魔人に転生した公爵令嬢を救ったのは前前世の私と魔王の愛、そして梅田ダンジョンでした

三角ケイ

第1話

「……あれ、何や、ここ?一体どこなん?……あれあれ?私のしゃべり、何か変やない?ああ、そっか。このしゃべり、私が前世で話していた方言や。……と、いうことは私また死んでもうたんか」


 アリーシアは真っ黒の何もない空間に独りきりでいた。


 アリーシアはどうして自分がここにいるのか理由がわからず辺りを見渡し、ふと自身が空中に浮かんでいることや体が透けているのに気がついて、自身が二度目の死を迎えたことを思い出した。


 生前のアリーシアは前世の記憶を思い出すことなく生きていたが、二度目の人生で無念の死を遂げたからなのか、傷ついたアリーシアの代わりに前前世の人格が目覚めたようで、今のアリーシアの思考や話し口調は生前のものとは全く異なるものとなっていた。


「あ〜あ、私、よう頑張ったんやけどなぁ……」


 アリーシアは学園で成績優秀だったのを運悪く王に見込まれ、王子であるエドワードと婚約させられた。


 と、いうのもエドワードは他に兄弟がおらず、王妃に溺愛されて育ったせいで我儘で怠惰に育ち、おまけにアリーシアよりも5つも年上だというのに、学園で留年を繰り返して未だに卒業できないでいたからだ。


 王にエドワードを押し付けられた形で婚約させられたアリーシアは妃教育を受ける傍ら、エドワードに勉強を教えるよう命じられた。


 アリーシアは王命だからとひたすら頑張ってエドワードの世話をしたが、当のエドワードは優秀で努力家な婚約者に劣等感を抱き、感謝するどころか邪険に扱い、男爵令嬢のマリアと浮気をした。


 それでもアリーシアはお互い恋愛感情のない政略的な婚約であることだし、王は側妃を取ることも認められているのだからと一言も文句を言わなかった。


 アリーシアは彼らの仲を黙認し、勉強を教える時間以外は彼らにけして近寄らず、彼らに責められるような悪いことは何一つしなかった。


 それなのにアリーシアはエドワードにマリアを虐めた、階段から突き落としたなどと無実の罪を着せられ、二度目の人生もあっという間に終わってしまったのだ。


「それにしても、あいつらマジ許せんわ。って、いうか、ちょっと調べたら直ぐに無実やとわかるのに、なんで王も実家の公爵家も何もしてくれへんのんな!私、自分で言うのもなんやけど、人としても、公爵令嬢としても、誰かに後ろ指刺されるような生き方なんて一つもしてなかったんやで!」


 前前世の人格となったアリーシアは二度目の人生を振り返り、怒りを顕にしだした。


「私はな、あんな万年留年で、しかも浮気男のどうしようもないポンコツの婚約者なんてなりたなかったんや。そやけど王命やし、公爵家のためやからって仕方なくずっと頑張ってたんや。それやのに王も実家も庇ってくれへんで、命を奪うなんてあまりにも酷過ぎひん?こんなん殺生すぎるわ。まじ納得いかへん!」


 アリーシアが真っ黒な空間で一人怒っていると突然、空間に白い亀裂が走った。


「うわっ!何なん!?」


 驚くアリーシアは、あっという間に亀裂に飲み込まれていき、そのまま意識を失ってしまった。





『大変です、魔王様!』


『先程神殿から報告がありまして、魔人が生まれいでる魔法陣が突如光りだしたそうです』


『魔人とな?我の治世となってから魔人が生まれるのは初めてではないか?』


『恐れながら魔王様。魔王様のお父上やお祖父様の治世時代でも魔人は生まれておりません。文献によれば、この魔族の国を最初に建国された王が魔人だったそうで、それ以降に魔人が生まれたという記録は残っておりません』


『我々魔族は番同士の生殖行為によって繁殖しますが、強い魔力を持つ魔人は神が我々に与えた魔法陣からしか生まれないのだそうです』


『そうだったな。魔人は稀で希少な神の愛し子。伝承によると神が前世で人に裏切られ殺された不幸な魂を憐れんで魔人に転生させるのだったかな。その魂が前世で味わった不幸が魔人の魔力に反映され、不幸であればあるほど巨大な魔力を持って生まれてくるとか……』


『これは大変なことになりました。もし魔人が話の通じない悪者だったら、どうしましょう』


『魔王様よりも魔力が強かったとしたら我々ではどうすることも出来ません』


『狼狽えるな。神の愛し子が悪しき魂だとは思わんが、まずは我が真っ先に魔人と会おう。向こうの出方次第によるが、この国と民を脅かす者は何びとだろうと容赦しない』


「……ん?……あれ?声がする?誰かいるん?」


 遠くの方から聞こえる何人かの話し声で目を覚ましたアリーシアは、自分が黒曜石で出来た神殿らしき雰囲気がする建物の広間に描かれた白い光を放つ魔法陣の中央で浮かんでいることに気がついた。


 さっきまでは真っ黒い空間にいたはずだったし、体は透き通っていた。なのに今は違う場所にいて、体は透き通ってはいないがまだ空中にフワフワと浮かんでいる。


 そんな自分の変化や状況に頭が追いつかないアリーシアが無言のまま暫く目をパチパチさせていると、今まで見たこともないくらいに美しい黒髪紅眼の青年がアリーシアに近づいてきた。


「……これが魔人?何と美しい乙女だろうか。おお、目を覚ましたぞ。月光を編んで作られたような白金色の髪に高貴なエメラルドの瞳の何と麗しいことか。姿形もこの世界を創造したと謳われる女神の御姿と見紛う美麗さ……これは本当に魔人で合っているのか?もしや天使か女神の間違いではないのか?」


「?あの……どちら様?」


「何と!声まで麗しい!やっぱり天使、いや女神がご降臨されたのでは?」


「?いや、あの、多分やけど私は天使とか女神なんて大層な者ではないと思うんやけど……」


「え?そうなのか?それなら魔人で間違いないのか?……ゴホン、失礼。我は魔王トゥリース。哀れな魔人よ。我が手下となれ。さすれば、そなたを我が国民として歓迎しよう」


「えっ?手下?」


「ああ、そうだ。我の手下になれば、魔族国の民になれる。そうすれば憎い人間と顔を合わせなくて済むのだぞ。それとも復讐を望んでいるのか?我も人間には常々頭を悩まされておるから、手下になるなら復讐を多少は手伝ってやってもよい」


「え?手下になれば復讐の手伝いをしてくれるって、それってタダでってこと?……ひぇ、そんなん要らん!要らんねん!結構や!ノーセンキュ!無理っ、無理!」


 自信満々にしたり顔で厳かに告げるトゥリースに、アリーシアは胸の前で両手を左右に横に振って全力で断った。


「何だと!?そなたは人間が憎くはないのか!そなたは人間に裏切られて殺された哀れな魂なのだろう?」


「いやいや、気持ちは嬉しいで!だって私、無実の罪で人生終わらせられたんやもん!一度目の人生では病気で早うに死んじゃったから、二度目の人生では色々なところに行ったり、友達もたくさん作って恋愛もしたかったし、お仕事も頑張りたいし、結婚もしちゃったりなんかして人生を思いっきり楽しみたいと思うんは当然やろ?」


「ほう……それはそう思うのは当然だな」


「そやろ?公爵令嬢に生まれたから、そんなんできんかったけど、せめて長生きはしたかった。だからな、私にこんなことした相手を憎いか憎くないか言うたら憎いに決まってるやん」


「なら、何故我の申し出を断るのだ?」


「だってな、そんなん言うても、美しいバラには棘がある、タダより高い物はない、うまい話には裏があるって、よく言うやろ?悪いんやけど、初対面の魔王さんの話を無条件に信じるほど私、甘ないねん。声かけてくれて、ありがとうな。だけど、ごめんやで」


 そう言って謝るアリーシアに、目を丸くさせて驚いていたトゥリースは笑い出した。


「アハハハ!なんて面白い乙女だ!我は嘘を見抜ける耳を持っているのだが、そなたの言葉には嘘が見当たらない。そなたが自分を蔑ろにした人間達を憎いと思っていることや、我を疑っていることや、それでも我の申し出を有り難く思っていることや、だけど何らかの不利益を被るのを恐れるから我の力は要らない……我は本音も建前も考えていること全てを正直に話す人間なんて今まで一度も見たことがない!」


「あっ、そうなんや?前前世では私みたいにしゃべる人、結構おると思うんやけどなぁ」


「そんな人間達がいるのか?実に興味深い。ましてや、そなたは前世で公爵令嬢だったのだろう?嘘で固めた貴族社会で、よくぞそれだけ真っ正直さを保っておったな。真っ事、そなたは稀有な乙女よな。……気に入った。そなたは今から我の番となって永遠に我と共にあれ」


「何やてっ!?いやいやいや!ちょい待ち!早まったらアカンよ!何で手下にする言う話がいきなり番にする話に変わるんな?ホンマ、ちょっと落ちつこ。頼むから!魔王さん、気は確かなん?番って結婚のことやんな?それって人生において重大な選択やろ?そんなん簡単に決めたらアカンよ。ヤケになって決めても良いこと一つもないで」


「これは心外な。我は落ち着いているし、ヤケにもなっておらん」


「あのな、魔王さん。私の貴族令嬢らしくない、しゃべり聞いて、そんな無謀な思いつきをしたんやろうけど、このしゃべりは私の前前世のもので特に珍しいものではないんやで」


「確かに貴族らしくはない話し方ではあるようだが、そなたの言葉には誠意が感じられる。我は長く生きているが、結婚したいと思ったのはそなたが人生初だ」


「そんなん急に言われても……。もしかして魔王さんの住んでるところは結婚は気軽に出来るところなん?ひょっとして一夫多妻とかハーレムとかあるん?……そうなんやったら絶対に嫌やし、ホンマ勘弁してもらいたいんやけど」


「アハハハ、安心しろ。魔族は人間と違って一夫一妻……もしくは一夫一夫、一妻一妻……の番制度となっている。一度、番となれば永遠に番としか添い遂げられん。我はそなたの美しさにも好感を持ったが、何よりそなたの嘘のない言葉に惚れたのだ。どうか、我の番となって永遠に我の愛を捧げさせてくれないか?」


 アリーシアを熱く見つめるトゥリースにタジタジになったアリーシアは全身真っ赤にさせて狼狽えた。


「なっ!?う、嬉しいけどタンマタンマ、タンマ!い、一旦保留で!魔王さん、すっごいイケメンさんやし、正直言うと私の好みど真ん中やし、前世も前前世も恋愛未経験やった私には勿体ないくらい素敵やと思ってるけど!話が急すぎて何か怖いねん!と、とりあえず一旦プロポーズは保留にさせてくれへん?そ、そうや!まずは手下でっ!手下になるんで、どうか一旦はそれでまけてくれへん?」


「フフッ、手下になるから、まけろか……。なんて面白くて愛い乙女だろうか。ますます気にいった。まぁ、良かろう。その代わりに我もこれが初恋ゆえ勝手がわからず至らないところもあるだろうから、その点をまけてもらおう」


「初っ!?恋って……あうっ!あ、あの、魔王さんの手下って、何をしたらええのん?人間に頭を悩ませているっていうことは、もしかして人間の国を滅ぼす手伝いをしたらええんかな?」


「あっ、いや、その、実は……」


「正面からガッと武力行使するのんと裏から手を回してササ〜と自然消滅させるのんとどっちがいいん?あっ、でも、火器や細菌兵器の類は倫理的観点や後の自然環境への影響とか色々考えなアカンってテレビで聞いたことあるし、それ以外の方法で滅ぼすんでええかな?」


「うわっ!?可憐な姿からは想像もつかないほど妙に現実的でエグい発言が出て何だか我より魔王感があるような……。なのに可愛いなんて流石は私の番(予定)、愛しすぎる!恐るべしは愛だな!」


「あの、魔王さん?私、何するん?」


「ああっ、これが世にいう、恋は盲目と言うやつなのだな……っと。いや、そんなことは求めていない!え〜と、え〜と……。ほら、アレだ、アレ!え〜と……」


 三度目の人生で初めて異性からアプローチされ、戸惑いと照れから涙目で頬を染めた状態となったアリーシアから尋ねられたトゥリースは(アリーシアの発言はともかくとして)その可愛さに胸を鷲掴みされつつも、とっさに手下と言ったものの具体的なことは何一つ考えてはいなかったから、内心慌ててアリーシアに任せる仕事について頭を巡らせた。


「え〜と。そ、そうだなぁ……。あっ、そうだ!じ、実は我の治める魔族の国には難病に効く霊泉があるのだが、それを知った、そなたの国が霊泉を我が物にして多額の金を得ようとあの手この手を使い、我が国を侵略しようと何度も仕掛けてくるのに手を焼いておるのだ」


「え、霊泉?……そういえば王様が持病の痔を治したくて、霊泉がある魔族の国に度々戦争を仕掛けているせいで国庫が底を付きかけているから、その対策を考えろと王妃様に無茶振りをされていたけど……まさか!?もしかしてこの世界、私がいた前世の世界なの?」


「ああ、そのような理由で戦争を仕掛けていたのか。……ともかく我は人間の国を滅ぼすのは簡単だが、人間の国など滅ぼしても、さほど旨味はないだろうし、かといって結界などで封鎖して全ての人間が入れないようにしてしまったら、一握りの善良な人間が霊泉を求めて来られなくなるのは可哀想であろう?」


「それはそうやね。難病を患っている人や病人を抱えている家族なら、何を引き換えにしても手に入れたいと思うやろうしね。人間に迷惑かけられてるのに封鎖は考えないなんて優しいんやね」


「病に国も種族も関係ないからな。故にそなたには、欲深い悪しき者を霊泉から遠ざけ、本当に心の底から必要とする者しか霊泉に辿り着けなくなるような迷宮を地下洞窟に造って管理してもらいたいのだ」


「迷宮?……ダンジョンのことかな?」


「ああ、そうだ。ダンジョンとも言うな」


「あの、どうして地下洞窟にダンジョンを?」


「ああ、それはな、霊泉は我が国の地下洞窟にあるのだが、その洞窟と人間の国の地下洞窟が繋がっているからだ」


「なるほど。それでダンジョンを……」


 ダンジョンと聞いて、アリシアの頭に浮かんだのは、ただ一つのものだった。


「ダンジョンいうたら、アレやね!」


 アリシアは右手でパチン!と指を鳴らせて言った。


「大阪梅田にある地下街!梅田ダンジョン一択や!」





 前前世のアリーシアは病弱に生まれたが、年の離れた兄姉は健康で、彼らは通勤途中でいつも立ち寄る地下街のことを親しみを込めて梅田ダンジョンと呼んでいた。


 『梅田の地下街はな、広いから目的地に出るのにえらい苦労するし、ボーと歩いとったら直ぐに迷ってまう、ダンジョンみたいなところなんやけど、美味いモン売ってる店がぎょうさんあってな、何回行っても飽きひんところなんやで』


『そうなんや。凄いとこなんやね、お兄ちゃん』


『そやねん。だからな、病気が治ったら兄ちゃんが連れてって美味いモン腹いっぱい食べさしたるからな』


『うん!お兄ちゃん、ありがとうな』


『もう兄ちゃんは食い気だけの人やからなぁ。あんな、梅田ダンジョンはな、ごはん屋さんだけやないんよ。服だって靴だってコスメだってアクセだって本だって何でも売ってるから、一日中おっても退屈せえへん、面白いところなんやで』


『何や、凄い楽しそうなところやね、お姉ちゃん』


『それだけやないねんで。あそこは地上を歩くより、地下街を通った方が近道出来るから、あそこから動物園だって遊園地だって映画だって劇場だって行けるし、海でも山でもどこでも行きたいところに早う行けるねん』


『うわ〜、そうなん?いいなぁ、いっぺん行ってみたいなぁ』


『心配せんでも治ったら姉ちゃんが行きたいところ連れてってあげるわ。だからな今からどこ行きたいか、ちゃんと考えとくんやで』


『うん!お姉ちゃんもありがとうな。私、お兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒に行くん楽しみや』


 兄姉は仕事帰りに病室に立ち寄っては、そう言って励ましてくれたがアリーシアは治らず、余命を告げられてしまった。


 そんな妹を不憫に思ったのか、その後、彼らは担当医に頼み込んで外出許可をもらい、アリーシアを一度だけ平日の昼間に梅田ダンジョンに連れて行ってくれたのだ。


 念願の梅田ダンジョンは平日の昼間なのに人通りは多く、急ぎの用があるのか、車椅子のアリーシアをすれ違いざまに疎ましく見やる人もいて、アリーシアはその人に対して申し訳無い気持ちになった。


 だけど大半の人は人情味に溢れて優しく、電車の駅員達も訪れたお店の人達も皆、とても親切にしてくれた。


 あのときの幸せな記憶を思い出したアリシアはトゥリースにエスコートしてもらって洞窟に向かった。


「見ててくださいね、魔王様!」


 魔王トゥリースに一目惚れされ、その求愛を自分がトゥリースの手下になることで、一旦保留にしてもらったアリーシアは三度目の生でようやく、前前世と前世では出来なかった仕事をするという夢を叶えられることになり張り切っていた。


「手下になったからと様付けなどせずとも……。言葉使いもそのままで良いし、何なら呼び捨てでも構わないのに」


「いえ、魔王様は私の上司ですし、今は仕事中ですから」


 アリーシアは前前世で働いていた兄姉を尊敬し、憧れていたので、兄姉がそうしていたように、仕事では公私混同しないでいようと仕事中は方言をなるべく控え、自分の上司となったトゥリースのことも様付けで呼ぶことを改めるつもりはなかった。


「わかった。……だけど仕事が終わったら、今までと同じように話してほしいし、出来たら名前で呼んでほしい」


「うっ……わ、わかりましたから、そんな捨てられた子犬みたいな目で見つめないでください。……では、気を取り直して!」


 トゥリースに寂しそうに見つめられてアリーシアは頬を染めつつも、初仕事なのだからと気合を入れ直し、魔力を練り上げ、洞窟を自分の思い出の場所に変えていった。


 暗くジメジメした洞窟はアリーシアの魔力によって、洞窟の地面は磨かれた大理石の床に変わり、人工光の照明が洞窟の隅々まで明るく照らす空間に様変わりしていった。


 そして多種多様な店が所狭しと立ち並ぶダンジョンが出来上がるとアリーシアは得意げにトゥリースにお披露目をした。


「ジャジャ~ン!お待たせしました、魔王様。これがダンジョンですわ! 」


「これがダンジョン……なのか?」


 アリーシアが指差す先には、アリーシアの前前世に記憶にある、美味しそうなスイーツ店や、流行のファッションを売る衣料店などなどが、どこまでもどこまでも続いていた。


「そうですよ、魔王様! 見てくださいな、この構造! 上階を歩いていると思ったら、いつの間にか下階にいる摩訶不思議構造なんですよ!入り組んだ地下通路は上の案内板を見てたら着けると安心していても迷ってしまう迷路のような造りになっているんです!」


「おおっ!それは凄い!」


「でしょ!確か前前世では交通機関への連絡通路にも、ただ歩くのを飽きさせないようにするためなのか、それとも商売のチャンスを少しでも逃したくないのか、いくつかの他県の名産品を売る小さな売店が一定間隔で並んでいましたが、私はこれに47都道府県プラス世界各国の名産品を売る店を追加し、全ての通路にお店を張り巡らしたことで、目的地を目指して歩いていても中々辿り着けない地下ショッピング街の誘惑あふれるダンジョンに仕上げました!」


「?47都道府県?よくわからないが何だかスケールがデカいダンジョンなのだな?」


「ええ、それはもう!それに突然現れる泉の広場!これは待ち合わせ場所にうってつけとなるに違いありません!そして、パンパカパーン!このダンジョンの最凶最強の目玉である、デパ地下のご登場〜!ここはですね……」


 トゥリースはアリーシアが自信たっぷり説明を続ける様を愛しく思いつつも、内心ではアリーシアが作ったダンジョンに少々戸惑っていた。


(こんなに広大な地下洞窟全てを一瞬でダンジョンに変えてしまうなんて、何と膨大な魔力なんだ。それに海や山だけでなく他国への転移門まで作ってしまうなんて、流石は我の愛しい番(予定)。なんて凄いんだ)


(しかし、これは本当にダンジョンなのか?罠が一つもないし、こんなに明るくては我の手下が待ち受けていることが悪しき人間にバレてしまうぞ。ダンジョンというよりもただの巨大な商品街みたいだが、これでどうやって欲深い者を霊泉から遠ざけるのだ?)


(それにあの三つだけ大きな店をアリーシアはデパートと言って最凶最凶と言っていたが、他の店とどう違うのだ? う〜ん……中の一つは何故か虎の気配がして、やけに戦闘力が高そうなのはわかるんだが……)


「いつ来るかわからない人間のために、コボルトさんや吸血鬼さんや狼や熊の獣人さん達といった魔族の皆様を地下洞窟に常駐させるのは非効率ですから、どうせなら皆様にはここで店員になってもらって普段は魔族相手の商売をしてもらうのはいかがでしょうか?そうしたら皆様、退屈しないだろうし、おまけにお金も稼げます」


「確かにただ待つのは暇だろうな。……う〜ん、なるほどな。それはいい考えかもしれん」


 幸か不幸か、アリーシアは前前世でゲームを嗜んだことがなかったので、ゲームに出てくるようなダンジョンを詳しくは知らなかった。


 そしてトゥリースは初の恋に浮かれているのもあるが、人の話す言葉の嘘は見抜けるが、アリーシアの前前世の世界のことを全く知らなかったので、アリーシアの信じていることがその前前世の世間一般的に正しいものかどうかを判断する術を持っていなかった。


 だからトゥリースはアリーシアの造ったダンジョンが自分が思い描いていたダンジョン……薄暗く魔族がウヨウヨいて罠だらけのアリーシアの前前世のロールプレーイングゲームに出てくるようなダンジョン……と違っていても、アリーシアの言葉に嘘を感じなかったので、梅田の地下街をダンジョンだと信じて疑わないアリーシアの言葉をそのまま信じてしまった。


 元々、魔王の手下として地下洞窟に配属されていた魔族達は最初こそアリーシアの造ったダンジョンに戸惑ったものの、暗くジメジメした洞窟で、いつ来るかわからない人間をやることもなく、ただただ待ち続ける日々にうんざりしていたのもあって、アリーシアの指導の下、ダンジョンで店商売をすることに意欲的になり、やがて目を輝かせ始めた。


『なんだ、この大きな丸が描かれた百貨店は!?まるで宝物庫でないか! 異界の食べ物が無限にあるぞ!凄い!家族の皆にも食べさせてやりたい!』 


『見て見て! この店の服!どれも超可愛いんだけど!こんな可愛い服を私達が売ってもいいの?』


『こっちの花の形をもじった紋章がセンスの良い百貨店の品揃えも半端ないぞ!カバンにこんなに種類があるなんて知らなかった!これは売りがいがあるぞ!』


 アリーシアの造ったダンジョンは買い物とグルメで魔族達を歓喜させ、魔族の生活を一変させた。


 魔族は皆、闇属性であるため、生まれつき太陽光が苦手な者が多く、夜しか外出できず、生活の場も薄暗い場所しか選べなかったが、アリーシアが前前世の記憶にあった人工光をダンジョンに使い、おまけに前前世で流行っていた日焼け対策グッズを作って魔族の国中に広めたおかげで、皆が安心して明るい場所を歩けるようになったのだ。


 すると暗い場所では気にも止めなかった自分の身なりが気になりだした魔族達は家で体を洗うようになり、皆が身綺麗になっただけではなく、清潔になったことで病気になりにくくなったのだ。


 おまけにダンジョン内で売買が活発に行われることで経済が活性化し、魔族の国は急激に栄えだした。


 ダンジョンではコボルトのギャルが流行の服を売り、吸血鬼のイケオジが極上プリンを作り、鬼のお姉様がネイルを施し、ケンタウロスのお兄ちゃんがクレープを焼き、ドワーフのがんこ職人がアクセサリーを売るのが日常となっていった。


 そして、そんなダンジョン内を多種多様な種族の魔族達がデパ地下の試食コーナーを巡ったり、ラーメン店の行列に並んだりして、思い思いに楽しむのも日常となっていった。


 トゥリースは魔族の民達がダンジョンを楽しむのを満足気に眺めながら、アリーシアが作成した地下街の広域マップを読み解くのに夢中になった。


「アリーシア。我はまだ“イーストプラムパディフィールド”と名付けた東の国への転移門と“ウエストプラムパディフィールド”と名付けた西の国への転移門までを最短距離で突破するルートに辿り着けたことがないんだ」


「そうですね。このルートは上級者向きですからマップがないと攻略は難しいでしょう」


「それがマップを見て歩いているはずなのに、気がつくと他の店に気を取られて迷ってしまうのだ。何だって、こんなに誘惑が多いのか。……ハッ!もしや、これがこのダンジョンの罠?何と見事な罠なんだ」


「そうですよ魔王様。人間は魔族よりも欲深く、しかもその欲望は果てしないものなんです。だから見ていてくださいね。本当に必要とする者しか洞窟にある霊泉には辿り着けませんから」








『霊泉がある地下洞窟がダンジョンとなっていたが、前と違って罠もなく、凶悪で不潔な魔族も待ち伏せしていないんだ』


『むしろ身綺麗になった魔族が見たこともない色々な商品を売っていたんだ』


『ダンジョン内なのに通路は整備されていて水洗のトイレがいくつもあったぞ』


『それだけじゃなく小休憩用のベンチまで設置されていたんだ』


『地下なのに、まるで昼間みたいに明るくて空気も澄んでいるんだ』


『何の食べ物かわからないが、凄く美味しそうな匂いがする食べ物屋があちこちに沢山あった』


『しかも、どこの店も人間の国よりも物価が異常に安かった!』


『あのダンジョン、探索のし甲斐がありすぎる! まるでアリの巣がそのまま迷宮になったかのようだ!』


 魔族の国にある洞窟がダンジョンになったという噂は霊泉で一攫千金を狙う冒険者達によって、直ぐに人間達に広まった。


『とにかく凄いんだ! あのダンジョン、どこまでもどこまでも店が続いてるんだ!』


『人間の国なんて目じゃないくらい、沢山のお店があって最高なの!』


『魔族の店員さんは皆礼儀正しく親切だし、どこのかしこも清潔なのよ!』


『途中で気分が悪くなっても狼獣人の警備員が介抱してくれて人間の国の地下洞窟出口まで運んでくれたんだ』


『今日こそ泉までたどり着くぞ!』


『それに地上を歩くより、ダンジョンを通った方が早く他国に行ける転移門があるんだ!』


『しかも地上だと公爵家が高い通行料を取るんだが、地下の転移門は犯罪歴がなければ誰でも格安で通してくれるんだ』


 冒険者達の噂に乗せられ、恐る恐るダンジョンに足を踏み入れるようになった一般人も皆が皆、一瞬でダンジョンの虜になり、周囲の者達に口々にダンジョンを絶賛するようになっていった。


『あら、奥様。あなたも魔族国民になって魔王様に忠誠を?』


『そうなのよ。だって魔族国民になって魔王様に忠誠を誓うとダンジョン内のお店に割引がつくポイントカードがもらえますし、今なら歌劇鑑賞の優待券がもらえるんですもの』


『魔族国民になればダンジョンで商売することも許されますし、何かとお得ですよね。それに魔族の国は人間の国よりも税金は安いのに福利厚生が充実しているんですもの』


『そうなんですよね。以前は魔族の方達のことを汚くて、太陽光に当たれないなんて不気味で怖い種族なのかと思っていたのですが、ダンジョンのお店をされている魔族や私達と同じ客として通われている皆さんをよく知れば、少しも怖くもないし、いつも清潔にされていて、とても優しいんですもの』


『そうそう。太陽光に当たれないのもそういう体質なのだとわかれば、何も怖くないですものね』


『ええ、魔族の方達は番を大切にされていて愛情深い方達ばかりで治安が良いのも有り難いですわ』


『本当にそうですわね。それに魔王様や魔王様に仕える魔族達は人間の国の王侯貴族と違って、身分を笠に威張り散らすことがありませんから好感が持てますし、魔族国の方がうんと生活がしやすいですわ』


 噂が噂を呼び、国中の人間達がダンジョンを訪れるようになった頃には、ダンジョンは商業の楽園となり、魔族と人間が共存する架け橋へと変貌を遂げていた。






 数ヶ月後、人間の国では王侯貴族達は混乱の中にいた。


「大変だ! 国が衰退していっている! 民が皆、魔族国へ行ってしまう!」


 人間の国では主な商業を担っているのは王侯貴族であったため、ダンジョンの出現により、瞬く間に国の経済が崩壊寸前となっていった。


 それに貴族第一主義の国政や激しい身分差や高い税金に対しての見返りの少なさに不満を抱いていた民の魔族国への流出は前々からあったのだが、ダンジョンが出来て以降、一気にその流れが加速したため、事態の収集を王に命じられたエドワードは焦っていた。


 良い打開策が一つも思い浮かばなかったエドワードは自分の運命の恋人であり、新たに婚約者になった男爵令嬢のマリアに相談しようとしたが、マリアはエドワードの相談など端から聞く耳を持っていなかった。


「エドワード様! ダンジョンのインフォメーションのオーガさん達が教えてくれたんですけど、あのダンジョンでは限定スイーツが毎週変わるとおっしゃっていたんです! だからお金をください!」


「何だって!?また金か!ここのところずっとダンジョンに入り浸りじゃないか!マリアは王子妃になるんだから金を毎日せびるのは止めて妃教育を真面目にやれ!」


「うわぁ、それ言っちゃう〜?よくもまぁ自分のこと棚に上げて、そんなこと言えちゃうなんて激ヤバ自己中野郎ですよね〜。……いや〜、それにしても現実って世知辛いですよねぇ」


「は?何の話だ?」


「王子妃になったら玉の輿に乗れるって思っていたのにお城の中では四六時中、見張られているし、礼儀作法や妃教育はただでさえ山のようにあるのに、おっさん王子が勉強が出来ないおバカさんだからって帝王学まで王子の代わりに修めろって、どんな拷問ですかって話ですよ〜」


「え?おっさん王子って僕のことか?」


「あ〜あ、もっと早くに現実に気がついていれば、アリーシア様に無実の罪なんて着せなかったし、こんなおっさん王子には絶対に手なんて出さなかったのに、マジ自分の迂闊さがパなくて草ですわ」


「えっ?無実の罪って?」


「さぁ、どうでしょうね〜、うふふ〜。あ〜あ、私マジやらかし過ぎたよね〜。もっと早くに現実が見えていたら、こんなことしなかったのに、マジぴえんですわ」


「まじぴえん?何だそれ?」


「ってか、何なのよ、あのダンジョンは!ゲームのダンジョンと全然違うじゃん!わたしが覚えているダンジョンよりも何倍も広いフィールドを魔力で作ってしまうなんて絶対おかしいわよ!」


「落ち着け、マリア!さっきから何を言っているんだ?」


「アレ絶対にダンジョンじゃないよね!?どこかの大都会のバザールをむりやりダンジョンに押し込んだみたいだったもん!……あ、もしかしてアリーシアも転生者だったりとか?」


「マリア、話を聞け!アリーシアが何だって?」


「それでもって、私よりもやり込んでいたガチゲーマーで魔力を増幅させる裏技を知っていたとか?うわぁ、そっか〜。その可能性大有りだよね〜。むしろ、それしかないよね〜。やっば!マジやっば!そんなの勝ち目ない無理ゲーじゃん!」


「お、おい、マリア!僕を無視するな!アリーシアが何だって?おい、マリア!」


「はいはい、聞いてますってば。オーガさん達が言うには今週はクラーケン焼きというものらしくて、何でも平べったくて甘くないパンケーキみたいな生地にクラーケンの旨味がギュウと詰まっていて、果物と野菜がたくさん入った茶色ソースがかかった、この世のものとは思えない美味なんですって!だからクラーケン焼きを買うお金をくださいよ〜」


「おい、マリア!食べ物の話はいいから、アリーシアのことを詳しく教えろ!」


「あれ〜?前に言いませんでしたっけ?ゲームではアリーシアは断罪されたことを逆恨みして、魔人に転生してダンジョンを造り、人間の国を滅ぼそうとするラスボスになるんですよ」


「ええっ!?アリーシアが魔人に転生?」


「で、人間嫌いではあるものの、滅ぼすほどは憎んでいなかった魔王トゥリースがアリーシアに殺されそうになっている可憐で可愛いヒロインの私を助けてくれて、共にアリーシアを倒して、最後は私と結ばれてトゥリース様エンドとなるわけでして……。ああ、あの最後のスチル。マジ最の高だった〜。トゥリース様は神!私の最推し!トゥリース様しか勝たん!」


「一体、何の話をしているんだ、マリア?マリアが魔王と結ばれるって?……そんなのありえない。だってマリアは僕の……」


「ええ、ええ、そうですよ。ここは現実。どれだけ最初からやり直したくとも、やり直しもセーブも出来やしない。ゲームでは5つ年上の王子の留年理由が病気のせいだったのを忘れていた私が間抜けだったんですよ。そのせいで卒業試験に落ち続けていた万年留年ダメ王子を攻略しちゃうなんて、とんだ大バカ野郎ですよ」


「ダメ王子……」


「そうですよ!エドワード様は使えない最悪ダメ夫だし、王妃様はネチネチ嫌味の最凶意地悪姑だし、王は王で家庭の問題にはノータッチの我関せず最低舅だし、私の人生、夢も希望もないオワコン決定ですよ」


「ダメ夫って……。オワコンとは何だ?」


「もう、さっきから聞いてばかりで超うざ過ぎ!こっちはねぇ、ダンジョンで魔人になったアリーシアに遭遇しないから、トゥリース様に会えやしなくてムカついてるのに!もう、全部全部うっざ!ですよ!……だから!だからね私には、もう食べ歩きと買い物しか楽しみがないんですよ。なのでお金〜!お金くださいよ〜」


 目を血走らせて人目も気にせずに金を要求してくるマリアに、かつての清純な笑顔はなかった。


 エドワードはマリアがアリーシアが断罪され、毒杯を受けて息を引き取った直後に、突然理由のわからないことを言い始めたことを思い出した。


『やったー!あの女、ゲームと違って、ちっとも意地悪してこないんだもん、マジやばかった〜!これでやっとアリーシアを闇堕ちさせて、私の最推しの隠し攻略対象の魔王ルートが解放される〜!後は魔人に転生したアリーシアが造ったダンジョンをクリアして、魔王と恋仲になれば、無事に魔王エンドクリアよ!フッフッフッ。このゲームをやりこんだ私には死角無し!ダンジョンだって完全にマップを覚えている私にはチョロいチョロい!待っていてね、トゥリース様〜!』


 マリアはエドワードにアリーシアを断罪するまでは、あんなに愛を囁いてくれていたというのに、アリーシアが亡くなった後は人が変わったように、エドワードの知らない男の名前を愛しげに呼び、エドワードが止めるのも構わず単身で魔族国のダンジョンに入ってしまったのだ。


 そして暫くしてダンジョンから戻ってきたマリアは、更にエドワードを見なくなり、妃教育を怠けては城から金を持ち出してダンジョンに通い、限定品を際限なく買い求めるようになっていた。 


 エドワードは自分の全てを否定するマリアを受け入れられず、それを病のせいだと思い込んだ。


「マリア、待っていろ!必ず元に戻してやるからな!」





 エドワードは霊泉を求め、騎士団を編成してダンジョンに入ったが、エドワードも騎士達も多種多様な店の雰囲気に飲まれ、鼻を擽る香しい食べ物の誘惑に惑わされ、今まで見たことも聞いたこともない商品の数々に興味が引かれたせいで、その後一年経っても未だに霊泉に辿り着けないでいた。


「何ということだ。一体、どこに霊泉はあるんだ?少しも見つからないじゃないか」


 今日も今日とて満腹になった腹を休めるため、ダンジョン内にある泉の広場で騎士達と小休止していたエドワードがぼそりと呟くと、近くのベンチに座っていたゴブリンの老人がカカカッと笑って答えた。


「霊泉を目にして座っているというのに面白いことを言うね、お前さん。もしかして人間の国のお笑い芸人なのかい?」


「ええっ!?霊泉?この泉が霊泉なのか!」


「おおっ!驚き方の演技も見事だな。広場の泉が霊泉だということは魔族の皆が皆知っていることだし、人間だってダンジョン内の至るところに取り付けられた案内板を見れば、直ぐにわかるはずなのに、まるで本当に知らなかったように驚くなんて、お前さんは相当実力のある芸人なんだな」


「そんな……。まさか霊泉がある場所が広場になっていて、ダンジョン内での待ち合わせ場所として使われていたなんて……。少しも気が付かなかった」


 かつてのアリーシアの記憶に基づいて作られた泉の広場は、ダンジョンを愛するようになった魔族と人間達の手によって改良が施されており、地下なのに四季折々の花が咲き乱れる広場となっていた。


 更に地下街の商店主達が魔族の国の祝日や行事があるごとに事細かに飾り付けを施していたため、泉の広場はダンジョン内のどこの場所よりも一番目立っていて、アリーシアの思惑どおりに待ち合わせ場所として魔族や人間問わずに多くの者達に利用される場所となっていた。


 そして広場を取り囲むようにして設置された店々や待ち合わせ場所として多くの者の目に晒されていたため、この場所から誰に断ることなく黙って飾り付けを崩し、花々を踏み抜いて霊泉を汲み上げるのは誰もが躊躇ってしまうような心持ちにさせられる仕様となっていて、エドワードも例に漏れず、周囲にいる誰彼に向かって霊泉を汲む理由を述べ始めた。


「ぼ、僕が花々の中に入って霊泉を汲むのは愛しのマリアのためだ!マリアは魔王の手下となったアリーシアのせいで病になったんだ!」


 エドワードがそう言った次の瞬間、霊泉の前に着飾ったアリーシアとケーキの箱を持ったトゥリースが霊泉の前に現れた。


「やっとここが霊泉だとわかったんやね、エドワード様」


「その話し方は……。ああ、アリーシア様は今日仕事がお休みだったのですね。折角の休日にお呼び立てして申し訳ありませんでした、アリーシア様、トゥリース様。実は……」


 エドワードがダンジョン内を彷徨くようになったのを知ったアリーシアは彼が霊泉の存在に気づいたときに知らせを送るようにとダンジョン内の魔族達に通達していたため、エドワードが自力で見つけ出したのだと思っているアリーシアにゴブリンの老人は自分が教えたのだと事情を説明した。


「すみません、もうこれ以上黙って見ていることが出来なかったんです」


「そんなん謝らんといてください。こっちこそ証拠を押さえたいからってダンジョンの皆には無理言ってもうたから、えらい申し訳ないことしたなとずっと思っててん。ホンマごめんなさい。それにしてもまさか一年経ってもよう見つけられんとは思わんかったわ」


「そうなんですよ。このままでは永遠に辿り着けなさそうでしたし、このダンジョン内の治安を任されている者として、もうどうしても辛抱出来なくなってしまったので」


「そやね。皆、自分の仕事に誇りを持って取り組んでるもんね。そんなんやのに私の事情で我慢させて、ホンマごめんなさい」


 エドワードは突然現れたアリーシアを見て、驚きから口をあんぐと開いて、アリーシアとゴブリンが話している様子を眺めていたが、暫くして我に却ったのか、アリーシアを指さしながら尋ねた。


「そ、その女神のごとき美貌……。見間違えるはずはないが、本当にアリーシアなのか?何故だ?だって毒杯を飲んで死んだだろ!……それに何だ、その話し方は?まさかマリアが言っていた通り、魔人に転生したのか?だから、そんな話し方に変わったのか?それにそんなに着飾って……」


「いや、魔人に転生したんは本当やけど、このしゃべりになったのは前前世を思い出したからや。トゥリースがずっと傍におって私を支えてくれたおかげで傷ついたアリーシアの人格は立ち直ったけど、素のしゃべりは元に戻らんかったわ。この格好は今日は仕事が休みやったし、トゥリースとデートやったから頑張ったんや。……トゥリース、お洒落さんに見えとる?」


「ああ!アリーシアは世界一のお洒落さんだ!そのままで十分美しいのに我のために頑張って着飾ってくれただなんて我、幸せ過ぎるし、我の番、可愛最高過ぎる!我も愛してるぞ、アリーシア!」


「ありがとな、トゥリース。私も大好きやで。やけどな、外で大声で言われるんは恥ずかしいから、ちょっと控えてくれん?」


「っ!何と可愛らしいんだ。照れて頬を赤くするアリーシアの可愛さときたら本当に底無しだな。まだまだ言い足りないが、番のそのような可愛い顔を他の者には見せたくないし、続きは家に帰ったら言わせてもらうことにしよう」


「もう!トゥリースったら!」


 眼の前で他の男といちゃつくアリーシアの姿をエドワードは信じられない思いで呆然と見ていた。


「このような貴族令嬢らしからぬ話し方がアリーシアの素?そんな……。じゃ、アリーシアは僕の婚約者だったころは少しも僕に心を許してくれてはいなかったのか?そんな可愛らしい着飾った格好だって一度も僕の前ではしてくれなかった。僕は美しいアリーシアが婚約者になって嬉しかったのに、アリーシアは勉強しろとばかり言うだけで、デートだって誘ったのに僕とは行ってくれなかった!だから、だから僕はマリアと浮気したんだ!」


「いや、そんなん言われても知らんやん。こっちは王命でエドワード様が学園をちゃんと卒業させたってくれって命じられてたんやから、デートなんて行けるわけないやろ。それにどないな理由があろうと浮気はアカンで。……ああ、そうや。マリアのことなんやけどな、エドワード様。霊泉は心の病には効かないそうやから、残念ながらマリアの買い物依存症は霊泉飲んでも治らへんよ」


「何だって!? 畜生!さては貴様、僕達のことを逆恨みして霊泉に何か細工したな!このダンジョンを造ったことと言い、よくも魔王の手下になり、僕の国を混乱に陥れたな!覚悟しろ、アリーシア!」


 エドワードは剣を抜き、アリーシアに斬り掛かったが、アリーシアは優雅に笑ったまま動かなかった。何故ならアリーシアの横には、アリーシアを一年かけて口説き落として番にしたトゥリースがいたからだ。


 手にしているケーキの箱を揺らすことなく、エドワードの剣を叩き折ったトゥリースの頬に感謝のキスを贈ったアリーシアはエドワードをチラリと見て言った。


「エドワード様は相変わらず短絡的やね。私はな、今世も前世も前前世も悪意をもって誰かを陥れたことは一度もないんよ。私が作ったのは悪しき者から霊泉を遠ざけて、誰もが便利で楽しいダンジョンなんや。だからな、エドワード様の国を陥れようと思って造ったわけではないんやで」


 トゥリースはアリーシアのキスのお返しに愛情のたっぷり入ったキスをした後、エドワードを冷たく見下ろした。


「その通りだ。アリーシアは我が欲深い悪しき者を霊泉から遠ざけ、本当に心の底から必要とする者しか霊泉に辿り着けなくなるようなダンジョンを作るよう望んだのを叶えただけだ」


「嘘だ!ならば何故、僕の国の民達が魔族国に流出するんだ!?」


「それはアリーシアがダンジョンを悪しき人間から霊泉を守る場にすると同時に、民が本当に求めるものの一部を体現した場になるよう造ったからだろう」


「民が本当に求めるもの?」


「それはそなたらが民に与えられなかった、日々の小さな喜びだ。アリーシアがお手本にしたという梅田ダンジョンというダンジョンは、頑張って生きている人々に小さな喜びを与えたり、ちょっとした幸福と出会える素晴らしき場所だったらしく、アリーシアがそれを倣った結果、魔族も人間も日々の生活に彩りを与えられ、我が国は経済的幸福に包まれ、新たに多くの民も得ることとなったのだ」


「そんな些細なことで僕の国を捨てるなんて……。裏切り者を皆捕まえて処刑しなければ」


「そういえば新たに民となった者達が、前にいた人間の国は王侯貴族達が民を粗末に扱い、平気で嘘をついて無実の罪を着せる最低の国だったと話していたが、そなたはそれについてどう思う?」


 トゥリースに尋ねられたエドワードは、マリアがアリーシアに無実の罪を着せたと言ったことを思い出し、顔を青くさせた。


「ぼ、僕はそんなことはしていない!だってあれはマリアがしたんだ!そもそも一番悪いのはアリーシアだろ!だって、そうだろう?アリーシアは僕が勉強ができないのをバカにしていただろう?そう、悪いのはアリーシアだ……」


 ボソボソと言い訳をするエドワードに、アリシアは冷たく言い放った。


「顔色が酷う悪うなってるで、エドワード様。相変わらず自分の怠惰や浮気は棚に上げで、全部私が悪いと言うんやね。浮気相手の男爵令嬢が嘘の罪をでっち上げて私を殺したことも、とうに知ってるやろうに……」


「ど、どうしてそれを!?」


「魔人に転生したことで魔力を得た私は前前世の記憶を使って、過去見の水鏡や映像魔法を作り出すのに成功したんよ。そのおかげでな、今なら自分の無実を証明することが出来るねん。だからな、これからは都合の悪いことを私のせいにすることは出来へんで。残念やったな」


「うっ、うぐっ!?」


「それとな、エドワード様が一年以上も霊泉を見つけられんかったんは私のせいやない。エドワード様自身のせいや。だってな、私は霊泉の場所を誰にも隠してへんねんもん。案内板に掲示もしてたし、もし本気で探しているんやったら、たった一言でも誰かに尋ねれば良かったんや。ここにはインフォメーションの案内人も警備員もいるし、各店舗の店員達だけでなく、通行人も多くいるんやから」


「……」


「エドワード様。ここはとても楽しい場所やろ?誰もが皆、楽しく過ごせる素敵な場所や……。やけどな、この場所を心から楽しめない者もいるんやで。それはな、心の底から霊泉を必要としている者達や。そう、かつての私や兄姉のような、本当に病で苦しんでいる人や、病人の家族や恋人といった、本気で病を治したいと願っている者達はダンジョンを心からは楽しめへんねん」


 前前世で不治の病に侵されていたアリーシアが地下街を楽しんでいたのは嘘ではないが、病身で堪能できるはずがなく、それはアリーシアを気遣う兄姉だって同じ思いをしたはずだ。


 もしも前前世の梅田ダンジョンに霊泉があったのなら、アリーシアの兄姉は、梅田ダンジョンがどんな場所であろうが見向きもせずに真っ直ぐに霊泉を探し求めていただろう。


「マリアを救いたいというエドワード様の気持ちには真剣味がないんやろうな。だから案内板に書かれた霊泉という文字は目に入っても頭に入ることはなく、ゴブリンさんに教えてもらうまで気にも止めなかったんや。そやから霊泉を見つけられなかったのは、エドワード様のせいやねんで」


「僕の……せい?」


「そうや。ついでにいうとエドワード様が怠惰なのはエドワード様とエドワード様の親のせいやし、エドワード様の国が衰退していっているのはダンジョンがきっかけとなっただけで、本当の原因はエドワード様達王侯貴族のせいなんや。……ザマァみろやわ、ホンマ。そんでもってな……」


 アリーシアが片手を上げると、狼獣人の警備員達が縄で縛ったマリアを連れてきた。


「助けてください、エドワード様!……って、トゥリース様がいる!?キャー!生トゥリース様マジ最高!スキスキ大好き!結婚してください!」


「む!?何だ、この女は?悪いが我には最愛の番がいる。他を当たってくれ。そして二度と我の前に姿を見せるな」


「キャー!なんてイケボなの?マジ最の高!そしてゲーム通りの番第一主義!番にだけデロデロ甘な溺愛魔王様、マジ一生推せる!ああっ、トゥリース様!素敵過ぎ!やっぱ結婚してー!」


「我は断っているのに何故わからんのだ、この女は!?真っ事、不快だ!」


「うわっ、マリア!何言っているんだ!僕というものがありながら他の男に求婚するなど、酷い裏切り行為だぞ!……畜生、卑怯だぞ、アリーシア!マリアを人質にするだけじゃなく、魅了の魔術で魔王の虜にするなんて!お前らなんかに国は渡さないぞ!」


「魅了なんて魔法なんか作ってないし、私を見殺しにした国なんて要らへんわ。ノーセンキュやわ!それとな、マリアを捕縛してるんは、人質やなくて彼女がダンジョン内の人気店で限定品のバッグを万引きしたところを現行犯逮捕したからや」


「万引きだって!?マリア!何だってそんなことをしたんだ!」


「だってだって〜!エドワード様ったら自分達だけでダンジョンを楽しんで、私にはお金をくれなかったんですもん!ずるいですよ!私、王子妃なんですから社交界の誰よりも早く限定バッグを手に入れないといけないのに!」


「だからって万引きする奴があるか、この恥知らず!」


 エドワードがマリアを詰って責めていると、アリーシアがフフッと小さく笑った。


「今、僕を見て笑ったのか、アリーシア?一体、僕の何がおかしいんだ!僕は何も間違ったことは言っていないだろうが!」


「気に触ったんなら、ごめんやで。やけどな、ダンジョンを利用してる魔族や人間達からエドワード様達が、行列の横入りや限定品の横取りといったマナー違反や従業員への付きまとい、通行人への痴漢等などの迷惑行為を繰り返していて困ってると聞かされていたんや。だから、エドワード様も人のこと言えんやろと思ったら、つい……」


「えっ?ぼ、僕達はそんなことはしていないぞ!変な言いがかりをつけるのは止めろ!」


「あいにく言い逃れは出来へんで、エドワード様。先程も言うたけど、私は映像魔法が使えるんやで。防犯のためにダンジョン内の要所要所に防犯カメラを設置しているから証拠映像もバッチリぎょうさんあるんや」


 アリーシアの言葉にたじろいだエドワードがスッと視線を反らせると、そこにはいつの間に集まったのか、魔族と人間達の群衆がエドワード達を敵視する目で睨んでいた。


「あんたら、この前もクラーケン焼きの列に割り込んだだろ!」


「無理やり横入りして怪我させられた妖精族のご婦人が 傷害罪で訴えると言っていたぞ!」


「服屋で試着室を独占するな、人間!」


「しかも試着で破った服をそのまま捨て置くなんて最低だ!」


「服屋のミイラ男も器物破損で訴えるとさ」


「ゴミを地面に捨てるとは何事だ!ゴミはゴミ箱へ!」


「なければ持ち帰るのが常識だろ!」


「痴漢アカン絶対!」


「万引きアカン絶対!」


 エドワードは自分達が無実の罪を着せたアリーシアが作った場所で、今度は自分達が犯した真実の悪行について糾弾されることに腹を立て、脅し文句が口から飛び出した。


「くっ!よくも僕にこんなことを!僕は王子だぞ!お前ら皆、侮辱罪で処刑してやる!」


「粋がってるとこ悪いけど、このダンジョンは魔族国にあるんやで。だからな、エドワード様の国の身分も法律もここでは通用せえへんねんで。そやからね、エドワード様。簡単に逃げられると思わんといてや」


 どこまでも続くショップに複雑に絡み合う通路。そしてエドワードとマリア達を糾弾する魔物と人間の群れを背にして、トゥリースの腕に抱かれたアリーシアが悠然と微笑みを浮かべるのを見て、エドワードはなすすべがないことに気づき、焦りだした。


「いや、違う! 僕は悪くない!悪くないんだ!これは罠だ!アリーシア、助けてくれ!」


 叫ぶエドワードに、アリーシアは最後の言葉を投げかけた。


「無実の罪で毒杯なら有罪の場合はどんな罰を課せられるんやろうね?楽しみやわ……知らんけど」




 後日、人間の国の王は多額の賠償金と引き換えに魔族の国にエドワードの返還を求めようとしたが、既に賠償金を支払えるほどの金が国庫に無いことや、私事を理由に魔族の国に戦争を仕掛けていたこと、無実のアリーシアを見殺しにしたこと等々の全ての罪が露見したことで、国に残っていた民が暴徒化し、あっという間に全ての罪に関わった人間の国の王侯貴族は捕らえられ、毒杯よりも恐ろしい罰を受けた。


 その後、人間の国は賠償金代わりに魔族国に差し出されて属国となった。トゥリースの番となり、魔王妃となったアリーシアは夫と共に魔族と人間が手を取り合う国造りを目指した。


 勿論、始めから上手くいくわけがない。人が皆、それぞれ違う人間であるように、魔族と人間は生まれも育った環境も何もかもが違うため、時には擦れ違い、相手に悪感情を持ち、衝突することもあった。


 だが、しかし。建前も本音も全て相手にさらけ出し、お互いがお互いに少しまけてもらい、まけてやることで完全にはわかりあえなくても、わかろうとする心を失わず傍にいて、一緒に生きていく中で徐々に絆が深まり、やがて共に日々の小さな喜びを分かち合えるような国に育っていった。


 そうして梅田ダンジョンがあった前前世のように人とのふれあいを大切にするようになった国で、アリーシアは三度目の正直で仕事や恋愛といった、前前世や前世で夢見ていた人生を思いっきり楽しみ、トゥリースと彼との間に生まれた子達や孫達、そして多くの友人達に囲まれて、いつまでも幸せに暮らした。


 【完】

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魔人に転生した公爵令嬢を救ったのは前前世の私と魔王の愛、そして梅田ダンジョンでした 三角ケイ @sannkakukei

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