第8話 引き継ぎ帳の小言と、最強の自己防衛

2024年。


私の新たな敵は、U班の社員、ハゲた背の高い男だった。


彼は、以前のような大声で怒鳴り散らすタイプではなかった。


むしろ、会えば「お疲れ様」と、表面上は普通に振る舞う。


だが、それがかえって気持ち悪かった。


彼の攻撃は、引き継ぎ帳という名のデジタルな連絡簿を通して行われた。


私が作業した記録に対し、「設定値が高すぎます」「もっと丁寧に作業しましょう」といった、小言や嫌味を毎回書き込んでくるのだ。


(何で私がこんなことを言われなきゃいけないんだろう?)


毎回、引き継ぎ帳を見るたびに、私の腹は立腹で熱くなった。


彼は、直接言えないからこそ、文字にして陰湿な攻撃を仕掛けている。


最低な人だと思った。


五十代後半という年齢を理由に、「もうボケてきているんだろう」と内心でバカにして、自分の精神を保つしかなかった。


以前の私なら、この小言を真に受けて、必死に自分の非を探しただろう。


そして、それがさらに彼の攻撃を加速させていただろう。


だが、私はもう違った。


長年の理不尽な経験を経て、私は一つの結論に達していた。


理不尽な攻撃は、相手にしないこと。


私は、引き継ぎ帳に書かれた彼の小言を完全に無視した。


反論もせず、謝罪もせず、まるでそこに何も書かれていなかったかのように振る舞った。


無視だけでは、心は休まらない。


私はさらに、彼から物理的な距離を取るという自己防衛策を取った。


彼の班(U班)が現場にいる時間帯には、私は極力、彼と顔を合わせないようにした。


特に、U班との引き継ぎが必要な作業(材料の用意など)は、意図的にやめた。


U班が自分でやればいい。


私はもう、彼らのために「気を利かせる」優しさを提供するつもりはなかった。


そして、私が徹底したのは、定時で帰ることだった。


彼と顔を合わせる時間を減らすため、休憩にも行かずに作業を続け、仕事をパッと終わらせて定時になった瞬間に現場を離れた。


夜勤手当や交代手当は魅力的だったが、それよりも自分の精神の安寧が優先だった。


お金と心臓、どちらが大切かと言われれば、間違いなく後者だ。


彼と会いたくないという一心で、私は定時退社という名の防御壁を築き上げた。


なぜ、みんなこんなに最低な人ばかりなのだろうか。


この工場は、私のような真面目で優しい人間を、試すための場所なのだろうか。


2025年10月。


ハゲた背の高い男は、製造工程の改善のためという名目で、私のいる部署から離れることになった。


現場にはいるが、作業はしないことになったので、もう引き継ぎ帳で小言を言われることがなくなった。


私は心底ホッとした。


そして、私も現場の作業を離れて普通勤務になった。


普通勤務になると、夜勤手当や交代手当がなくなり、給料は減ってしまう。


だが、毎日、同じ時間に帰宅でき、決まったサイクルで生活を送れる安心感は、何物にも代えがたい。


精神的にも肉体的にも楽なのは確かだった。


後の問題は、T班にいる、相変わらず理不尽に怒鳴る男だった。


根は悪い人ではないのかもしれないが、「派遣を下に見る」あの態度だけは、どうしても許せなかった。


しかし、私が普通勤務になったことで、彼と顔を合わせる機会は激減した。


そして、私がS班に異動した後、T班に残った派遣社員が仕事を辞めたことは、彼が孤独になったという事実を物語っていた。


彼は、自分の性格を治して理不尽に怒らなければいいだけなのに。


私は、もう彼らに振り回されない。


大学時代から続いた理不尽な世界で、私はついに学んだ。


自分の心と身体を守るために必要なのは、特別なスキルでも、鋼の精神力でもない。


「自分の心を最優先にした、自己防衛スキル」を日々使い続けること。


不当な攻撃を無視し、不快な相手との接触を避ける。


そして、本当に限界が来たときには、勇気をもって「次の行動」(異動や辞職)を選択すること。


私はもう大丈夫。


理不尽な世界で、自分だけは常に、自分の最強の味方でいられるのだから。

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令和を生きるための、理不尽耐性の作り方 キサラギ カズマ @kazu4520

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