第35話 君と在りし日の賛歌(中)

 燦々と光り続ける深くまで沈んだ街は、短絡と快楽で出来たクルーラを貪ろうと這い出す連中で満杯だ。どのトッピングとフレーバーが美味しいのだろうかと求め合い彷徨う。


 早くも飽和した街から析出した人がアスファルトに沈殿しはじめている。転げようが馬鹿騒ぎしようが、ここに屯う連中はいつもの今夜を繰り返して食い繋いでいる。まだ大丈夫、きっと明日もある。



 夜が明けてあのビルの従業員達も巣穴へと帰っていく時間だ。



 朝食を喫茶店で済ませると、近くのコンビニで買い出しの時間だ。それも結構多めにだ。あんな雑居ビルの屋上の一角がリゾートとして成立してしまうだなんて『どうかしている』、そう最初は思っていた。


 都心には無数に存在している筈なのに下からじゃ見えやしないってのが乙だ。



 湖凪 クレハ が鍵を回して。昼間だとその狭さが如実に分かる。ここの屋上は見事に死角となっている。隣のビルの巨大な看板、向かい側は二階建ての長屋になった飲食店が連なる。きっと適当に選んだ訳じゃない気がする。



 屋上消火栓ボックスに目をやれば、ホースが下に追い出されていた。中ではリュックとバールが居座っているからだろう。


 戸口の脇にあるベンチシートにコンビニの袋を下ろすと、早速、ボックスのハッチを開けてリュックを手に取った。ボックス内の隅では、コーラと白桃のリキュールが肩を並べていた。



 〝ここで居たんだな〟



 ホースを追い出すのに十分な動機だと言う事は、陪審員たちにも十分伝わっただろ。きっと1mmも口をつけていないことだって考慮された筈さ。


 それに、ずっと並べておきたいくらい、お似合いで素敵なんだ。



 ハッチを閉じてしっかり戸締まりをした。リクライニングチェアの上にリュックを置いてファスナーを開けると、見慣れない物が詰め込まれている。


「あー、ごめんごめん。私の下着入れさせて貰ってたんだ」

「ちょっ、何が入ってんのかと思ったら、」

「旅先で私を思い出して元気になれるかなぁって思って」

「不審者で捕まるって」



 取り敢えずリクライニングチェアを日陰になっている位置まで寄せて横になることにした。湖凪 クレハ はつかれていたのか、直ぐにすやすやと音を立てて眠りについている。


 岬 一燐 も何もない空の下、目を瞑って周囲の音を聞いているだけだから、夢へと繋がるのは案外早かった。


 ホワイトノイズに埋もれている間は敵なんて何処にも居ない。ここは安全。



 目が覚めて時には照らす陽射しに黄味が差していた。もう少し経てば赤味も差して辺りを暖色で包み込む。日が落ちるまでは時間の流れをゆっくりと感じさせてくれるだろう。


 横では 湖凪 クレハは熟睡してるかのようだった。慣れているとは言え、身体が痛くならないのかと心配になる。それにしても今日も一日健やかに過ごした顔をして目を閉じている。


 リクライニングチェアに腰掛け、顔に赤みがさすまで眺めていた。



「う、んーーん」髪の毛を爆発させて、狭いリクライニングチェアの上でよくも落ちずに回転している。ポケットから飛び出した紙が今にも落ちそう。


 本当は起きているんだろ? そういう風にしか思えない。もし深海で魚雷のスクリューにでもなっている夢を見てるなら、その経緯を聞きたいところだ。



 マキロから受け取ったメモが溢れるようにポケットから飛び出し、地面に着地した。


 四つ折りに畳まれたメモの中身が、無地である確率はゼロだ。何か書いてある確率は100で確実、問題はその内容だろう。恐らく何処の誰だかを書いている筈。



 今、考えられるのは 町山 キミコの名と潜伏場所が書かれている。偽造パスポート工場関連なら 林 ガイエンも濃厚か。もしワンジェンと一緒にヤる予定だったのならさっさと殺せと書いてある。


 それ以外なら……



 〝それを知ってどうする?〟



 このリゾートを楽しむのに、そんなシケたリクエストは余計な選曲でしかない。岬 一燐 も横のリクライニングチェアに転がって紺藍こんあいの空に投影される上映を待つ事にした。


 天まで上がれない光りは壁に折り返して色づく。そこにカラービーズをぶち撒けたって誰も片付けはしない。そんなビーズで悪者が滑って転げる、そんな笑える上映なんだろうなきっと。


 そろそろ音も静かになって始まる頃合い。



「おはよう、一燐」髪がシュークリームみたいになっている。

「……、ん、おはよう」


 ちょうど上映時間に間に合わせて起きた感じだ。


 起き上がって足が地面についた時、メモが落っこちているのに気づいたらしい。何食わぬ顔で拾ってポケットに入れた。神様とか死神とかの言伝を雑に扱うこの非信者は、いつだっていい気なものだ。


 岬 一燐 に、そのお告げは届くのか否か。なんとなく『ごめんね』とか平気で言いそうで神妙な気持ちになれそうにない。



「一燐、頭洗うからシャンプーとってよ」


 もう服を脱ぎ始めている。特に『何でオレが』と疑問に思わない。どちらかと言えば、全身シャンプーのメンズとレディースで何が違うのかの方が疑問だ。


 袋から取り出して手に取った。『しっとり肌 ボタニカルボディーソープ』と書かれている。


「そうだ! ボタニカルだった。クレハ、ボタニカルってなんだっけ?」

「植物由来のことだよ」

「そんな事、前言ってなかったけどな?」


「何て言ってたの?」湖凪 クレハが手を伸ばしてボタニカルを要求している。



 そう確か ――――


「ピザとかポテトとかって」ボタニカルを手渡した。


「あってんじゃん」

「それにチーズ&チーズは違うとかなんとか」

「乳製品は植物由来じゃないよ」


 どうでも良い話しなのに、喉に刺さった小骨が取れたみたく爽快な気分。直ぐにボタニカルという言葉も忘れてしまうだろうけど、それは構わない。シャンプーを開けて髪を泡立てて垂れた泡が肩や胸に落ちてゆく。


「水水ッ」目を閉じたマシュマロが名詞を動詞の様に言い放つ。


 シャワーになっていたセレクターを、ジェットに切り替えて頭にぶっ放してやることにした。トリガーを引いても弾数に制限は無いから、ありったけ注ぎ続けられる。



 最後に足元に溜まっている泡もジェットで吹き飛ばしてやったところだ。


「交代しよう、頭洗ってあげるよ」

「……。」


 頭なんて他人に洗って貰ったことなんて無い。ヘアカットですらシャンプー無しの所にしか行かなかったから、正確には記憶する限りではあるが。



「準備出来たんなら、頭下げなよ」


 何も考えずにお願いする様に頭を差し出した。頭にシャワーを浴びせられると、シャワーヘッドを渡された。ボディーシャンプーを髪に垂らされ、頭を撫でつける様に洗われる。


 変な気分だ。自分が子どもにでもなったような。


「もう一回洗うから」



 2回洗うのは、これもきっと明日と今日のためなんだろう。だから半分だけじゃダメなのはもう覚えた。



 濯ぎ終わったらシャワーヘッドを地面に置いて、飲み物を漁りに行ったようだ。何故、髪を洗ってくれたかなんて深く考えるような話しではない。好き勝手自由にしているからそうなっただけ。


 だから意味なんかより、結果を感じればいい。



 体を洗えば、高いボディーシャンプーの割に洗えているか分からない。この手の女性用シャンプーの使い方を男は誤りがちだ。凡そバカみたいな量を惜しみなくプッシュして使用してしまう。だから予め男用と区別して販売しているのだろう。


 目の前にはあの夜に見た光景と光りが透過してゆく。



 都心の夜空に星が見えないのは星がないからではない。


 星を見たい奴らは何かしらの方法で覗いている。だからそういう奴らのことはどうだって良いんだ。在る物だけ見ている奴らは、例え雨だろうと煌びやかに輝くネオンサインをここで見ている。



 〝オレは一体、今まで何を待っていたのだろう〟



 小さな変化でいい。今日と明日を繰り返して少し変えればいい。




つづく

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2025年12月26日 20:00

さよなら、君という弾痕と悼み 凛々レ縷々 @RiRi_Le_RuRu

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