かごの中の鳥
元 蜜
かごの中の鳥
無機質な灰色の縦縞模様が描かれた青空を眺めながら、私は小さく鳴き声を上げた。すると、部屋の奥から一人の年老いた男性が小さなお皿を持って私の方へ歩いてきた。
「ほら、朝ごはんだよ」
老人はそう言うと、握り拳がやっと入るほどの小さな扉を開け、その扉近くに置かれた餌箱に細かく砕いた植物の種を入れた。そしていつも通り、しわくちゃな大きな手で私の頭をそっと優しく撫でた。私は手の平から伝わる温かさを味わいながら、ゆっくりと羽を広げ感謝の気持ちを伝えた。
そう、私はかごの中の鳥。私はこの鉄製の小さな鳥かごの中で、毎朝同じ餌を啄みながら、等間隔に並んだ灰色の縞模様越しに見える空をぼんやりと眺め、時折声高らかに歌い老人を喜ばせるという毎日を過ごしていた。代り映えせず少し退屈だけれど、老人との穏やかな日々を不満に思ったことはない。
でも、そんな日々は突然終わりを告げた。老人が病に倒れ、入院することになったのだ。老人は気がかりだった私のことを自分の息子へ託した。
老人の息子は白髪が少し混じった40代半ばくらいの男性で、老人宅に遊びに来た際に何度か顔を見たが、とても几帳面そうな印象で、言葉使いも紳士的だったのを記憶している。そんな息子に連れられてきた先は、これまでの田舎町とは異なり灰色の建物がそびえ立つ都会だった。新たな住まいからも空は眺められたが、これまでのような青空ではなく、どこかくすんだ色をしていた。部屋の中も外の景色と同様にとても殺風景で冷めた雰囲気だった。
引き取られてから数カ月経ったある日、私は空腹を紛らすために水を飲んだ。几帳面そうにみえた息子だったが、実はかなりの面倒くさがりで、餌を数日あげ忘れるなんて日常茶飯事だった。何度も襲ってくる空腹感で苛ついた私は大きな声で鳴いた。すると、私に背を向け笑いながらテレビを見ていた息子が怪訝そうに振り返り、ドシドシと足音を立てながらこちらへ来て、『うるさい!黙れ!』と鳥かごを強く叩いた。そして乱暴に餌を投げ入れると、荒々しく扉を閉め、すぐにテレビの前へと戻っていった。怖くて、悲しくて、私は餌が飛び散ったかごの隅で体を小さく丸めた。その時、窓の外を私と同じような鳥たちが楽しそうに飛び回っているのが見えた。
ここに来てからずっと、気分を上げようと歌えば『うるさい!』と、羽を広げれば『ほこりが舞うからやめろ!』と怒鳴られてばかりだった。話しかけられることも撫でられることもなく、ただかごの中で無感情に生きているだけの日々。
このまま死ぬなんて嫌。自由になりたい―—
空を自由に飛び回る仲間の姿を見て、私はそう強く心に決めた。
それから数日後、餌をもらうタイミングでチャンスがやってきた。普段私がかごの隅で大人しくしていたからか息子は油断しており、餌やりのため扉を開けるのにも関わらず、部屋の窓までも開けっぱなしにしていたのだ。逃げるなら今しかない。私は全身にありったけの力を込めた。
「おい、逃げるな!おとなしくしろ!」
扉が開いた瞬間、私は大暴れし、息子が驚いた隙をついてかごの外へ逃げ出すことに成功した。久しぶりに羽を思い切り広げたからか上手く飛べない。でも、二度とあの閉ざされた日々には戻るまいと私は力の限り羽ばたいた。捕まえようとする息子の腕をかいくぐり、家具の間をすり抜け、ついに開いていた窓から外の世界へと飛び出した。
初めて飛ぶ外の世界は素晴らしかった。これまで鳥かごの中から眺めてきたものとは異なり、灰色の縦線模様がない真っ青な空が見渡す限りどこまでも続いていた。
しばらく飛んだ後、眼下に落ち着けそうな木を見つけ、その枝に降り立った。羽を休めていると、徐々に息子から逃げ出した時の興奮が落ち着いていく。今夜はここで一晩を過ごすことにした。
翌朝、空を飛びながら自由になれた喜びを謳歌していると、黒くて大きな鳥が一羽近づいてきた。一緒においで、と黒い鳥は私に付いてくるよう促す。行きたい所も帰る場所も決まっていない私はその誘いに乗った。しばらく飛ぶと緑が生い茂る森に着き、そこには美味しそうな木の実がたくさんあった。黒い鳥は親切にも、私が食べられそうな餌がある場所を教えてくれたのだ。私は一瞬でも疑ったことを恥じた。
翌日も、そのまた翌日も、私は黒い鳥と行動をともにした。やっと手に入れた自由だったが、ずっと鳥かごの中で暮らしていた私には、外の世界に頼れる仲間がいるはずもなく、ひとりぼっちで寂しかったのだ。しかしその日は様子が違い、いつもの森に入ると黒い鳥の仲間が何羽も待ち構えていた。集団の中でひと際大きな黒い鳥が恐ろしい声で鳴くと、その鳴き声を合図に、友人になれたと思っていた黒い鳥がくるりと振り返り急に私を襲ってきた。私は驚きとショックで咄嗟に動けない。鋭い嘴で羽を噛まれ、痛みで泣いた。必死に逃げても体格差ですぐに追いつかれてしまう。羽はボロボロで飛ぶ力はほとんど残っていない。ついに力尽きた私は地面に落ちた。私の頭上を黒い鳥の集団が円を描くように飛んでいる。息も絶え絶えに横たわり、もうダメだとあきらめたその時、『やめろ!』と大きな声が聞こえ、黒い鳥の集団を追い払った。
「大丈夫?」
私の耳に低く落ち着いた声が降ってきた。薄っすらと目を開けて恐る恐る声の持ち主を探すと、私のすぐそばに一人の男が立っているのが見えた。男は少しの時間考えた後、傷だらけになった私の体をタオルで包み、そっとその腕に抱えた。
家に着くと男はすぐにお湯を沸かし、私の体を温かなタオルで拭きながら傷口を心配そうに見つめた。『可哀想に……』と呟く男の目には涙が滲んでいた。男の優しさに触れ、安堵からか私は深い眠りに落ちた。
男の名前は『ヒロ』というらしい。ヒロはとても涙もろい男で、口に運んだ餌を食べられるようになれば涙し、立ち上がれるようになればまた涙した。ヒロの献身的な看病のおかげで傷は癒え、数週間後、私はすっかりと元気を取り戻した。老人の息子の時みたいに怒られるかも……と怖かったけれど、お礼がしたくなりヒロに歌を贈った。久しぶりに声を出したせいか、恐怖からか声が震える。でもヒロはとても喜んでくれ、その笑顔を見て私も嬉しくなった。一つ一つのことに喜びを爆発させるヒロに最初は戸惑ったのだが、その心優しい性格に私は惹かれていった。
毎朝ご飯の時には優しく撫でてもらい、毎夜ヒロが眠る時には枕元で一緒に休む。そんな毎日が愛おしく感じた。そして私が再び飛べるようになると、ヒロは私のために鳥かごを準備した。
「僕が家を空ける時にはこのカゴの中で安心して休みなさいね。でも、このカゴの扉は常に開けておくから、いつでも好きな時に自由に飛び回って良いからね」
結局私はかごの中の鳥に戻ったけれど、二度と以前みたいな退屈さや恐怖を感じることはないだろう。だって、ヒロのそばにいればいつも心が温かくなり、幸せを感じられるから。
――ヒロ、あの日あなたに見つけてもらえて良かった。あなたがしてくれたことへの恩返しがしたい。だから、もしあなたが落ち込むことがあれば、私は歌って元気づけるし、あなたが孤独にならないよう残りの人生ずっとそばにいると誓う。
完
かごの中の鳥 元 蜜 @motomitsu
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