演目「死神」
みろく
演目「死神」
僕のことをね、ひねくれていて、無愛想で、常識がない人間だって言う人がいるんです。
そういう人に限って、自分のことを「普通」だって思ってる。
でもね、本当にそうなんでしょうか。常識って、なに? みんなが右に行くから、右に行く。
ただそれだけの話じゃないのかな。
僕には、僕にしか読めない地図があるんです。
その地図には、他の人には見えない道が描いてある。
その道を、僕はただ歩いているだけ。でもそれを、「変だ」「外れてる」って言う人がいる。そうかもしれない。
でも、だから何だろう、って思うんです。
僕は、自分の感覚を一番信じてる。
それが一番確かだから。
そんな僕のことを、よく知っている友達がいて。
その子は、よく笑いながら言うんです。「お前、死神だな」って。
どうしてかって? 僕が好きになった人が、次々と死んでいくからです。
信じられないかもしれないけど、本当にそうなんです。
初めてそれが起きたのは、僕が小さい頃でした。
ある日、雲が綿あめみたいにほぐれて、空の奥へと吸いこまれていく午後。
電話が鳴って、母がそれをとって、しばらく黙って、ゆっくり立ち上がって、靴もそろえずに、ふらりと出ていった。
僕はソファのうえで、アイスの棒をくるくるまわしていた。
夏の終わりでした。
いとこが死んだ。
医者が、なにか、大事なものをまちがえたらしい。
ひとつぶの薬か、線のつながりか、あるいは、順番。
誰もはっきり言わない。
でも、もう、彼女はいません。
とても綺麗で、気が強くて。
僕のこと、いつも子ども扱いしてくる。
そのことが少し悔しかった。
でも嫌いにはなれなかった。
まっすぐな目をして、ぼくのことを
「ちびすけ」
と呼んで、すこし笑って、すこし鼻でバカにして、それでもどこか、抱きしめてくれているような、そんな彼女が。
母が夜になって帰ってきて、玄関でずっと靴を見ていた。
目は、どこか遠くを。
僕は声をかけませんでした。
世界が音もなく裏返る瞬間って、ほんとうにあるんだ、と、そのとき思ったんです。
それからしばらくして、今度は中学のときのこと。
僕は、教室のすみにいた。
すみに、というより、すきまにいた。
消しゴムのカスよりも目立たない、空気よりもうすい存在でした。
毎日、だれかの足にひっかかり、声に押され、笑いの的になった。
僕はそれを、「そういうもの」として受け入れていたんです。
だれも助けてくれなかったから。
でも、ある日、彼女が声をかけてくれた。
「おはよう」って。
それだけのことだったのに、僕は息ができるようになったんです。
世界が、すこしだけ、広がったんです。 休み時間、一緒に図書室に行った。
紙芝居の棚の裏にすわって、声をひそめて話した。
くだらない話ばかりだったけど、それがうれしかった。
だれかと並んで笑えることが、こんなにも大事だなんて知らなかった。
でも、世界はそれをゆるさなかった。僕と話すようになった彼女は、標的になりました。
机の中にゴミを入れられ、靴を隠され、名前を呼ばれなくなった。
僕は見ているだけだった。恥ずかしいけど、見ているだけしかできなかった。
その間にも彼女はどんどん傷ついてしまった。
それでも彼女は、「だいじょうぶ」って笑った。
だけど、その笑いは、どこか奥でかすかに割れていた。そしてある朝、彼女はいなくなった。
ふわっと、音もなく。
最後にのこされたのは、小さく折られた手紙ひとつ。
僕は、彼女を救えなかった。
あの「おはよう」が、あの「おはよう」だけが今でも僕の朝をはじまりにしてくれます。
苦しくて、悲しくて、辛いことばっかりだけど。
もしも「死神」というものが、黒いマントを着て命を奪う存在じゃなくて、最後の最後、誰かのそばに静かに寄りそって、「大丈夫だよ」って言ってくれるような、そんなやさしい何かだとしたら。
それなら、僕は死神でかまわない。
そう思うことで、どうにか、胸の中のつめたい穴に、ふたをしている。
でもね。
ふと思ってしまうんだ。
僕と深くかかわった人は、みんな、いなくなってしまう。
声が消えて、体温が消えて、思い出だけが、ぽつんと残される。
それって、ほんとうに、たまたまなんだろうか。
それとも、僕の中に、なにか、見えないスイッチみたいなものがあるんだろうか。
やさしさのふりをして、そっと、誰かを壊してしまうような。
そんなものが。
たまにね、自分の手のひらを見てしまう。
その指の先から、なにかがこぼれ落ちたような気がして。
そんな気持ち、とうの昔に忘れたと思っていた。
でも、25歳になって、ふいに、胸の奥がぎゅっと音を立てたんです。
好きになるのが、こわかったのに。
ずっとこわかったのに。僕が好きになると、みんな、いなくなってしまうから。
最初は、いとこ。
それから、あの子。
僕を見つけて、助けてくれて、笑ってくれて。
でも、ぼくのとなりにいたせいで、彼女は消えてしまった。
だから僕は、好きにならないようにしてた。
好きになる前に、目をそらして、関係が深くなる前に、そっと距離をあけて。
だけどね、どうしても、だめだったんです。
残念ながら、また好きな人ができてしまったんだ。
出会って、少しずつ話して、名前を呼びあって。
ある日、手をつないで、並んで歩いて。
まるで、ちゃんと世界に存在していいんだって、思わせてくれる人だった。
こわかったけど、告白しました。
返事をもらった。
あともうちょっと、だった。
ほんのすこし手を伸ばせば、届くところまで来ていた。
でもそのとき。
彼女は、病気になった。
聞いたことのある病気だった。
「癌、ですか?」
ステージ4の膵臓癌。
お医者さんの口からこぼれた言葉は、砂みたいにざらざらしていて、僕の耳にちゃんと届かなかった。
だけど、そのとき、なぜか冷蔵庫の中のレモンの匂いを思い出した。
しずかで、すっぱくて、どこかさびしい匂い。心が、音もなく凍っていきました。やっぱり、と思う。
まただ、と。
僕が好きになると、世界がその人を、ひっそりと連れていってしまう。
そんなの、ただの偶然だよって、誰かが言ったとしても、僕のなかの、静かな場所がうなずいてしまう。
彼女が病気だと知った日、僕は、深い水の中に沈んでいく夢を見た。
音のない世界で、息を止めながら、彼女の名前だけを心の中で繰り返した。
浮かんでも、浮かんでも、誰もいない。
そこには、ぽつんと、蝋燭の火が灯っていました。
僕は病院に通った。
通うたびに、彼女のベッドのそばで、手を握る。
指先は細くて、冷たくて、だけど、かすかに震えていて、まだそこに彼女がいることを知らせてくれる。
人は言う。「かわいそうだね」って。
でも、それはまるで、誰かの夢の中のセリフみたいで、僕の耳の奥には届かない。
かわいそうって、何だろう。
かわいそうって、誰が決めるんだろう。
僕は彼女と過ごせた日々が、たとえそれがほんの短い時間だったとしても、うれしかった。
それじゃだめなのかな。
僕は子どもの頃から、落語が好きだった。
特に「死神」
あの呪文、
「アジャカラモクレンテレケッレノパ」
何度も、何度も唱えた。
火を灯し、部屋を暗くして、ひとりでそっと唱えるんです。
命が伸びますように。明日も生きていますように。
火よ、消えないで。
声よ、届いて。
だけど、火は消える。闇はやってくる。
蝋燭の芯から立ちのぼる、ちいさな焦げの匂いだけが、そこに残る。
僕は何もできなかった。
たくさんの願いを込めて、たくさんの時間とお金をかけて、たくさんの涙を流して。
それでも、彼女は、遠くへ行ってしまう。
僕は、また呪文を唱える。意味がないとわかっていても、唱える。
それは祈りでもあり、儀式でもあり、あるいは、自分をつなぎとめるための、細い糸のようなもの。
蝋燭の火が消えるたびに、僕の中の何かも、しずかに消えていく気がする。
それでも、僕は火を灯す。
この火が、彼女の時間を少しだけでも引きのばしてくれるかもしれない。
そう思って、手をのばす。
僕が死神なら、せめて彼女のそばにいてあげたい。
彼女の命が終わるとき、ひとりじゃないように。
それだけが、僕の役目なのかもしれない。
誰にもわからない僕の役目を、誰にも知られずに果たす、それだけのこと。
彼女が眠る部屋はしずかで、薬の匂いがして、機械の音がやさしく鳴っている。
その音の中で、僕はまた呟く。
アジャカラモクレンテレケッレノパ。
誰のためでもない。僕のために。彼女のために。
火がまた、消えた。
演目「死神」 みろく @miroku2
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