第22話 この手で、理想を

 最後まで言い切ってしまうが早いか、エレーヴは再び打突を繰り出す。

 私は首を捻って命中を免れ、隙だらけの腹部に氷柱つららを刺して、過去の記憶に思いを馳せた。


 見た目からしてまだ若いから、彼女を教えたのは、つい最近のことなのだろうか。

 明確な年数も、教えた内容も思い出せないが、とても熱心な生徒だったと記憶している。近頃の怠惰な学生の中でも、一際輝く原石のようだった、とも。そういえば、別れを告げた春の日も、満面の笑みで羽ばたいていったような気がする。


 目の前の彼女との落差がそうさせるのか、単に私の覚えが悪いためか。

 どちらもだろうと思いながら、振り終わりの間隙かんげきにエレーヴの手首を掴み上げては凍らせた。


「変わりましたね、エレーヴ」

「いいえ。変わってしまったのは、先生のほうです」


 凍った手が使い物にならないと悟ると、エレーヴはすぐにレイピアを手放した。

 死角からの殺気を感じて咄嗟に我が身を引くが早いか、逆の手から突きが繰り出される。


「私は昔からこうでしたよ。きっと、見え方が変わったのでしょう」

「いいえ。教鞭を執っていたあの頃の先生は、そんな目、しませんでしたよ」


 切っ先を受け止め、強引に鍔迫り合いに雪崩れ込む。

 エレーヴの瞳は、草原のような緑色。曇っていようと、とても若くて、美しくて、──そこに映る私という毒が、余計に陰鬱に見えてしまう。

 確かに、こんな風ではなかったかと、乾いた笑いが喉から漏れた。


「教え子を痛めつける趣味はないのです。道を開けてはくれませんか」

「お断りします。私の教わった先生は、玉座を暴力で奪うなんて、きっと許さなかったはずですから。行きたいなら、私を殺してからにしてください」

「貴方は若い。何かに殉じてしまうには、まだやり残しが多すぎる。逃げ帰ろうと、誰も貴方を責めはしない」

「いえ。先生にも、成したいことがあるのでしょう。なら、開ける未来はひとつだけです」

「我が円卓に連なればいい。お前には、相応しいだけの力が」

「残念ですが。私は既に騎士として、新女王に忠誠を誓った身です。道に殉ずる生き方を、私はもう、選んでしまったのですよ」


 力の籠らぬ我が刃を、エレーヴは膂力で押し切った。

 軽く飛ばされた私の肩にレイピアが迫る──されど、剣先は私に至る間際で止まった。


「実技科目の戦闘演習、一番強かったのって、先生でしたよね。……こんな突きくらい、防げるってわかっています。でも、先生は防いでくれないんですね」

「私はもう、教師ではない。だが、辞めたからといって、未来へ送り出した希望せいとを、この手で屠る訳にはいかない」


 腕を振るってレイピアを弾き飛ばし、砕けた床にきぼうの剣を突き立てる。

 女生徒は、哀しげに膝をつきながら、諦めたように首を差し出した。


「わかってないなぁ、先生は。もう、未来はないんですよ。だから、ほんっとうに……帰ってほしいなぁ、なんて」

「勝者は私だ。生かすも殺すも、私次第だ」

「誓って死にます。そうでないなら、刺し違えてでも貴方を殺します」


 その様を目の当たりにして、私は、神父の言葉を想起した。


 ついに、同胞を。


 同じ人類を殺すときが来たのか、と。


 震える自分が滑稽で、呆れるくらいに情けない。

 ここまで進んでおきながら、今更、もとの通りに戻れるのだと、私は本気で思っていたのか。


「何を遊んでるんだ、陛下ッ! きみが構うべきは、その人間じゃないだろッ!」


 王城を縦横無尽に走りながら、メリュジーナが咆哮を轟かす。

 その叫びが、私を我に返らせた。


 私が目指すべきものは、一体何だったのか。

 私の立てた理想のために、命を賭して戦う臣下たちの数と。

 たった一人で立ちはだかる、取るに足りない雑兵ひとり。

 どちらを大事にすべきかなんて、決まりきったことのはずだ。


 ──もう、私は講師ではない。

 これから、私は王になるのだ。


 今から振るうこの刃で、斬るべき者は一人に非ず。


「ならば、もはや止めはすまい。せめて、私の手で殺してやる」


 言い聞かせるように呟いて、希望の剣を振り上げた。

 だって、もう殺すしかないだろう。

 目の前にいる女生徒は、を、思い出させてしまうのだから。


「あ──、うそ。やっぱり、やだ。やだッ、死にたくな」


 ──千切れた血管から、直接、真っ赤な命を浴びた。

 ぺちょ、と私の唇に、柔らかな桃色の肉がキスをする。

 からからから、とレイピアが落ちた。

 鼻から上を失った、物言わぬ人型の器から、まっくろな命が噴き出してくる。


「許せとは言わないが、わかってくれ。私は、おまえを、斬らねばならなかったのだ」


 口の端っこの肉片を、舌で掬っては唾液と共に吐き捨てる。

 芯から震える身体を抱えて、壊れそうになる自我を押さえる。


 もう、戻れない。

 戻りたいだなどと、思うな。

 戻れないのならば、向かった先で理想を果たせ!


 己が心に、そう呼びかけた。


 砂埃を撒き散らし、メリュジーナが後退してきたのは、大体それくらいの時だった。

 腹を光で射抜かれたのか、白い鱗が身体の内へ染み込んでいた。

 

「ジーナ、その傷」

「いいんだ、これくらい。それより、このままじゃ新女王に逃げられる……ここは頑張って止めるから、きみは先へ」

「交代しましょう、ジーナ。ロータスを撤退させましたから、入れ替わりでエシェックが突撃してくるはずです。それまで女王を追跡してください」

「いいのかい、グラシエ。新女王と相対すべきは、キミだろうに」

「この男にも、問いたいことが山ほどある。早急に済ませてしまいますから、心配なく。貴方の脚、頼りにしています」


 エレーヴの亡骸を踏み越えて、ほくそ笑む神父に相対する。

 激情に任せて地を蹴った時、三方向から光の棘が私へ迫る。身を捩ってひとつを躱し、もう一つを剣でいなしては最後の棘を切り落とす。着地に合わせて身体を半回転させると、小型の氷柱を合わせて四度投擲した。

 うち二つを、デクラン神父は笑って受けた。修道服に血が滲み、その歩みが僅かに遅くなる──されど、彼は痛がる素振りを欠片も見せはしなかった。


「……気味が悪い。敵を目の当たりにしながら、どうしてそうも笑っていられる」

「嬉しいのだよ。君たちに投げかけた問いの答えを、漸く聞けると思うとね……ああ、あの弓取りがいないのは惜しいが」

「嘘をつくな。貴様は我が盟友を、たったの一度でも見やったか」


 デクランは目を揉み、喉を震わせ笑みを漏らした。


「失敬。嘘をつくのは苦手でね、息子にもよく見抜かれたものだ」

「ジョフロワ・クアーツユにか?」

「──驚きだな。いつの間にやら、愚息が世話になっていたか」

「お前の命ではないのか。ならば、こちらからも問うべきことはあと一つだ」


 先ほど、この男が戴冠式の開始を告げに来た時点で、私の疑念は確信に変わっていた。

 デクラン・クアーツユとは、この神父の名。

 ジョフロワ・クアーツユとは、その息子たる頑固な騎士の名。


「本来、この国の女王には、変異的に発生する、浅葱の髪を持ったエルフが選ばれる。……だから、見た目で断じることはできなかった。だがな」


 そして、神父が式の初めに述べた、新女王の名。

 

 テナシテ・クアーツユ。

 

「お前の言葉と苗字を聞いて、全てが繋がった。女王の親族たるお前こそ、真っ先に殺しておくべき相手だったなんてな」


 デクランの顔から笑みが失せる。

 背筋に怖気を感じつつ、私は四肢に魔力を纏わせた。


「だがそれは、逆に言えば、私を殺す機会がいくらでもあったということだ。……だのに何故、お前は私を、この王城にまで至らせた?」


 神父は教本の頁を捲った。

 どこにも書いていないだろうに、奴は、あの問いを再生する。

 

「獣を屠り、境界を破り、人を殺したその時に、汝は如何なる旗を立てるか。私はただ、その答えが知りたいのだ」


 私は正眼に剣を構え、周囲に無数の氷柱を浮かべた。

 神父はただ、歩み続けた。


「故に、聞かせてくれたまえ。同胞ならざる教え子を、その手で屠った感想を!」


 神父は既に目の前にいた。

 だから私は、光のごとく剣を振るった。

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冬よ、死ね、愛しき冬 蒼依泉 @sen_sui

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