第21話 戴冠式
〈Ⅶ〉
その日は、珍しく雪が降っていた。
私が旅立ったあの日とは、比べ物にならないほどの雪だった。
厚底のブーツを履いて、外套に身を包み込んで。
身なりを偽るために髪を結って、顔を隠すためにフードを被った。
新女王を一目見ようと、王都には無数の人々が押しかけている。
しかし、人いきれの中には浅葱色の騎士たちが立っていて、変な気を起こすものは誰もいない。
──今日は、新女王の戴冠式。
新たな徴税が始まる日。
その全てを台無しにして、私が、この王国を取り返す日。
「け、ケーキは用意できているんだよな、ノエル」
「ええ。ばっちりですよ、マースカ。友人たちも集まっているでしょうし、きっと素敵なパーティーになる」
震える声で私をノエルと呼んだのは、似たり寄ったりな装いに身を包んだマースカ──つまりは、ロータスだった。
厳戒態勢の騎士たちの中にあって、下手に本名を晒すのは望ましくない。
互いを偽りの名で呼びながら、冬の催しになぞらえた隠語で会話を進める。
王城近くの広場、その東西に我が騎士たちを二人一組で配置した。
加えて、群衆の中にも義勇軍を大量に忍び込ませてある──寧ろ、この喧騒は、我が同胞らの作り出した空気感に相違ない。
「
「ええ。
「
私は小さく頷いて、無邪気な笑いで芝居を打った。
リボンを巻いた縦長の布を、楽器と偽り背負い込んで、私たちは王城の傍へと接近する。
中心部にはメリュジーナ、最前線にはこの私。中距離にはエシェックがいて、遥か遠くからアディユが弓を引き絞る。
無数に散りばめられた我が騎士たちも、合図があればすぐに動ける。
不意打ちという一点において、こちらの体勢は盤石だった。
だから、私はあの時、シルクハットの申し出を断ったのだ。
いいだろう──などと、言うものか。
この国は、私たちで作り上げてきたものだ。その命運は、他人の手ではなく、われら三種族の手で決められるべきものだ。
魔王を臆さず押し切って、そのまま奴を退散させた。
故にこそ、出立の際にメリュジーナが残した予言が気がかりだった。
第二の戦い。その敵が新女王でないのなら、一人を除いて他にはまったく考えられない。
だとすれば、奴ら魔王の軍勢もまた、この地にいるということになる。
「
「……僕ら
会話を重ねていくうちに、ロータスの演技も板についてきた。
私が手を擦り合わせると、同時、時報を知らす鐘が鳴った。
──ごおん。
たった、一度だけ。
「静粛に。これより、新女王──テナシテ・クアーツユの戴冠式を執り行う」
私が動揺する間もなく、王城の外に例の神父が現れる。
開かれた鉄扉の向こう側、白布に覆われた祭壇の頂点に、巨大な玉座と王冠の影が聳え立つ。
自然、握る拳に力が宿った。
「式典は関係者のみで秘密裏に実施する。式次第の終了後、陛下がお言葉をくださるだろう。それまで身じろぎ一つせず、像の如く待ち続けるがいい」
神父デクランは人の悪い笑みを浮かべ、教本片手に王城の中へと消えていった。
「ノエル」
「……いえ。多少の遅刻は許しましょう」
私は毅然と答えたのち、瞠目して王城を見やった。
ロータスは、黙って腕時計を撫でた。
式典とはいえ、行程自体は一、二時間で済むものだと思っていた。
元々、それだけの時間を立って待てる者だけを兵団に選出していたし、彼らの集中力に関しては、アディユが直々に試していたから、問題が起こるはずはなかった。
だが、この点において、誤算があった。
二時間どころか、三時間、四時間経とうが、戴冠式は終わらなかった。
その間にも、ひとり、またひとりと、痺れを切らした群衆が帰っていく。無数の頭に紛れる我が軍団たちが、無辜の民の退去につれて、自然、浮き彫りになっていく。
じと、と、背筋を汗が伝うのがわかった。
いつ襲撃が始まったとて動けるよう、常に最大の集中力を維持しながら、己が武装が剥がれ落ちる感覚に耐え忍び、なおかつその動揺を漏らさぬよう、
この緊張の環を、たった一人でも乱す者があったのなら、我々は即興で計画を練り直さねばならなくなる。
──だから、今日という日が、雪の降り積もる冬だというのは、あまりにも運に欠けていた。
寒さに限界を迎えた、群衆のうちの誰かが、咆哮を響かせ王城へと駆け出してしまった。
浅葱色の刃が落ち、誰かの首が雪に沈んだ。白煙の向こうで、べちゃべちゃと粘っこい足音が聞こえて、刃に付着した鮮血が、ぬらり、と、蜜のように滴り落ちるのを目の当たりにした。
ごおおん、と、鐘撞き堂が悲鳴を上げる。
「ロータス!」
私は雪原を蹴り抜いて、誰の視界に映るより早く王城の中へと飛び込んでいく。
背中のリボンを引きちぎって、きぼうの剣を引き抜いた。
まさにその時、べしょ、と、私の頬に血がついた。
「ッ!」
耳を塞ぎ、咄嗟に身を屈めては地に伏せる。
頭上を瓦礫が吹き抜けて、轟音と共に大地が巨大な揺れを起こした。
「いいだろう。これが始まりだというのなら、徹底的に壊すまでだッ」
身体を起こすのとほぼ同時、床に魔法陣を描いて言霊を紡ぐ。
「
硝煙の中を蒼い光が照らし尽くして、王城の周囲に竜の鳴き声が轟いた。
それから身を翻せば、私のすぐ傍を浅葱の刃が掠めていく。背に張りついた焦げ気味の紅は、私の傍で死した誰かの命の証か──胃から逆流してくる何かを、唇を噛んで押し殺す。
「ノエルッ!」
霧の中に身を包み、遅れてロータスが飛び込んでくる。
顔を晒さんとする彼を抱き寄せ、強引にフードを被せてやった。
「もうグラシエでいい。それから、お前はできるだけ視線を上げろ。床だけは、見るな」
それだけでも、何もせぬよりは気休めになると思ってのことだった。
けれど、こんなにも死で溢れかえった空間では、少し目を逸らしたくらいじゃ、己が精神は護り切れない。
年相応の生を知るだけのロータスには、到底、この光景は耐えられない。
私は彼に下がるよう言い残して、足元の死を踏み抜きながら、広間の中心へと走り出した。
すると、盛り上がった瓦礫の山の頂点に、メリュジーナの姿を認めた。
「やぁ、今のところ作戦は順調だ、憲兵の一割は消し飛んだと思うよ。次は、何をすればいい?」
「私と来い、ジーナ。お前には、女王までの露払いを」
「その必要はない」
周囲の影が濃くなって、私は咄嗟に身を翻す。
光の魔砲が頬を裂いた。メリュジーナは間髪を容れずに跳び上がって、現れた神父へ尖った尾を叩き落とす。
「はじめまして、デクラン。きみを斃せば、ぼくらの勝利にまた近づくね」
「不可能だとも。此処に現れたこと自体、間違いなのだから」
剣戟に雪崩れ込む彼らをよそに、私は最も大きな魔力へ向かう。
しかし、大混戦の真っ只中では、全速力でも目的の場所まで辿り着くのは容易でない。
その隙を衝くかの如く、影から敵が飛び込んできた。
「どうして。どうして、どうしてですかっ」
レイピアの打突を受け止めれば、今にも泣きそうな、女の声が耳を撫でた。
どくどくと額から血を流し、瞼からは溢れんばかりの涙を零す、その人間の声の色を、私は微かに覚えていた。
「お前は」
「魔法大学大陸史学科卒、エレーヴ。……かつての、貴方の教え子です」
私が咄嗟に飛び退けば、打突が腕の皮を薄く裂いた。
エレーヴと名乗った女生徒は、震える手で私に切っ先を突き付けた。
「死んでください、先生」
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