灰猫探偵事務所

山田ねむり

灰猫探偵事務所

『探し物なら、灰猫探偵事務所へお越し下さい。探し物発見率は脅威の九十パーセント!!』


 そう書かれた一枚のチラシを持つ私は今、ようやく見つけたお目当ての物件を前にごくりと息を呑んだ。


 からりと冷たい空気が冬を感じさせてる今日この頃。世間ではそろそろ本格的に衣替えを、と思わせる温度体になってきた。そんな中、私は着ていた羽織りを手に持ち半袖シャツ姿。一人季節に置き去りにされてしまったみたく額に汗まで滲ませていた。


 こうなっているのは他でもない。

 手に持っているフリー素材だけで作られたチープなチラシのせいだ。


 ここら一帯は入り組んだ住宅街にも関わらず、探偵事務所の場所を書いた地図が乗ったチラシには〝赤い屋根の小さな一軒家〟としか書かれていない。赤い屋根の大きな一軒家であればすぐに分かったものの、インターホンを鳴らせば人違いだと言われる始末。そこから数時間掛け、ようやく見つけて今に至る。


 歩き疲れて半袖にもなりたくなると言うもの。

 私は既に怒りすら感じているのだから。

 

「〝赤い屋根の小さな一軒家〟の正体が犬小屋だったなんて分かるはずないでしょうが!!」


 叫ばずにはいられない。

 これが笑っていられるかという話だ。

 犬小屋って最初から書いておいてよと心から思った。


 はぁ、とため息ひとつ。

 両腕に抱えた重たい紙袋せいで、腕には真っ赤な線がくっきり付いてしまっている。何度諦めようと思ったか知らない。それでもめげずにここに立っているのは他でもない。どうしても探して欲しい物があるからだ。


「よし、行くか……。」


 意を決して犬小屋に着いたインターホンを鳴らし、赤い屋根を3回ノックする。まるで秘密の合図みたいな事を半信半疑で行うと、隣の一軒家の戸が少し開き、インターホンからは『入れ』とぶっきらぼうな男性の声がした。


 正直、かなり怪しい。

 ここが探し物限定の探偵事務所だと知らなかったら絶対に入ろうとは思わないだろう。女の私が一人でここへ来るのに抵抗がなかった訳じゃないけど、こっちにも引けない理由がある。


 玄関先で深呼吸を一つ。空気と一緒に勇気も胸に取り込んで、灰猫探偵事務所へと脚を踏み入れた。

 

「いらっしゃい。」


 事務所に入るとすぐにインターホンから聞こえた男の声がした。けれど、男の姿はない。代わりに目の前にポツンと置かれた机の上で灰色の猫が一匹。四肢を器用に折り畳んで座っていた。


 カーテンの隙間から漏れる太陽の光がそこかしこに漂う埃をキラキラと照らし、まるで天からの導きを思わせる。そんな神々しさすら感じる陽の光を満足そうに浴びて日光浴を楽しむ猫。


「依頼の前に例のブツをよこしな。話はそれからだ。」


 その猫が喋っている。

 見間違い、聞き間違いかと思って目を擦り耳がおかしくなった事すら疑った。


「あんたの懐から匂うぜ。アレの匂いがな。」


 やっぱり、喋っている。

 インターホンから聞こえた男の声と瓜二つ。

 驚き過ぎて固まる私に猫は折り畳んでいた前脚を出してしなやかな伸びをした。


「はぁ、人間ってのはどいつもこいつも俺様を見て同じ反応をしやがる。どうにかならんもんかね。テレビとかで猫が喋るなんて見飽きてるだろう。アレと一緒だから。こっちだって喋りたい訳じゃないのよ。ずっと日向で寝てたいの。でもね、このご時世、物価高で飼い主が買ってくる不味い猫缶にはうんざりしてんのさ。猫だって喋って稼がないとやってられないんすわ。」


 猫がめちゃくちゃ喋ってる、絶妙にオヤジ臭い口調で。

 更に「全く世知辛い世の中になったもんだな」と耳をぽりぽりと前脚で掻き始めた。


 仕草と言葉がここまでチグハグなのは見たことがない。

 いや、その前に猫が喋ってるなんて見たことがないよ。テレビで見る喋る猫はファンタジーであり、現実世界にこんなオヤジ臭い猫が居てたまるか。


「そんで、嬢ちゃん。どうするよ。ここで逃げ出して猫が喋ったとか言いふらす頭のおかしい奴認定されるか、持ってる物(ブツ)を俺様に渡して依頼するか。さっさと選んでくれ。」


 猫が喋る事を頭のおかしいって自覚あるんじゃない。と心の中でツッコミを入れるも、私にはここで逃げ出すなんて選択肢もないわけで。持っていた紙袋を猫の隣にドンと置いて見せた。


「良い度胸だせ、嬢ちゃん。」


 猫がニヤリと笑っているように見えてきた辺り、私も相当おかしくなり始めているに違いない。でもここでようやく持っていた紙袋の謎が解けた。


「ご要望通り、前金代わりのまたたび十五袋。そして依頼達成報酬の二十袋よ。これで私の依頼を受けて欲しい。」


 チラシに書かれていた報酬は全てまたたびだった。それも依頼は持ってきたまたたびの質と量で受けるかどうかを決めると言う。ここの探偵はかなりの猫好きか、変人かと思っていたが、まさか猫本人だったとは。


「うむ、悪くない。中級ってとこだかこの量だ。褒めてやる。」


 紙袋を漁る猫は何故が上から目線で物を言う。けれど、考えてみれば人間で探して見つからない物でも、猫なら簡単に見つけてくれるかも知れない。なにせ、今の私の状況は猫の手を借りたいぐらいなのだから。


 この際、猫が喋っている事は都合が良いと思っておこう。じゃないとパニックでどうにかなってしまいそうだ。


「これで依頼を受けて貰えるのよね?」


 そう言い終わる前に目の前の猫は、またたびが入った袋を器用に爪で破り開けた。


「待て。またたびが先だ。試してみにゃいといけないだろうか!」


 酒をつまみに飲むおじさんのような姿でまたたびと戯れるネコ。私は一体なにを見せられているんだろうと不安になってくる。


「袋を破ったのだから依頼は受けて貰わないと困るわ。」


 はぁ、とため息混じりに猫を見下すも当の本人は私に目もくれず、またたびに夢中のご様子。


「当然だろ。おれしゃまは、凄腕の、探偵にゃんだぞ。」


 あ、もう酔ってる。

 ゴロゴロと喉を鳴らして鞄の中で身体を擦り付けるネコを見て、これ以上の話し合いは不可能と悟った。


「はぁー。」


 目の前の猫を見続けて早十五分。

 ゴロゴロと喉を鳴らし、たまに吐息を漏らす。家で帰りを待つ飼い猫のチャビも喋っていたらこんな感じなのだろうか。想像したら、なんとなく、耳を塞ぎたくなった。


 更に待つ事、三十分。

 腕時計を眺め、耳を塞ぎ、物思いに耽る。

 

 先日、今は亡き母から貰った大切なネックレスを何処かに落としてしまった。警察へ届け出を出してはみたけれど、一向に明るい連絡が来ない。痺れを切らしてお値段もそれなりの探偵事務所を訪ねて見たものの、残念ながら見つける事が出来なかった。


 あのネックレスは金で出来ているから、売ればかなり良い値段で売れるだろう。もしかしたらもう、誰かが売り払ってしまった後かも知れない。そう考えると夜も眠れぬ日々。私にとってあのネックレスはお金よりも大切な思い出が詰まった世界でたった一つの宝物なんだ。


 母が生きていた証であり、母が私の為に残してくれたかけがえのないネックレス。父はもう諦めろと言うがそんな事、私には出来ない。どうしても見つけ出したい。その為ならどんな事でもするしお金だって払う所存でここへ来たのに。


 待っていたのは意味も道理も分からぬ猫が一匹。今からでも自力で探しに行った方が良いのでは?


 良く考えればこんなネコに期待しても意味がないのは目に見えているじゃない。

 

「お母さん、大切なネックレスを無くしてしまってごめんなさい。」


 涙と一緒に漏れでた本音は弱々しく床に落ちていったがほど無くして、「諦めるにはちと早いだろ」と自信たっぷりの声が聞こえてきた。


「そのネックレス、俺様が見つけてやる。」


 さっきまでまたたびをくわえてへそ天していた姿とは打って変わり、スッと美しく座る猫。


「改めまして、俺様は灰猫探偵事務所の所長、ハイネだ。どんな小さい物でもお任せを。猫が生きるこの国で探し出せない物は何もない。」


 まるで映画のワンシーンのような決め台詞に奇しくも胸が鳴った。もしかしたら、を期待してしまった。


「嬢ちゃんの住むエリアの担当は、ミケタだな。少し待ってな。」


 ハイネが「ニャー」と一声あげると、部屋に一匹の三毛猫が入って来た。


「お呼びですか?」


 なんと、この三毛猫も喋るらしい。


「ああ、一つ頼まれてくれ。報酬は中級のまたたび十袋だ。」


 三毛猫は小さく頷くと私に落としたおおよその場所やネックレスの形、色など、情報を事細かに聞き出していく。その姿はまさに手慣れた探偵そのもの。


「あそこら辺はカラスの狩場だな。おおよその検討は付く。嬢ちゃん、一週間ほど時間を貰うぜ。」


 手際の良さに驚きを隠せないでいると、ハイネと三毛猫は立ち上がり仕事に行くという。私もここに居ても意味がないので帰宅する事になった。


「嬢ちゃん、チャビによろしくな。」


 別れ際、ハイネに「分かったわ」と告げたけど、私いつ飼い猫の名前を言っただろうかと不思議に思いながら帰路に着いた。


 それから日が経つに連れて、徐々に落ち着いてきた心臓と思考が、これまでの一連の出来事は夢なんじゃないかと自分自身を疑い始めていた。

 

 季節は冬へと一歩踏み出したらしい。朝晩の風は冷たく息が白く変わり、ベッドから出るのも億劫になり始めたそんな頃。朝早くチャビが「ニャー」と鳴きながら顔を舐めてきた。


「チャビ、朝ごはんはまだよ。」


 どうにか寝たい私とどうしても私を起したいチャビ。この戦いはよく起こる。そしていつも勝者はチャビだ。この日も「ニャー」といつにも増して鳴くチャビに痺れを切らして目をこすりながら起き上がった。すると、


「チャビ。あなたの首にあるのって、無くした筈のネックレスじゃない!?」


 チャビの首には母の形見のネックレスがキラリと光っていた。ハイネが見つけてくれたんだ。咄嗟にチャビを抱きしめて嬉しさを噛み締める。


 もうほとんど諦めていたネックレス。

 傷一つなく、無くした時のままの状態で帰ってくるなんて本当に嬉しい限りだ。それと同時にあの不思議な猫は実在したんだと確信に変わって思わず笑みが溢れた。


「ねぇ、チャビ。貴方も喋れるんじゃないの?」


 胸にすっぽりと抱かれて満足そうなチャビはいつも通り「ニャー」と鳴くだけだった。

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灰猫探偵事務所 山田ねむり @nemuri-yamada

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