哲学的ゾンビの落とし物
さわみずのあん
Philosophical zombie 略して p-zombie
「すいません。落とし物が届いていないでしょうか?」
新宿西口駅前交番の南口入り口に一人の男が立っていた。
「はあ、落とし物ですか。まあ、お座りに。どのような物を、無くされたので?」
新宿西口駅前交番古株出口巡査長が男に尋ねる。
「私です」
「はい?」
出口は入り口の男に聞き返す。
「私です?」
「私です」
出口は口の端を少し曲げ、入り口の男の目を、よく見る。
酔っ払い。ではないようだ。
「とりあえず、お座りになられてください」
男を自分が座っている机の向かいに腰掛けさせる。
「ええ、まずは、お名前をお伺いしてもよろしいでしょうか」
「私は真鍋哲と申します」
「まなべは、どういった字を?」
「真実の鍋です」
「さとしは?」
「哲学の哲です」
「なるほど。真鍋さん。あなたは私をお探しだと。その私のお名前は分かりますか?」
「私は真鍋哲といいます」
「なるほど。実はちょうど今、真鍋哲さんが届けられていました。ほらこの通り」
出口は今書いたばかりの遺失物届書の遺失者の名前を見せる。
真鍋哲と書かれている。
「違います。私ではありません。自我です」
「おや? 失礼。字が違いましたか?」
「字が違います。自我です」
「じが……?」
「私が落としたのは。私なのです。私の自我。なのです」
呆気た出口に、真鍋は続ける。
「十月三十一日。ハロウィンの時のことです。私はコスプレをしていました。ゾンビ。哲学的ゾンビのコスプレです。哲学的ゾンビというのは、クオリア。失礼、知られていない単語を知られていない単語で説明しようとするのは、良くありませんね。哲学的ゾンビというのは、あなたがあなただと思っていたり。あなたが見る、例えば赤い物を。赤だと思ったり。経験。実感。そういったものが、普通の人間にはあると思うのです。それがない人。のことを指すと思ってください。自我のない人。けれど、外見上は。普通の人間と区別がつかない。そういった存在のことを哲学的ゾンビといいます。つまり今、あなたには、私が頭の中で何かを考えて、このことを伝えているように見えま、」
「ああ、ちょっとちょっと、あなた」
「真鍋です」
「いや、そうじゃなくてですね」
「なんでしょうか?」
「ちょっと、話がややこしくなりそうなので、今、私の目の前にいる、この、いや、あなた、のことを、あなたと。これからお呼びします。あなたは、真鍋哲さんの、自我が落ちてしまった、その。もの、ということですね」
「そういう者です」
「字が違います。物です」
「自我?」
「あなたは、先ほど、私が落としたのは私だとおっしゃいましたが。あなたは、落とされたのです。この落とされた、とは敬語表現でなく、受動態。あなたは、あなたの自我、真鍋哲さんが、落とした、落とし物です」
「それが、何か?」
出口は、遺失物届書の遺失者の名前を見せる。
「ここに書かれている、真鍋哲という名前は、あなたを落とした自我の名前であって、あなたは、ここ」
遺失物届書の、遺失物の項目を指さす。
「あなたは、遺失物です。ですのでですね。この届出は受理できません」
「そんな、私は、私を落としたしまったのですよ!」
「いやそんな驚いたような顔をしても駄目ですよ。心の中では驚いていないんでしょう?」
「じゃあ、もういいです。私が自分で、探しに行きますから」
「駄目です。あなたは、遺失物です。警察によって、保管されますので」
「そんなことがあるかっ。人権侵害だっ!」
「あなたは物ですから。人権なんてないんですよ」
交番に併設された留置所の鍵を閉める。
一時的な落とし物保管場所として。
出口はそこを使うことにした。
落とし物からうるさい音がする。
どうにかして静かにしろ。
と出口は部下に命令する。
騒がしい交番から一人出て。
出口はパトロールに。
自我。
字が落ちていた。
出口の足元に。
「もしもし、聞こえますか? あなた、真鍋哲さん。真鍋哲さんの自我、ですか?」
出口は自我に聞くも、自我には体がない。耳がない。何も。聞こえない。
「もしもし、聞こえていたら返事をしてください」
自我には口がない。
「呼吸をしていない。大変だ、脈拍、」
自我には血も。
「心音も聞こえない」
自我には心臓もない。
あるのは、心だけ。
「大変だ、救急車っ、」
出口はパトロールから帰ってきた。
新宿西口駅前交番の南口入り口をくぐる。
そして、ふと。振り向いた。
。たい向り振。とふ、てしそ
。るぐくを口り入口南の番交前駅口西宿新
。たきてっ帰らかルーロトパは口出
」、っ車急救、だ変大「
。けだ心
・・・
・・
・
字が、落ちていた。
出口は驚いた。
出口は驚いた。
と書かれていれば、
私は本当に驚いているのか?
と出口は気がついた。
地の文で書かれている、
自の文は本当の自分なのか。
と出口は考えた。
驚いた。
気がついた。
考えた。
字が。
あった。
字が。
あるだけ。
救急車の音がしている。
自我には耳がない。
救急車の音は聞こえない。
呼吸停止
心拍停止
瞳孔散大
意識は
ここはどこだ?
出口はどこだ?
哲学的ゾンビの落とし物 さわみずのあん @sawamizunoann
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