夕映えのジャングルジム

アオノソラ

夕映えのジャングルジム

 ひぐらしの声が響く夕暮れ。僕の左には長く伸びた影。右には赤く染まった太陽。

 辿る道の脇には、子どもの頃よく遊んだ公園。夕日に彩られた広場を見やると、格子状の長い影が伸びている。その格子の端にぼんやりとした黒い塊がくっついて、形を崩していた。

 影から本体に目を移すと、夕日を背景にジャングルジムが黒く聳えている。その頂上には、足をぶらぶらさせながら座る人影。

 逆光でよく見えないが、制服を着た女子生徒のように見える。変わった子もいるものだ。邪魔したら悪いかなと思いつつ、つい目を凝らす。手をかざして西日を遮ると、影絵の縁が鮮明になった。

 その姿に、息を呑んだ。

 揺らぐ夕陽を背景に、全身が紅に包まれている。特に髪は赤い光に洗われて、あかがねの粒を纏ったかのよう。

 彼女が肩越しに振り返る。小西、と微笑んだその声は、いつも聞き慣れたあの響きだ。なのに、この世界から半歩ずれたところから僕を呼んでいるような、そんな錯覚が僕を襲う。

 立ち尽くす僕を見て、こずえは小首を傾げた。

 鉄格子の上で巧みに座り位置を変えて、僕に向き直る。全身が夕日を背負い、再び光の中にその姿が溶けた。

 僕を見据える目だけが、黒い。

 その表情には、何の色も浮かんでいない。こちらを見つめているのに、どこにもいないようにすら見える。

 赤に溶けていくようなあの場所で、彼女の目には何が見えているんだろう。

 僕は呆然と、彼女の眼差しを受け止めていた。

 日がさらに傾いていく。

 彼女を包む紅が消えていき、溶けていた輪郭が形を取り戻していった。

 こずえの顔に、微かな苦笑が浮かんだ。

「さっきから黙ったまま。どうしたの」

「……何が、見えた? 何を、思ってた?」

 僕の質問に、こずえがまた首を傾げた。

 しばしの黙考。やがてまた僕を見る。

「ちょっと後ろ向いてて」

「は?」

「降りるから」

 彼女がスカートを軽く引っ張る。僕はようやく察して、後ろを向いた。

 背後で地面に降り立つ音。

「もういいよ」

 振り向くと、こずえがスカートを払いながら立っていた。

「何が見えたか、だっけ?」

 こずえが言う。僕は黙って頷いた。

「そうだね。先に聞いてもいいかな。なぜそれを聞きたいの?」

「なぜ聞きたいか?」

「たぶん、それによって答えが変わる。だって『街が見えた』なんて答えを、期待してるわけじゃないでしょ」

 質問の解像度が粗すぎたか。

「あのとき、この世とずれた場所から声をかけられているように感じた」

 僕は感じたことを前置きする。

「だから、何か特別な体験をしてたんじゃないかと思って」

 こずえは眉を顰めた。

「ごめん、聞いても質問の意図が理解できた気がしない」

 指を顎に当てる。

「でも、そうだね。小西が来る少し前、自分と周囲の境界が曖昧になったように感じてたかな」

 僕が見た、紅の中に溶けたかのような、あのこずえの姿と同じだ。

「人の気配を感じて、その感覚からは一瞬で引き戻された。振り向いたら」

 こずえは一度言葉を切った。

「真っ赤に染まる広場と、そこに佇む人影。何だか非現実的で、また意識が空に拡散したかのようだった」

 でも、と続ける。

「よく知った顔だったから、すぐに心が地面に降りた」

 こずえはそこで、少しだけ微笑む。あの瞬間と同じ笑顔。

「僕の方から見ると、こずえは赤い光の中にいて輪郭がぼやけて見えた。目だけがはっきり見えて、なんだろう、別の場所から覗き込まれているみたいで」

 僕はこずえの反応を伺う。無表情ではあるけれども、視線は僕の口元から外さない。それに促されるように、言葉を続けた。

「あの光景を見ながら、僕は言葉を探していた。書きたいと思ったんだ」

「書きたい……」

 こずえが僕の言葉を小さく繰り返した。

「そうだね。確かに不思議な光景と、自分の心の反応だった。感覚でしか掴めていない、輪郭のないもの。言葉は切り取ることしかできないけれど、それでも」

 書いてみたいね、とこずえは笑顔を見せた。再会以来、こんなに笑顔を見るのは初めてかもしれない。

「修くん。質問はたしか、二つだったね」

 僕は突然の名前呼びに、飛び上がりそうになった。

「修くん!?」

 こずえは僕の反応に、眉を顰めた。

「そっちが先に名前で呼んだから。小学生のときの呼び方だよ。忘れた?」

 そういえばさっき、無意識に『こずえ』と言った気がする。

「いや、その、あれは」

「嫌ならやめる。それよりもう一つの質問の答えだけど」

 何を思ったか、って聞いたっけ。僕は上の空で答えを待つ。

「今日の晩御飯は何かな、って思ってた」

「はあ?」

「詩的な思索を期待してたなら、申し訳ないけど」

 こずえは俯いて、小さな声で言う。

「語り手とモチーフは非対称。描かれる側が何を考えてようが、作者が思ったように書けばいい」

 言い訳するように、口を尖らせ早口で言う。

 僕は思わず吹き出してしまった。あの景色の中で、晩御飯のことを考えていたって?

「運動部なんてこんなもんだよ。やめたからって変わらない」

 こずえはむくれて、もう帰る、とカバンを背負って歩き始めた。

 ごめんごめんと、慌てて追いかける僕の前で、彼女が振り返る。

「悪いと思ったなら、次の原稿で書いて。モチーフのことは気にしなくていいから」

 そして最後に、とどめの一言。

「じゃあね、修くん」

 こずえは手のひらをひらりとさせると、笑みを見せた。

「さっき、いやって言わなかったよね」

 僕の返事を待たず、こずえは足早に歩み去っていった。






※この二人の、少しだけ前のお話。

早朝の屋上で

https://kakuyomu.jp/works/822139839438270171


文芸部の綴りかた https://kakuyomu.jp/works/822139838833570901(※改稿中のため、一時非公開にしています)

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夕映えのジャングルジム アオノソラ @shigezou11

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