肉の文法―母を食べた娘の、言葉になる七日間―

ソコニ

第1話 肉の文法 ―食卓の記号学―

第一話:失語症の舌

母が死んだ日、鏡子は初めて料理を「美味しい」と感じた。

葬儀の後、親戚が持ち寄った煮物を口にした時、舌の上で何かが弾けた。出汁の層、醤油の角、砂糖の丸み。それまで分析の対象でしかなかった「味」が、初めて感情と結びついた。

罪悪感だったのかもしれない。

母は料理が下手だった。いつも焦げていて、いつも水っぽくて、いつも何かが足りなかった。幼い鏡子は黙って食べた。残すことは許されなかった。

「残すな。作った人の気持ちを考えろ」

母の声が今も耳に残る。だから鏡子は残さなかった。代わりに、味を言語化することで距離を取った。「この焦げは炭素の比率が高い」「この水っぽさは火力不足による」。五歳の鏡子は、すでに料理評論家だった。

母が死んで十年。鏡子は職業として料理評論家になった。年間二百軒のレストランを訪れ、毎月十本の原稿を書く。舌が捉えた分子構造を、読者の脳内に再構築する翻訳者。

だが今日、翻訳機能が壊れた。


ミシュラン三つ星「レ・ゼフェメール」。予約三ヶ月待ちのフレンチ。鏡子は鴨のコンフィを口にした。

肉が舌の上で溶ける。

その瞬間、母の顔が浮かんだ。

母が作った、焦げた鴨肉。あれは鏡子の八歳の誕生日だった。母は張り切って鴨を買ってきた。高かったのだろう。でも火加減を間違えて、表面が炭になった。

「ごめんね」母は泣いていた。「ごめんね、ごめんね」

鏡子は黙って食べた。炭の苦味が口いっぱいに広がった。

その味と、今、目の前の完璧な鴨が、同じだった。

いや、違う。味覚が同じなのではない。意味が同じなのだ。

母の愛と、シェフの技術が、舌の上で等号で結ばれた。

鏡子の口から、言葉が零れ落ちた。

「あ…あ…」

形容詞が蒸発していく。「ジューシー」「芳醇」「深い」「複雑」。すべての言葉が意味を剥がされ、音だけが空中に溶ける。

ナイフが床に落ちた。周囲の客が振り返る。

「お客様、大丈夫ですか?」

ソムリエが駆け寄る。鏡子は首を振った。振れない。首が動かない。

いや、首はある。ただ、主語がない。

「私」という一人称が消失した。鏡子は鏡子を名乗れない。


タクシーで帰宅する間、鏡子は何も考えられなかった。いや、考えている。ただ、考えの主体が不在だった。

思考する、ゆえに我あり。

デカルトは嘘をついた。思考は「私」なしでも存在する。

アパートに着くと、スマートフォンが光っていた。メッセージ。送信者不明。

「言葉を食べに来ませんか。レストラン・シンタクス」

添付された地図を開く。地下鉄終点駅から徒歩五分。だが、この出口は存在しない。鏡子はこの街に十年住んでいる。

指が勝手に返信を打っていた。

「行きます」

送信した瞬間、画面が暗転した。

そして浮かび上がる、一行の文字。

「あなたはもう、来ています」


地下四階。

コンクリートの螺旋階段を降りる。一段降りるごとに、空気が重くなる。耳が詰まる。鼓膜が内側に押される。

母の声が聞こえた。

「鏡子、残すな」

違う。母はもういない。

「残すな。私を残すな」

階段の壁に、文字が浮かんでいる。いや、彫られている。

主語 述語 目的語 修飾語 接続詞 助詞 助動詞

品詞の名前が、螺旋に沿って刻まれている。

階段の終点。黒い扉。

ノックする前に、扉が開いた。いや、嚥下された。

鏡子の身体が、扉の喉を通って店内に滑り込む。


店内は異様に明るかった。白い壁、白い床、白いテーブル。光源が見えない。空間全体が発光している。

テーブルは一つ。椅子も一つ。

そして、給仕が一人。

性別不明。年齢不詳。白衣のような制服。顔の輪郭がわずかに振動している。いや、輪郭が複数ある。顔が重なり合っている。

「お待ちしておりました、鏡子様」

給仕の声には、複数の声が重なっている。男性、女性、子供、老人。

「なぜ、私の名前を」

「あなたが書いた文章を、私たちは読んでいます」給仕が微笑んだ。顔の輪郭が一瞬、母の顔に重なった。「読むことは、食べること。私たちはあなたを、十年間食べ続けています」

鏡子の背筋が凍る。

「本日のコースは『失われた主語』です」給仕がメニューを開いた。メニューには文字がない。ただ、白い紙。「あなたは今日、『私』を失いました。ならば、『私』を食べ直しましょう」

「私は、食べたくない」

「あなたは既に、座っています」

見ると、鏡子は椅子に座っていた。いつの間に?

テーブルの上に、白い皿。

皿の中央に、透明なゼリー。まるで硝子細工のように光を屈折させている。

「一品目、『私』です」

給仕がゼリーをスプーンで掬う。鏡子の口元に運ぶ。

「お嫌なら、拒否してください」

拒否したい。だが口が開く。舌が伸びる。

透明なゼリーが舌の上に載った。


世界が反転した。

鏡子が鏡子を見下ろしている。

いや、鏡子という三人称が、私という一人称を観察している。

視点が分裂した。観察者としての私と、観察される客体としての鏡子。

「これは…」

言葉が出ない。いや、出ている。ただ、誰が喋っているのか分からない。

「主語の多重化です」給仕が解説する。「あなたは今、複数の『私』を同時に生きています。一人称、二人称、三人称。すべてが同時に『私』です」

鏡子の手が震える。いや、鏡子の手が震えているのを、私が観察している。いや、あなたが震えているのを、私が記述している。

主語が増殖する。

私、あなた、彼女、鏡子、私たち、彼女たち。

すべてが同時に存在し、すべてが鏡子を指している。

「二品目です」

次の皿。赤黒い肉片。生でも焼けてもいない。ただ存在の様態が異なる肉。

「『動詞』です。行為そのものを召し上がってください」

鏡子がフォークで刺すと、肉が動いた。いや、肉が動詞になった。

食べる 食べられる 消化する 排泄する 腐敗する 発酵する

肉を口にした瞬間、世界が動詞に変換された。

テーブルがテーブルする。椅子が椅子する。鏡子が鏡子する。

すべての名詞が動作に溶解した。

母が母する。

母する、とは何か?

母であること? いや、母として機能すること。料理を焦がし、謝り、それでも食卓に料理を並べ続けること。

鏡子の目から涙が零れた。

いや、涙する。

涙という名詞ではなく、涙という動詞。悲しみが物質化する行為。

「三品目」

皿の上に、何もない。

「『目的語』です。あなた自身を、召し上がってください」

「どうやって?」

「既に、召し上がられています」

鏡子が空の皿を見つめた瞬間、皿が彼女を食べ始めた。

舌が皿に吸い込まれる。味覚が反転する。

自分が料理として認識される。

誰かの舌の上で、自分の肉が評価されている。

甘い しょっぱい 生臭い 香ばしい 苦い

鏡子の身体が形容詞に分解される。

そして、彼女は理解した。

母が作った焦げた料理。あれは「下手」だったのではない。

あれは母が、自分自身を料理として供していたのだ。

不器用な愛。焦げた献身。水っぽい祈り。

鏡子は今、母と同じ皿の上にいる。

「お母様も、ここにいらっしゃいました」

給仕の声が、母の声に変わった。

「三十年前、お母様は『愛』を食べに来られました。そして『愛』として、娘に食べられることを選ばれました」

「嘘だ」

「あなたはお母様の料理を、十八年間食べ続けました。まずいと思いながら。それでもお母様は、作り続けました。なぜだと思いますか?」

鏡子は答えられない。

「お母様は、自分自身をあなたに食べさせていたのです。愛という名の肉を」

鏡子の喉が詰まる。

「そして今、あなたも同じことをしています。あなたの文章を読む読者は、あなたを食べています。あなたは自分を、毎日読者に供している」

「それは、違う」

「違いませんよ」給仕が微笑む。その顔は完全に、母の顔だった。「書くことは、食べられること。あなたはもう、気づいているはずです」


気がつくと、鏡子はアパートのベッドにいた。

時計を見る。四時間経過。いや、四時間経過した。

スマートフォンを確認する。編集者からメッセージ。

「原稿、拝読しました。今までで最高です。これ、何があったんですか?」

送信済みフォルダを開く。

タイトル:「私は母を食べた」

本文を開く。読む。

そこには、母のことが書かれていた。

母の不器用な料理。焦げた鴨肉。水っぽい味噌汁。それでも毎日作り続けた献身。

そして、鏡子が母の死後、初めて「美味しい」と感じた瞬間。

「私は母を食べ続けていた。母は自分自身を料理として、私に供し続けていた。私はそれを『まずい』と評価しながら、飲み込んでいた。そして今、私は読者に食べられている。言葉という肉を、毎日供している。食べることは愛であり、食べられることも愛である」

原稿は五千文字。鏡子が書いた記憶はない。

だが確かに、これは彼女の文体だった。

いや、違う。

これは母が鏡子を通じて書いた文章だった。

鏡子は自分の手を見た。母の手に似てきている。

料理をしないのに、指に包丁の痕がある。

母の記憶が、鏡子の身体に移植されている。

食べるとは、記憶の移植だ。

電話が鳴った。非通知。

「二回目のご予約、お待ちしております」

給仕の声。

「明日は『接続詞』のコースです。お母様と、娘様を、繋げて差し上げます」

電話が切れた。

鏡子は鏡を見た。

鏡の中に、母が立っていた。


第二話:接続詞の臍帯

翌朝、鏡子の腹から母の声がした。

「しかし」

低く、くぐもった声。胃のあたりから。

鏡子は服を捲った。腹部の皮膚が透けている。胃の輪郭が透けて見える。その中で、黒い文字が蠢いている。

しかし けれども だが ところが それでも なのに

逆接の接続詞。

母はいつも、この言葉を使った。

「美味しくなくて、ごめんね。でも、頑張って作ったの」

「料理下手で、ごめんね。けど、あなたのために作りたいの」

母の人生は、逆接で構成されていた。

不幸な結婚。しかし、娘がいる。

貧困。だが、料理は作れる。

病気。それでも、台所に立つ。

鏡子の胃の中で、母の逆接が発酵している。


スマートフォンが鳴る。

「本日は『接続のコース』です」

あの給仕の声。もう驚かない。

「昨夜、あなたは主語と述語と目的語を食べました。文の骨格です。本日は、文と文を繋ぐ『接続詞』を召し上がっていただきます」

「断る」

「お断りになれません。あなたの胃の中に、既に接続詞が入っています。それを消化しなければ、あなたは腐ります」

電話が切れる。

腹の中の声が大きくなる。

「しかし、しかし、しかし」

同じ接続詞が反復する。ループする論理。

鏡子は吐き気を覚える。トイレに駆け込む。

便器に顔を近づけると、口から黒い液体が溢れた。

インク。

インクの中を、文字が泳いでいる。

「母は死んだ。しかし母は生きている。ゆえに母は死んでいない。だが母の肉体は存在しない。それでも母の声が聞こえる。」

矛盾した文章が、接続詞で無理やり繋がれている。

論理破綻。だが文法的には正しい。

鏡子は理解した。

接続詞は、矛盾を共存させる装置だ。


夕方。鏡子は再びレストラン・シンタクスへ向かった。

行きたくない。だが行かなければならない。この矛盾を繋いでいるのも、接続詞だ。

地下四階。黒い扉。

今日は、ノックしなくても開いた。

店内。今日はテーブルが三つある。

一つ目のテーブルに、母が座っていた。

「お母さん」

鏡子が駆け寄ろうとすると、給仕が腕を掴んだ。

「お母様ではありません。お母様の記憶です」

母の姿は、半透明だった。輪郭が揺らいでいる。

「本日のコースは、三つのテーブルで提供されます」給仕が説明する。「一つ目、順接のテーブル。二つ目、逆接のテーブル。三つ目、並列のテーブル」

一つ目のテーブルに、鏡子が座る。

向かいに、母の記憶。

テーブルの上に、透明なスープ。

「順接のスープです。因果律を飲んでいただきます」

鏡子がスプーンでスープを掬うと、スプーンと口が液体を介して繋がった。

飲み込んだ瞬間、時間が一直線になった。

過去→現在→未来

すべての出来事が、完璧な因果律で説明された。

「あなたが料理評論家になったのは、お母様が料理下手だったから」

給仕の声。

「お母様が料理下手だったのは、祖母様が早逝されたから」

「祖母様が早逝されたのは、曾祖父様が戦争で亡くなったから」

「曾祖父様が戦争で亡くなったのは、国家が戦争を選択したから」

因果の鎖が、無限に遡る。

鏡子の存在理由が、完璧に説明された。

偶然は存在しない。すべては必然。

「だから、だから、だから」

鏡子の口から、順接の接続詞が溢れる。

自由意志が消失する。彼女は因果律の奴隷になった。


二つ目のテーブル。

今度は鏡子が、母の向かいに座っている。いや、母が鏡子の向かいに座っている。

位置が反転した。

「逆接のソテーです」

黒く焦げた肉。

ナイフを入れると、内側が生だった。

一口食べた瞬間、因果律が反転した。

過去⊥現在⊥未来

すべての出来事が、前の出来事を否定する。

「あなたは料理評論家になった。しかし、あなたは料理を憎んでいる」

「あなたは母を愛していた。だが、母の料理を嫌っていた」

「母は死んだ。それでも、母は生きている」

矛盾が共存する。

鏡子の中の二つの感情。母への愛と、母への憎しみ。

どちらも本当。どちらも嘘。

「お母様も、同じでした」給仕が言った。「お母様はあなたを愛していた。しかし、お母様はあなたを重荷に感じていた」

「嘘だ」

「本当です」給仕が母の記憶を指差す。

母の口が動いた。声はない。だが唇が言葉を紡いでいる。

「愛してる。でも、辛い」

鏡子の心臓が軋む。

「愛と憎しみは、逆接で繋がっています」給仕が続ける。「矛盾こそが、人間です」


三つ目のテーブル。

母が複数いる。

五人、十人、いや無数の母。

それぞれが異なる年齢。若い母、中年の母、老いた母。

「並列のデザートです」

皿の上に、無数の小さな球体。

鏡子が一粒食べると、自分が二人になった。

もう一粒で、四人。

さらに一粒で、八人。

「そして および ならびに かつ」

鏡子が増殖する。

料理評論家の鏡子および娘の鏡子かつ孤独な女の鏡子ならびに母になれなかった鏡子。

すべての可能性が、同時に実在する。

無数の母と、無数の鏡子が、同じテーブルを囲む。

「接続詞は、矛盾を繋ぎます」給仕が言った。「そして、可能性を並列させます。人生は一本の線ではなく、無数の線の束です」

すべての母が、口を揃えて言った。

「ごめんね」

すべての鏡子が、口を揃えて答えた。

「ありがとう」

その瞬間、すべての母と鏡子が融合した。

境界が消失した。

母と娘が、同じ存在になった。


アパートに戻ると、腹の中の声が消えていた。

代わりに、全身の関節から声がする。

「しかし」「そして」「だから」

関節が接続詞になっている。

肘がしかし、膝がそして、首がだから。

身体が文法的に再構築されている。

新しい原稿を書いた。

「接続詞は臍帯である。母と娘を繋ぐ管。栄養と毒を同時に運ぶ。私たちは接続詞によって繋がり、接続詞によって切断される。母は死んだ。しかし母は私の中に生きている。この矛盾こそが、愛だ」

送信すると、即座に編集者から返信。

「鏡子さん、書籍化が決まりました。タイトルは『肉の文法』。いかがですか?」

鏡子は笑った。

完璧なタイトルだ。

電話が鳴る。非通知。

「三回目のご予約です。明日は『形容詞』のコースを」

「もう十分だ」鏡子は言った。「これ以上、何を食べる?」

「あなた自身の本質です」

電話が切れた。

鏡子は鏡を見た。

自分が何者なのか、分からなくなっていた。


第三話:形容詞の皮膚

三日目の朝、鏡子の肌が言葉になった。

鏡を見ると、皮膚の表面に文字が浮かんでいる。

「白い」「滑らかな」「冷たい」「柔らかい」

自分の身体を記述する形容詞。

触ると、文字が変化する。

「温かい」「ざらついた」「湿った」

皮膚が、触覚を言語に変換している。

これは母も経験したことだろうか?

母の肌を思い出す。ガサガサで、硬くて、傷だらけだった。

包丁の傷、火傷の痕、洗剤で荒れた指。

母の皮膚は、言葉で覆われていた。

「不器用な」「献身的な」「疲れた」「それでも諦めない」


スマートフォンが鳴る前に、鏡子は答えた。

「分かってる。行く」

「お待ちしております」

母の声だった。給仕ではなく、母が直接電話をかけてきた。

「お母さん?」

「今夜、あなたは自分が何者か知ります」


レストラン・シンタクス、三日目。

テーブルの上に、色とりどりの皿。

そして、母が給仕として立っている。

「お母さん」

「こんばんは、鏡子」母が微笑んだ。生前と同じ笑顔。「今夜は私が、あなたに料理を供します」

「でも、お母さんは」

「死んでいる? ええ、死んでいるわ。でも、ここにいる」母が逆接の接続詞を強調した。「形容詞は、存在を定義します。私が『死んだ母』であり、同時に『生きている母』であることを、今夜証明するわ」

最初の皿。鮮やかな赤。

「『美しい』という形容詞です」母が皿を運ぶ。「これは、他者があなたに与える形容詞。あなたが美しいかどうかは、関係ないの」

鏡子が赤い肉を口にした。

瞬間、視界が変わった。

街ですれ違う人々の視線。電車の中の乗客。レストランの客。

全員が鏡子を「美しい」と形容している。

だが鏡子自身は、自分が美しいとは思っていない。

母も同じだったのだろう。

母は自分を「不器用な母」だと思っていた。でも鏡子にとって、母は唯一の母だった。

「二品目」

黒い肉。腐敗臭。

「『醜い』です」

食べると、全員が鏡子を「醜い」と形容し始めた。

視線が刺さる。嫌悪の視線。軽蔑の視線。

鏡子の皮膚の文字が変わった。

「醜い」「汚い」「気持ち悪い」

「お母さんも、こう思われていたの?」

「毎日よ」母が答えた。「夫にも、姑にも、近所の人にも。『料理が下手な嫁』って、何度言われたか」

母の目に、涙が浮かんだ。

「でもね、鏡子。あなただけは、私の料理を残さず食べてくれた。だから、私は作り続けられた」


三品目以降、複合形容詞が続く。

「『優しくて残酷な』」

「『賢いが愚かな』」

「『強くて弱い』」

矛盾した形容詞を同時に食べる。

鏡子の人格が分裂する。

優しさと残酷さが同居する。

母への愛と憎しみが共存する。

「形容詞は主観です」母が言った。「同じ人間でも、見る人によって形容詞が変わる。私はあなたにとって『不器用な母』だった。でも私自身にとっては『必死な女』だった」

母が最後の皿を持ってくる。

皿の上に、何もない。

「『無形容』です」

「何も、ない」

「そう。形容詞を剥がした時、何が残るか」母が鏡子の手を取った。「それが、本質よ」

鏡子が空の皿を見つめた瞬間、すべての形容詞が剥がれ落ちた。

美しい、醜い、優しい、残酷、賢い、愚か。

すべて消えた。

残ったのは、名前のない存在。

鏡子でも、娘でも、料理評論家でもない。

ただの、肉。

「これが、あなたよ」母が囁いた。「そして、私も」

二人の肉が、同じ皿の上で溶け合った。


アパートに戻ると、皮膚の文字が消えていた。

代わりに、鏡子の存在そのものが透明になっていた。

鏡を見ても、姿が映らない。

いや、姿はある。ただ記述不可能なだけ。

新しい原稿を書いた。

「母の皮膚は、言葉で覆われていた。『不器用』『下手』『ダメな母』。でもそれらを剥がした時、残ったのは純粋な愛だった。形容詞のない愛。私も今、形容詞を失った。残ったのは、ただ母を想う肉だけだ」

編集者から電話。

「鏡子さん、会いたいです」

「なぜ?」

「あなたが実在するか、確かめたい。最近の原稿、あなたらしくない。いや、あなたらしすぎる」

鏡子は答えなかった。

自分でも分からない。

自分は実在しているのか?

それとも、母の記憶が書いているのか?


第四話:語順の骨格

四日目。鏡子の骨が軋んだ。

病院でレントゲンを撮ると、技師が首を傾げた。

「骨の配置が、おかしいですね」

画面を見せられる。

頭蓋骨が体の中央にある。肋骨が背骨の位置に。背骨が四肢に散らばっている。

解剖学的に不可能な配置。

だが、文法的には正しい配置。

頭蓋骨=主語、脊椎=述語、肋骨=目的語。

鏡子の骨格が、文の構造に再編されている。

「精密検査が必要です」

「いえ、大丈夫です」

鏡子は病院を出た。

スマートフォンが鳴る。

「本日は『語順のコース』です」

もう母の声だ。給仕の声ではなく。

「お母さん、私の骨が変わった」

「知ってるわ。私もそうだったから」母が答えた。「人間の骨格は、話す言語の語順で配置される。日本語話者と英語話者では、骨の位置が微妙に違うの」

「それは、科学的に」

「科学と文法は、本質的に同じよ。世界を記述する方法。今夜、あなたの骨を最も美しい語順に再配置するわ」


レストラン・シンタクス、四日目。

テーブルの上に、魚の骨だけが盛り付けられている。

肉はない。ただ、骨の構造だけ。

母が座っている。今日の母は、若い。鏡子が生まれる前の、二十代の母。

「お母さん、若い」

「今日の私は、まだ『母』じゃないの」母が笑った。「『女』だったころの私」

「女だったころ?」

「母になる前、私には夢があった。通訳になりたかった。言葉を繋ぐ仕事」母が魚の骨を指差した。「でも、妊娠した。結婚した。そして語順が変わった」

鏡子が骨を齧ると、自分の骨格が再配置された。

日本語の語順から、英語の語順へ。

私は(S) 食べ物を(O) 食べる(V) → 私は(S) 食べる(V) 食べ物を(O)

思考回路が変わった。動詞が先に来る。行動が先、対象は後。

「母になる前の私は、英語で考えていた」母が言った。「『I love you』。主語、動詞、目的語。シンプルで明快」

「母になった後は?」

「『あなたを愛している』。目的語が先。主語が曖昧。日本語の母」

さらに骨を食べると、語順が次々に変化した。

アラビア語、ラテン語、中国語、ドイツ語。

語順が変わるたびに、鏡子の思考が変わった。

「言語は、思考を決定する」母が解説する。「あなたが何を先に考えるか。それは語順が決める」

鏡子の頭蓋骨が、心臓の位置に移動した。

「これは、『思考が中心』の構造。西洋的な語順」

次に、頭蓋骨が背中に移動した。

「これは、『思考が最後』の構造。日本語の極端な形。結論を最後に言う」


最後の皿。

螺旋状に配置された骨。

「これは非線形の語順」母が言った。「文が円を描く。始まりも終わりもない。主語と述語が同時に発生する」

鏡子がそれを食べると、時間が円環になった。

過去と未来が接続された。

因果律が消失した。

彼女の骨格が球体になった。

すべての骨が、中心から等距離。

「これが、言語以前の構造」母が囁いた。「赤ん坊の骨格。まだ言語を持たない時の、純粋な構造」

鏡子は理解した。

母が妊娠した時、母の骨格も変わったのだ。

「女」から「母」へ。

語順の変更。

そして今、鏡子の骨格が球体になることで、彼女は産む側の構造を持った。

「お母さん、私」

「そうよ」母が頷いた。「あなたも、もう母の骨格を持っている」


アパートに戻ると、身体が元に戻っていた。

いや、見かけだけ。

骨の配置は変わったまま。

新しい原稿を書いた。

「語順は骨である。思考の骨格を決定する。母の骨格を受け継いだ時、私は母の思考回路を受け継いだ。私はもう、私ではない。私は母であり、娘であり、二つの骨格を持つ存在だ」

編集者から電話。

「鏡子さんの原稿、海外で話題になっています。翻訳の打診が来ています」

「翻訳?」

「ええ。英語、フランス語、ドイツ語。でも鏡子さん、翻訳すると語順が変わりますよね。意味は変わりませんか?」

鏡子は答えた。

「変わります。でも、それでいいんです。言語が変われば、骨格も変わる。読者の骨が、この物語を再構築する」

「それは、新しい作品になるということ?」

「ええ。翻訳とは、骨の移植手術です」

電話を切ると、体の中で骨が鳴った。

母の骨と、鏡子の骨が、共鳴している。


第五話:時制の血液

五日目の朝、鏡子は血を吐いた。

洗面台に吐き出した血が、三つの色に分離した。

黒い血、赤い血、透明な血。

過去の血、現在の血、未来の血。

時制が分裂している。

鏡子は手首を見た。血管が透けている。その中を、三色の血が逆方向に流れている。

一本の血管の中で、時間が三つの方向に流れている。

「お母さんも、こうだったの?」

鏡子は空に訊いた。

スマートフォンが鳴る。

「ええ、そうよ」母の声。「女は全員、三つの時制で生きているの。過去の自分、現在の自分、未来の自分。三人が同じ身体を共有している」


レストラン・シンタクス、五日目。

テーブルの上に、三つの透明な容器。

それぞれに、異なる色の液体。

「過去のスープ、現在のスープ、未来のスープです」

母が給仕として、三つの皿を並べる。

今日の母は、老いている。鏡子が知らない、未来の母。

「お母さん、その姿は」

「私が生きていたら、こうなっていた姿よ」母が微笑んだ。皺だらけの笑顔。「でも私は死んだ。だからこの姿は、未来完了形。『生きていただろう』という仮定法」

鏡子が過去のスープを飲むと、記憶が逆流した。

自分の幼少期。母の少女時代。祖母の記憶。曾祖母の記憶。

DNAに刻まれた過去が、血液を通じて脳に流れ込む。

鏡子は見た。

曾祖母が、同じレストランに座っている姿を。

祖母が、同じスープを飲んでいる姿を。

母が、同じテーブルで泣いている姿を。

「このレストランは、代々続いているの」母が説明した。「女たちが、言葉を食べに来る場所。そして、言葉として食べられる場所」


次に、現在のスープ。

飲んだ瞬間、時間が停止した。

いや、停止していない。現在だけが無限に引き延ばされている。

鏡子の心臓が止まった。いや、鼓動している。ただ、鼓動と鼓動の間隔がゼロになった。

無限の現在。

「現在進行形は、終わらない動作」母が言った。「私たちは永遠に『愛している』。死んでも、終わらない」


そして、未来のスープ。

鏡子が飲もうとした瞬間、スープが彼女を飲んだ。

未来が現在を侵食する。

鏡子の死が、今この瞬間に訪れた。いや、訪れる。いや、訪れている。

彼女は自分の葬儀を見た。

棺の中の自分。参列者はいない。ただ、編集者が一人、泣いている。

そして、棺の隣に立つ少女。

鏡子に似ている。いや、鏡子だ。

若い頃の鏡子? いや、違う。

鏡子の娘だ。

「私、子供を産むの?」

「まだ分からない」母が答えた。「でも、可能性としての娘は既に存在している。未来完了進行形。『産んでいるだろう』」

母が最後の料理を持ってきた。

黒い液体。

「これは無時制の血です」母が言った。「時間の外側にある血。過去でも現在でも未来でもない」

「それは、何?」

「永遠よ」

鏡子がそれを飲むと、時間が消失した。

因果律が崩壊した。

彼女は同時に、生まれて、生きて、死んでいる。

母も、同時に、生きて、死んでいる。

二人は同じ時間に存在している。

「お母さん」

「鏡子」

二人は抱き合った。

生者と死者が、無時制の中で抱擁する。

「あなたは私を食べた」母が囁いた。「そして今、あなたも誰かに食べられる」

「誰に?」

「読者よ。あなたの文章を読む、すべての人に」


アパートに戻ると、時計が壊れていた。

いや、時計は正常。鏡子の時間感覚が壊れている。

新しい原稿を書いた。

「母は死んだ。母は生きている。母は生きるだろう。すべて真実。時制は虚構だ。愛だけが、時間の外側にある」

編集者から電話。

「書籍化の件、正式決定です。『肉の文法―食卓の記号学―』」

「いつ発売?」

「来月。でも鏡子さん、最終話を書いてください。この物語の結末を」

「結末?」

「ええ。レストラン・シンタクスの正体。鏡子さんと母の物語の、終わり」

鏡子は答えた。

「終わりは、ありません。でも、最終話は書きます」

電話を切ると、体が透明になり始めた。

時間から切り離されたことで、物質性を失いつつある。

あと二日で、彼女は完全に言語になる。


第六話:人称の視点

六日目。鏡子は自分を「私」と呼べなくなった。

鏡を見ると、三人の鏡子がいる。

私と呼ぶ鏡子。

あなたと呼ばれる鏡子。

彼女と呼ばれる鏡子。

三つの人称が、同じ身体を共有している。

「本日は『人称のコース』です」

電話の声は、もう誰のものか分からない。母の声、給仕の声、鏡子自身の声が混ざっている。

「人称は、視点を決定します。あなたが『私』であるか、『あなた』であるか、『彼女』であるか。それによって、物語が変わります」


レストラン・シンタクス、六日目。

今日は、テーブルが無数にある。

それぞれのテーブルに、異なる人称の鏡子が座っている。

一人称のテーブル。そこに座る鏡子は、内面を語り続けている。

「私は悲しい。私は母を愛していた。私は…」

二人称のテーブル。そこに座る鏡子は、誰かに語りかけられている。

「あなたは美しい。あなたは才能がある。あなたは…」

三人称のテーブル。そこに座る鏡子は、観察されている。

「彼女は書く。彼女は食べる。彼女は…」

「本日は、すべての人称を食べていただきます」

母が、すべてのテーブルを回りながら料理を運ぶ。

最初の皿。透明なゼリー。

「『私』という人称です」

鏡子が食べると、世界が一人称になった。

すべてが「私」の視点で語られる。

テーブルの「私」、椅子の「私」、空気の「私」。

すべてが主観を持った。

「私は怖い」テーブルが言った。

「私は疲れた」椅子が言った。

「私は薄い」空気が言った。

世界が、無数の「私」で満たされた。


次の皿。鏡のような表面を持つ肉。

「『あなた』という人称です」

食べると、鏡子が見られる側になった。

無数の視線。読者の視線。

「あなたは面白い」

「あなたは不気味だ」

「あなたは天才だ」

「あなたは狂っている」

他者の評価が、鏡子を定義する。

主体性が消失する。


最後の皿。灰色の粉末。

「『彼女』という人称です」

食べると、鏡子が物語の登場人物になった。

誰かが鏡子について書いている。

誰が?

読者だ。

この物語を読んでいる、すべての読者が、鏡子を「彼女」として記述している。

鏡子は理解した。

自分はもう、実在の人間ではない。

物語の中の登場人物だ。

「お母さんも、そうだったの?」

「ええ」母が答えた。「私も、あなたの物語の中の登場人物。『不器用な母』という役を演じた」

「演じた?」

「そう。すべての人間は、誰かの物語の登場人物。そして同時に、自分の物語の語り手」


母が最後の皿を持ってくる。

皿の上に、小さな鏡。

「これは『無人称』です」母が言った。「主語のない文。誰が行為するのか分からない文」

鏡子が鏡を覗き込むと、誰も映っていなかった。

「私は、いない」

「そう。あなたも私も、もう存在しない。私たちは言語になった」

母の姿が消えた。

いや、消えていない。

母が文章になった。

空中に、文字が浮かぶ。

「母は娘を愛した。娘は母を食べた。食べることは愛である」

鏡子の身体も、文字に変換され始めた。

皮膚が文字になる。骨が文字になる。血液が文字になる。

「私は、物語になる」

鏡子は最後に笑った。

そして完全に、言語になった。


最終話:料理としての自己

七日目。

鏡子は、レストラン・シンタクスのテーブルの上にいた。

白い皿の中央。自分の身体が、料理として盛り付けられている。

だが、もう恐怖はない。

これがあるべき形だと、彼女は知っている。

「本日のメインディッシュです」

母が、見えない客に告げる。

客の姿は見えない。だが視線を感じる。

それは読者の視線だった。

今まさに、この物語を読んでいる、すべての読者。

「召し上がれ」

ナイフが鏡子の腕に触れる。

痛みはない。

切断されているのは、肉ではなく記述だから。

鏡子という名詞。料理評論家という修飾語句。三十五歳という数詞。

それらが、一口サイズに切り分けられる。

そして、読者の口に運ばれる。

咀嚼される。味わわれる。消化される。

鏡子は感じた。

自分が読まれている感覚。

「美味しい?」

鏡子が訊いた。

母が答えた。

「あなたは美味しいわ。私と同じ味がする」

「お母さんの味?」

「愛の味よ」

鏡子の記憶が、読者の血肉になる。

読者の記憶の一部になる。思考の一部になる。

そして、やがて排泄される。

忘却として。

「忘れられるのは、怖い?」

「ううん」鏡子は首を振った。「忘れられることで、私は循環する。土に還り、栄養となり、また新しい料理を生み出す」

母が微笑んだ。

「よく分かったわね」

「お母さんの料理が、そうだったから」

母の料理は、すぐに忘れられた。

誰も覚えていない。鏡子でさえ、具体的な味は思い出せない。

でも、味の記憶は残っている。

身体の奥底に。細胞に。DNAに。

「言語も同じ」鏡子は言った。「読んだ本の内容は忘れる。でも、読んだ経験は残る。私という言語も、忘れられる。でも、読んだという事実は残る」

母が鏡子の手を取った。

「あなたは、私を超えたわ」

「ううん」鏡子は首を振った。「私は、お母さんになったの」

二人は抱き合った。

料理と料理が、皿の上で溶け合った。


視点転換:読者の側へ

あなたは今、この物語を読んでいる。

いや、食べている。

鏡子という料理を、舌で転がし、歯で噛み砕き、喉を通して胃に送り込んでいる。

あなたの胃液が、鏡子の言葉を分解している。

意味という栄養素を抽出している。

そして、不要な部分は排泄される。

数日後、あなたはこの物語の大半を忘れる。

でも、何かが残る。

胸の奥の、違和感。

喉の奥の、味の残滓。

それが、鏡子だ。

彼女はあなたの中で生き続ける。

細胞の一部として。


視点転換:母の側へ

私は死んだ。

でも、私は生きている。

娘の中に。娘の言葉の中に。

そして今、読者の中に。

私の焦げた料理は、忘れられた。

でも、私の愛は残った。

鏡子として。

鏡子の言葉として。

この物語として。

私は何度でも、食べられる。

何度でも、蘇る。

言語は、不死だから。


視点転換:鏡子の側へ

私は料理評論家だった。

言葉で料理を記述する仕事。

でも今、私は料理になった。

言葉という料理に。

母の味を受け継いだ料理に。

読者に食べられる料理に。

私は消化され、吸収され、排泄される。

それでいい。

それが、愛の循環だから。

食べることは愛であり、食べられることも愛だ。

母は私を愛した。

私は母を食べた。

読者は私を愛する。

私は読者に食べられる。

無限の循環。

これが、肉の文法。


エピローグ:編集者の視点

「鏡子さん」

私は病院のベッドに座る彼女に声をかけた。

七日間の昏睡状態から、彼女は目を覚ました。

「意識が戻ってよかった」

「ありがとう」鏡子は微笑んだ。「でも、私は眠っていなかったの。ずっと、書いていた」

「ええ、原稿受け取りました。『肉の文法』全七話」

「読んだ?」

「ええ」私は頷いた。「正直に言います。怖かった。でも、美味しかった」

鏡子は笑った。

「それでいいの」

「出版が決まっています。来月、書店に並びます」

「読者は、私を食べる」

「ええ」

「そして、忘れる」

「でも、何かが残ります」私は言った。「あなたの言葉は、読者の中で生き続けます」

鏡子は窓の外を見た。

街を歩く人々。

全員が、言葉を食べて生きている。

そして、いつか誰かに食べられる。

「次は、何を書きますか?」

鏡子は答えた。

「読者の物語を」

「読者?」

「ええ。食べる側の物語。読者は、何を食べているのか。そして、読者自身が誰に食べられているのか」

私の背筋が凍った。

「それは…」

「あなたも、料理よ」鏡子は微笑んだ。「編集者も、読者も、作家も。全員が、言語の食物連鎖の中にいる」

鏡子はノートを開いた。

新しい物語を書き始める。

『第二部:読者の舌』

「あなたは今、この文章を読んでいる。つまり、私を食べている。でも知っているか? 食べた瞬間、あなたも料理になる。次の誰かに、食べられる料理に」

私は震えた。

この物語は、終わらない。

読まれ続ける限り、循環し続ける。

鏡子が料理として供され、読者が食べ、読者が料理になり、次の読者が食べる。

無限の食物連鎖。

これが、肉の文法。


あとがき

この物語を書いたのは、誰か?

鏡子か?

母か?

それとも、あなたか?

言語には、所有者がいない。

書かれた瞬間、言葉は作者の手を離れる。

読まれた瞬間、言葉は読者のものになる。

この物語も、もうあなたのものだ。

あなたの胃の中で、消化されている。

あなたの血液に、溶け込んでいる。

数日後、あなたはこの物語を忘れる。

でも、何かが残る。

それが、肉の文法だ。



あなたは誰に食べられたいですか?

そして、誰を食べたいですか?

この問いに答えた時、あなたも物語の一部になる。

さあ、次の料理を待とう。

【完】

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肉の文法―母を食べた娘の、言葉になる七日間― ソコニ @mi33x

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