母の世界のTKG

水谷なっぱ

母の世界のTKG

 魔王を倒した勇者には妻がいた。

 突如現れた妻は、


「これが異世界トリップ!? 夢女の夢がここに!! 推しの余生は私に任せて!」


 そう言って、献身的に勇者を支えた。



 魔王が倒れ、聖王国に平和が訪れ、勇者は彼女を娶った。

 やがて妻は身ごもり、女児が産まれた。

 女児は平和の象徴としてオリビアと名付けられ、国を上げて祝福された。


 だが、平和は長くは続かなかった。

 勇者は魔王を倒すために大きな負担を背負っていた。

 寿命は本来の半分以下になっていた。

 オリビアが物心つく前に、勇者は立つこともできなくなり、妻に看取られた。

「ねえ、笑って。僕は君の笑顔のために戦ってきたんだ。君が笑ってくれたから、僕は勇者にだってなれたんだよ」

 そう、最期に言い残して。


 妻は唇を噛んで立ち上がった。

「オリビアを育て上げなくちゃ」

 勇者の世話になった者は多い。

 勇者の仲間だった魔導師たちや、魔王城近くの村の人々、かつて魔王に攫われた姫君。

 気丈に振る舞う妻と、その周りの人たちに支えられて、オリビアは健やかに育った。


 オリビアが齢18になる頃、妻は病に冒された。

 国中の医師と魔導師が手を尽くしたけれど、治ることはなかった。

 ……妻の衰弱は、夫を亡くした悲しみと過労による疲れで、治癒では治せないものだった。


「オリビア、ごめんなさいね、一人にしてしまって」

「……ううん、ここまで育ててくれてありがとう、ママ」

「パパもママもあなたを愛してるわ」

「ママ……ママの生まれた世界のこと、もっと教えて欲しかった」

「そうね、ママも……最期にTKG食べたかったなあ……」

「TKG……? ママ、それ、何? ……ママ? ママ!?」


 妻はオリビアの手を握ったまま、静かに息を引き取った。

 オリビアはただ混乱の中に取り残された。


「あの、TKGって知ってますか?」

「TKG?」


 オリビアは母の知り合いに「TKG」について聞いて回った。


「あー、ハルカちゃんが言ってたの? それだとわかんないな……」

「ハルカちゃんの遺言? でも材料もわかんないんだよね」

「それ、そもそも食べ物?」


 誰も知らなかった。

 オリビアは国王と姫君の厚意で王城の図書室に入れてもらえたけれど、どの本にも「TKG」は載っていない。

 王城の賢者も、料理長も、誰一人として「TKG」のことは知らなかった。


「『TKG』……いったい、なんなのかしら」


 オリビアは呟きながら城下町を歩いていた。

 いつもなら城の兵士が誰かしら一緒にいるけれど、今日はあいにく誰もついてこられなかった。

 しかしオリビアは、慣れ親しんだ城下町だから大丈夫だと、一人で城から出た。


 城下町にはたくさんの露店が並んでいる。

 地方から商人もたくさんやってくる。

 だから歩いていれば、いつか母の言った「TKG」に出会えるかもしれない。


「そもそも、食事かお菓子かもわかりませんし……」


 オリビアは呟きながら歩く。

 ……気がつくと、まったく知らない場所に来ていた。


「……ここは……?」


 オリビアの周りには大勢の人が行き交っていた。

 みんな早足で、手のひらほどの板を見ながら歩いていた。

 祭りでもないのにこれほど大勢の人がなぜ……?

 オリビアが首をかしげていると、突然周囲の人がいなくなった。

 ププーーッ!!

 けたたましい音を立てて、オリビアの横を大きな馬車のようなものが走り抜けた。

 けれど荷台だけで、馬がいない……?


「な、なに……?」

「ばっか、危ねえだろ!!」

「えっ……?」


 見知らぬ青年がオリビアの腕を掴んだ。

 そのまま走り抜け、道の端で立ち止まる。


「赤信号のど真ん中で立ち止まるやつがいるか!」

「あ、赤信号……?」

「は? ……外国には信号がねえのか? いや、んなわけねえだろ。あんた、どこの人間だ?」

「え? えっと、ドルジス聖王国から参りました、私、オリビア・フォン・バルツィアと申します」

「……はあ?」


 オリビアは青年を見上げた。


「……んん? なんか……どっかで見た顔だな」

「ナンパですか?」

「ちっげえよ! ……あ、あれだ、写真だ」


 青年は薄い板を取り出して耳に当てた。


「あ、親父? 写真送って欲しいんだけどさ」


 何か話しかけている。

 通信器具なのかしら?

 オリビアが覗き込むと、青年は顔を赤くして眉をひそめた。

 板を耳から外し、口を開きかけたところで、板が震える。


「あ、来た。やっぱ、そうだよなあ」

「なんでしょう?」


 青年が板をオリビアに差し出した。

 見ていいのかしら?

 覗き込むと、そこには母が写っていた。


「ママ……!? どうして……ママがこんな小さな板の中にいるの?」

「板? あんた、スマホを知らねえのか?」

「スマホ……?」


 オリビアが首をかしげると、青年は肩をすくめた。


「んー……えっと、オリビアだっけ? あんた、この後時間ある?」

「は、はい……。でもあの、ここ、どこですか? あなたは?」

「ここは日本の渋谷。俺は植草翔うえくさ かける。お前の母親、植草晴香うえくさ はるかだな?」

「……そうです。あの、日本というのは?」

「全部には答えてらんない。めんどくせえ。でも、答えてくれるやつがいるから会いに行こう」


 歩き出す翔をオリビアは慌てて追いかけた。



 三時間かけてたどり着いたのは、小さな村だった。


「こちらは?」

「俺の実家。……お前の母親の実家でもある……と思う。たぶん。親父ー、連れてきたー」

「おー、悪いな。……ほんとに、姉貴にうり二つだ」


 オリビアを出迎えた壮年の男性は、彼女を見るなり涙ぐんだ。


「……は、はじめまして、オリビア・フォン・バルツィアと申します。あの、母を、ご存じなのですか?」

「ああ、よく知っているとも。姉は……晴香は、今どこに?」

「……昨年、亡くなりました」

「なっ……!? ……詳しく、聞かせてはくれないだろうか」

「あの、すみません、私にも教えていただけませんか? ここ、母が元いた世界なんですよね?」

「……ああ」


 男性は頷く。

 そしてようやく気づいたように、オリビアを部屋へ通した。

 オリビアは不安な思いで翔を見上げる。

 彼は小さく頷き、オリビアの少し前を歩いた。

 彼女にできたのは、翔の背に隠れるように後を追うことだけだった。


「晴香は、高校生の時に突然姿を消したんだ。忽然と、姿形が見えなくなった」


 それが、母の言っていた「異世界トリップ」なのだろう。

 オリビアは黙って続きを待つ。


「警察にも届けたし、山も川も探した。……けど、異世界じゃなあ……」

「……はい。母から、元の世界のことは時折聞いていました」


 オリビアは、晴香の弟だという男性――植草裕也うえくさ ゆうやに、知っている限りの母の話をした。

 トリップ後、勇者を献身的に支えたこと。

 魔王討伐後、勇者に見初められたこと。

 オリビアが生まれた数年後に勇者が亡くなり、母が女手一つで育ててくれたこと。

 そして、過労で亡くなったこと。


「……そうか。姉は、幸せだったんだね」

「そう、思われますか?」


 オリビアが不安な思いで聞くと、裕也は穏やかに微笑んで頷いた。


「思うよ。だって、君が姉を語るとき、幸せそうだからね」

「……そうだといいのですが。あの、もう一つ聞いてもいいですか?」

「もちろん。君は僕の姪だから、なんでも聞いてほしい」

「あの、TKGってなんですか?」

「TKG!? なんでいきなり……?」

「母の最期の言葉なんです。TKGを食べたかったと」


 裕也はぽかんとした後、笑い出した。


「はは、そうか。姉さんらしい。……君は、卵かけごはんを知らないのかい?」

「卵かけごはん……?」

「そろそろ夕飯時だし、用意しようか」


 裕也が立ち上がり、翔も続く。

 オリビアはまた翔の後ろについていった。

 食堂らしい部屋に入った。

 裕也の妻であり、翔の母だという女性が、笑顔でオリビアに席を勧めてくれる。

 そこには、見覚えはないものの、いい香りの食事が並べられていた。


「……これが、卵かけごはん……? 生、です……」

「普通じゃん?」


 オリビアはご飯の上にのった生卵に驚きを隠せなかった。

 元の世界では、卵とはよくよく火を通して食べるものだ。

 裕也は微笑んで、卵とライスをかき混ぜる。


「世界的に見ても、卵を生で食べる国は少ないからね。日本の卵は新鮮だから、生で食べてもお腹を壊したりしない」


 最後に黒い液体を垂らした。

 オリビアは散々悩んでから、同じように卵とライスを混ぜ、差し出された小瓶から黒い液体を垂らす。


「いただきます」


 隣に座る翔が、食事に向かって手を合わせた。

 ……オリビアの母もやっていた仕草だ。

 昔はオリビアも一緒にやっていたはずなのに、すっかり忘れていた。


「いただきます。……おいしい」


 彼女の知らない味だった。

 なのに、おいしくて、懐かしかった。

 どうしてか前がぼやけて見えない。


「泣くほどかよ」

「私にも、よくわかんないんです。でも……すごく、おいしいです」

「おかずも食べてね、オリビアちゃん」

「ありがとうございます……!」


 慣れない箸でオリビアは必死に食べた。

 ほとんどが知らない料理なのに、時折ふと母の面影を感じた。

 母がときどき作ってくれた甘辛い料理や、酸味と塩気の強いサラダ、温かい汁に箸が止まらない。


「……ごちそうさまでした!」


 いつの間にかオリビアは完食していた。

 母に教わったとおり、手を合わせて感謝を捧げる。

 目の前の夫婦は優しい顔でオリビアを見つめ、それが今は亡き両親のようで、また涙があふれてきた。


「オリビアちゃん、今日は泊まっていきなさいな」

「そうだな。行くところもないだろう。翔も泊まるだろう?」

「うん、もう帰れねえし」

「何から何まで……ありがとうございます」


 オリビアは頭を下げる。

 涙がぽろぽろと落ちて、足に跡をつけた。



 翌朝、朝食の席でオリビアは裕也に話しかけられた。


「君はこれからどうしたい?」

「えっと……帰りたいのですが、帰り方がわからなくて」

「じゃあ、翔の部屋に住むといい」

「はあ!?」


 オリビアの隣で納豆を混ぜていた翔が目を丸くした。

 彼も聞いていなかったらしい。


「オリビアちゃんは、行方不明だった姉が海外で産んだ子で、両親は事故で亡くなった。だから、叔父である僕を頼って日本に来た……ということにする」

「まあ、だいたい合ってるしね」


 裕也の妻が鮭の皮を箸でつまみながら言った。

 オリビアは聞きたいことがありすぎて、言葉が出ない。

 翔の部屋とは、最初に会った、人であふれていたシブヤという場所のことなのだろうか?

 そこで私は何をさせられるのか?

 あの魚の皮は、本当に食べられるものなのだろうか?


「公的な手続きは、僕の方でやろう。姉の失踪について、この町の大人なら皆知っているし、これでも役場のちょっと偉い人だからね。どうにかなる」

「なんで俺の部屋なんだよ」

「世間を知らない若い女の子を、こんな田舎に閉じ込めておく意味はない。この田舎で異端者が好奇の目にさらされるのは知っているだろう? だったら、広い世界で学んでおいで。友達を作ったり、知らないことを知って、楽しんでくるんだ。そして、この世界で生きるための力をつけておいで」


 オリビアはぽかんと叔父を見上げた。

 ああ、この人は本当に母の弟だ。

 優しい眼差しも、背中を押す力強さも、母にそっくり。


「ありがとうございます、裕也叔父さん」

「いいよ。もう一生会えないと思っていた姉の忘れ形見に会えて、僕は嬉しいんだ。翔、帰る前にじいさんばあさんの墓参り、一緒にしてきて」

「はいよ」


 翔は頷いて朝食を続けた。

 オリビアも箸を持ち直して茶碗を手に取る。

 きっと、ママもこんな気持ちだった。

 新しい世界への期待に胸をときめかせながら、オリビアは最後の一口を飲み込んだ。

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