他人の葬式 ~私たちは、誰の死で生きているのか~
ソコニ
第1話 他人の葬式
※この作品には以下の表現が含まれます。
・死・葬式の描写
・過労死・自殺を示唆する表現
・社会システムへの批評的内容
苦手な方はご注意ください。
第一章 インストール
橋本美波、二十八歳。都内の広告代理店でコピーライターとして働いている。今日も定時で退社できた。残業は月に二十時間以内。ワークライフバランスが整った、理想的な職場だ。
帰りの電車で、美波はスマートフォンを取り出した。SNSをチェックし、ニュースを流し読みし、明日のスケジュールを確認する。いつもの夜だった。
自宅に着いてシャワーを浴び、ベッドに入る。スマホの充電ケーブルを挿そうとした時、画面に見慣れない通知が表示された。
『新しいアプリがインストールされました』
美波は眉をひそめた。自分でインストールした覚えはない。アプリ名を見ると——
『Someone's Funeral』
直訳すれば、「誰かの葬式」。
美波はアプリを開いた。画面は真っ黒で、中央に白い文字が浮かび上がる。
あなたの代わりに、誰かが死にました。
彼/彼女の葬式に、あなたは参列する義務があります。
参列しなければ、次はあなたが死にます。
──このアプリは自動的にあなたの位置情報・連絡先・購買履歴を参照します。
美波は息を呑んだ。悪質な詐欺アプリに違いない。即座にアンインストールしようとしたが、削除ボタンが機能しない。長押ししても、設定から消そうとしても、アプリは消えなかった。
その時、新しい通知が届いた。
田中健二(42歳)
葬儀日時:明日14時
場所:品川区南大井・安養寺斎場
あなたの参列を確認します。
美波はスマホを放り投げた。
これは冗談だ。誰かのいたずらだ。そう思いながらも、手が震えていた。
第二章 最初の葬式——現実の始まり
翌日、美波は会社を早退した。
安養寺斎場は本当に存在した。住宅街の一角にある、小さな葬儀場。入口には白黒の横断幕が掲げられ、「田中健二様」と書かれていた。
美波は息を呑んだ。本当に、葬式がある。
中に入ると、二十名ほどの参列者が静かに座っていた。前方には祭壇があり、遺影が飾られている。写真の中の田中健二は、疲れた表情で微笑んでいた。
美波は後方の席に座った。心臓が激しく鳴っている。
やがて喪主——田中の妻らしき女性が、前に立った。
「本日は、夫・健二の葬儀にお集まりいただき、ありがとうございます」
女性の声は震えていた。
「夫は……過労で倒れました。最後の三ヶ月、一度も休んでいませんでした。会社は、納期を守れと言い続けました。夫は、それに応えようとして——」
女性は言葉を切った。そして、参列者たちを見回した。
「夫の会社は、大手広告代理店の下請けでした。納期が厳しくて、人手が足りなくて、夫は毎日終電で帰っていました。朝は始発で出ていきました」
美波の血の気が引いた。
「その広告代理店の名前は——電通グループ系列のクリエイティブ企業です」
美波の勤務先だった。
葬式が終わり、参列者が帰り始める中、田中の妻が美波に近づいてきた。
「あなた、どなたですか?」
「あの……私は——」
美波は答えられなかった。
田中の妻は静かに言った。
「もしかして、あなたもあのアプリを?」
美波は息を呑んだ。
「私も、三年前に持っていました」妻は言った。「夫が生きていた頃、誰かの葬式に何度も参列しました。でも、最後には——」
彼女は美波の手を握った。
「逃げられません。参列してください。そうしないと、あなたが死にます」
その夜、美波のスマホに次の通知が届いた。
山田花子(19歳)
葬儀日時:明後日10時
場所:埼玉県川口市・市民火葬場
あなたの参列を確認します。
美波は震えながら、スマホを見つめた。
誰かの死が、私の生を軽くする。
その事実が、今、目の前に突きつけられていた。
第三章 連鎖する死——構造の可視化
山田花子の葬式は、火葬場の一角で行われた。
参列者は十名ほど。ほとんどが年配の親族だった。前方には、花子の遺影が飾られている。笑顔の少女。まだ、人生が始まったばかりの顔だった。
喪主は花子の母親だった。彼女は泣きながら語った。
「娘は、コンビニ弁当の工場で働いていました。夜勤と昼勤の二交代制で、休みは月に二日しかありませんでした」
美波の胸が痛んだ。
「娘は栄養失調で倒れました。工場の食事は、自社の廃棄弁当だけ。それすら、食べる時間がなかったと聞いています」
母親は参列者を見た。その目は、美波を捉えた。
「娘が作った弁当、あなた方は食べたことがありますか?」
美波は答えられなかった。
自分が毎朝買うコンビニ弁当。三百円で、温かくて、美味しい。それを作っていたのは、この少女だったのかもしれない。
葬式の後、美波は工場の近くを歩いた。
巨大な建物。窓のない壁。二十四時間稼働する機械音。ここで、誰かが今も働いている。美波のために。
スマホが震えた。新しい通知。
リン・メイ(16歳)
葬儀日時:三日後13時
場所:バングラデシュ・ダッカ市郊外(映像参列)
あなたの参列を確認します。
美波は立ち止まった。
バングラデシュ?
三日後、美波の部屋。
スマホの画面に、葬式の映像が流れた。
場所は、貧しい村の一角。地面に掘られた穴に、布で包まれた小さな体が横たえられている。周囲には、泣き崩れる家族たち。
画面に字幕が表示される。
リン・メイ(16歳)
縫製工場の火災で死亡。
彼女が最後に縫っていたのは、あなたが着ている服です。
美波は自分の服を見た。
格安ブランドで買った、カジュアルなシャツ。千五百円だった。
画面の中で、リン・メイの母親が泣き叫んでいる。言葉はわからないが、その悲しみは理解できた。
美波は吐き気を覚えた。
私が安く服を買うために、この子は死んだのか。
その夜、美波は同僚の佐藤に電話した。
「佐藤、あんた……あのアプリ、持ってる?」
佐藤は長い沈黙の後、答えた。
「……持ってる」
「いつから?」
「二ヶ月前」
「何回、葬式に行った?」
「……もう覚えてない。十回以上」
佐藤の声は疲れ切っていた。
「なあ美波、俺……もう無理だ。葬式に行くたびに、罪悪感で押しつぶされそうになる。でも、行かなきゃ死ぬんだろ? 俺、どうすればいいんだ」
「わからない」美波は答えた。「でも、一緒に何か考えよう」
「……ありがとう」
電話は切れた。
翌日、佐藤は出社しなかった。
そして、美波のスマホに通知が来た。
佐藤一郎(32歳)
葬儀日時:明日13時
場所:中野区・光明寺斎場
あなたの参列を確認します。
美波は震えた。
参列を拒否すれば、死ぬ。でも参列すれば——
第四章 同僚の葬式——恐怖の身近化
佐藤の葬式は、美波の知る顔ぶれで埋まっていた。
会社の同僚、上司、後輩。全員が暗い表情で座っている。だが、誰も理由を知らない。佐藤は「急病で亡くなった」と報告されていた。
喪主は佐藤の兄だった。彼は淡々と語った。
「弟は、自ら命を絶ちました」
参列者たちがざわめいた。
「理由はわかりません。遺書もありませんでした。ただ、スマートフォンに一つだけ、奇妙なアプリが入っていました」
美波は息を止めた。
「そのアプリは、削除できませんでした。『Someone's Funeral』という名前でした」
会場が静まり返った。
喪主は続けた。
「弟のスマホには、過去三ヶ月で十五件の葬式の記録がありました。すべて、見知らぬ人たちの葬式でした。弟は、なぜそんなものに参列していたのか——」
彼は首を振った。
「もし、この中に同じアプリを持っている方がいたら、どうか教えてください。弟が何をしていたのか、知りたいんです」
葬式の後、美波は喪主に近づいた。
「あの……私も、そのアプリを持っています」
喪主は美波を見た。
「本当ですか?」
「はい。佐藤さんと同じです。削除できません。葬式に参列しないと、死ぬと脅されます」
喪主は深く息を吐いた。
「やはり……弟は、逃げられなかったんですね」
「逃げられない?」
「ええ」喪主は言った。「実は、私も三年前にこのアプリを持っていました」
美波は驚いた。
「どうやって、消したんですか?」
「消していません」喪主は静かに言った。「誰かに渡したんです」
「渡した?」
「ええ。スマホごと、他人に譲りました。そうしたら、アプリは新しい持ち主に移りました」
美波は息を呑んだ。
「つまり……このアプリは、スマホから逃げられないんですか」
「逃げられません」喪主は言った。「誰かが持ち続けなければいけない。それが、このアプリのルールです」
その夜、美波は自分のスマホを見つめた。
誰かに渡せば、自分は助かる。でも、その人は——
美波は頭を抱えた。
善意は、最も静かな殺意。
第五章 老人との対話——システムの正体
ある日、美波のスマホに新しい通知が届いた。
特別参列:システム管理者との面会
日時:明日18時
場所:渋谷区・無名の喫茶店
あなたの参列を確認します。
翌日、美波は指定された喫茶店に向かった。
店内は薄暗く、客は数名しかいなかった。奥の席に、一人の老人が座っていた。七十代くらい。白髪で、目は深く窪んでいる。
「橋本美波さんですね」老人が言った。
「……はい」
「座ってください」
美波は向かいの席に座った。
老人は静かに語り始めた。
「私が、このアプリを作りました」
美波は息を呑んだ。
「なぜ……こんなものを」
「息子が死んだからです」老人は言った。「息子は、大手企業の下請け会社で働いていました。過労で倒れ、そのまま亡くなりました」
老人は窓の外を見た。
「息子の葬式に、その大手企業の人間は誰も来ませんでした。花も、弔電もありませんでした。まるで、息子は最初から存在しなかったかのように」
美波は何も言えなかった。
「私は、それが許せなかった」老人は続けた。「息子の死で利益を得た人間たちが、その死を知らないまま生きている。それが、私には耐えられなかった」
「だから……このアプリを?」
「そうです」老人は頷いた。「誰かの死で生きている人間は、その死を知るべきです。葬式に参列するべきです。それが、最低限の責任です」
美波は震えた。
「でも……参列しなければ死ぬって、それは——」
「脅しではありません」老人は言った。「事実です。あなたが参列しなければ、あなたの生活を支えている誰かが、また死にます。そして、その連鎖の中で、いずれあなたも死にます」
老人は美波を見た。
「これは、復讐ではありません。これは、システムの可視化です。私たちは、誰かの死の上に生きている。それを忘れさせないために、私はこのアプリを作ったんです」
美波は喫茶店を出た。
頭の中で、老人の言葉が響き続けていた。
葬式とは、他人の死で自己を確認する儀式。
そして、美波は気づいた。
自分もまた、誰かを殺し続けているのだと。
第六章 最後の通知——終わりなき連鎖
それから二週間、美波は五回の葬式に参列した。
スマホの部品を採掘していた鉱山労働者。配送業者の過労死したドライバー。格安食品を製造していた工場作業員。ファストフードチェーンで働いていた非正規労働者。そして、美波の会社の清掃員。
すべて、美波の生活を支えていた「誰か」だった。
美波は疲れ果てていた。仕事にも集中できない。夜は眠れない。葬式に参列するたび、自分が少しずつ壊れていくのを感じた。
そして、ある朝。
美波のスマホに、最後の通知が届いた。
橋本美波(28歳)
葬儀日時:明日15時
場所:品川区南大井・安養寺斎場
あなたの参列を確認します。
美波は画面を見つめた。
自分自身の葬式。
美波は笑った。それは、諦めの笑いだった。
「そうか……私も、誰かの犠牲だったんだ」
翌日、美波は安養寺斎場に向かった。
入口には、自分の名前が書かれた横断幕が掲げられていた。
中に入ると、参列者が座っていた。田中健二の妻。山田花子の母親。佐藤の兄。そして、あの老人。
全員が、美波を見ていた。
祭壇には、美波の遺影が飾られていた。それは、今朝撮ったばかりの写真だった。
老人が前に立った。
「橋本美波さん。あなたも、誰かの犠牲でした。そして今、あなたは誰かの犠牲になります」
美波は何も言わなかった。
「あなたが定時退社できたのは、下請けが過労していたから。あなたが安く服を買えたのは、途上国の子供が死んでいたから。あなたが快適に生きられたのは、誰かが犠牲になっていたから」
老人は美波に近づいた。
「そして、あなたが死ぬことで、誰かがまた楽に生きられる。それが、このシステムです」
美波は目を閉じた。
「私は……どうすればよかったんですか」
「何もできません」老人は言った。「これは、終わらない連鎖です。誰かが生きるために、誰かが死ぬ。それが、私たちの社会です」
その日の夜、美波は自宅で倒れた。
死因は、過労による心不全。
美波の会社は、翌日から新しいコピーライターを雇った。彼女の代わりは、すぐに見つかった。
エピローグ 継承
美波の葬式は、小さな斎場で行われた。
参列者は十名ほど。会社の同僚、友人、そして——一人の若い女性。
彼女は、美波の後任として入社したばかりのコピーライターだった。名前は、高橋咲。二十五歳。
葬式が終わり、咲は斎場を出た。ポケットからスマートフォンを取り出す。
画面に、見慣れない通知が表示された。
『新しいアプリがインストールされました』
『Someone's Funeral』
咲はアプリを開いた。画面は真っ黒で、中央に白い文字が浮かび上がる。
あなたの代わりに、誰かが死にました。
彼/彼女の葬式に、あなたは参列する義務があります。
参列しなければ、次はあなたが死にます。
そして、最初の通知。
橋本美波(28歳)
葬儀日時:今日15時
場所:品川区南大井・安養寺斎場
——あなたは、参列しましたか?
咲は震えながら、画面を見つめた。
そして、ゆっくりと振り返った。
斎場の入口で、あの老人が立っていた。
彼は咲を見て、静かに微笑んだ。
【終】
他人の葬式 ~私たちは、誰の死で生きているのか~ ソコニ @mi33x
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