第3話
(試合はまだ始まったばかり逆転できるチャンスはいくらでもある)
アルマンドが腰の入った右ストレートを繰り出す。
神影は身を沈めてダッキングでかわす。その反動を利用しカウンターの右フックを叩き込む。
鋭い衝撃音と共にアルマンドの側頭部が歪む。
巨体がぐらりと揺れる。
(入った!)
思わず拳を握り込み。目を見開きこの光景を目に焼き付けようとする。
神影の拳と蹴りのコンビネーションが間髪入れずに繰り出される。
右フック、右ロー、左ミドル、膝蹴り――そのコンビネーションの繋ぎ目は対処する余裕すら与えない。
打撃のたびにアルマンドの筋肉が波打ち、汗と血が霧のように飛ぶ。
いくら体重差があってもダメージが通る。相手が反撃できないくらいの速さでコンビネーションを重ねればダメージを浸透させられる。
神影は相手との距離を取る戦法を使っていたがここで戦法を大きく変えた。
神影の閃光の右ストレートが放たれる。
誰が見てもこれで決着だと思うだろう。
だが――
アルマンドが拳を額で受け止める。
拳が頭蓋骨にぶつかる鈍い音。
そして沸き立つ会場内に響く。
パキッ
と軟骨をかみ砕くような音を聞き逃さなかった。
(拳が……折れた)
例えるなら厚さ50cmのコンクリート壁を素手で全力で殴る。無論素手の骨は砕ける。柔らかいものを高速で硬いものにぶつければ壊れる理論だ。
(拳が命中する瞬間……首を締めて衝撃に備えた)
攻撃から防御へと転ずる。それは大きな隙を意味する。攻撃に集中していた神影は防御に移行するのが遅かった。
続けざまにアルマンドの頭突きが神影の鼻を打ち付ける。
神影が大きくのけぞる……鼻から出血する。
(笑っている?)
神影の闘志は尽きておらず、口角を上げていた。
(俺なら……こんな状況焦るし怖いのに)
それを挑発と受け取ったのか、アルマンドが鋭い左肘の一撃を叩き込む。
咄嗟に腕でブロックするが疲労と骨折の痛み、体重差の影響で大きく神影の身体が揺れる。
そこに入ったのはローキックからの金的への前蹴りで神影はクの字に後退する。
だがそれでも神影の闘志は尽きずアルマンドの肩を手で押さえ膝蹴りを数発叩き込む。
一発。二発。三発。
アルマンドが前のめりに倒れそうになる。
神影は間髪を入れず、後頭部へ肘を振り下ろした。
ドスッ!
重い音が鳴り響く。
そこから両足タックルを仕掛ける。
巨体が倒れる。
アルマンドは起こそうと奮起するが、先ほどの肘うちの影響のためか体に切れがない。
神影が骨折した拳を大きく振り上げる。
そして無慈悲のパウンドがアルマンドの顔面を容赦なく叩きつける。
容赦ないパウンド。アルマンドも腕でガードするがその上からでも絶え間なく叩き込まれる。
アルマンドの表情に恐怖という物が浮かび上がるのが見て取れる。
無理もない、俺もあの状況になれば泣きたくなる。
最早、誰の血か分からない。
神影の右拳が血で紅く染まる。
アルマンドのガードが徐々に下がりやがて完全な無防備となる。
いいや、すでに意識が飛んでいるようだ。
だがそれでも神影のパウンドが続く。
その容赦のなさに若干血の気が引いている観客がいるくらいだ。
「勝負あり!!」
レフェリーが割って入り神影を引きはがす。
神影は前髪をかき上げ静かに倒れ伏すアルマンドを見つめる。
周りの歓声を浴びながら神影はこの闘技場を後にした。
◆ ◆ ◆
「じゃあ行くか!」
田上社長の声で我に返る。
俺たちは裏通路を抜けある場所へと向かった。
そこは選手控室と書かれた扉。
田上社長がノックをすると落ち着いた声が返ってくる。
「どうぞ」
扉が開かれる。
そこにいたのは拳についている血を拭っている神影レイジの姿がそこにはあった。
彼の周りには白いタオル、血で染まったガーゼや開きっぱなしの救急箱。あの試合がどれほど苛烈だったかが伝わってくる。
「よー!神ちゃん!すげぇ戦いだったぜ!!」
「田上さんお疲れ様です。すみませんね見苦しい仕合を見せてしまって」
額にガーゼを覆う。その声はどこか落ち着いているが呼吸が浅い。
まずい同じ部屋の空気を吸っていると思うと卒倒しそうだ。
というか社長はレイジさんとどういう関係なんだ?
「隣の彼は……」
レイジさんの
思わず背筋が伸び、固唾を飲み込む
その優しくも瞳の奥の闘志は尽きてはいないとわかる。
「こいつは大鷲一馬。昔格闘家で今はうちの従業員だ」
「一馬君か!!」
俺の名前を聞くと礼二さんの目が大きく開かれる。
「確か中学1年生以来か!実際に顔を合わせるのは」
「あっ……はい……そうですね」
俺は緊張のあまりいつも通りに話せなかった。
(やばい訊きたいことが山ほどあるのに全然口に出せない)
だがこんなチャンスは二度とないかもしれない。拳を握りしめ深く深呼吸をする
「……レイジさん、一つ訊いてもいいですか?」
首筋に汗を伝わせながら
「ん?なんだい?」
「レイジさんは確か試合での脳の損傷で引退したはずなのにどうして戦っているのですか?」
レイジさんは背を壁に預け、宙を見つめている。
「自分の限界がどこまでか知りたかったから……かな?」
ぽつりと彼はそうつぶやいた。
「僕は脳の損傷で一時期、自暴自棄になって酒も解禁して、ジャンクフードを貪っている毎日だったよ」
レイジさんの声には、どこか懐かしむような響きがあった。
「そんなある日僕はこの裏格闘技の存在を知った」
「ボクシンググローブから解放されたボクサー、髪や指を掴める柔術家。それを聞いただけで血が騒いでね、もう一日で契約書を書いたよ」
レイジさんは軽く笑い、血の滲む拳を見つめる。
「一馬君……人間は何かをするとき”動機”というのが必要になってくる。例えば僕の場合は限界を超えた戦いをすることだ、では君の動機は何だい?」
レイジさんの言葉を訊いて我に返る。
自分がなぜ格闘技を始めたのか?
何故練習しリングを上がるのか?
胸の中でジグゾーパズルの最後のピースがはまったような気がした。
そして何者かが俺のエンジンキーを回して吹かした。
「レイジさんと同じリングに立ち戦うこと……です」
意識する前に気づけばそう口走っていた。
レイジさんはその言葉を聞くと安堵したように笑みを浮かべる。
「そうかい、じゃあ待っているよ裏格闘技の世界でね」
と優しくも力強い目でほほ笑んだ。
22歳……世間では開始するには遅いくらいかもしれない。だがそんなことはどうでもいい
「社長!レイジさん!ありがとうございました!」
そう言い部屋を飛び出した。
こうしちゃいられない!今すぐにでもできることをしなければ!筋肉増量……スタミナ強化……打撃の再構築……柔術の感覚戻し、ジム探し。
やる事は山ほどある。
(1日が40時間くらいあればいいのに)
そう思ったのは久しぶりだ。確か総合格闘技にはまって朝から晩までジムで練習していたころ以来だ。
(待っていてくださいレイジさん、絶対に次こそはあなたと戦います!!)
◆ ◆ ◆
(4年後)
「さぁ、お待たせしました!今イベントのメインカードの登場です!」
「あの日!夢は諦めたはずだった!だが!翼がもがれた鷲は再び空へと舞い上がった!」
「公式戦績4勝0敗!”ドリーマーズイーグル”――!大鷲ぃ!一馬ぁぁぁぁッ!」
司会の声……観客の歓声が選手の入場口に立つ俺の耳を震わせる。
スポットライトがまぶしく。重低音の激しいサウンドのように歓声が俺の全身を震わしている
「相手は素手でチンピラ3人を殺した死刑囚だとよ!今までの奴らとは一味違う!一馬いけるか?」
後ろの田上社長が俺を心配そうな目で見つめる。
この人はなんやかんやあって従業員思いだな。
俺は小さく笑った。
「問題ないです……いつも通りやるだけです」
ガウンのフードを深く下げ拳を打ち合わせる。
その音がエンジンの起動音のように俺の心臓を震わせる。
「ふん……がきんちょが立派になりやがって」
田上社長が小さくうなずく。
「……では、行きますか」
俺はゆっくりと歓声のある闘技場へとゆっくり歩みを進める。
観客の熱とスポットライトの光が露になっていく。
あの日の夢の続きを……夢を実現させるために。
俺は再び歩み出した。
再燃の拳 ピクルス寿司 @280243gsrdqi
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