだろうから、その時が来るまで言うつもりはない。その日が来ないのが一番良い、ということも知っているから。


「そっかじゃあ、私が三人目ね」

「いいの?」

「いいよ~、はいじゃあ、よし。これでおっけぇ!」


 私のスマホのメッセージアプリの友達欄に三人目が追加された。結構うれしい。「小川日奈」こんなにかわいいのに名前の響きもめっちゃかわいいじゃん。私アーサーなのに…。


「名前、烏末優なの?アーサーくんしてよ」

「え?やだよ。」

「なんで!?いいでしょ?私が勝手にしよ…」

「え、このなりでアーサーはちょっと変だよ」

「変じゃないよ!アーサーくんはアーサーくんでしょ。」


 変だけど、自分の画面だけをアーサーくんにするなら別にそれでもかまわない。でも言いふらすのだけはやめてほしい。彼女ならしないだろうけど、一応ね。


「あ、返事返ってきた。良いってよ」

「やった~!久しぶりに会える!」

「私の時よりうれしそう」

「そ、そんなことない!ちゅーまでしてあげたのにまだ信じられないの?!もっかいする?」

「いい!いいです!大丈夫です…!一回でも十分伝わりましたっ!」

「んふふ~。かわいい~ね~、アーサーくん!」


 だから、アーサーはやめて……


 平和でいい。平穏でいい。静かでいい。探していたのはこういう幸せだ。


 「破壊」がまた支配しようと言うのなら、次はその本体に謁見しよう。たとえ届かぬ意思だとしても、私はお前の首にわずかでも切っ先を通し傷を付けてやる。


 でも、もう何かを求めて抗って鳴く烏はもういないよ。そうだ、平和が一番だ。

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鳴く烏はもういない しずく @tokishizu

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