青葉は散る

如月れい

第1話 ヒヤシンスと今

 「今日は比較的暖かいね」

「そうだね。やっと過ごしやすい季節になるね」

春一番以降、やっと暖かい南風のおかげで、薄い長袖と半袖一枚づつでも過ごせるようになってきた。

「蜂蜜みたいな甘い匂いだね。なんの花かな?」

「なんだろうね。あ、看板があるよ」

看板にはたくさんの、春に咲く花たちの名前が書かれていた。

「あ、ヒヤシンスじゃないかな?甘い香りがするって」

「ヒヤシンスなんだ。この蜂蜜の匂いに近いのって。花言葉は「悲しみを超えた愛」か…。」

「どうしたの?」

どんな顔をしているんだと、僕の顔を覗き込むように聞いてきた。

「いや、ちょっとね。なんて言えばいいのかわからないけど、匂いと花言葉に、差があるように感じてね…」

正直、自分でもわからなかった。幼少期に、同じ気持ちになったことがある気がする。

喉元まで出かかってる気がするほど、どこか遠くに消えていく喪失感に襲われた。

「そう?私はわかる気がするな」

なぜか誇らしく胸を突き出すようにしながら、僕だけに聞こえるように言ってきた。

「どういうこと?」

「多分だけどさ、すごい辛かった時期もあったと思うんだ。でも、それを乗り越えた先には、甘いほど幸せがありましたよ。って事を思ってつけたんじゃないかな?」

理屈としては無理な話のような気もしたが、なぜか納得した。彼女の言い方だったのか、それともヒヤシンスという名前と匂いが、彼女の説明を肯定するように鼻を燻ったからなのか。いつか、この気持ちを言葉にできるのだろうか、すでに言葉にできていたのか、考えても、「今」に置いていかれる感覚がした。


「春ってやっぱりいいね。花も生き物も楽しそうに見えるよ」

彼女は嬉しそうに、楽しげに笑いながら語りかけてきた。

「そうだね。風も穏やかで全てが心地いい」

彼女はいつも楽しげに、僕を連れて行ってくれる。

そんな彼女の姿を見ると、僕も楽しくなった。

でも、時を進めようとする彼女の内面が、表情や言葉として滲み出る時、僕にはどうしても、全身が氷漬けにされるようで怖く感じる。

「そうだ、夏には向日葵とか見に行こうよ!」

「花そんなに好きだっけ?」

「急に思いついたの。さっきの花みたいに、花言葉とか知れたら素敵じゃない?」

なぜか、急に彼女が怖くてたまらなくなった。話してる内容は明るいのに、寒気が止まらなかった。

「そ、そうだね。夏は別の花を見に行こ」

胸が締め付けられるようで苦しくなり、その場にへたり込んだ。

「だ、大丈夫!?」

大声はなかったが、比較的大きめな声で心配された。近くのお客さんたちは、一瞬視線を送ってきたが、何事もなかったかのように散っていった。

「だ、大丈夫だから…」

背中をさする手が、いつもより冷たく感じ、心臓を掴まれるようだった。


「はぁ…はぁ…。ただいま」

帰宅してから、息切れが治るまで長かった。

「うわっ。太陽沈んでる…。今日は疲れたな。ヒヤシンス…か。悲しみを超えた先の愛。違うよな…」

彼女が想像で話した事が、どうしてか、今になって違和感を覚えた。

「何があそこまでの説得力を持たせてたのか…。にしても、あの時感じた気持ちはなんだったんだろうな」

彼女と一緒にいる時感じた、出てきそうでどこかへ消えたもの。どうしても知りたかったが、当てがなかった。

「知っているような気がするんだけどな…」

ヒントのない問題に答えを出すには、どうすればいいのか、わからなかった。

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