「BL」ヒナギクが咲く夕暮れに
椿零兎
ヒナギク(花言葉:希望・平和・あなたと同じ気持ちです)
風がやわらかく頬を撫でた。
校庭の隅、錆びたフェンスの根元に、白い花がいくつか咲いていた。
雛太はしゃがみこんで、それをじっと見ている。指先でそっと触れると、花びらが微かに震えたような気がした。
「……ヒナギク、だっけ、この花」
自分の名前と似ているその花を見つけるたび、雛太は少しだけ胸の奥がくすぐったくなる。
特別な意味なんてないんだけれど。
ただ、平凡な毎日の中で、誰にも気づかれず咲いているその花に、どうしようもなく惹かれてしまうのだ。
「おーい、またそんなとこで花見てんのか」
背後から声がした。
振り返ると、夕日がフェンスの向こうから顔を出している。
制服のシャツのボタンは外れ、ネクタイはポケットに突っ込まれている。相変わらずガラが悪い。
「夕日くん、またサボってたの?」
「授業聞いてもわかんねぇし。おまえもどうせ暇なんだろ。ってか、サボってんじゃんか」
「僕は……別に暇じゃないよ、サボってないし」
「嘘つけよ」
夕日はフェンスを軽々と越えて、雛太の隣にしゃがみこんだ。
その動作は妙に滑らかで、無駄がない。その姿は黒豹のようだ。
「なにこれ、雑草?」
「ヒナギクだよ」
「ふーん。おまえの名前と一緒じゃん」
「……うん」
雛太は笑うでもなく答えた。
夕日はその横顔をちらりと見て、少し眉をしかめる。
「おまえさ、いつも思うけど、“うん”ばっか言うよな」
「そうかな」
「そう。なんか……全部受け入れてるみたいで、ムカつく。たまには違う事を言ってみろよなーー」
その言葉に、雛太は少しだけ笑った。
夕日は怒っているようで、どこか優しい。その優しさは、誰も知らない形で、雛太を支えてくれていた。
風が強く吹いて、ヒナギクが一斉に揺れた。夕日がそれを見て、ぼそりと呟いた。
「この花の花言葉、知ってるか?」
「……“希望”と“平和”、あと、“あなたと同じ気持ちです”。」
「へぇ、意外とロマンチックなんだな。ってか、花言葉なんて知ってるのかよ」
「夕日が聞いてきたんだろ?」
「まあ、違いないわな。気になったんだ、姉貴が花言葉好きでさ。まぁ、俺は何も知らないんだけど」
からかうような声をだしている夕日。でもその奥に、微かな優しさが混じっていた。
「俺さぁ」
夕日は小さくため息をついて、空を見上げた。
「ガキの頃、ケンカばっかしてたんだ。家でも外でもさ。気づいたら全部壊す側にいたような気がするって言ってもよ、今も不良だから変わってねぇな。……なのに、おまえといるときは、ケンカから離れられている気がするよ。不思議だよな」
その言葉に雛太は夕日を見つめた。夕日の横顔には、少しだけ寂しげな影が差していた。その目の奥に、雛太は初めて見る痛みを見つけたような気がした。
「……それ、褒め言葉?僕が弱いとかじゃなくて?」
「たぶんな」
夕日は笑って、花びらを一枚指で摘んだ。
白い花びらが、ふわりと風に舞い上がる。
「おまえってさ、平凡すぎて逆に怖ぇ」
「……怖い?」
「うん。俺みたいな人間が触ったら、壊れそうでさ」
「いや、そんなヤワじゃないから」
そう言いながらも雛太の胸の奥がぎゅっと締めつけられた。夕日の表情が、寂しそうだから。何か言おうとしたけど、喉がうまく動かなかい。
雛太は言葉の代わりに、ヒナギクを一輪摘んで夕日に差し出した。
「これ、あげる」
「は?花とか、いらねーよ」
「……いいじゃん、受け取りなよ。ヒナギクの花言葉は平和だよ?その花言葉にあやかりなって」
雛太の言葉に、夕日は目を見開いて沈黙した。いつもなら軽口を返すはずの彼が、なぜか何も言わない。
代わりに、雛太の手からそっと花を受け取った。
「……俺、おまえがここにいてよかった」
夕日は顔を背け、指先で花びらを弄んだ。
その仕草や声がが少し震えているように見えた。
風が吹いて、二人の間を花びらが舞う。
オレンジ色の夕陽が差し込んで、夕日の髪が柔らかく光った。
その瞬間、雛太は思った。この光景を、ずっと忘れたくない。たとえ季節が変わっても、この温度を抱きしめていたいと。
「……夕日くん」
名前を呼ぶと、彼が振り返った。視線がぶつかって、時間が止まる。
夕日の表情が、ほんの一瞬だけ緩んだ。
そして次の瞬間、彼の手が雛太の頬に触れた。荒れた指先がやさしく頬を撫で、髪を耳にかける。
じっと視線がぶつかり合う。
それを合図に、夕日は顔を寄せ……雛太の額に軽く唇を触れさせた。
それはキスというより、誓いのようなものだった。
ヒナギクが揺れる。
白い花びらが、夕陽の中でゆっくりと散っていく。
――希望。
――平和。
――あなたと同じ気持ちです。
優しいキスに、雛太は小さく笑った。
その笑みを見て、夕日も目を細める。
風が止み、今度は、二人の影がひとつに重なった。
その二人だけの時間の中のキスは、どこまでも平凡で、どこまでも特別な時間だった。
「BL」ヒナギクが咲く夕暮れに 椿零兎 @zerototubaki
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