2 禁断の都市(デッド・コード)

 王都から遥か西。

 アステラ王国が建国されて以来、地図から意図的に抹消され、禁忌の地として口を閉ざされてきた辺境。そこには過去の文明が残した魔術と科学の禁断の融合実験都市の遺跡、通称「ネクロポリス・コード」が眠っていた。


 レイとクロエはエリアル王女から極秘裏に提供された高速移動用の魔導馬車に乗り、三日三晩かけてその廃墟へと辿り着いた。


 遺跡は巨大なクレーターの中心にあり、周囲は古く強力『情報遮断(ステルス)の結界』によって覆われていた。結界は王国の魔術体系が成立する以前の、異質な技術によって構築されている。


「クロエ、この結界は魔力を遮断しているんじゃない。情報を遮断しているんだ」


 レイは馬車から降り湿った土の上に立った。彼の【異能解析】は結界の外側でノイズを立てるだけで、内側の情報を読み取ることができなかった。


「これは外界との情報のやり取りを完全に断ち、この都市の存在そのものを世界の記憶から消去するための、高度なセキュリティ・コードです」


 クロエはこの地の異様な静寂に耳を澄ませた。


「音がないわけではありません。むしろ『無数の音が同時に鳴っているのに、すべてが打ち消し合っている』ような感覚です。空気の振動自体が、ねじ曲がっています」


 レイは結界を破るのではなく、一時的に解析の抜け穴を見つけることに集中した。


【解析:結界のコードは完璧な数学的構造ではない。数千年という時の流れが、わずかな演算誤差を生んでいるはずだ。そのバグの発生頻度と、空間的な座標を特定する】


 レイの瞳が青い光を帯びて激しく明滅した。彼の脳内では数十億の計算が瞬間的に実行された。


「見つけた。結界の北東の端。五分に一度、コンマ零一秒間だけ、情報の壁が薄くなる瞬間がある。クロエ、そこまで走る」


 二人はその瞬間に結界の薄い隙間を通り抜け、遺跡の内部へと足を踏み入れた。ネクロポリス・コードの内部は異様な光景だった。


 石造りの古代建築と、錆びつき、しかし未来的な形状を持つ金属の残骸が無秩序に混ざり合っていた。そこかしこに雷のような光を放つ魔力増幅炉のような装置が崩壊していた。


「この都市は本当に魔術と科学の融合を試みた場所のようだ。しかしその結果は大失敗」


 レイの解析は都市全体から発せられる強烈な情報の歪みを捉えていた。


【解析:都市のエネルギー炉は、魔力と、前世の高次元エネルギー物理学に基づく理論で稼働していた痕跡がある。しかし二つの原理が互いを否定し合い、都市は情報の混乱によって自壊した。まるで二つのOSを無理やり一つのハードウェアで動かそうとした結果、フリーズしたかのように】


 クロエは一か所の崩壊した壁の前で立ち止まった。


「この壁の裏から『誰かが触れたばかりの新しい音』がします。微かな『電子錠が解除される音』です。なにかが地面の下に滑り落ちていく音」


「アザゼルだ。すでにここに侵入していた」


 レイはクロエが示した壁を【異能解析】で透視した。壁の奥には都市の中央にある情報統制センターへと続く、秘密の地下通路が隠されていた。


「彼らはこの都市の失敗の根源、すなわち世界の構造を破壊するコードの真のデータを求めている。急ぐぞ、クロエ」


 二人は崩壊した通路を慎重に下り、都市遺跡の深奥へと潜行した。


 地下深くの空間は上層よりも保存状態が良かった。ここは都市の中枢情報処理区画だった。部屋の中央には巨大な水晶の演算装置が鎮座していたが、すでにその光を失っていた。


 そしてその水晶装置の傍の床には、泥に塗れた足跡が残されていた。足跡は一つは普通の革靴の痕。もう一つは車輪の痕。


「足跡は最低二人組。一人は人間。もう一人は……」


 レイはその車輪の痕のパターンを解析した。


【解析:車輪の材質はこの世界の魔導具には存在しない、極めて高密度の形状記憶合金。この車輪は人間を乗せるための移動補助装置、つまり前世の車椅子の痕跡に酷似している】


「アザゼルのメンバーには、車椅子を使う者がいるようだ。情報戦は常に敵の身体的な制約を考慮に入れる」


 クロエは足跡を辿って部屋の隅の埃を被った装置の前へ移動した。


「ここです。この装置に新しい魔力供給の痕跡があります。微かな情報伝達の音の残響。彼らがなにかを起動させ情報を持ち出した」


 その装置は古代建築と科学的なデザインが融合した奇妙な箱型をしていた。レイはそれが情報端末であると確信し即座に解析を開始した。


【ターゲット:情報端末】


 製造年代:不明(ただし、この世界の魔術体系以前)

 OS: 不明

 解析状況:外部の保護コードにより、データ領域へのアクセスは困難。


「くっ、非常に巧妙な情報ロックだ。この世界の魔術では、こんな複雑なコードは組めない」


 レイはその保護コードのパターンを、自身の前世の記憶にある情報ロックの事例と照合し始めた。


【照合開始:古代の王国の暗号学、辺境部族の呪文、ダルク公爵の情報統制システム……すべて不一致】


 しかしレイが前世で所属していた情報機関の標準的なセキュリティ・プロトコルを試した瞬間、装置の保護コードが一瞬、青い光を放って反応した。


【照合一致:前世の所属組織のプロトコルコード・ファントムに類似性を検出】

【アクセスキー:過去のプロフェッショナル】


「これは……まさか?」


 レイは情報端末に手を触れ、解析能力のすべてを注ぎ込んだ。


 端末のディスプレイに微かな光が灯った。映し出されたのは、この世界では存在しないはずの、前世の言語と前世のデータフォーマットだった。


 レイの心臓が激しく脈打つ。


「この端末はこの異世界の文明が作ったものではない。これは私のいた世界の、さらに未来の技術で製造されたものだ!」


 レイは端末内に残された唯一のログファイルを強制的に展開した。


【ログファイル:アザゼル計画、初期レポート】


 送信者: A-01(リーダー)

 受信者: N/A

 日時: [データ欠損]

 目的:コード・ファントムプロトコルを持つ対象の特定と、異世界への情報植民地化のための初期基盤の確立。

 経過:ターゲット世界の魔力体系の脆弱性を特定。次世代AI『ミカエル(M-AEL)』の演算により、ワールド・デストロイヤー・コードの投入に成功。

 残されたタスク: ターゲットの【異能解析】能力を持つ存在が、コードを修正する可能性を排除せよ。彼の情報源、世界の起源を掌握せよ。


 レイはそのログを読み終え、全身から冷や汗が噴き出すのを感じた。


「コード・ファントムプロトコル……それは前世で私が所属していた極秘情報機関の最高機密プロトコルだ。そして【異能解析】能力……彼らは私の存在を最初から知っていた」


 すべてが繋がった。

 ダルク公爵の計画はレイという情報戦のプロフェッショナルを、この世界に引きつけるための餌だったのだ。


 彼らはレイの【異能解析】が世界の危機に直面した際に、必ず『リミッターを解除し、世界の中核情報にアクセスする』ことを予測していた。そしてそのアクセスによって、レイの脳内にアザゼルが仕掛けた情報を意図的に残したのだ。


【未知の組織の名称:コードネーム『アザゼル(AZAZEL)』】

【次のターゲット:王国の辺境にある『魔術と科学の禁断の融合実験都市』の遺跡】


 これらは彼らがレイを誘導し、この端末を発見させるための、意図的な情報ブービートラップだった。


「彼らは俺の能力さえも情報誘導のツールとして利用した」


 レイは唇を噛み締めた。

 クロエは端末から発せられる微かな情報の揺らぎを聴き取っていた。


「の端末……まだ微弱な信号を発しています。まるで『私を見て、私を追って来い』と言っているようです」


 それはアザゼルからの挑戦状だった。

 レイはその挑戦を静かに受け止めた。


「彼らは俺を追い詰め【異能解析】の情報源である、この世界の起源を掌握しようとしている。だが、一つだけ読み違えたことがある」


 レイは粉々になった黒曜石の鏡の残骸を思い出した。あの時、自身の命を賭けて世界の構造を破壊するコードを打ち消した。


「俺のプロフェッショナルとしての意志を論理的なアルゴリズムとして計算したが、クロエの感情的な信頼という、予測不能な要素がそのアルゴリズムを打ち破った」


 レイはクロエの手をしっかりと握った。


「クロエ。彼らの次の行動はこの端末が残したログから解析できる。この都市の遺跡からさらに情報を持ち出し、王国の真の起源が眠る場所へ向かうつもりだ」


 ログファイルの末尾に、新たな座標が記されていた。それは王国の初代国王が魔力の力を最大限に引き出すために、最も安全な場所に隠したとされる魔力源の中枢だった。


「行くぞ、クロエ。彼らの真の目的はこの世界の魔力の中枢を掌握し、次世代AI:ミカエルにこの世界のすべてを支配させることだ。俺たちは未来からの侵略を、この過去の戦場で阻止する」


 レイの瞳は再び前世の情報戦のプロフェッショナルとしての冷徹な光を放ち始めた。

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転生スパイは異世界でチート能力を隠し、王国の深層心理を読み解く 御厨あると @mac_0099

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