ゾンビ菌根絶宣言
そうざ
The Declaration of Eradication of Zombie Bacteria
――ズキュン!――グギャー!――
娘が一心不乱に手元の機器を動かしている。
――ズキュン!――グギャー!――
「それって、何かのゲーム?」
娘の集中力は、まるで俺の言葉を受け付けない。
「それはママに買って貰ったのっ?」
「大きな声を出さないで」
娘の傍らからミナカが横槍を入れた。今日は妙に
「おまぇ……君が買い与えたのか?」
「そうよ。欲しいって言うから」
娘の手元を覗こうとするが、よく見えない。
――ズキュン!――グギャー!――
「どう考えても暴力的な内容だよな」
「カンナちゃん、画面を見せてあげて」
二頭身キャラ同士が戦闘を繰り返している。一方は人間で、もう一方はゾンビらしい。可愛らしくデザインされているが、銃器で撃てば赤い血が飛び散る。撃たれたゾンビは派手に砕け散り、排除完了という訳だ。
「低年齢向けじゃないだろう」
「対象年齢は四才以上よ。自衛庁や防疫庁も制作に参加して推奨してる」
――ズキュン!――グギャー!――
随分と戯画化されているとは言え、一般に『血のハロウィーン事件』と呼ばれる
「カンナちゃん、『血のハロウィーン事件』が起きたのはいつだっけ?」
「十月三十一日!」
ミナカの問い掛けに、娘が初めて明るい顔を見せた。
一見、暴力的なゲームの推奨は、仄暗くも栄光に彩られた歴史的事実を後世にまで語り継ぐ為の施策らしい。
「まさか、一日中ゲーム漬けじゃないよな?」
「一日に二時間までよ。学業が疎かになったら本末転倒だからね」
「二時間でも長いよ」
「国が推奨してる時間なんだけど」
「一時間くらいにしたらどうだ?」
「さっきから何なの? 親権を持ってるのは私なんだからね」
「そうだけど、俺は腐っても父親だ」
「腐っても……って」
そもそも誰の所為でこんな事になったのか――これまで何度も聞かされた台詞が蘇る。俺は口を
――ズキュン!――グギャー!――
間が悪かった。悪過ぎた。ほんの出来心の浮気、その相手がゾンビ菌に感染していた。しかも、
俺は、ゾンビ化した女を何とか振り切り、ホテルから半裸で逃げ出すと、
浮気相手は
俺は、一人の夫としても、人類の一人としても、最悪の部類に堕ちてしまった。
――ズキュン!――グギャー!――
「さて……カンナちゃん、そろそろ帰ろっか」
「うん」
「おぉおいっ、まだカンナと会話すらしてないんだぞっ」
「もう直ぐ一時間になるわ」
「延長してくれっ、頼むっ、せめて二時間くらいっ――」
ミナカがまた笑った。二時間という単語がそんなに面白かったのか。
――ズキュン!――グギャー!――
「ほら、いつまでも遊んでないで。行くわよ」
「待てっ、待ってくれっ!」
「デートの予定が入ってるの」
母娘が面会室を出て行く。映し出されるその後ろ姿に堪らず指を這わせると、モニターにどす黒い血と皮膚の欠片がこびり付いた。
娘がゲーム機から顔を上げなかったのは、腐り掛けた俺を直視出来なかったからだ。
現状は、間に合わせの発症抑制剤でゾンビ化の進行を遅らせているに過ぎない。その一方で、特効薬の開発は遅々として進まない。
発症する前に保護されたのは、果たして不幸中の幸いだったのか。完全なゾンビとして逸早く排除された方が、まだ増しだったのではないか。
俺がここに強制入院させられた三年前、娘はまだ生まれて間もなかった。不幸中の幸いとはこの事だ。全く記憶にない浮気ゾンビよりも、母親のデート相手を父と呼ぶ方が、どれだけ娘の人生に有益か。
ぽとり、と涙の粒が落ちた。
俺にまだ泣ける心が残っていたなんて――そう思った瞬間、辛うじてぶら下がっていた片耳も、ぽとりと腐り落ちた。
――ズキュン!――グギャー!――
――ズキュン!――グギャー!――
――ズキュン!――グギャー!――
穴だけになった耳の奥で、まだあの可愛らしい電子音が鳴っている。
ゾンビ菌根絶宣言 そうざ @so-za
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
同じコレクションの次の小説
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。