けもののとき
マゼンタ_テキストハック
獣の刻
現代の山里に、獣の咆哮が響き渡る。イノシシ、シカ、クマ――かつては遠い存在であった野生動物たちが、もはや人里のすぐそこまで押し寄せ、畑を荒らし、家屋を脅かしていた。年々増え続ける獣害に、高齢化する猟師たちは疲弊し、対策は追いつかない。人間が自然のバランスを崩した結果、彼らの「獣性」が牙を剥いているかのようだった。
千年を超える昔、平安京の闇夜にも、血の匂いが満ちていた。蔵人頭・藤原実資の推挙で滝口武者となった藤原貞正は、高潔な身分とは裏腹に、荒々しい本能を秘めていた。寛和元年(985年)、京都粟田口。対立する越前国の豪族・三国行正を、従兄弟と共に射殺す る事件を起こす。都の雅な表層の下には、剥き出しの権力闘争と、獲物を狙う獣じみた人間の執念が蠢いていた。検非違使が追うも、貞正は野を駆ける獣のように姿をくらませたという。
さらに時は流れ、安土桃山時代から江戸初期にかけて、遠く離れた長崎の港には、別の種類の「獣」が跋扈していた。村山等安――才知と弁舌に長け、ポルトガル語を操る男は、朱印船貿易で巨万の富を築き上げた。呂宋壺の取引で資産を得、豊臣秀吉、徳川家康からも長崎代官の地位を追認される。その昇り詰める勢いは、まさに獲物を追い詰める猛獣のようであった。しかし、成功の陰には、多くの妾との不和や、血生臭い権力闘争があった。豪商・末次平蔵との対立は、長崎の内町と外町、イエズス会と托鉢修道会という、宗教と国の代理戦争の様相を呈した。そして、大坂方との通謀という嫌疑がかけられた元和5年(1619年)、等安はついに「喰われる」側 に回る。江戸で斬首され、一族もろとも処刑された。
現代の森に響く獣の鳴き声は、遠い昔、都の闇に消えた武士の執念や、長崎の地で権力争いに敗れた貿易商の断末魔の叫びと、どこかで響き合っているかのようだった。時代は変われど、人は常に何かを奪い、何かを喰らい、そして時に喰われながら生きる。その営みこそ、抗いがたい「獣の刻」なのだ。
けもののとき マゼンタ_テキストハック @mazenta
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