ギルド調査報告書:月下の狩人

月城葵

月下の狩人


 夜の森ってのは、静かすぎると逆にうるさい。

 耳を澄ますほど、木の軋みや自分の呼吸が妙に気になってくる。


 おまけに湿った土の匂い。

 あれだ、穴掘りでもしてる気分だ。


 今回の仕事は行方不明者の捜索。


 正直ギルドの仕事じゃないが、どうやら魔物が絡んでいるっぽい。

 ぽいというのは、マルセル課長の勘だ。


 三日前に「妹を探してほしい」って依頼が入った。



 依頼人は姉のエルナ。

 落ち着いた顔だったが、手がずっと震えてた。

 たぶん、俺の給料日よりも緊張してたと思う。


 妹の名前はリーナ。

 年頃の娘で、恋人がいるらしい。

 だいたいこういう時は駆け落ちか、男が黒い。経験上ね。



 いざ村に着いてみたら、誰もリーナの名前を出さない。

 あからさまに、話題を避けている感じだ。


 嫌な予感しかしない。


 ……胃薬、もう一本持ってくりゃよかったな。




 ◇ ◆ ◇




 村に着くなり、空気が重かった。

 昼なのに誰も外に出ていない。

 家の窓は閉じ切ってるし、洗濯物すら干してねぇ。


 おいおい、何があった? 流行り病か?


 最初に話しかけた老婆は、俺の顔を見た瞬間に逃げた。

 次に声をかけた男は、「知らねぇ」と言ってから印を切った。


 宗教信仰が強い地域あるあるだ。

 罪の匂いがすると、人はとりあえず祈る。


 やっと話をしてくれたのは、酒場の店主だった。

 酒場といっても、棚に埃をかぶった瓶が三本。やる気のない看板。


 要するに、暇そうな中年男だ。


「リーナ? ……知らん」


 出た。三人目だ。

 だが、こっちは慣れてる。


 黙ってカウンターに硬貨を置く。

 カラン、と音が鳴る。


 それを見た店主がピクリと眉を上げ、口を開いた。


「……森には行かねぇことだ。関わると呪われる。夜は特にな」


 やっと言った。

 

 ……呪いね。


 どうりで、住民が口を閉ざすわけだ。


 もっとも、忠告にしては遅い。

 俺はもう、森へ行く気満々。準備万端。



「そういえば、姉さんがあんたを探してたぜ」


 姉さん――依頼人のエルナが?。


 やっぱり何か知ってるな。

 こっちの胃はすでに戦闘態勢だ。



 エルナの家は、村の外れにあった。

 森と畑の境目。風が抜けるたびに、軒先の風鈴が鳴る。


 音のわりに、家の中はやけに静かだった。


「妹を、見つけてくださったんですか?」


 玄関に出てきた彼女は、この前と同じ服を着ていた。

 それに、たぶんだが、この三日間まともに眠ってない。


「残念ながら、まだ森の入口止まりだ。そもそも、あんたの妹はどうして森に?」


 エルナは俯いた。

 何か迷っている……いや、言葉を選んでいるって感じだな。


「……あの人に、会いに行ったんです。ミルドに。森の向こうに住んでる狩人です」

「恋人か?」

「はい。婚約していました」


 まあ、予想通り。

 だいたい行方不明の若い娘ってのは、恋人関係が原因だ。

 だが、気になるのはその先。


「その男とは、何か揉めてたのか?」


 エルナの指がぎゅっと絡む。


 ああ、そうか。

 この質問が一番まずいやつだ。


「……いいえ。ただ……リーナは、あの人のことを、よく知らなかったと思うんです」


 顔を伏せ、言葉に詰まりながらエルナは言った。


 回りくどい言い方だな。

 何を隠してる?


「つまり?」

「あの人、最近、夜に姿を消すんです。月の出る晩は、決まって……」


 聞きたくねぇワードが出たな。

 月の夜、姿を消す男。

 胃がギュッと鳴る。


「それで、あんたは?」

「……妹を止めたんです。でも、行ってしまって……もしかしたら、まだ、どこかで――」


 ……恋人に会いに夜の森へ、ねぇ。


「それきり、帰ってこない――と」


 彼女は頷いた。

 涙は出ていないのに、頬が濡れていた。

 たぶん、泣き方を忘れるほど後悔してるんだろう。


 俺は軽く息を吐いて、革の鞄を持ち直した。


「森を見てくる。あんたは家にいろ」

「でも……!」

「大丈夫だ。こういうのは、日常茶飯事でね」


 安心させるつもりだったんだけどな。

 彼女は笑わなかった。

 むしろ、笑えないほどの何かを抱えてた。



 つまり――もう、手遅れだ。




 ◇ ◆ ◇



 森の入口に到着。

 もう、ここから先は戻れません、みたいな雰囲気だな。


 実際、戻れるけどな。物理的に。

 精神的にはちょっとムリ。


 足を踏み入れると、空気が変わる。

 昼間は鳥の声でにぎやかだった森が、夜になるとまるで別の生き物みたいになる。


 枝が軋む音が呼吸に聞こえる。

 風が鳴るたび、誰かが耳元で囁いたような錯覚に陥る。


 ……まあ、気のせいだろ。


 松明を点ける。

 火の明かりってのは人を安心させる代わりに、闇の深さも教えてくる。


 どこまで行っても、周囲が黒い。


 しばらく進むと、足跡を見つけた。

 小さくて浅い――女の靴跡だ。

 それに重なるように、もう一種類。


 犬……いや、狼だな。


 うん。嫌だねぇ。


 こういう時、だいたい答えは悪い方に転がる。

 けど、現場を見なきゃ判断もできねぇ。

 俺は調査員であって、予言者じゃない。


 少し進むと、木の根元に布が引っかかってた。


 血の匂いがする。

 新しくはないが、生々しい。


「……やれやれ、駆け落ちどころじゃなさそうだな」


 独り言が森に吸い込まれる。

 返事はない。

 代わりに、どこか遠くで低い唸り声が聞こえた。


 狼の声――いや、違うな。

 あれはもっと、人に近い。


 なんというか、獣人っぽい。


 ……まったく、俺の仕事に普通の夜って概念はないのか。


 森の奥に入るほど、音が消えていく。

 葉の擦れる音も、風も止まった。


 静かすぎるってのは、自然界じゃ一番ヤバいサインだ。


 案の定、いた。

 灰色の毛並み、黄色い目。群れじゃない、一匹。

 人を見慣れてる。


 いや、違う。じっと俺を見てる。


「やれやれ、犬の散歩の予定なんてなかったんだが」


 くず魔石を取り出し、指で弾く。


 空気がビリッと震えた。

 微弱な雷の魔力を纏わせた魔石が、青白い線を引いて狼の手前に落ちる。

 ドッ、と乾いた音がして狼が後ずさった。


 威嚇、成功。


 逃げてくれると助かるんだが――そう都合よくもいかない。

 睨み合いが数秒。勝ったのは俺。


 狼は、ふっと顔を逸らし、闇の奥へ消えた。


「よし、賢い奴だ」


 軽口でごまかす。

 本音を言えば、俺がお家へ帰りたい。


 で、その場に残ったのは血の臭い。

 あまり嗅ぎたい種類ではないが、そうも言っていられない。


 腐ってはいないし、比較的新しい。

 それに混じって、微弱な魔力の残滓。


 嗅ぎ慣れたやつだが、この辺りじゃ珍しい変異系の魔力。

 魔物でも獣でもない、もっと中途半端な匂い。



「……人狼かよ」



 胃の奥がギュッと縮んだ。


 あ~あ、最悪だ。

 人でもない、かといって、獣人でもない。

 非常に不安定で、危険な存在だ。



 魔力痕を追って進む。

 足元の落ち葉が黒ずんでいる。


 血だ。乾ききってない。


 その先に――大量の血痕。

 まるで誰かがそこに立ったまま、噴き出したみたいに地面を染めていた。


「……見たくもねぇ、事実だな」


 遺体らしきものはない。

 おおかた、獣に運ばれたか、喰われたか。

 どっちにしても、もう間に合わなかったってことだ。


 血の跡は北に続いている。

 そしてその先には――灯りが、ひとつ。

 森の中には不釣り合いな、人の灯りだ。



「……あの狩人の小屋、か」



 森の中に、ぽつんと一つだけ灯りがある。

 小さな小屋だ。煙突からは煙が上がっていない。


 夜中に灯りだけってのは、いちばん嫌なパターンだ。

 中に生きてる奴がいるか、死にかけてる奴がいるか。大体その二択。


 軋む扉を押し開けると、中は思ったより整頓されていた。

 壁には狩猟道具、棚には乾いた肉。

 生活の跡がある。人が住んでる匂いだ。


 ただ、一つだけ異様だった。

 床の中央に、鉄の鎖が打ち込まれている。


 太い。


 人を縛るには過剰だし、獣用にしては重すぎる。


「……おいおい、ペットのサイズは聞いてなかったぞ」



 軽口を吐きながらも、俺の手は剣の柄にかかっていた。

 鎖の先――そこにいたのは、肩で息をする男。


 血の気の引いた顔。

 腕には噛み跡。


 狩人、ミルド。

 依頼人が言っていた婚約者だろう。特徴は一致する。



「……帰れ」


 喉の奥から絞り出すような低い声だ。


「ミルドか? 依頼で来た。あんたの婚約者を探してる」

「帰れ……! 今日は、危ない……!」


 体が震えている。

 汗が、いや、違う。皮膚の下で何かが蠢いている。


「ああ、これは……やっぱり、そういうことか」


 外の風が止み、森全体が息を潜める。

 月が雲を抜けて、窓から差し込む。



 白い光が男の頬を照らした瞬間――肉が裂ける音がした。



「……そらな、言わんこっちゃない」


 鎖が床を擦る音が、まるで獣の唸りみたいに響く。

 ミルドの目が、血のような光を帯びていた。

 歯がきしみ、骨が音を立てて軋む。皮膚の下で筋がうねるのが見えた。


「最悪の夜だな」


 俺は腰を落とし、剣を構えた。


 ミルドの目が、狼の色に染まっていく。


「早く……ニゲロ……ッ」


 その声だけ、人間のままだった。

 必死に鎖を握りしめ、床に爪を立てて、俺を遠ざけようとする。


「まだ理性があるのか……」


 呟いた途端、胸の奥が重くなる。

 助けようが、斬ろうが、どっちにしても後味は地獄だ。


「嫌な仕事だぜ。まったく」


 足元にくず魔石を投げる。

 青白い光が走って、結界が広がった。

 鎖が軋み、ミルドが咆哮する。


 骨の形が歪み、皮膚が裂け、狼の影が立ち上がる。

 その叫びは悲鳴でもあり、祈りのようにも聞こえる。


 だが、彼は俺に襲いかかってはこなかった。

 理性の欠片が、まだ残っているのかもしれない。


 なら、俺も斬れない。

 仕事の線引きってやつは、こういうときに限って一番面倒だ。


 結界の光が揺れていた。

 その中で、獣と人間の形がせめぎ合っている。

 ミルドの目はもう、半分が獣だ。


 あとの半分は、後悔か。



 外で枝の折れる音がしたかと思うと、ドアがバァンッと乱暴に開く。


「ミルドっ!!」



 ……最悪だ。


 今来るな、の見本だ。


 エルナが駆け込んできた。

 顔は涙でぐしゃぐしゃ。手には灯り。

 彼女の震えで、ランプの灯がゆらゆら揺らめく。


「やめて……! お願い、やめてぇ! 彼は違うのよ」


 ミルドを庇うように両手を広げ、俺の前へ立った。


「おい、下がれ!」


 俺の声に反応して、獣が顔を上げ牙を剥いた。

 その目が、まっすぐエルナを捉える。


「違うの! 私が悪いの! 妹を森に連れて行ったのは私なの!」


 ……は? 何言ってんだ?


 錯乱でもしてんかってほどに、エルナの目もヤバイ。



「私は……彼を愛していたの」


 その一言で、空気が変わる。


 ……嫌な方向に転がり始めたな。



「妹は知らないの。彼の本当の姿を。それを知ったら、きっと彼を見捨てる。だから、見せたかった……そうすれば、諦めると思って……!」


 エルナが両膝をついて、泣き崩れる。

 肩を震わせ、両手で顔を覆った。


「こんなはずじゃ、なかった……! 私はただ、二人を――!」


 胃がひっくり返った。

 つまり、こいつが呼んだのか? 妹を。

 月の出た晩に、獣の前へ。



「ただ、驚かせるだけのつもりだったの……! あんなことになるなんて――!」


 なんてこった。

 どいつもこいつも、感情の取扱説明書を読んでから行動してくれ。


「やめろ、今それを言うな!」


 止めたが、遅かった。


 ミルドの体が震え、ギィッと鎖が悲鳴を上げる。


 理性の残り火が、完全に消えた。


「――オマエガ……!」


 その声はもう人間じゃなかった。


 鎖が弾け飛び、空気がきしむ音とともに結界がひび割れる。

 黒い影が、光の中を突き抜けた。


「エルナ、下がれ!!」


 言葉より先に、音がした。

 肉が裂ける嫌な音。灯りが転がり、床に血が飛ぶ。


 そして獣が動きを止めた。

 その足元には、もう叫びもない。


「……最悪だ。ほんとに最悪だ」


 この結末を、報告書にどう書けってんだ。



 時間が止まったみたいに、森は静かだった。

 外では風が吹いているのに、この小屋の中だけ音がない。


 血の匂いと焦げた魔石の匂い。

 そして、嗚咽。


 床に倒れた獣の背が、ゆっくりと小さくなっていく。

 毛が消え、骨が戻り、そこに残ったのは、ただの人間だった。


 ミルドは息をしていた。

 けど、それも長くはもたないだろう。


 ……どいつもこいつも、無茶苦茶だな。


 結界を破った時の傷。胸の穴が、痛々しい。

 呼吸のたびに血を噴き出していた。


「……彼女は?」

「助からねぇ」


 短く答えると、ミルドは目を閉じた。

 涙とも汗ともつかないものが、頬を伝って落ちる。


「……そう、か。エルナは……泣いていたか?」

「ああ。最後まで」


 ミルドは拳を握り込んだ。

 自分の爪が食い込むほどに。



「俺は……リーナを、愛してた。あの子を、殺したかったわけじゃない。でも、俺が……人間じゃなかったから……」


 言葉が途切れる。


「だから……体が疼く、月の出る晩は……自分を鎖で、繋いだ……きっと、エルナが外した……すまない、リーナ……すまない」


 指が震え、視線が俺を探す。

 もう、ほとんど目も見えちゃいないだろう。


「頼む……終わらせてくれ」


 精神がすり減る仕事だぜ。

 ほんとに。


 でも、調査員ってのは、結局のところ後始末屋でもある。

 誰かの罪を記録して、封をする。



「……わかった」



 俺は結界の印を組む。

 淡い光が広がって、彼の胸を包み込んだ。


 光がゆっくりと、そして静かに消える。


 もう、ミルドは動かない。



 夜が明けると、窓から差す光が床の血を照らした。

 それが、妙に綺麗に見えたのは――たぶん、俺の頭が疲れてるせいだ。



「報告書、どうするかね……」



 独り言が、小屋の中に溶けた。



 ◇ ◆ ◇



 夜が明けて、三日後。

 俺はギルドの片隅で、冷めたコーヒーをすすっていた。


 胃薬と同じ味がする。


 机の上には、まだ乾ききらない報告書。

 紙の端が赤く染みてるのは……まあ、気のせいってことにしておこう。


 事件名 月夜の狩人


 被害者 二名(姉エルナ・妹リーナ)

 加害者 狩人ミルド(人狼化)

 原因  抑制薬未使用・変異

 動機  愛情による錯誤行動



 我ながら、いい感じに乾いた文章だ。

 現場の匂いも、泣き声も、血の色も、文字にすれば全部「記録」で済む。

 だからこそ、やってられる。


 椅子の背もたれに寄りかかって、溜息を吐く。


「……ほんと、愛ってやつは、魔物より厄介だ」



 恋人が化け物だと、知らぬ妹。


 何も知らず、愛する女性を手にかけてしまった男。


 まだ、妹は生きていると、真実を受け入れられず依頼した姉。



 彼女は、罪を探すふりをして、救いを探していた。

 まったく……どうして。



 窓の外では、朝の鐘が鳴っていた。

 通りを歩く人たちは、誰もあの悲劇なんて知らない。

 それでいい。


 知らなくていいのが、俺たちの仕事だ。


 書類をまとめ、判を押す。

 インクの匂いが妙に強くて、鼻の奥が痛む。



「誰も悪くなかった。けど、誰も正しくもなかった」


 ……だから、俺の胃が痛ぇんだよ。


 もうちょっと、やり方を考えろよな。



 薬瓶を取り出して、蓋を開けた。

 コトリと一粒。

 喉を通る苦味が俺を現実に引き戻す。



「さて、次はどこの面倒事だ」


 誰に言うでもなく呟いて、新しい依頼書を一枚、手に取った。







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