第8話

# 『饗宴の証人―食卓に潜む階級(テーブル)の真実―』


## 第八話(最終話)「東京・ガストロノミーラボの真実」【完全版】


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## プロローグ


東京の夜は、未来に満ちていた。


御厨凛は、六本木の高層ビルを見上げた。


ガラスと鉄。光と影。


ここは、過去が消えていく場所。


凛は三秒間、目を閉じた。


味覚を研ぎ澄ませる。この街の「記憶」を読み取る。


――この街は、すべてを飲み込む。


伝統も、誇りも、人の心も。


目を開けると、ビルの最上階に明かりが灯っていた。


「ガストロノミーラボ東京」


招待状に書かれていた場所。


凛はエレベーターに乗った。


四十階。


扉が開くと――


そこは、まるで別世界だった。


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## 第一章 未来の食卓


研究所は、白と銀で統一されていた。


最先端の調理機器。液体窒素のタンク。真空調理器。遠心分離機。


分子ガストロノミー。


料理を科学する場所。


「御厨さん、ようこそ」


声がした。


振り返ると、一人の男が立っていた。


五十代半ば。銀髪。整ったスーツ。


「アンドレ・モローと申します」


男は流暢な日本語で言った。


「国際食品コングロマリット『ワールドテイスト』のCEOです」


凛は彼を見た。


瞬間、すべてが見えた。


――この人は、世界中の食を食べてきた。


しかし、何一つ味わっていない。


彼の舌は、ビジネスの味しか知らない。


「モローさん、あなたが私を呼んだのですね」


凛は静かに言った。


モローは微笑んだ。


「その通りです。あなたは、七つの街で七つの事件を見てきた」


「はい」


「そして、気づいたでしょう?」


モローは続けた。


「すべての事件に、共通点があることを」


凛は沈黙した。


――伝統 vs 革新。


金沢、函館、神戸、高山、出雲、福岡、京都。


すべての事件で、伝統を守ろうとする者と、それを壊そうとする者が対立していた。


「偶然ではありませんね」


凛は静かに言った。


モローは頷いた。


「その通り。すべて、計画通りです」


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## 第二章 食文化支配計画


モローは、研究所の奥へと凛を案内した。


そこには、大きなスクリーンがあった。


画面には、世界地図が表示されている。


日本各地に、赤い点が灯っている。


金沢、函館、神戸、高山、出雲、福岡、京都。


「これが――」


モローは画面を指差した。


「私たちの『フード・ヘリテージ・プロジェクト』です」


「フード・ヘリテージ?」


「はい。日本の伝統食文化を、私たちが保存し、管理し、そして――」


モローは微笑んだ。


「商品化する」


凛の目が鋭くなった。


「商品化?」


「そうです。伝統料理は、素晴らしい資産です。しかし、多くの料理人は貧しく、後継者もいない」


モローは続けた。


「私たちは、彼らを救済します。資金を提供し、技術を保存し、世界中に広める」


「その代わりに?」


「知的財産権を、私たちが管理します」


凛は息を呑んだ。


「つまり――」


「日本の伝統食文化を、私たちが所有するのです」


モローは誇らしげに言った。


「そして、あなたの訪れた七つの街では――」


「意図的に、事件を起こした」


凛は静かに言った。


モローは頷いた。


「正確には、"事件を誘発する状況"を作りました」


「どうやって?」


「簡単です。伝統を守ろうとする料理人に、プレッシャーをかける。外資の買収話を持ちかけ、評判を落とし、経営を圧迫する」


モローは続けた。


「そうすれば、彼らは追い詰められる。そして――」


「犯罪に手を染める」


凛の声が震えた。


「あなたは――人の人生を、壊したのですか」


「いいえ」


モローは首を振った。


「私は、機会を提供しただけです。選択したのは、彼ら自身です」


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## 第三章 食の哲学対決


凛は、モローを見据えた。


「あなたは、食文化を何だと思っているのですか」


「商品です」


モローは即答した。


「食文化は、パッケージングすれば売れます。伝統というストーリー、地域というブランド、職人という付加価値」


彼は続けた。


「私は、日本の食を世界に届けようとしているだけです」


「違います」


凛は静かに、しかし強く言った。


「食文化は、商品ではありません」


「では、何です?」


「誰かの誇りです」


凛は続けた。


「金沢の鈴村さんは、治部煮に二百年の歴史を込めていました」


「函館の橋本さんは、イカ漁師との信頼を守ろうとしていました」


「神戸の田所さんは、三十年の技術を否定されました」


「高山の村人たちは、百年の秘伝を守ろうとしました」


「出雲の美月さんは、姉の記憶を守ろうとしました」


「福岡の堀江さんは、共同創業者としての誇りを奪われました」


「京都の宗次さんは、父に認められたかった」


凛は声を震わせた。


「彼らは皆、何かを守ろうとしていました。それは、金では買えないものです」


モローは微笑んだ。


「美しい言葉ですね。しかし、御厨さん――」


彼は凛を見た。


「あなたの父は、何のために死んだのですか?」


凛の体が、硬直した。


「父は――」


凛の声が詰まった。


モローは続けた。


「あなたの父、御厨将は食材偽装をしました。"本物"を守ろうとして、"偽物"を作った」


彼は続けた。


「それは、矛盾ではありませんか? 本物を守るために、嘘をつく。伝統を守るために、裏切る」


凛は何も言えなかった。


モローは畳みかけた。


「あなたの父も、私と同じです。生き残るために、妥協した」


「違います」


凛は顔を上げた。


目に、涙が浮かんでいた。


「父は――本物を守ろうとして、壊れました」


凛は続けた。


「父は、間違った方法を選びました。それは、認めます」


「しかし――」


凛は涙を拭った。


「父には、守りたいものがありました。家族、従業員、そして――味の記憶」


凛は声を強めた。


「でも今、私にはわかります」


「本物は――守る者がいる限り、消えない」


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## 第四章 最後の推理


凛は、研究所の中を歩いた。


液体窒素のタンク。真空調理器。


すべてが、最先端の技術。


しかし――


ここには、何もない。


匂いも、温もりも、記憶も。


「モローさん、あなたは各地の料理人を追い詰めました」


凛は振り返った。


「しかし、彼らは諦めなかった」


「諦めなかった?」


「はい。鈴村さんの弟子は、レシピを受け継ごうとしています」


「橋本さんの旅館は、地域の漁師が支えようとしています」


「田所さんの店は閉店しましたが、彼の技術を学んだ若者がいます」


「高山の村は、秘伝を守り続けます」


「出雲の美月さんは、姉の記憶を蕎麦に込めました」


「福岡の堀江さんは、裏切られても夢を捨てませんでした」


「京都の宗次さんは、父を超えようとしました」


凛は続けた。


「彼らは皆、何かを守ろうとしました。方法は間違っていたかもしれない」


「でも――」


凛は声を強めた。


「食は、金では買えません。なぜなら――」


凛は、モローを見据えた。


「食は、人の心だからです」


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## 第五章 凛の決意


モローは、長い沈黙の後、口を開いた。


「……御厨さん、あなたは理想主義者ですね」


「理想主義?」


「はい。あなたは、食文化が守られると信じている。しかし、現実は違います」


モローは続けた。


「料理人は高齢化し、後継者はいない。伝統は、このままでは消えます」


「では、あなたがそれを止めると?」


「そうです。私たちが、伝統を保存します。デジタル化し、マニュアル化し、世界中で再現できるようにする」


モローは微笑んだ。


「それが、真の保存です」


「違います」


凛は首を振った。


「それは、保存ではありません。標本化です」


凛は続けた。


「食文化は、生きています。人から人へ、手から手へ、心から心へ伝わっていく」


「データにすれば、それは死にます」


モローは沈黙した。


やがて、彼は言った。


「……では、あなたはどうするのですか?」


「私は――」


凛は三秒間、目を閉じた。


そして、目を開けた。


「私は、伝えます」


「伝える?」


「はい。本物の味を。料理人の想いを。地域の誇りを」


凛は続けた。


「それが、私にできることです」


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## 第六章 新しい旅の始まり


事件から一週間後。


凛は、自宅の机に向かっていた。


パソコンを開き、文章を書いている。


宛先は、全国の料理人たち。


```

本物の味を、守り続けてください。


それは、誰かの誇りであり、

誰かの記憶であり、

誰かの未来です。


私も、守ります。


父の記憶を。

そして、私自身を。


御厨凛

```


凛は、メールを送信した。


そして――


初めて、笑顔を見せた。


それは、この旅で初めての、心からの笑顔だった。


---


その夜、スマホに新しいメールが届いた。


差出人不明。




本文を開くと――



世界中で、同じことが起きています。


食文化を守る者たちが、

追い詰められています。


あなたの力が、必要です。


次の宴で、お待ちしています。


――モロー

```


凛は画面を見つめた。


そして、三秒間目を閉じた。


――世界中で。


父を失い、恋人に裏切られ、孤独に生きてきた。


しかし――


今、凛には使命がある。


守るべきものがある。


凛は目を開けた。


そして、返信を打った。


```

行きます。


次の街で、会いましょう。


――御厨凛

```


送信ボタンを押す。


凛は立ち上がった。


窓の外を見る。


東京の夜景が、広がっている。


――この旅は、まだ終わらない。


凛は微笑んだ。


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【第一シーズン 完】

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美食探偵 御厨凛の事件簿 ソコニ @mi33x

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