第12話

夜の帳が降りた街。

 雨は止み、濡れたアスファルトが街灯の光をぼんやりと反射している。

 人通りの少ない裏通りを、ひとりの男が歩いていた。


 影山怜司。

 退魔協会の“外れ者”にして、最も危険な契約者。

 その背には黒革のコート、手には銀色の煙草。

 火を点け、深く吸い込む。


 


「……人と妖が共に生きる、か。理想はいつも、血に濡れる」


 煙を吐きながら、影山はポケットから古びた札を取り出した。

 その紙片は湿気にも破れず、淡い光を放つ。


 ――【妖狐・玉藻前】

 封印指定:第一級危険妖体。


 


 彼はその名を、静かに口の中で転がした。


「千年封じられた狐が、少女の姿で現れた。

 封印を解いたのは……ただの人間の青年か。皮肉な話だ」


 影山は口元を歪める。

 風が吹き抜け、彼の髪を揺らす。


「……だが俺の任務は変わらん。“妖”は、全て人の敵だ」


 


 その言葉と同時に、空気が凍りつく。

 影山の足元に黒い影が広がり、そこから淡く赤い瞳が浮かび上がる。


「主よ、呼んだか」


 低く響く声。

 人の形をしていながら、首から下は闇そのもの。

 影山の契約妖クロが姿を現した。


 


「尾を持つ女狐の気配が、確かにこの街にある。どうする?」


「決まってる。捕らえて協会に引き渡す」


「……それが“救い”か、“罰”かは問わぬのか?」


「俺の仕事に答えはいらない」


 


 影山は淡々と呟き、歩き出す。

 その背後でクロが薄く笑った。


「ふむ。主もまた、血の匂いを隠せぬくせに」


 


 その言葉に、影山の足が止まる。

 ほんの一瞬、冷たい光がその瞳に宿った。


「俺は……もう人間じゃない」


 


 煙草の火が、雨上がりの闇に滲む。

 夜風が冷たく頬を撫でた。



---


 一方その頃。


 悠真の部屋では、たまが布団の上にちょこんと座っていた。

 ふわふわの尻尾を丸め、湯呑を両手で包んでいる。

 雨上がりの夜気がまだ冷たく、彼女の金髪がしっとりと肩にかかっていた。


「……ぬし、今日は寝ぬのか?」


「うん、ちょっとレポートがあってな。

 終わったら一緒に寝るから」


 悠真はパソコンに向かい、静かにキーボードを叩いていた。

 その横顔を、たまはじっと見つめる。


 夜の灯りが彼の頬を照らし、

 小さな音だけが部屋を満たしていた。


 


「ぬしは、妾を拾って後悔しておらぬか?」


 ふと、たまが呟く。

 悠真は手を止め、ゆっくりと顔を上げた。


「どうしたんだ、急に」


「妾のせいで、危ういことが増えた。

 あの男……カフェで見た者、ただ者ではなかった」


 


 悠真は少し黙ってから、微笑んだ。


「たとえそうでも、お前が笑ってくれるなら、それでいい」


「……ぬしは、やはり変わらぬのぅ」


 


 たまはそっと彼の肩に寄り添い、囁くように言った。


「妾が千年前、おぬしと契った時も……

 こうして、傍におったのじゃ」


「契った……?」


 悠真が眉をひそめる。

 たまの瞳が、金の光を帯びる。


「そうじゃ。妾はおぬしの“血”に印を刻んだ。

 それは永劫の縁……おぬしの魂に、妾の力が宿っておる」


「……俺の、魂に?」


 


 彼の胸がわずかに熱くなる。

 心臓の奥で、何かが脈打った。

 その瞬間、パソコンの画面が一瞬チカリと光り、電源が落ちた。


「っ……何だ?」


 部屋の灯りが揺らぎ、窓の外から黒い影が滑り込む。

 冷気が一気に吹き込み、たまの耳がピンと立った。


「ぬし、下がれっ!」


 


 次の瞬間、窓が弾けるように開いた。

 黒い靄の中から姿を現したのは——影山怜司。


 


「やっと見つけた。封印狐、玉藻前」


「……貴様、誰じゃ」


「退魔協会・第七課、影山怜司。

 お前を捕縛する」


 


 影山が印を切る。

 その瞬間、部屋の空気が震えた。

 黒い鎖が無数に出現し、たまの手足を絡め取る。


「ぬ……ぬし……!」


「やめろっ!」


 悠真が飛び出し、たまの前に立つ。

 しかし鎖の一本が彼の胸を掠め、血が散った。


「悠真っ!!」


 


 たまの瞳が金色に燃える。

 封印されていた力が、まるで心臓を突き破るように爆ぜた。

 狐の尻尾が広がり、彼女の周囲に風が巻き起こる。


「妾のぬしを、傷つけるなっっ!!!」


 


 叫びと共に、部屋を包む光が炸裂した。

 影山の鎖が弾け飛び、壁が軋む。

 風と光と共に、たまの本来の姿——金髪の妖狐が現れた。


 


 八本の尾が翻り、瞳が金色に燃える。

 その美しさは、恐ろしくも神々しい。


「封印狐……やはり、噂以上だ」


 影山が笑う。

 その口元には、どこか楽しげな色。


 


 悠真は地面に膝をつきながら、

 たまの背中越しにその姿を見つめていた。


「……たま……」


「ぬし、すまぬ。妾はもう、止められぬかもしれぬ」


「いい。お前はお前だ。

 全部、俺が受け止める」


 


 その言葉が届いた瞬間、

 たまの暴走しかけた妖気が、わずかに静まった。

 彼女は涙を一粒、零した。


「ぬし……妾は、おぬしのために生きたいのじゃ」


 


 金の光が夜を裂く。

 影山は目を細めながら呟いた。


「……なるほど。“人と妖の絆”か。

 だが、それがどれほどの力を生むか……試してやろう」


 


 再び、鎖が空を切る。

 妖と人、そして契約者。

 運命の三つ巴が、静かに幕を開けた。

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千年狐と隣りの君 ケンタン @kentan

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