第四部
第二十三章 夜行、再会 (カイ)
電車の車窓から見える景色は、やっぱり変わり映えのしないものだった。だけど、不思議とその蛍光灯が流れる様子に見惚れている私は、どうにも胸騒ぎを抑えられずにいた。隣の窓側の席で、リンさんは眠ってしまっている。あの日の雪景色の中で眠る美女みたいに、私の目には映るようで……。私はそっと、体を窓側に寄せた。
私の予想とは裏腹に、この車両は閑散としていて、少し驚く。周りはちらちらと私達のような若者がいるくらいで、たぶん、前も後ろも車両はガラガラだ。私達のような動機で東京へ行く人は数少ないことが、ただ今、分かったような気がして……より一層、私の中の孤独感をかき立てた。
――私達はどこへ向かっているのだというのか。同じ道を行く者は私達の他いないのだ。ふと、今更ながらの問いが浮かぶ。この先、私達は死ななくてはならない運命に駆られるのだとしたら、私はますます、
電車に揺られる暖かい静寂の中、眠りそうになるのを必死に堪えて、ただひたすら、考えるような時間にしたかった。が、私は痺れを切らして、瞼を閉じる。思うままに眠ることは、この先、あまりないのかもしれないのだと、逃げるような有様で。
『本日は地下街市営鉄道へのご利用、ありがとうございます。只今の時刻は二十三時を下回っております。二十一時三十四分発、
アナウンスが流れると、私は目を覚まして、手元の腕時計を見る。今朝時間を合わせたはずが、針は二十二時五十二分を示していた。また、カチカチと止まる秒針の音が聞こえそうで、あの時のように私は怯えた。
隣はまだ寝ている。もしこのまま、彼女が永遠に眠りについてしまったら……と不安定な心情からか、私は得体の知れない恐怖と孤独感に包まれる。それのせいなのか、空調が効いているはずの車内で妙に肌寒く感じる。だが、眠気は一向に治らず、またもや目を閉じてしまった。
――聞こえますかー? あれ、返事がないな。おーい――。
あぁ、幻聴が聞こえる。しかし、夢のような輪郭をした声だ。この声をどこかで聞いたことがあるような気がする。初めてではないと悟るが、どうにも思い出せない……。
――やっと会えたね、カイ。ずっと、あなたを探してた。……覚えてる?
「……誰?」思わず、呟いた。
――ユナだよ。十五の時に死んだ、三毛猫の……友人、かな――。
私は飛び起きた。息が荒くなって、涙が溢れ出た。……夢だったのか? もし夢なら、もう二度と……。突然の出来事に、頭が追いつかない。私は訳のわからないやるせなさに襲われ、静まり返った車内を見回す。もちろん、
「ユナ……え? 今のは、幻?」
もう自分にはウンザリだ。こんな酷な夢を見させて、なんになるという? ……やり場のない気持ちに、私はもどかしくなる。そして、またもや後悔の涙が一筋流れて、苦しくなった。息がまともにできなくて、頭がクラクラとして……倒れた。けれど、まだしつこく生きている。そんな私を責めるしかなかった。
――私はここにいる! カイの頭の中にいるのよ。泣かないで――。
夢……ではなかった。見えないだけなのか? 私のそばにいるのか……?
――大丈夫よ。あなたは一人じゃない。今、私は頭の中にいるの。もう体はないけど……意識はここにある。だから、落ち着いて――。
どうにも、信じられない。私の中に死んだ者の意識があるというのか……。誰に対してでもなく、私はあの人と思われる意識に話してみる。
「ユナなのですか? 何故、頭の中に……」
――いちいち喋らなくても、こっちは聞こえてる。頭の思考が読めるからね……。あ、今変なこと考えてたでしょ! 全部お見通しなんだよ――。
言葉通り、彼女は私の全てがわかるようで……恥ずかしかった。冷や汗をかいた私は、コートを脱ぎながら、頭の中で会話をしてみる。
『お久しぶりです。なんだか、変な気がしますけど……貴女とは、これからこの方法で伝えるのですか?』
――そうだよ、できるじゃん。あ、伝え忘れてたけど……私、ここに来るまでリンちゃんの頭の中にいたんだ、ずっと。だから……彼女を惑わせちゃったのかも。ごめん――。
『そういう経緯で……。リンさんは何か貴女に伝えていましたか?』
――えっと……。あんまり話してないんだ、実は。リンちゃんの頭の中には、私だけではなく、加えて三人いたの。体調が悪くなるのも、無理はないね――。
『そうだったのですね。……私は気付けませんでした。彼女の症状も、孤独な気持ちにも……。だから、私は寄り添ってあげたかったのですが、これがまた驚きました。彼女が自ら、立ち上がっていったのです。もう、尊敬しかありませんよ。彼女の性格、姿勢、力強さに改めて惹かれました。……私は、変わろうとしても、何も変わらなかったし、代償があまりにも辛くて、立ち直れませんし、ダメ獣人のままです。どうすれば……』
――過小評価よ。貴方は、ちゃんとリンちゃんに寄り添えてる。……私、ずっと見てたのよ。優しいところも、何気に救っているところも……彼女は見えない魅力を見出している。だから、好きなんだよ? イケメンだし、丁寧だし、理由はちゃんとある。あなたの言うダメ獣人なんかじゃ、とてもない。……私も、好き。あなたがみんな好きなの――。
私はまたもや顔が熱っているようで、恥ずかしい。こんなに褒められると、鼓動が高鳴って、嬉しい意味で苦しくて、幸せな気分に満ちる。
『嬉しいです。何というか……褒められると、照れますね』
――いいじゃん、その気持ちが自分を良くしていくんだよ。褒められて伸びるタイプかな? なんか、可愛い――。
『からかってますよ、それは……。可愛いだなんて、思ったことなんかありませんからね』
――そういうところじゃないの? ムスッてしてるの、無意識にそうなっちゃってる。昔からそうだった、あなたは――。
頭の中で死んだ彼女が喋っている……なんて、夢のようなことがあるだろうか。しかも、リンさんと対峙していたなんて……奇跡だ。だが、どうやって私達と話せているのだろうか? 非科学的な現象がこの身に起こると、どうにも理解と説明できない。それでも、私は嬉しかった。このちっぽけな人生の中で、ずっと待ち望んでいたことが叶ったのだ。
とりあえず、私は窓を眺めた。あれからずっと真っ暗で、長い長いトンネルを突き進んでいるようだ。暗闇をいつまでも進んでいく車両に乗っている……と思うと、心強かった。前方を照らすライトが、希望の光……もしくは願いだとすると、私達が辿る旅路がそこにあるような気がしてくる。今、横で眠る彼女も、頭の中に現れたあの人も――これからの旅の味方だ。私はますます高揚感に満ちていった。
やがて、私も寝ることにして、待つことにした。この幸せな時間がずっと続いていくようで、安らかに眠りにつくことができた。きっと、この電車が東京に着く頃には……彼女も起きていることだろうけど、起こしてもらえば平気だ、と私には変な自信があった。今はぐっすりと眠って、明日に備えようと言い聞かせながらも、心地よい体温に包まれながら――。
「起きろー。朝だぞー……って、全然起きないじゃん。もう……背負ってくか」
私は眠っていた。だが、リンさんの声が聞こえた。どうにも体が起きなくて、目もまともに開けられない。
――ほら、起きて。目覚める時間だよ。あなたが起きなきゃどうするの……。おぶられてるの、恥ずかしくないの? ……返事がないな。まぁ、仕方ないか、あんだけ無理させちゃったし。リンちゃん、あとはよろしく――。
私はあの時のようにおぶられて、彼女の背中に揺られた。赤子が母の腕の中で眠るように、私も甘えてもいいだろうか……だなんて、恥ずかしいに決まっている。でも、案外悪くない。私より広い背中に顔を埋めて、また眠りにつこうとする。それだけでも、私は安心できる。……まるで子供みたいじゃないか。そう思いつつも、暖かな時間に身を預けるのだった――。
――あら、寝ちゃった? なんか昔もそういうことあった気がするなぁ。懐かしい。まぁ、今もこうやってあなたの側に居られることが、やっぱり嬉しいんだ。色々、変わったよね。背丈とか、顔とか、声質が逞しくなってる。でも、本質的な性格はいい意味で変わらないね。そういう、子供らしいところ――。
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