第二十四章 悪性、救世主 (リン)


 私は仕方なく、カイくんを背負いつつも、駅のホームへと降り立つ。彼の身体はぐったりとして、抜け殻のようだったが、寝息が背中にかかり、どこか安心する。こんな風に思ってしまうのも、彼に対しての密かな愛情かもしれない。

 今、私は東京の地下に初めて来た。構造はもちろん、今どこにいるのかでさえわからない。彼がいつ起きてくれるかの問題だとは思うが、とりあえずは歩を進めることにした。とは言えど、人が溢れかえっていて思うように歩けそうにない。よく見ると、人々は携帯ばかりを見て歩き、背中が丸まって俯き、顔が暗いように思える。……なんという世界に私は入り込んでしまったのだろうか。不貞腐れの成れの果て……のような、あまりにも目に入れたくない社会縮図が見える。若者は国を見捨て、老人は年下に物言って、お年の良い大人までもが、誰の関係とも陰で盛大に愚痴るみたいに……。黒い性分を煮詰めたような薄汚さが目に入ってくる。

 それでも、地元の学校のようなクラスカーストと似たようなものだったが……この空間に溢れんばかりの澱む空気が、より一層蝕んでいったせいで、私の気分はすこぶる悪い(この一瞬だけでも)。

「ねぇ……どうすればいい? 人が、多くて、目眩が、しそう、なんだけ、ど……」

 途切れ途切れになるのも、無理はない。が、彼は起きなかった。仕方ないのか、この状況は……。不意に、頭がクラッときて足元がふらつく。憎たらしい沢山の背中にぶつかっても、誰も声は掛けてくれない。なんとか近くにあったベンチに座り込むも、今度は頭が痛くなって、血管がはち切れそうになる。手で抑え込むのでやっとだ。

「あぁ……やばいかも」

 次第に視界がぼやけて、まだ起きないカイくんの方を見る。せめてでも、彼に助けを求めたかったが、あと少しのところで地面に倒れ込み、私の視界は暗転していった――。


「……おい、大丈夫か? しっかりしろ。地べたに寝っ転がるなよ」

 気だるげな声の主が、私の体を揺さぶる。そして、目を開けると、顔見知りでもない人物がこちらを覗いていた。

「あなた……誰なの?」

 私が訊こうとしても、彼は一切話を相手にしてくれなかった。

「……そんなことより、はよ立て。俺が不審がられる」

 もうすでに不審です……と言い掛けたところで、彼はようやく、ベンチに倒れるカイくんに気づいたようだ。

「お、おい待て……! コイツ、どこから拾ってきた? 何故、アンタが……?」

「何のことですか?」

 私があやふやに訊くと、彼は驚きを隠さないまま、話を明かした。

「カイは……俺の、知り合いだ。ちっさい頃に世話になって……札幌に出て行ったきり、連絡も取れなくなった。だから、あれからここでずっと待ってたが、まさか……アンタは、カイの?」

 驚いた。微かに周りの空気が澄み始め、希望に包まれるような気がして、胸が妙に高鳴る。

「えぇ……私は元々、地上の者です。ある日、私が地下に落ちて……彼が助けてくれたんです。それで、必死に地上に這い上がって……一緒に暮らそうとしたんです。が、彼と私は……実験体で不死身なんだと知りました。それで、今ここに……」

 事情を聞いた後の彼は何度も頷いた。彼もおそらく承知していることだろう。……もしかしたら、カイくんが言っていた大切な人は、目の前に立つ彼なのではないか? 私の疑問は、次第に確信へと移り変わった。

「あぁ、えっとだな……とりあえず案内する。ついてこい」

 彼はカイを背中に乗せ、私の前を歩いていった。私も続くように、確実な一歩を踏み出す――。


「そういえば……名前、なんだ?」

 彼が振り向いて訊く姿を、私は真っ直ぐに見ていた。彼の問いに続く。

「リンです。十六でカイくんと同い年」

「あ、そうなの? 学校は行ってるのか?」

「えぇ。カイくんと一緒に」

 彼はまたもや、耳を疑うような表情をする。無理はないのかもしれない。地下の住人が地上に出て学校に行けるはずもないから……。だが、ユイカと出会った時に覆った。そのくらい、彼女の家系は凄いのだ。

「あぁ、まぁいいんだよ、今の話は……。個人的に聞いた話だ」

 彼は発言を取り消すように、話を変えようと試みたようで、私は疑問だった。一体、何を思っているか……彼はカイくんとどういう関係なのだろう? 少なくとも、親しかったことは前提として、遠く離れた友達ならば、何故カイくんは今思い出したのだろうか……。とりあえず、私は彼に問いかけてみることにした。

「貴方は、カイくんとどういった関係なのです?」

 すると、彼はいきなりビタッと立ち止まり、体を捻るように振り向いた。なんだか……目がこちらを向いておらず、彼が答えにくそうな感じが見て取れる。

「あぁ……そうか。俺のこと、忘れちまったのかな、ハハハ……。まぁ、もう十数年も離れていたから、当然か」

「……あ、言いそびれてすみませんが、カイくんは貴方を探しに、私も同行して旅に出たんです。大切な人……とか、彼は言ってましたけど」

 またもや、彼は目を見開いた。そして、次第に目頭が熱くなっていったようで、手でを目を覆う。

「……カイ、覚えてくれていたのか。俺は……俺は嬉しいよ。てっきり忘れてんじゃないかって、通信送った後はスゲー落ち込んでたが……なんか、ありがとうな」

 それから彼はそれっきり、感動に浸っていたようで、もう私のことを訊かなかった。だけど、私はただひたすらに、カイくんの眠る姿を見た。どこか、嬉しそうな寝顔だった。


 彼の住んでいる上層区域はとても穏やかな雰囲気だった。駅のある中層とは違って、澄んだ静かな空気が漂う感じがする。カイが住んでいたアパートをふと思い出した。

「さぁ、ここが俺の住んでいるアパートだ。見ての通り、おんぼろだが……とりあえず入ってくれ」

 彼が示す目の前の建物は錆びつき、汚れた赤色が目立っていた。それでも、私に抵抗は不思議となかった。

 中は散らかり放題で、大量のゴミ袋が目につく。まぁ、一人暮らしはこんな雑なものだろうとは思う。

 彼はカイくんをベットに寝かせる。どういう訳か、カイくんはあれっきり起きた気配がない。呼吸は安定しているので、そこまでではないだろうけど……疲れたから、だと思う他ない。

「おい、おーきーろ! いつまで目ぇ閉じてんだ? 俺だぞ、探してる奴は」

 彼が体を揺さぶると同時に、カイくんが起きた。いきなり、薄目を見開いたと思えば、カイくんは彼に飛びついた。

「ダン!」

 カイくんは寝起きにも関わらず、涙が溢れて、彼の腹に顔を埋める。私はここにきて初めて、彼の名前がダンだと知った。そのダンさんも、より強くカイくんの身体を抱き寄せた。

「よかった……もう一度会えて。てっきり、死んだのかと思ったぞ。あんま心配させるな……」

「すみません……。ユナが死んだっきり、気持ちが切り替えられなくて……」

 すると、ダンさんが驚いたように、カイくんの両肩を掴んだ。

「ユナが……死んだ?」

 カイくんは顔を上げた。と思えば、察したのかすぐ俯いて話を続けた。

「……私が十五の時に、ユナと地上に行こうとしたんですが……何者かに撃たれました。私は、どうすることも……」

 ダンさんはベットに倒れて、仰向けで顔を手で覆う。必死に溢れ出る感情を堪えようとするも、細々とした声を出して泣いた。彼もきっと、彼女と知り合いなのだろう。

 しばらく、沈黙が続いた。長い長い、青に包まれて、時間が溶けていったように思えた。すると、カイくんが突然立ち上がって、口を開く。

「落ち着いてください、ダン。話はまだあります」

 ダンさんは寝たまま、カイくんの方に体を向けた。そして、カイくんが力強く続く。

「私は……もちろん落ち込みました。ですけど、リンさんが助けてくれました。どん底から手を差し伸べてくれて、ユナが見たかった地上に出ました。素晴らしいもので……感激しましたよ。

 ですが、今更ながら、実験プログラムのことを知りました。リンさんも実はそんなんです。私達が二十歳で死ななければいけないと分かった今、旅に出たんです」

 とても、優しい声だった。ダンさんが私の方を向いて、静かに頭を下げた。私も、同じように返すと、カイくんがまたも続く。

「先ほど、嬉しいことがありました。信じてくれるかは分かりませんが……頭の中にユナが現れて、私に会いにきたと言っているんです」

 あぁ、そうか。会いにいけたんだな。良かったじゃないか――。私は心の中から感激した。ダンさんは信じられないような感じだったが、次第に、何度も頷いた。

「会いに、きてくれたんだな。そぞろ神にでも転生したのかな、ハハッ……。ずいぶんと愉快な奴なんだろうな――」

「今も、笑ってますよ。体はなくとも、私は元気です、だそうです」

 彼らは互いに笑い合った。私も、少し微笑んでいた。彼女の力はとてつもなく影響を与えることを、今になって思い知らされた。私から乗り移った彼女の魂は、未だに、微笑んでいたいようで……嬉しくもあった。


 ――恋人の 亡き思い人 現れて 道祖神と化し 未だ微笑む。


 この旅は、孤独ではないことを強く噛み締めた私であった――。

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2025年12月13日 00:00 毎週 土曜日 00:00

エンバーズ・スティルバーニング 松沢 祐希 @Matsuyuki-y8t

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