06 竹生(ちくぶ)


 維盛は刻々と迫る義仲の脅威を感じ、進軍を早めた。

 一方、経正率いる第二軍は遅く、その日も経正は琵琶湖の湖上、竹生島ちくぶじまを見て、全軍に停止を命じた。


「なんとうつくしいことか」


 経正は湖上の島に感銘を受け、でようと兵を止めたのだ。

 そうしてしばらく眺めていると、従者の藤原有教が、「あれは、願いをかなえる神さまがいる島、竹生島では」と言上した。


「なれば参ろう」


 経正は島へと渡った。

 島に至ると、季節はちょうど春から夏にかけてだったので、梢の緑にはまだ春の名残りがあり、藤が松にからんで咲いており、経正はそのうつくしさに感動し、夜――月が出るまで島にいた。

 ただし、経正は何も島を愛でるためだけに来たのではない。

 「願いをかなえる神さま」に戦勝を祈願するためにも来たのだ。

 当時、竹生島は神仏一体の信仰の島だったため、願いをかなえる神さま――弁才天に、経正は経を唱えた。

 居待月という、十八夜の月が出るまで、唱えつづけた。


 この時、経正はそのようなことをせずに、先行する維盛に追いつく方を優先すべきであったかもしれない。

 しかしこの時代、こうして戦勝を祈願することは、大いにいくさたすける行為であった。



 夜半よわに至り、経正は弁才天に仕える僧侶から、琵琶を差し出された。


「経正卿の琵琶を耳にすれば、弁才天さまもさぞお喜びになるでしょう」


 青山せいざんは京に置いてきている。

 だからといって、経正の神技は、もはや琵琶を選ばず、秘曲とされる「上玄石上」を見事にかなでた。

 この時、経正の袖の上に白竜が見えたとされる(「平家物語」)。

 その奇瑞に経正は感極まり、一首詠んだ。


 ――千はやふる 神にいのりの かなへばや しるくも色の あらはれにける


 歌意は、祈りが通じ、その証拠に、白竜が出たと喜んだ、という歌である。

 おのれの琵琶を神にささげ、その吉兆を得た。

 これで平家の勝利は疑いないであろう。

 それに、覚性の教えは無駄ではなかった――どころか、神をも喜ばせ、捷運しょううんをたまわるほどだった。

 経正は感じ入りながら、島をあとにした。



 実際、そのあと平家は勝利している。

 それは火打城の戦いと呼ばれている。

 寿永二年(一一八三年)四月二十六日、維盛率いる追討軍は越前に入った。

 越前には、火打城という要害があり、そこに越前だけでなく加賀の豪族もこもり、反平家の狼煙のろしを上げていた。

 しかも。


「なんだ人工湖あれは」


 火打城は人工の湖に囲まれていた。

 いわゆる、ほりを周囲にめぐらせた状態になっており、にわかには落とせないように見えた。

 捕らえた敵兵に聞くと、越後から巴という「恐ろしいほどうつくしい女」があらわれ、この湖を作るよう言ったという。

 かなり大きい工事になるため豪族たちが渋っていると、巴は、連れて来た兵に命じて作らせたという。


「いざという時はわれらが来るまで、この城にこもっていろと言い、去っていった」


「女。われら。来るまで」


 義仲の軍師の巴御前ではないか、と将兵たちはうわさした。

 経正がそのような女がいたのかと驚いていると、維盛は立ち上がった。


「人の作りしものなら、人が壊せるはず」


 維盛は人工湖の弱いところを探すよう命じた。

 その弱点は、数日でわかった。

 平家が火打城を囲み、二、三日経ったある夜のこと。

 経正が湖の堤の上で琵琶をかき鳴らしていると、一艘の舟が寄せてきた。

 舟の主は、平泉寺へいせんじ長吏、斉明さいめいと名乗った。


「助けてくれ」


 斉明は内通しに来たのだ。

 経正がさっそくに斉明を維盛のいる本陣へと連れて行った。


「お手柄ですぞ、経正卿」


 斉明は、巴が注意するように言っていた、湖の堤の弱いところを知っていた。

 維盛はそれを手柄と評したのだが、経正はそれを竹生島での戦勝祈願のことだと思った。

 あの戦勝祈願と奇瑞こそが――経正の琵琶こそが、斉明をして、経正のいるところに向かわせたのだ。


「だから、これは琵琶のおかげなのだ」


 経正はそう思い、維盛はそれよりも堤を崩すしたくをと忙しく、それどころではなかった。


 かくして火打城の戦いは平家の勝利に終わった。

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