ドーパミン
れいとうきりみ/凪唯
それを使ってしまったら、終わり。
この世界には、娯楽が少ない。そしてその娯楽の多くは、夜に詰まっている。酒、ギャンブル、女…。単純な快楽を求めて、今日も夜の街を這う人たち。
「だからどう考えても俺は悪くないだろってえ!」
「まあまあ…。お前飲みすぎだぞ?」
「うるせー!生おかわり!」
とある深夜の居酒屋。仕事で疲れた男の掠れた笑い声や叫び声が、油でべとべとした店内に響く。
「にしてもお前の上司外れだよな。運ゲー負けてる」
「ほんとそれ。理不尽の具現化。やってらんねえよほんと」
生一つです、若いバイトの女性がお盆にのせた並々のビールを机に置く。男はそれに手をかけ、一気にぐっと流し込む。
「おいおいそろそろやめとけよ?」
酔いが回っている男の耳には、友人の忠告は届かない。
「ア゙ ァ゙ ァ゙ ーッ」
酔いつぶれた男を見かねて、友人は介抱しつつ会計を済ませ、ついに店外に出る。
「ったく飲みすぎだよ。いくらむしゃくしゃしたからって少しは抑えろ」
よ。
男は、突如友人の前から姿を消した。
男は、酔った果てに来たことのない裏路地へたどり着いた。
「んあ?どこだ?ここ」
治安の悪そうな細い道。換気扇の生ぬるい風が体にあたる。もはや裏路地とも呼べないような、そんな細道に、一つだけ扉があった。あまりの異質さに、体が直感的に引き返すように命令するが、酔いのせいで足がもつれて動けない。その場でもじもじしていると、扉が開いた。
「誰?うちの客?」
チャラそうな、ギャル高校生がそのまま大人になったような、そんな女がでてきた。
「いや、あの、ちょっと道に迷ってしまっただけで…」
「嘘。ここはそんな簡単には来れないところだよ。どうせ‘‘あれ‘‘が欲しいんだろ?」
あれ?あれとはなんだ?
「まあ、入りなよ」
流されるままに、扉をくぐる。
「ここは何でもそろってるよ。ちょっとばかし高いけどね、でも今回は特別。無料で何でも一つ上げるよ」
ここに来るのが本当に初めてで、「あれ」が何かすら知らない。呂律の回らない舌で精一杯説明をすると、女は理解してくれたようで初回の客の接客をしてくれた。
「で、その、あれとは…」
「あー。それ、聞いちゃう?」
SNS。
暗く狭い空間に響く。男は身構える。
「駄目ですよ!そんな違法なモノ」
居酒屋であれだけ威勢の良かった男は、今は震え声で冷や汗を垂れ流している。
「まあまあ。バレなきゃ犯罪じゃないんだよ。さっきも言った通り。ここはなかなかたどり着けない。あんたが来たのも奇跡なんだよ。つまり絶対ばれないってこと。どう?試しに一つ」
絶対にばれない。そう心に言い聞かせ、
「じ、じゃあ、ユ、ユーチューブを一つ」
「お、通だね。はい」
真っ黒い携帯に、赤いロゴマークのアプリが入っている。
「いい?まずアイコンは合法なものに変えること。そしてそれは1か月しか使えないから、また見たくなったらここにきて」
はい、はいと返事をする。正直、あまりの怖さに注意なんて一切聞いていなかった。
「…じゃあ、またね」
次の瞬間、男は繁華街の真ん中に突っ立ていた。
それから2日間、男は恐怖の影響で携帯を触っていなかった。いつも通り出勤し、いつも通り理不尽に怒られ、いつも通り疲れて帰ってくる。最初こそよかったものの、直にこの疲れをとる快楽が欲しくなっていく。
目の前に、携帯がある。
男はそっと携帯に手を伸ばす。指紋認証でパスワードロックを解除し、まだ赤いままのアプリを開く。数秒のロードの先には、縦型の動画が写る。
何も考えず、動画を見続ける。40秒ほどして、動画は終わってしまう。上下にスワイプすると、また新たな動画が流れてくる。この動画を投稿している人々は皆違法だ。もちろんそれを見ている自分も。しかし、何もしないで得られる単純な快楽は、なかなかやめられない。気が付けば、男は受験ぶりの夜更かしをしてしまった。
「お前、なんか眠そうだな」
「ああ…ちょっとど…くしょにはまって」
「ほーん。めずらっしい本なんて読む人じゃないのに」
「馬鹿にされてる?」
はははと乾いた笑い声。男は、夜に見る動画を楽しみにしていた。そのおかげで眠気にも何とか太刀打ちできた。
友人からのに身の誘いも断り、足軽に帰路に就く。家に帰ると、夕飯も風呂も着替えもそっちのけ。アプリを開いて動画に熱中した。
一か月はあっという間だった。とんでもなく早く過ぎてしまった。男は会社を早退し、一月前に行った裏路地の店を探した。探しに探して、夜もふけった頃、ようやく見つけることができた。
「お。久しぶりおにーさん。どうだった…かは、聞かなくてもわかる」
「追加でもう一月…いや二月分!」
「いいねえ順調にはまってるよ。じゃあ2万ね。」
「え?でもこないだは無料で、」
やれやれと呆れた顔で女は話す。
「あれはお試し。特別にって、出血大サービスだったんだから」
男の笑顔は、少し曇った。
「で?買うの?」
「…買います」
「毎度ありぃ」
言うても2万。一月1万だ。趣味をしてるもんだと考えれば安い。男には特にこれといった趣味がないため、この言い訳は非常に都合のいいものだった。
「じゃ。これで2か月使えるから」
男の心は上の空。自分のいる場所が変わったのにもかまわず、アプリを起動していた。
その後も、使用期限が迫っては店に行き延長してもらった。代金は3万、5万、10万と膨れ上がった。それに伴って、男の生活はひもじいものになった。もうもはや夜の街に繰り出すことはない。月一回の楽しみだったすき焼きの日もなくなり、典型的なもやし生活になった。
でも、やめられない。おもしろい。自分の人生はここにある。
「で、貯金を切り崩していると」
「うん。子供のころから物欲がなかったから、お年玉とかお小遣いとか全部貯金してある。だからお金に困ることはないかな」
今では店員の女とも話すほど常連になった。実際生活はひもじくなったが、お金がそこを尽きることはなかった。
「そういやあんた、仕事はどうなの?」
「あんま楽しくないよ。やっても達成感がないっていうか…」
「そっか。じゃあ今は動画が生きがいか」
「そうだね」
男はアップデートが終わった携帯を受けとろうとする。が、女は差し出した手を引っ込めた。
「ほんとは渡したいところだけど。今日は渡せないな」
「え?どうして」
「嫌だって、あんたさ、」
仕事以外はすべて動画。もちろん休日も。仕事の時でさえも動画のことを考えて、まったく集中できていない。
「快楽の奴隷とは、まさにこのことだね」
「え…?」
男は、気が付くと自分のアパートのリビングに突っ立っていた。
次の日、男は喪失感と焦燥感にかられた。動画がない、見れない。単純な快楽が、ない。男は店を探したが、ついに見つけることはできなかった。
あきらめきれない。
もうしばらくすると、とうとう禁断症状が出始めた。動画を見ないと満足しない、安心できない、楽しくない。
心の穴を埋めるかのように、また夜の街に繰り出しもしたが、何においても面白みを感じない。あれだけうまかった酒も、今は苦く喉の焼ける毒でしかない。
「動画…」
まるでゾンビのごとく町を徘徊する。段差で躓き倒れこむ。その時。
「おにーさん久しぶり。ずいぶんと酷い変わりようだね」
あの店の女が男の前でしゃがんで声をかけた。あの時の、ちゃらいままだ。
「動画を…動画を見せて…」
「こんなに我慢したんだもんね。はい。ご褒美」
携帯を渡された男は、まるでそうでもしないと死んでしまうかのように、画面に食らいついた。女はその場を立ち去ったが、男は気づかない。異形の目で見る周囲。直に女が戻ってきた。口を開く。
「おまわりさん、こいつでーす」
ドーパミン れいとうきりみ/凪唯 @Hiyori-Haruka
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