07 都落ち

 しかし。

 平家が火打城を攻めている間にも、義仲は着々と準備を進めていた――侵略の準備を。

 火打城のあと、義仲は引きしぼられた弓の矢のように、進み出す。


 般若野はんにゃの

 倶利伽羅峠くりからとうげ

 志保山しおやま

 篠原しのはら

 義仲は微塵みじんも容赦なく、平家を打ちえた。

 いや、義仲の方がむしろ少数の軍勢だったので、必死だったのかもしれない。

 いずれにしろ、平家は負けた。

 負けに負け。

 義仲はついに叡山に達した。

 その時――平家は、都を失うかとささやかれるようになった。



「落ちよう」


 総領・宗盛のそのひとことで、平家は都から落ちることになった。

 経正もまた、都落ちすることになり、その時、彼は真っ先に――青山せいざんをその手にかかえた。


「出てくる」


 何ごともなく、ただその辺を散策するかのような言いぐさだった。

 しかし弟の敦盛をはじめとして、皆、倉皇そうこうとしており、経正のその動向に着目する者はいなかった。

 経正は慎重に騎行し、ついに目的の場所へと着いた。

 仁和寺である。



「もうし、もうし」


 経正が遠慮がちに門をたたくと、中から行慶が出てきた。


「おお」


 行慶が小師小僧、経正が稚児だった時からの仲である。

 行慶は一も二もなく門内に経正を入れた。


「どうした」


 もしかして、仁和寺に庇護をお願いしたいのか。

 行慶は腕をまくりながら言った。

 当時、仁和寺は僧兵をかかえており、門跡は覚性から守覚という法親王になっていたが、その守覚は後白河法皇の皇子であり、以仁王の同母兄である。


「何の、義仲ずれが」


 以仁王の子――北陸宮を擁する義仲に対して、自分はその北陸宮の伯父であるという気位を示していた。

 実際、後白河法皇が義仲と対決した法住寺合戦では、僧兵を率いて後白河法皇の下に駆けつけたほどの気概を持つ。


「だから、かくまって欲しいのか」


 鼻息荒く行慶が聞くと、ちがうと言って、経正はかかえた青山を示した。


「もはや平家は都におられぬ。ついては、この名器を返さんと来た」



 守覚は寺の中庭に経正を呼んだ。

 この時、経正はよろいかぶとを身に着けていたが、守覚が「そのままでいい」とのことで、経正はすぐに中庭に参じた。

 守覚は御簾みすをあげ、「青山を返すのか」と問うた。


「こたび、都より落ちることになりました。落ちる途上や落ちた先で、この青山を保てるかどうかわかりませぬ。ならばと思い、返すことにいたしました」


 守覚がまた平家が都に復する日もあろうと声をかけると、経正はそうなりましたら改めて拝借しますと答えた。

 返す言葉を失う守覚の前に、経正は「ご無礼を」と言いながら、豪奢な袋に包まれた青山を置いた。


「思えば先代門跡(覚性のこと)の御意をたまわり、非才の身ながら、琵琶の道を歩ませていただきました。それも、稽古の頃からこの青山を奏でさせていただき、図らずも、名器にふさわしい名手と、先代からのお言葉をたまわり……」


 経正はそこで、こらえきれず涙を流した。

 琵琶を善くする者は何人もいるだろう。

 だが、「これは」と見込んで、最初から名器を触らせてくれることなど、滅多に、否、絶無ではないか。

 それだけの、覚性の経正への気持ちが感じられて、経正はそれ以上、話すことができなくなった。

 これには守覚も感極まり、拒むはできぬと、豪奢な包みごと青山を手に取り、一首詠んだ。


 ――あかずして わかるる君が 名残をば のちの形見に つつみてぞおく


「この包みは開けずに置こう。先代門跡・覚性法親王への思いに名残を抱く経正卿の形見として、大切に包んでおこう」


 守覚は、そういう意味で歌った。

 さらに、青山のとして、覚性が愛用していた硯を渡した。

 それを受け経正は、


 ――くれ竹の かけひの水は かはれども なほすみあかぬ みやのうちかな


 と返歌した。


「御所の呉竹の筧の水のように、この世は流れて変わってしまいました。けれども今、この仁和寺の中は、なおも住み飽きません」


 という意味である。

 歌い切ると、経正は未練を断ち切るように立ち上がり、守覚に別れを告げた。

 その時、仁和寺の稚児や坊官、侍僧にいたるまで経正の周りにやって来て、袖を引き、涙を流した。

 この様子を「平家物語」では、


「経正の袂にすがり、袖をひかへて、名残を惜しみ、涙をながさぬはなかりけり」


 と伝えている。

 彼らを振り切り、経正は門外へ出て、馬に乗る。

 仁和寺の一同は見送るしかなかったが、行慶だけはちがった。

 行慶は桂川のあたりまで経正について来た。

 しかし、その桂川を目にして、もうこれ以上はと経正に目顔で言われ、一首詠んだ。


 ――あはれなり 老木若木おいきわかきも 山ざくら おくれさきだち 花はのこらじ


「山桜は老いも若きも哀れ。咲くのが遅くとも、花は残らない。あなたの平家もかようなものではないか」


 という意味である。

 経正、これに答えて一首。


 ――旅ごろも 夜な夜な袖を かたしきて 思へばわれは とほくゆきなん


「旅装にて、毎夜、袖を敷いてひとりで寝ることになるだろう。そういう夜を過ごして、私は遠くへと行ってしまうのだろう」


 という意味で、経正は平家の運命を哀れんでくれた行慶に、その行慶と別れて一人で旅立つ哀れを詠んだ。

 そして名残を惜しみながらも、郎党に平家の紅い旗をざっと差し上げた。

 すると遠巻きに見守っていた平家の侍たちが集まり、百騎ほどの集団になった。

 経正は馬に鞭をあて、侍たちも鞭をあて。

 先を行く安徳帝に追いつかんと駆け出した。

 さらにその先に、一ノ谷という戦場が待っていることも知らずに。

 そう、経正は一ノ谷で討たれる運命にあった。



 ……あとに残った行慶は、はらはらと涙がこぼれるのを止められなかった。

 あのような雅な公達が、慕った覚性より与えられし琵琶を返し、おそらくは死出の旅路であろう都落ちに行かねばならないのか。

 その哀れに思いをいたし、泣いた。



 のちに行慶が管絃講という、管絃を用いる弔いで経正を弔った時。

 その管絃講に経正の霊があらわれ、そして消えたという。

 そういう能楽の演目がある(「経政」)。

 それは――このような行慶と経正の清げな心のあり方と、そして覚性の鍾愛によるものなのだろう。



【了】

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鐘愛(しょうあい) ~平家物語「経正都落ち」より~ 四谷軒 @gyro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画