夜這いの村

をはち

夜這いの村

西正記は風俗の世界に魂を売った男だった。


風俗情報誌のコラムニストとして名を馳せた彼にとって、風俗は単なる仕事ではなく、趣味であり、人生そのものだった。


北の果てのソープランドから南の島のピンクサロンまで、彼は日本中の風俗を巡り尽くした。


だが、すべての店を制覇した頃、彼の心は虚無に飲み込まれていた。


新規開店の店も、ただ新しいというだけでは彼の好奇心を刺激しなくなっていた。


そんな1987年、昭和62年の夏。


バブルの熱狂が日本を覆い、時代が平成へと移り変わる直前の喧騒の中、奇妙な噂が西の耳に届いた。


ある山奥の村に、今なお「夜這い」の風習が残っているというのだ。


その情報は、彼の心に冷たく鋭い火を点けた。


夜這い――それは、現代では考えられない、禁断の風俗だった。


情報をくれたのは、怪しげな男だった。


目が異様にぎらつき、スーツの襟が汗で湿っていた。


男は「原稿料の前金だ」と、封筒に詰まった100万円を西に手渡した。


あまりに破格な金額に、西は一瞬たじろいだが、夜這いの誘惑はそんな不安を瞬時にかき消した。


「村のルールは単純だ」と男は説明した。


「窓が10センチほど開いていれば、夜這い待ち。閉まっていれば、夜這い中か、受け入れを拒んでいる。


必ずこのルールを守れ。さもないと――」


男は言葉を濁し、薄笑いを浮かべた。


村に足を踏み入れたのは、月明かりすら届かない深い夜だった。


山間の集落は、まるで時間が止まったように静まり返っていた。


木造の家々が立ち並び、どの家も薄暗く、窓から漏れる光はなかった。


西の心臓は高鳴り、欲望と好奇心が混じり合った興奮が彼を突き動かした。


最初の家。窓がわずかに開いていた。


西は息を潜め、そっと中へ滑り込んだ。


部屋には若い女が布団に横たわり、静かな寝息を立てていた。


彼はルールに従い、行為に及んだ。


だが、取材心が疼き、彼は女に囁いた。


「なぜ、こんなことをしている?」


女の答えはそっけなかった。


「皆やってるから」


そんな答えでは記事にならない。


西は苛立ち、次の標的を求めた。


「この村で一番の熟女はどこだ?」と聞くと、女は無表情で、ある家を指差した。


「あの家。熟女なら、面白い話が聞けるかもしれない」


その家に向かった西は、しかし、窓が閉まっていることに気付いた。


先客がいるか、夜這いを拒んでいるか。


西は一時間待ったが、窓が開く気配はない。


夜が明ければ夜這いは終わる。


ルールでは、ここで諦めるべきだった。


だが、欲望と好奇心に駆られた彼は、ルールを破った。


閉まった窓を無理やりこじ開け、部屋に侵入した。


そこには、確かに先客がいた。


暗闇の中で、男の背中が動いていた。


焦燥感に駆られた彼は、取材を口実に、先客に話しかけることにした。


「おい、ちょっと話が――」


振り向いた男の顔を見て、西は凍りついた。


知っている顔だった。いや、知っているはずがない。


だが、どこかで見たことがある――その確信が彼の心を締め付けた。


男はゆっくりと微笑み、静かな声で言った。


「お前、記者か?」


その瞬間、西の意識は暗闇に落ちた。


目が覚めた時、西は見知らぬ部屋にいた。


鼻をつく消毒液の匂い。白い壁、簡素なベッド。


そして、目の前に立つ若い女。


彼女はナース服を着ていたが、その仕草はどこか不自然で、まるで人形のようだった。


「ようやくお目覚め? 西さん、今日は『タイムスリップ老人ホームプレイ』の日よ」


西は混乱した。


2025年――彼が目を覚ましたのは、38年後の世界だった。


老人ホームの一室で、彼は車椅子に座らされ、奇妙な「プレイ」に興じていた。


だが、どこかおかしい。


この老人ホームは、村の家々と同じ匂いを放っていた。


閉じた窓の向こうから、誰かの視線を感じる。


夜が来るたび、窓が10センチ開く音が聞こえる。


「あの村はどこだった?」


西は女に尋ねたが、彼女はただ微笑むだけだった。


「皆やってるから」と、かつての女と同じ答えが返ってくる。


夜が深まるたび、西は思う。


あの村はまだ存在しているのではないか。


自分はまだ、あの夜這いの村に囚われているのではないか。


そして、窓の向こうで待つのは、かつて見たあの男の顔――いや、それとも、自分の顔なのか?


今夜も、窓が10センチ開く。誰かが、こちらを見ている。

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