チューインガム・プログラム
黄黒真直
チューインガム・プログラム
「チューインガム・プログラムへようこそ! 当工場では、スイートでチューイング、またはハードでバブルガムな世界に皆様をご案内します!」
顔中にガムを貼り付けたみたいな濃い化粧の男は、明るい声でそう言った。
フロアには、底抜けに甘い匂いが充満していた。ぼくは思わず顔をしかめたけど、隣の二人は目を輝かせていた。
「私は今日の案内人のジム! 君たちのお名前は?」
ジムがステッキで女の子を指差した。
「私はミッシェルよ」赤い髪をしたお金持ちそうな女の子は、ステッキを手で払いのけた。「ガムが欲しいってパパに言ったら、ここを見てくるように言われたの。最近は赤字なんですってね。私が気に入ったら、買い取ってあげるわ」
「あら余計なお世話」
ジムは手で口を隠しながら笑った。
「それじゃ次は君」
ステッキを隣の男の子に向けた。
「おれはクリス!」でっぷりと太った、なぜか甘い香りがする男の子は、ステッキをつかんで匂いを嗅いだ。「おれはお菓子が大好きなんだ! この工場は全部ガムでできてるってホント?」
「もちろん」
「このステッキも?」
「そうだよ。食べてみるかい?」
「いらない」クリスは口をもごもごさせながら答えた。「いまチョコ食ってるから」
「なにっ!?」
ジムはステッキを放り投げると、両手でクリスの口をこじ開けた。
「本当だっ、食べているっ! 黒くておぞましい、あのチョコレートをっ!」
「ふぁ、ふぁんふぁ!」
クリスが何か言うけど、言葉になっていない。
ぼくたちが驚いているうちに、ジムはクリスを抱え上げた。
「チョコレートはガムを溶かすんだ! 危険危険! 捨てないと!」
ジムが壁のレバーを引くと、巨大な穴が現れた。
「さよなら~」
「うわああああっ!」
クリスが穴の中に落とされる。ジムはにっこりと笑って手を振ると、レバーを上げた。穴が塞がり、クリスの悲鳴が聞こえなくなった。
「ふぅ、お掃除完了」
ジムはおでこの汗を手で拭くと、ステッキを拾ってぼくに向けた。
「はい、自己紹介」
「え、えっと、ぼくはダニエルです。ガムがたくさんもらえると聞いてきました。ガムが大好きなので」
「ん~、素晴らしい! ではミッシェル、ダニエル。工場見学を始めよう!」
背筋を伸ばしたジムが、風のように歩きだす。ぼくはその後ろをついていきながら、さっきクリスが落とされた穴の方を見た。
もしかしたら、弟はあの先にいるのかもしれない。
弟のジョンは、一週間前にチューインガム・プログラムに参加してから、帰ってきていない。パパもママも探しているけど、見つかりそうにない。
ジョンがここに参加したことは、ぼくしか知らない。うちじゃお菓子は制限されていて、ガムなんてめったに食べさせてもらえない。だからジョンは、隠れてここに参加したんだ。
「これ、ぜーんぶ食べていいの!?」
ミッシェルは両腕を広げた。この大きな部屋は、部屋というより公園で、グレープ色の池やアップル色の草木が生えている。木々にはレモン色の丸い木の実がなっていて、おじさんたちがはさみでそれを収穫していた。
「もちろん。すべてガムでできているからね」
「この草も?」
ミッシェルはその場にしゃがみ込むと、草を引き抜いた。どうやら地面までガムだ。ミッシェルはそれを口いっぱいに含むと、
「まぁおいしい!」
と笑顔になった。
「あのおじさん達は何をしているの?」
ぼくはジムに聞いた。
「ガムの収穫だよ。あのガムの実を加工して、みんなのおうちに届けるんだ」
「地面や池もガムなのに、わざわざ実をとるの?」
ジムは笑顔のまま、ぼくの顔をじっと見つめた。
「ガムの実とそれ以外は、ほんのちょっと成分が違うんだ。この工場でしか食べられないガムだよ。君も食べなさい」
「う、うん……ぼく、あっちの方を見てきてもいいかな」
「どうぞどうぞ。お好きなところに行ってきなさい。でも、この部屋から出ちゃダメだよ。この部屋にある小屋に入るのも、ダメ」
「わかった」と答えて、ぼくはジムから離れた。
なにか、胸騒ぎがする。ガムって、ほんとうにこんな風に作るの?
走っていると、木の小屋の前についた。コーラ色の木の小屋だ。ぼくはジムの言いつけを破って、その小屋に入ってみた。
「うわっ」
ぼくは驚いて、しりもちをついた。
小屋の中には、奇妙な生き物がたくさんいた。噛んだガムみたいに柔らかくて、ぐにゃぐにゃしている。口で机や柱にかじりついて、ガムをもぐもぐと食べていた。
「な、なんだこれっ!」
ぼくは小屋を飛び出して、ミッシェルのところに走った。
「ミッシェル、なにかおかしいよ。むこうに変な生き物が……」
ぼくはそこで、言葉を失った。
ミッシェルの足が、とけはじめている。地面に広がったスカートと足が、混じりはじめていた。
「あら、どうしたの、ダニエル」
振り返ったミッシェルは笑顔のままだ。
「ミッシェル、足が……」
「足?」
自分の足元を見ても、ミッシェルは首を傾げるだけだった。
「足がどうかしたの?」
ぼくは怖くなって逃げだした。
もしかして、ジョンもガムになってしまったの? 帰りたくなくてずっと工場にいるのだと思っていたけれど、違ったのかもしれない。クリスみたいにダストシュートに入れられたか、ミッシェルみたいにガムに変えられたのか……。
きっとそうだ。あのジョンが、家出なんてするはずない。寝るときは鼻ちょうちんを作るような、純真で幼い子なんだ。きっとどこかに捕まっている。
「ジョン! ジョン!」
ぼくは小屋という小屋のドアを開けながら、弟の名前を呼んだ。
十三番目の小屋に入ったとき、ついに返事があった。
「ダニエル……?」
「ジョン!」
部屋のすみで、ジョンがお皿をかじっていた。上半身は無事だったけど、下半身はグレープ色のガムのようになっていた。抱きしめると、ジョンの頭からグレープの匂いがした。
「ダニエル、どうしてここに?」
「助けにきたんだ。ジョンはここにきて、もう一週間も経っているんだよ!」
「え、そんなに?」
ぼくはジョンをだきかかえて小屋を出た。でも、どうやって逃げればいい?
「ガムのお味はどうだったかな?」
急に大人の声がして、ぼくはどきりとした。
ジムが、こっちに歩いてきている。
「いけない子だ! 小屋に入ってはいけないと言ったのに!」
その顔はガムみたいに柔らかくなっていて、口や目の位置がてんででたらめになっていた。
「さあ、こっちへ来てガムを食べなさい」
「いやだ!」
ぼくは走りだした。どうやって逃げればいい?
「ダニエル、上だよ!」ジョンが空を指差す。「ここには天井がないんだ。上からなら脱出できる」
「でもどうやって……」
「鼻ちょうちんを使うんだ!」
「そうか!」
ぼくはダニエルの鼻に指をつっこみ、グレープ色の鼻水をひきずりだした。
「うええ、汚い」
そんなことを言っている場合じゃない。ぼくはそれを口に含むと、何度も噛んだ。
「いい子だ、いい子だ。ガムを食べたな、ガムを食べたな」
ジムがどんどん近づいてくる。ぼくは思いっきり、風船ガムを膨らませた。
ガムはあっという間に、大きな気球ほどになった。そして、ぼくたちの体がふわりと浮かんだ。
「ああっ、どこへ行くんだっ! 戻るんだ!」
「やだよー! もうガムはいらない!」
ジョンがあっかんべーをした。
ぼくはちらりと下を見た。ミッシェルがまだガムを食べている。
――ミッシェル、クリス、そして他のみんな。きっとすぐに、助けにくるからね。
ぼくは心の中でそう誓った。
次は、チョコレートを持ってこよう。
チューインガム・プログラム 黄黒真直 @kiguro
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