『バカに効く薬』新発売!
世捨て人
日本の未来は明るい
薬局店の経営者である三田村が二階の窓を開けると、店の前には長蛇の列ができていた。
いったい、どれくらいの人が並んでいるのだろう。目を凝らすが、果ては見えない。三百人か四百人、もしかしたら五百人を超えているかもしれない。
開店一時間前なのに、この盛況ぶりである。
その光景を見て三田村は思った。日本もまだ捨てたもんじゃねえな、と。
三田村が経営するこの店は、大手のドラッグストアではない。地域密着型の個人薬局である。
当然、客が殺到するような店ではない。
では、この大行列はいったい何なのか。
その理由は一週間前、三田村が店の前に出した看板にあった。
《『バカに効く薬』を十月十七日に販売いたします。数に限りはありませんので、安心してお越しください》
この看板はネット上でも取り上げられ、大いに盛り上がっていた。結果、この大行列になったというわけだ。
「日本人は、全然バカになってねえ」
三田村は独り言を言いながら、開店準備を進める。
最近テレビやネットで、『日本人の質が下がった』とか『日本人はバカになった』という話や書き込みをよく見聞きしていた。
だが三田村は、その見解には否定的だった。
現在五十二歳の三田村からすると、むしろ最近の日本人は頭が良くなったとさえ思っていた。きちんと自分の意見を言える人間が増えた、と。
三田村の中で、一種の使命感のようなものが芽生えていた。
本当に日本人はバカになったのか。それとも三田村が思うように賢い人間が増えたのか。
どちらが正しいのか確かめたい。
そこで三田村が取った行動がコレだった。
開店まで一分を切った。
三田村の表情は自然と明るくなっていた。
日本人はバカになったと言っている奴らに、この大行列を見せてやりたい。そして言ってやりたかった。日本の未来はこんなにも明るいんだぞ、と。
「さあ、開店だ」
三田村は、勢いよく店のシャッターを開けた。
三田村が姿を現わすと、並んでいる人たちが一斉に歓喜の声を上げた。まるで海外スターが来日した時のような熱狂。
今日の主役は自分じゃないのに……。
「俺はもう十時間も並んでるんだ! 早くバカに効く薬を売ってくれ!」
「本当に数に限りはないんでしょうね? 私の前で売り切れたら承知しないわよ!」
「もうすぐ受験だからどうしてもバカに効く薬が必要なんです! 早く飲ませてください!」
そんな声が止めどなく三田村に向かって飛んでくる。
三田村は拡声器を手に持つと、用意していた踏み台の上に立った。
並んでいる人たちの視線が、三田村に注がれる。
「皆さん、おはようございます。店主の三田村です。看板に書いてあるとおり、バカに効く薬は絶対に売り切れることはありませんから、どうぞご安心ください」
三田村が力強く言うと、みんなに安堵の笑顔が広がっていった。
そんなたくさんの笑顔を見ながら、三田村はしばし考えた。
先に真実を言おうか、それともなぜこんなことをしたのか、理由から説明しようか。
考えた結果、先に真実を話すことに決めた。
「えー、お集まりの皆さん。よく聞いてください。バカに効く薬を販売すると告知いたしましたが、実際にはそんな薬はありません」
小説等を読んでいると、『時間が止まったような』という表現を目にすることがあるが、三田村の口から真実を聞いた人たちの空間は、本当に時間が止まっているように見えた。
「ど、どういうことですか?」
先頭近くにいる、学生服を着た少年が訊いてきた。先ほど、『もうすぐ受験だから』と言っていた少年だ。
三田村はおもむろに頷くと、なぜこんなことをしたのか、その説明を始める。
「ご存じの方もおられるかもしれませんが、最近は日本人の質が下がっただとか、頭が悪くなっただとか、色々とネガティブなことを言われています。私は決してそうは思いませんでしたが、いくら私が持論を述べたところで、そういう奴らは納得しません。そこで私は、論より証拠という諺のとおり、ソレを立証することにしました。そして今日、その答えが出ました」
言い終わると、三田村は《『バカに効く薬』新発売》の看板を強く叩いた。
「この果てが見えない行列を見た時、私は安心しました。やっぱり日本人はバカになんかなっていなかったと。安心してください。皆さんは決してバカじゃありません。なぜなら、本当のバカは自分がバカだと認識していないからです。自分のことをバカだと思い、ここに並んだ皆さんは決してバカではありません。本当のバカはここに並ばなかった人間たちなのです!」
万雷の拍手!
歓喜の三田村コール!
そして号泣した人たちによる三田村の胴上げ!
全てを話したあと、そんな光景が自分を待っていると三田村は想像していた。
――現実はそうならなかった。
次々と、空き缶や石が三田村めがけて飛んできた。中には火のついた煙草を投げてくる奴らもいた。
「何をするんだっ! 危ないじゃないかっ!」
三田村が怒鳴り声を上げた時、誰かが殴ってきた。
見ると、学生服を着たあの少年だった。
「ふざけるなっ! 僕は勉強時間を削ってここに並んでたんだぞっ! 僕の貴重な時間を返せっ!」
三田村の頬に鉄拳がめり込む。
「俺はな、職場でみんなにバカだってよく言われるんだ! やっと今日、みんなからバカって言われずに済むと思ったのに! 死ねやてめえ!」
「人の心を弄んでんじゃねえぞカスが!」
「てめえが一番のバカだ! このバカが!」
怒り狂った人たちが、三田村に暴行を加え続ける。
痛みと苦しみの中、三田村は思った。
次は《『短気が治る薬』新発売!》の看板を出そうと。
『バカに効く薬』新発売! 世捨て人 @kumamoto777
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