第二章 1 異界の残滓(フォールアウト)
王位継承戦が終結して二週間。王都は急速に平静を取り戻し、エリアル王女の新しい統治体制は、レイが導入したロイヤル・クレジットという絶対的な信用を基盤に安定の兆しを見せていた。
レイの活動拠点は時計職人のアトリエから、王宮の最も奥まった区域にある、かつて禁断の観測室と呼ばれた場所に移動していた。そこは過去の王族が天文学や古代魔術の実験を行ったと伝えられる、厳重なセキュリティに守られた空間だった。
レイは観測室の中央に設置した巨大な魔力結晶ディスプレイに、王国の情報構造の三次元マッピングを映し出していた。
「ダルク公爵は、王国の歴史、経済、情報という三つの層に対して、極めて論理的な破壊コードを仕掛けましたが、すべてにおいて、彼自身が予測可能な要素に縛られていた」
レイは表示されたマッピングの最深部、すなわち世界の起源が交差する一点に、わずかに発光する不規則なノイズを検出していた。
【解析:このノイズは通常の魔力波動、環境振動、生命活動のいずれのパターンにも一致しない。これはダルク公爵の計画をはるかに上回る次元の異なる情報が、王国のシステムに接触した痕跡――異界の残滓だ】
「殿下への報告通りダルク公爵に資金提供し、この混乱を望んだより大きな勢力が存在します。彼らはこのノイズを王国の情報基盤に意図的に残した」
隣でレイの言葉に耳を傾けていたのはクロエだった。彼女は目を閉じ観測室の微かな空気の振動さえも聞き逃さない。
「レイ。そのノイズ……音波ではないけれど非常に規則正しい高周波の振動として感じます。まるで古代の機械が遠い場所で動いているような奇妙な金属の囁きです」
クロエの【絶対聴覚】はレイの【異能解析】が数理的なコードとしてしか捉えられないノイズを、具体的な音の痕跡として感知した。
「機械の音。この世界では動力源は主に魔術か水力か蒸気だ。しかし君が感知しているのは、それらとは異なる、極めて洗練された電子的な駆動音の残響のようだ」
レイの頭の中で前世の軍事科学の知識が、この異世界の情報と急速に融合を始めた。
【仮説:ダルク公爵の真のスポンサーは、魔術と前世の科学技術を融合させた、次元を超える情報戦を行う組織。彼らは王国の深層心理(情報構造)を破壊することで、この世界を情報的な植民地にしようとしている。このノイズは彼らが世界間に情報を伝達するための『ゲートウェイ』の痕跡に違いない】
レイは魔力結晶ディスプレイに観測室の周囲にある古代の魔術遺物のデータを重ね合わせた。この王宮の地下には建国時代から伝わる様々な遺物が保管されている。
「クロエ。その金属の囁きの最も強い共鳴点を探してくれ。その共鳴点こそが外部勢力が王国の情報システムに接触した物理的な接点だ」
クロエは集中し、静かに指を一本、北西の方角へ向けた。
「その音はあちらの壁の奥深くから来ています。ほかの魔術遺物とは異なる、冷たい、無機質な反響です。まるでこの世界に属さない情報の塊がそこに閉じ込められているみたい」
その壁の奥には王室の記録にも用途不明と記された、ただの古代の黒曜石の鏡が安置されているとされていた。
「用途不明の黒曜石の鏡……それが彼らの次元間通信装置の蓋だったというわけだな」
レイは鏡のプロファイルを要求した。
【ターゲット:古代の黒曜石の鏡】
用途:不明。
魔力反応:極めて微弱。
解析結果:魔力を増幅する機能はない。しかし空間的な周波数を安定させるための極めて高度な幾何学構造を持つ。
レイはそれがただの鏡ではないことを確信した。この異世界の世界の構造の揺らぎを監視し、外部の技術的な情報を受信するための、情報観測ユニットだったのだ。
「彼らの真の目的は王位継承戦などではありません。王国の情報システムを混乱させ、この鏡を通じて、世界のコードそのものを解析し掌握することです」
レイは王女にこの事実を直ちに報告するため観測室を後にしようとした。
その瞬間。
クロエが苦痛に顔を歪ませて両手で耳を塞いだ。
「痛い! レイ! 音が増幅しています! 金属の囁きが悲鳴に変わった! まるで次元の壁を無理やりこじ開けようとしているような途方もない高周波です!」
レイは即座に【異能解析】をノエズの発生源に集中させた。
【解析:ノイズの強度、$300\%$まで急増。黒曜石の鏡を接点として大量の情報パケットが、外部から王国のシステムに流れ込んでいる。情報パケットの内容:世界の歴史、物理法則、そして魔力体系を否定する、破壊的な偽情報――これは世界の構造を破壊するコードの実行シークエンスだ】
「まずい! 彼らは王女が安定したこの隙を突いて偽りの物理法則を、王国の魔力と情報の根源に上書きしようとしている!」
もしこの破壊コードが王国のシステムに浸透すれば、魔法の法則が歪み、魔導具は暴走しやがては、この世界の物理法則そのものが崩壊する。ダルク公爵の企みなど遊びに過ぎないほどの真の破滅だった。
「ヴェラ殿を待つ時間はない」
レイは【異能解析】の限界を超えた【領域展開(ドメイン・エクスパンション)】を行うことを決意した。
「クロエ。君はその悲鳴のような音を解析可能な情報に変換して俺の脳に送ってくれ。その情報を起点に【異能解析】を観測室全体に展開する!」
「危険過ぎます! そんなことをすれば、あなたの脳の処理能力が限界を超えて、二度と解析できなくなるかもしれない!」
「背に腹は代えられない!」
レイは額に冷や汗を滲ませながらも覚悟を決めた。
「俺たちがここで失敗すれば、この王国どころか、世界そのものが情報的な死を迎える! 俺は前世で失敗した情報戦争の終結をこの世界でやり遂げる!」
レイは能力のリミッターを解除した。瞳がデータ処理の光を観測室の隅々まで放ち始める。
【異能解析:領域展開、発動】
ターゲット:世界の構造を破壊するコード
処理負荷:$1000\%$
レイの意識は膨大な情報の奔流に飲まれかけた。解析は一瞬にして世界の根源的な物理法則の数式、魔力体系のプロトコル、そして建国からの歴史の真の記録という、人類が知ってはならない領域にまで到達した。
脳は情報の過負荷によって、焼き切れる寸前だった。しかし彼はその痛みに耐え、破壊コードの構造を一文字ずつ解析し始めた。
【解析結果:破壊コードは特定の古代魔術の演算誤差を利用して、この世界の情報の正当性を揺るがす構造になっている。まるでOSの『バグ(脆弱性)』を突いているようだ】
レイはその演算誤差を修正し、破壊コードが狙う情報の中核に、情報戦のプロフェッショナルとしての確固たる意志を、絶対的な修正コードとして上書きすることを試みた。
領域展開によって観測室全体が青白い魔力の光で満たされた。
パチ、パチ、パチ!
黒曜石の鏡から流れ込んでいた破壊的な高周波ノイズは、レイの修正コードと衝突し、電子的な火花を散らし始めた。
「負けないで!」
クロエはレイの極限状態を察知し、耳元で絶対的な信頼という、最も非論理的で強力な感情の周波数を囁きかけた。
レイはその声にギリギリのところで意識を繋ぎ止めた。そして最後に一つのコードを叩き込んだ。
【実行:$IF\ World.Integrity\ ==\ FALSE\ THEN\ World.Reboot()$】
ズガアアァァァン!
観測室全体が激しく揺れ、黒曜石の鏡は光と共に沈黙した。レイは限界を超えた処理の代償としてその場で意識を失った。
レイが目を覚ますと頭痛は激しかったが、全身に魔力が再び流れ込む感覚があった。クロエが彼の側で心配そうに見つめていた。
「大丈夫?」
「ああ……なんとかね。破壊コードは鏡を破壊するという形で自壊した」
レイは粉々になった黒曜石の鏡の残骸に目を向けた。鏡は二度と外部との接点として機能することはないだろう。
しかしレイの瞳に映る世界の情報構造のマッピングは微かに青ざめていた。
「世界の構造そのものを破壊するコードは阻止したが、彼らは『彼らが存在する場所』の情報を、俺の【異能解析】にわざと残していった」
レイの解析は新たな情報を検出していた。それは王国外部に存在する、巨大な組織の名称と、彼らが次に狙う場所の座標だった。
【未知の組織の名称:コードネーム『アザゼル(AZAZEL)』】
【次のターゲット:王国の辺境にある『魔術と科学の禁断の融合実験都市』の遺跡】
レイはその情報を見て確信した。
「敵はダルク公爵のような古い時代の権力者ではない。未来から来た情報と技術のテロリストだ」
レイは立ち上がり、クロエの手を握った。瞳には新たな決意が宿っていた。
「戦いは王国の深層心理から世界の起源へと移行した。行くぞ、クロエ。彼らの本拠地と彼らが狙う禁断の都市へ」
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