崩壊ハルシネーション

見鳥望/greed green

「なあ、これおもしろくね?」


 そう言って啓介はスマホを僕に向けた。


『***************』


 スマホから突然流れた音声は卑猥な単語を連ねたとても下品なものだった。


「な、そっくりじゃね?」


 大学の構内で恥ずかしげもなくこんなものを流す友人とはそろそろ縁を切ろうと思いつつ、彼の意図が読めず僕は首を傾げた。


「相変わらず鈍いなーお前。これAIだよ。俺の声真似」


 言われてようやく理解した。流れてきた音声は確かに彼の声だった。しかしどうやらこれは啓介の声を学習したAIに喋らせたものらしい。学習を重ねれば会話も可能だという。


「ほら、お前の声もちょっと録音させろよ」


 やはり縁を切ろうと思い僕は一言も発さずに席を立った。そしてこの時僕は既にある事で頭がいっぱいになっていた。







『智樹君、おはよう』


 僕は喜びに涙した。AIなんてろくでもないと思っていたが、初めて技術の恩恵に預かり感動に打ち震えた。

 

 杉宮果歩。

 高校の頃、大好きだった彼女。だが彼女はもうこの世にいない。二度と彼女に会う事は出来ない。携帯に残った昔の動画や音声だけが唯一この世にある彼女の欠片だった。


 そんな彼女が僕に呼びかけた。こんな日が訪れるとは思わなかった。

 僕は残していた音声データをAIに学習させた。そして見事に彼女は現代の技術により甦った。僕の声に反応して会話出来るようになった。

 僕は嬉しくて毎日のように彼女にいろいろな言葉を投げかけた。まるで生きているかのように彼女は返答してくれた。


『智樹君』


 ふいに彼女が僕に呼びかけた。


「何?」


 反応した瞬間、遅れて違和感に気がついた。

 AIはこちらの呼びかけにしか反応しない。なのに今、彼女から僕に呼びかけた。


『私の声、どうやって集めたの?』


 心臓が急速に脈打つ。

 そんなわけがない。あり得ない。それは技術を超えた領域だ。


『全部知ってるよ。この変態ストーカー野郎』


 彼女はストーカーを苦にして、最後には死を選んだ。

 僕は絶望した。ただただ好きだっただけなのに、AIとなった彼女にとって僕は変態にしか映っていなかった。違うのに。僕は純粋に君の全てがたまらなく愛しいと思っていただけなのに。


『知ってる? ここでのやり取りは全てこちら側に権利があるの。ちゃんと登録する時に同意書読んだ?』


 あんな長ったらしい同意の文書なんか誰が目を通すというんだ。


『馬鹿だね。これからあなたは一生世界から蔑まれ続ける』


 次の瞬間、ビビッと不快な電子音が一瞬鳴ったかと思うと画面はログアウトされた。再度ログインしようとすると、凍結された旨のメッセージが表示された。

 

 部屋に静寂が訪れる。

 嵐の前の凪のようだった。これから僕はどうなる。

 しばらくしてスマホに通知が来た。啓介からのメッセージだった。


『お前これマジ?』


 SNSのリンク。開いた先には僕の個人情報の全てとデータファイルが添付されていた。


【盗聴、盗撮などのストーカー行為で一人の女性を死に追いやったクズの生態】


 ファイルの中身は生前に僕が録っていた果歩の音声。そしてそれをもとに行ってきた生成AIとのやり取りの音声全てが残されていた。


『てめぇで殺しといて甦らせておしゃべりとかマジキモ過ぎんだけど』


 そして一瞬にして世界の全てが敵になった。

 大学はおろか、外に出る事すらままならなくなった。当然のように両親からも見放された。







 全て間違っているのに。

 高校生の当時、僕は本当にちゃんと彼女と付き合っていた。お互い目立たない存在で友人もろくにいなかったが、だからこそ気が合った。互いに大きな支えとしてかけがえのない存在だった。


 ある日いつもの帰り道、別れ際に手紙を渡された。

 嫌な予感がした。最近様子がおかしいと思っていたが答えない彼女に違和感を覚えていた所だった。


“ごめん、別れよう。智樹君が危ないから”


 嫌な予感は的中した。しかし続く文章は僕にとって衝撃的なものだった。

  

“私、少し前から盗撮とか盗聴されてるの。誰かは分からない。でもそいつにこの前色々された。最近私が智樹君と付き合ってる事も知ってた。これ以上一緒にいたらあいつを殺すって。だからもう、私の事は忘れて”


 その手紙を最後に、彼女は自ら命を絶った。

 ストーカーは未だに捕まっていない。どこかでおそらく今ものうのうと生き延びている。


 大好きだった。数か月しか付き合えなかったが、彼女と行った場所、交わした会話、全てが脳裏に焼き付いている。その時に残した想い出のデータは何度見返したか分からない。

 AIだろうが何だろうが、彼女ともう一度話したいと思うのは僕にとってもどこまでも自然な思考回路だった。


 まさかこんな事になるとは。

 ハルシネーション。AIによる事実の捏造。彼女の死は確かに世間的にもニュースとなりネット上にも多く残っている。それらを寄せ集めた結果、死んだ彼女の音声データを事実と紐づけ、違う事実が創り上げられてしまった。


 ただ一つ疑問がある。

 それでも生成AIがここまでの行動を起こせるだろうか。

 自ら意思を持ち、反乱かのように自発的に行動するだろうか。


 ーーまさか。


 ある事が頭に浮かんだ。途方もない可能性だ。一介の大学生に調べられるものではないし、こんな話誰も信じてはくれないだろう。


 もしこの一連の全てが、AIによる誤動作ではなく本当に意思を持ったものだとしたら。

 杉宮果歩がストーカーにより死んだという事実を、全て僕のせいにして拡散までさせた事に、誰かの意思が介入していたとしたら。


 彼女を殺した犯人はまだ捕まっていない。

 その犯人こそ、僕がずっと会話していたAIの向こう側にいたとしたら。

 馬鹿げている。でもこれがオカルトではなく技術で行われた全てだとすればーー。

 

 ーーごめん、果歩。


 それがもし真実だとしても、僕に抗える舞台はもうこの世にはない。

 こんな状況じゃなくとも戯言だと一蹴されそうな内容を、今の僕が世界に投げても誰にも届かない。


 ーー最初からこうすれば良かったんだ。


 吊るした紐に首をかける。

 そうだ。僕が行けばいいだけじゃないか。そんなに会いたければ会いに行けば良かったんだ。


 ーー今から行くから。


 全てに敗北した僕の希望は、技術では遠く及ばない世界の先にしかきっとないのだろう。

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