取調室にて
羽鐘
お疲れ様刑事、誕生秘話
寒々しいの奧に一人の男が座っている。
憮然とした表情を強面に張り付かせいるものの、ふてぶてしい態度で腕を組み、目の前の刑事に威圧感を与えようとしている。
しかし、所在なく彷徨う目線が、男の抱えている不安感を隠せずにいた。
「えっと、日本語はわかるんだよね?」
Tシャツの裾が弾けそうなほど太い腕に怯えたせいか、僅かに声が震えた。
飯塚忍。
最近この部署に配属になった刑事で、まだまだ駆け出しの存在だ。
そんななか、市民からの通報で駆けつけた某国の人による海産物の違法採取の現場にいたことから、初めて事件を任されることになった。
よりによって外国人による事件か……
飯塚はそう思ったが、早く事件を担当して一人前の刑事になりたいと考えていたので挑んでみることにした。
「長くなるからね、日本に住んで」
男が低い声で返した。
「何年くらい?」
「もう二十年になるよ。でも、私は本当に捕ってはいけないものだと知らなかったんだ」
男が大きな拳で机を叩く。
「で、でも、長く住んでいたらわかりそうなものだよ。密漁って、わかるでしょ?」
「だから、この貝が密漁になるなんで知らなかったよ! 知っていたら捕らないよ!」
飯塚の問いかけに男は興奮したように、身振り手振りで自分の考えを主張しだした。
男の主張はこうだ。
天気が良い休日、本国では海沿いに住んでいたので、望郷の思いから海が見たくなった。
車を走らせ近くの港に到着して、しばらくは潮騒を聞き、潮風を感じていた。
そんなとき、岸壁に張り付いている貝を見つけた。
ムール貝、本国でもよく食べていたものだ。
たくさん張り付いているから価値はないだろうから捕っても問題ないだろうし、漁師が見向きもしない価値のないものなら密漁にならないだろう。
そう思い、近くに落ちていた棒と車にたまたま積んでいた籠を使ってムール貝を捕っていたら、所轄の警察官から職務質問を受け、飯塚に引き渡された……
「どうして、籠を積んでいたの?」
「何かを入れるのに便利だからだよ」
「棒はどうしたの?」
「その辺に落ちていたのを拾って使ったよ。そのあと捨てたからどこにあるのかかわらないよ」
のらりくらり……
そんな印象を飯塚は持った。
男は、嘘をついている。そう刑事の勘が告げていた。
現場に行ったとき、警察官に殴りかからんばかりの勢いを見せ、男たように暴れていた。
なんとか宥めたものの、その様子に、男が持つ後ろめたさを感じていた。
しかし、今のところ飯塚にも武器がない。
男が密漁という犯罪をしたという事実の認識があったという証拠がない。
「刑事さん、今日はもう時間がない。任意の捜査なら取調べから帰ってもいいんだろ? 今日は帰るよ」
「帰るのは構わないけど、また話は聞かせてもらうよ」
「何度聞かれても一緒だ。明後日なら少し時間があるから、そこで終わらせてくれ」
そう言うと男が立ち上がったので、飯塚は出口まで案内し、署を出たのを確認して、短くため息をついた。
どうすれば男を崩せるのか?
秋色が深まりつつある街路樹を眺めながら、飯塚は静かに思案を巡らせていた。
◇ ◇ ◇
翌日。
飯塚は犯行現場に足を運んだ。
古い漁港だ。係留している漁船は長年の風雨に晒された傷が強く、人の気配もない。
時代から切り離されたような寂寥感をまとっているように飯塚には思えた。
男は、この漁港の東側の岸壁で貝を捕っていた。
車は少し離れた駐車スペースに停められていて、男の話を信じるならば、犯行現場で貝を見つけてから、車に積んである籠を取りに行ったはずだ。
飯塚は、男の行動を再現しようと岸壁から駐車スペースまで歩いてみた。
『棒を拾ったのは何処だろうか……』などと考えながら歩いていると、ひとつの看板が目に入った。
その看板には『密漁禁止』と目立つように書かれていて、男が捕ったムール貝も捕ってはいけないものとしてイラストと文字で示されていた。
男が車に戻るときには、嫌でも目に入る場所にある
飯塚はその看板をぼんやりと眺めていたが、ふと閃き、周囲をキョロキョロと見回した。
そしてそれは、すぐに見つかった。
防犯カメラだ。
飯塚は急いで署に戻ると、防犯カメラの管理者を調べ、必要な手続きをとってから犯行時の映像を確認してみた。
男が映っていた。
看板の近くまで歩くと、しばらく看板を見つめ、まるで『くだらない』といったようなジェスチャーをして、車に向かったのが確認できた。
飯塚は反撃の糸口を見つけた気がして、思わず身震いをした。
◇ ◇ ◇
取調べの日。
男は相変わらずの態度だった。
貝を捕ってはいけないとは知らなかった、この一点張りだ。
そこで飯塚は、防犯カメラに映っていた映像のことを聞いてみたところ、男の顔から血の気が引いたのがわかった。
「この看板を見て、何を知った?」
飯塚の声が男に突き刺さった。
「何も……知らない……覚えていない」
虚勢であることはすぐにわかった。
動揺が伝わってくる。手に取るように。
しかし、男はその後の言葉を話そうとしない。それが最後の抵抗であり、男が持つ最後の防壁に見えた。
「ひとつ、話を聞いてくれ」
飯塚がトーンを変えて話しかけてきたので、男の眉が僅かに動いた。
「私は、君が話したことしか書けない。だが、君は明らかに嘘をついていることはわかる。そうなると僕は君のことを『嘘つき』だと報告しなければならない」
「嘘は……ついていない……」
前回と違い、男の言葉に力はない。
「僕は、君にきちんとした手続きで検察官に判断してほしいと願っている。僕が不必要に君を悪く捉えていると思われたくないし、君を嘘つきだとも思いたくない。
日本の司法制度は全ての人に平等だと知ってほしい。もう一度言う。僕は、君が話したことしか書けないし書かない。僕のことを信用して正直に話してくれないか?」
僕は、自分にできる精一杯の誠意で、男の目を見て語りかけた。
男の瞳に、迷いが見える。
しばらく、うつむいて逡巡していたが、次に僕に顔を向けた時には、不安は宿しているものの迷いは消えていた。
「永住権が剥奪されるのが怖い……」
男の声が重く沈んでいた。
「僕の知る限り、重大な犯罪でなければ永住権の剥奪には至らない。この程度……と言ったらいけないが、今回の事件をきっかけに永住権が剥奪されることはないだろうし、反省してくれたほうが日本は君たちに優しくなれる」
僕は、男を安心させるように伝えた。
「確かに、看板を見て、貝を捕ってはいけないことは理解していた。でも、ちょっとくらいなら許してくれると思ったんだ。籠は、本当にたまたま車に積んでいただけなんだけど、貝を見つけた時に、すぐ使えるなと思ったよ」
男が憑き物が落ちたような顔で話してきたその言葉を、僕は信じることにした。
「正直に話してくれてありがとう。検察官がどう判断するかわからないけど、その判断を尊重してほしい。そして、今回のことを同胞の人に伝えて、ルールを守るように広めてほしい」
供述調書をまとめ終え、改めて男に僕の思いを伝えた。
「日本の警察を信じていなかったけど、あなたは信じることができた。あなたが担当であってよかった」
男の返事は、飯塚の胸を打った。
自身の罪を認めることは勇気が必要なことだったろう。
そのうえで礼を伝えてきたことが飯塚は嬉しかった。
署の出口まで見送ると、男が口を開いた。
「私の相手、面倒だったでしょ? お疲れ様でかた。いや、お疲れ様でした」
「もうしないでくださいね」
男を見送ってから振り向くと、いつの間にか先輩刑事が立っていた。
「お疲れ様でかた……お疲れ様
僕の肩を叩き、先輩はタバコを吸いに去っていった。
僕は先輩の背中に頭を下げて礼を伝えたものの、先輩によって署内に、僕のことを『お疲れ様刑事』と広め回っていたことには気付けずにいた。
〈了〉
取調室にて 羽鐘 @STEEL_npl
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