怪人 ザンパンマン

アオギリ ユズル

第1話

 俺が行きつけの居酒屋のカウンターでいつものように飲んでいると、この店で最近知りあった田中と名乗る男が奇妙な事を言ってきた。


「ザンパンマンって知ってるかい?」


「ん?・・・休日の朝にやってる子供向け番組だろ?」

俺は少し酔った頭で、何をこいつは日本国民全員が知っている事を改めて訊いてきたのを不思議に思った。


「違うよー。ざ・ん・ぱ・ん・マン」

田中は笑いながら手を叩いている。


「何だいそれは?初めて聞いたよ」


 田中の話では最近SNS上で、ある都市伝説が話題になっているらしい。


「とある路地裏に迷い込むと『ザンパンマン』と名乗る怪しい男に体を縛られて無理やり残飯を食わされるらしい。まぁ、残飯は食いきれる範囲の物だから食ったら解放してもらえるみたいだけど、意味が分からないし気味が悪いって話。

何人か同じ経験をした人間がいるってポストがあったけど、釣りかもしれないね」


 俺はただ、ふーんと言いながら田中の話を流して聞いていた。ネット上によくある与太話だ。


「それより、釣りで思い出したけど、この前渓流釣りに行ったら30㎝クラスのニジマスが釣れてさ・・・」


 俺はくだらない都市伝説の話を途中で遮り、先日の釣果を田中に自慢した。


 その後に俺は、行きつけのスナックでそれなりに酒を飲み、良い気分で繁華街を歩いていると尿意を感じて立ち止まった。

どこか立ち小便ができる所は無いか辺りを見回していると、人通りの無い薄暗い路地裏が見えた。

 

 路地裏を少し奥まで進み、人目に付かない暗がりで用をたす。人に見られていない所とは言え外で性器を露出させる。この解放感がたまらいのだ。

 

 そんな事を考えながら用をたしてからチャックを上げていると、何か黒い影が俺の前に回り込み「ザーン!!パーンチ!!」という声ともに腹部を殴りつけてきた。

 俺は腹部を殴られた衝撃で我慢する事もできず膝を付き激しく嘔吐した。ひとしきり嘔吐すると頭が真っ白になり、地面が近づいてくるのが見えた。


 目を覚ますと、俺は街灯にロープで両腕と首を固定されて頭の上下と左右を向くことと足をバタバタさせる以外の動きが取れない状態にされていた。

 

 周囲は完全な闇で、街灯だけが冷たい光を放っている。

 

 口には何かが詰め込まれていて、叫び声一つあげられない。喉奥からこみ上げる胃酸が混じった吐しゃ物の嫌な臭いが鼻を抜けていく。さっき殴られた腹部が痛む。


「お目覚めデスカー?」


 背後から響く野太い声に全身が凍りついた。ゆっくりと振り向くと、そこには想像を絶する光景が広がっていた。


 月明かりに照らされたのは、筋骨隆々な半裸の巨大な男で薄汚い布をマントの様に羽織っていた。体つきに対して顔はまるでボールのように膨れ上がり、全身は異様に光沢のある紫色の皮膚に覆われている。そして何より恐ろしいのは、その右手に持った金属製の漏斗だった。


「コンバンワ、ボクハ”ザンパンマン”デス」

彼は無理に作ったような高い声と片言の日本語で話しかけてきた。


 俺は突然の異様な光景に身動き一つできず固まっていた。


「キミノザンパンヲ、オ食べヨ」

そう言うとザンパンマンは俺の口に詰められた布を引き抜く。


「て、てめぇ何のつもりだ!残飯何か食ってたまるか!!早くロープをほどきやがれ!!」

そう叫び足をバタバタと動かす。


ザンパンマンは両方の手の平を肩まで挙げて頭を左右に振りながら呆れた表情で「フ~」と大きくため息を吐く。

その後、金属性の大きな漏斗を持ち上げると、俺の口を強引に開かせ始めた。


「イヤ!ヤメロ!」

必死にもがくが、ロープは頑丈で全く緩まない。ザンパンマンの力は圧倒的で、抵抗しても無駄だった。


「キミノザンパンヲ、オ食べヨー」

そう言いながらザンパンマンは俺の口に漏斗を押し込んだ。金属の冷たさが喉を突き刺す痛みとともに広がっていく。


 ザンパンマンは漏斗を抑えながら自分のズボンのポケットから何かを取り出して俺に見せた。


 チョコボールだ・・・


「ボクノ好キナモノ。キミモ好キカイ?」


 突然の質問に戸惑いながらも、この狂気に満ちた状況から逃れられる可能性を探るため慎重に答えた。


「あぁ、好きだ……」


 俺の答えに満足したようにザンパンマンはニヤリと微笑む。そしてその漏斗に箱から直接チョコボールを流し込む。

 一つ、二つとチョコボールが漏斗によって喉奥まで流れ込む。噛んでいないチョコボールの形状が食道を通っていくのがわかる。


「キミノザンパンヲ、オ食べヨー」


 そう繰り返しながらザンパンマンはさらに箱からチョコボールを投げ入れ続けた。俺は食道を通ったチョコボールが何度も喉奥まで戻り窒息しそうになりながらも1箱分の20個を飲み込んだ。


「Excellent!!」

ザンパンマンは笑顔で両手を叩いている。


「これで良いんだろう!!残飯は食ったぞ!さっさとロープを解け!!」

ザンパンマンが手を離した隙に口に入ってロートを吐き出し叫ぶ。


「ザンパンマン、新しいザンパンだよ・・・」

 そう言いいながら奥の暗がりから、髪型がチリチリのおばさんパーマでアニマル柄のセーターを着た老婆が前歯の抜けた気味の悪い笑顔で何かを持って近づいてくる。


「Wow!!かつ丼ネ。コレ、ボクモ大好キだヨ。ソレに大盛だヨ。」

 そう言ってザンパンマンは丼に入った”かつ丼”を受け取ると再び俺の口の中に漏斗を突っ込む。


「イヤダ!!チョコボールは食ったぞ!!これ以上は食えねぇ!!!」

俺は漏斗を入れさせまいと顔を振るが首もロープで縛られており抵抗できない。


「ソウネ、コノママジャ食レナイネ・・・シャブおじさん!!ヘルプミー!!」

ザンパンマンは俺の頭割れるほどの大きな声で叫んだ。


 少し離れビルのドアが開くとコック帽を被った青白い顔の痩せた老人がバケツを持って、こちらに向かいよろよろと歩いてくる。

 ある程度近づくとバケツに中華包丁のような物と太い麺棒が入っているのが見える。


「シャブ切れかい?報酬の前払いだよ」

 老婆はそう言うとポケットからチャック付の小さなビニール袋を取り出し老人に手渡した。

 老人は受け取ると袋を開け中の白い粉を少量取り出し小指につけると鼻の穴に突っ込んで吸い込みだした。


 俺は目を疑ったが老婆とザンパンマンは慣れた様子でニヤニヤと薄気味悪い笑顔を浮かべている。


 老人は老婆から受け取った白い粉を吸い終わるとフラフラと俺の方に近づいて来て、

「こいつのザンパンか~い?悪そうな顔の男じゃな~」

と目を見開き陽気に言うと老婆からかつ丼を受け取り、中身をバケツに放り込む。

空になったどんぶりを丁寧に地面に置くと、シャブおじさんは鼻歌を歌いながら上機嫌で暗がりに向かい歩いていく。


 シャブおじさんが街灯の前を通ると「ウー、ワンワン」と街灯と短い紐で繋がれた大きな犬が残飯の匂いに釣られたのか吠える。

紐が短いからか首を絞めつけながら後ろ足で立ち、前足をバタバタさせている。


「シーズー!!ソレはキミのザンパンジャナイヨ!!」

ザンパンマンは笑いながら犬に向かい大声をだす。どこからどうみても雑種の大型犬でシーズーのような小型犬ではない。


 シャブおじさんが消えた暗がりから、ピシャリと何かを落とす音がした後、トントンと何かを切る音がしたのちドンドンと何かを叩く音が響いてくる。


 ザンパンマンと老婆が無言でニヤニヤしながら俺を見下している。その足元には空のどんぶりがある。どんぶりをよく見ると『味楽』と書かれている。


 『味楽』という店名には心当たりがある。俺の通っていた大学の近くにあった、婆さんが1人で切り盛りする食堂と同じ名前だ。

値段も良心的で俺や友人も通っていた。ある時を境に全く行かなくなった。正確には行けなくなった・・・。


 俺が大学生だったある日のこと、味楽の暖簾をくぐると昼時を過ぎたせいか店内に客はおらず婆さんがテーブルを拭いていた。


 俺に気づくと婆さんは

「お兄さん今日は一人なんだね。貸し切りだよ」

と言って優しく笑った。俺は“大盛りかつ丼”を頼んでから、昨日麻雀で負けて財布の中に30円しか入っていないことを思い出した。


 どうしたものかと思案したが、その内に俺の目の前に大盛かつ丼と味噌汁が置かれた。


「はい、大盛りかつ丼」

そう言ってから婆さんは昼時に溜まった食器を洗うために奥に引っ込んでいく。

俺は急いでかつ丼を味噌汁で掻っ込むと店主の婆さんに目もくれず店を出た。

・・・つまり食い逃げだ。だが、客から目を離せば食い逃げされても仕方ない。

俺は悪くないのだ。


 その後は警察に通報されたり、大学から呼び出されたり、友人から訊かれたりするのでは無いかとビクビクしていたが、そういった事は無かった。2年後に店の前を通ると味楽は閉店しており、ホッと胸を撫でおろしたのを覚えている。


 それではチョコボールはどうだろうか。おそらく中学生の時にコンビニで万引きしたチョコボールだろう。高校受験でイライラしていた時期、少し悪い事をしてやろうと出来心で万引きした。その時のチョコボールは美味くも不味くもなく普通のチョコボールだった。別に万引きをして気持ちが良くなるわけでもないことが分かったので、それ以来万引きはしていない。そもそも、万引きさせてしまう警備体制が悪いのだ。俺は悪くない。


 そうだとしたら、奴らは何所でそんなことを知ったのだろうか?

食い逃げは15年以上前、万引きは20年以上前の事だ。今更罪に問おうとしても無銭飲食と窃盗罪の時効は7年で当然時効になっている。

それに味楽の婆さんにしたって、コンビニの店主にしたって、すぐに動けば俺を捕まえられただろう。


 そんなことを考えていると、シャブおじさんが暗がりからバケツを持ちこちらに戻ってくる。先ほどと同じように街灯に縛られた犬が涎を垂らしながら後ろ足で立ち吠えている。


「ほらよ。しっかり切って潰しておいたぞ」

シャブおじさんがザンパンマンに近づきバケツを渡す。


「サンキュー。デモ僕一人ジャ食べサセラレ無いヨ」

そう言うとザンパンマンは小首を傾げる。


「しょうがないね。ハタゴさんを呼んでくるよ」

そう言うと老婆はビル横の暗がりに消えるとすぐに戻ってくる。


「和美ママ~。今日の飲み代タダにしてくれるって~」

そう言いながら老婆の後ろから作業着を着たガタイの良い男が老婆の後ろから千鳥足で付いてくる。


「飲みすぎだよハタゴさん。あんた仕事ができるのかい?」

和美ママは訝しんだ目でハタゴを見ている。


「大丈夫だって~。こいつを押さえつけて、この金属の漏斗を口の中に突っ込めば良いんでしょ?にしても悪い顔した男だね~」

そう言うとハタゴは俺の体を押さえつけて漏斗を俺の顔の前に構える。


「やめろ!!この異常者ども!!食い逃げと万引きを咎めたいなら警察を連れてこい!どうせ時効なんだからよ!!」

そう叫ぶも連中は薄ら笑いを浮かべて、俺を見下している。


「ノーノー、何ヲ言ッテルノ君ハ?僕ラは君に、ザンパンヲ食ベサセルダケダヨ」

そういうとザンパンマンはバケツを持ち上げ、ハタゴが俺の口を無理やり開かせ漏斗を喉元まで突っ込んでくる。


「キミノザンパンヲ、オ食べヨー」

そう言いながらバケツを傾け漏斗に流し込んでくる。


「ヒャメロ、ンゴゴ」

声にならない声を上げるも無慈悲にかつ丼だった物が俺の喉に流し込まれる。何度も胃の逆蠕動と横隔膜の収縮でむせながら、涙を流し何とかかつ丼を飲み込んでいく。


「コレジャ、喉が詰マッチャウネ」

ザンパンマンは麻美ママがどこからか取り出した汁物の器を受け取り漏斗に流し込んでくる。


「ンゴゴゴゴ!!」

かつ丼とセットの味噌汁だ。喉が焼けるように熱い。俺が足をバタバタさせ悶えているとザンパンマンが「アツアツネ。ヘヘッ」と気味の悪い笑顔で笑っている。


 かつ丼と味噌汁を必死に飲み込んで、やっとこの苦痛から解放された。漏斗を外された俺は足をバタバタさせて叫ぶ。

「こエで終わりタ!早く解きヒャガレ!!!

喉が焼けて声が思うように出ない。


「ザンパンマン、新しいザンパンだよ・・・」

そう言うと和美ママはザンパンマンに小さい器を手渡す。


「金魚サンが二匹?可愛イネ」

そう言うと器を俺の方に傾け見せてくる。


 その二匹の金魚の死骸は和金で片方の頭が白い、その特徴には見覚えがあった。


 妻と息子と行った縁日の金魚すくいで取った金魚だ。俺は金魚の世話など嫌だったので持って帰ることに反対したが、息子が駄々をこねて世話を自分ですることを条件に許可した。半年程度息子が毎日世話をしていたが、冬休みに妻の実家に帰省することになり仕事で残っている俺が世話をすることを言い渡された。

 俺は面倒だと思い帰省期間中の10日分以上の餌を一度に水槽に放り込み放置することにした。1週間後にふと水槽に目を向けると金魚は水の上に浮かんでいた。

 帰省から帰ってきた2人に責められたが、毎日世話をしていたと嘘をつき、自分で世話をすると約束したのを守れと怒鳴った。息子は泣いていたが知ったことではない。約束を守らない奴が悪いのだ。俺は悪くない。


「コレならヌルヌルシテルシ、食ベヤスイネ!!キミノザンパンヲ、オ食べヨー」

再びハタゴに体を押さえつけられ漏斗を嵌められ、ザンパンマンが金魚の死骸を流し込む。


 金魚の死骸を飲み込むことに苦は無かったが、鼻に抜ける生臭さで苦悶し足をバタバタさせた。


「フー!!次は何カナ!!ワクワクスルネ!!」

ザンパンマンは両手を握り合わせ気味の悪い笑顔をしている。


「ザンパンマン、新しいザンパンだよ・・・」

和美ママは大きな布が被せてある車輪の付いたストレッチャーを押してきた。


「ワオ!!コレは大キイネー」

ストレッチャーの周りに4人が集まり布を少しめくる。布の下は体格の良いザンパンマンとハタゴが邪魔で見えない。


「シャブおじさ~ん、イケる~?」

ザンパンマンは様子を伺うようにシャブおじさんの顔を覗き込む。


「これはちと骨が折れるな。ママ、追加報酬じゃぞ!それにひとりじゃ無理じゃ!ハタゴ、手伝ってくれ!!」

和美ママはポケットから再びチャック付の小さなビニール袋を取り出し、シャブおじさんに渡した。


 シャブおじさんは袋を受けとると自分のポケットから液体の入った小瓶を取り出し袋の中の白い粉と混ぜ合わせる。反対側のポケットから注射器を取り出し吸わせると、自分の腕に針を刺し液体を注入していく。


「ハタゴ!!行くぞー!!」

そういうとシャブおじさんは勢い良くストレッチャーを引いた。その際、勢いに乗ったストレッチャーの車輪が小石を拾い大きく左右に揺れた。


 揺れたストレッチャーの上から人間の物と思われる左腕が垂れ下がる。その薬指には一点物のハワイアンジュエリーの指輪がはっきりと見えた。


 なぜ一点物かどうかが分かったかというと、見覚えがあるからだ。死んだ妻と一緒に買いに行き、職人を交え一緒に考えて選んだ図面で作成したものだ。

となるとストレッチャーに乗っていた物が何なのかは明白で、次のザンパンは“俺の妻”だ。正確には“元妻”となってしまうが。


 “ザンパンマン”がその辺の残飯を食わせているのではなく、俺の罪に関連する物を食わせているのだとしたら、“薬指が見えたから”あれが何なのか判断出来たのでは無く、“ストレッチャーで何かが出てきた”時点でもなく、残飯とは呼べないような“死んだ金魚が出てきた”時点で次に出てくるものが何なのか俺だけには想像が出来ていたので、動揺する以上にやはりそうかという思いの方が強い。


 そうしている間にストレッチャーの車輪が回る音が消え、シャブおじさんとハタゴは作業場に着いたようだ。暗闇の中で気味の悪い笑い声が聞こえ、次に『ドン!ビシャ!!』と柔らかいものが地面に叩きつけられる音が聞こえた。次に『トン!グシャピチャ!!トン!クシピチャ!!』と柔らかい物を切り、液体の様な物が飛び散る音が聞こえてくる。


 先ほどは動揺していないと思っていたが、生生しい音が響き渡る中で体が震えている事に気が付いた。


「お、俺は悪くない・・・悪いのはあの女だ・・・裏切りやがって・・・」

 無意識に俺の口からこぼれる。


 そうだ、裏切ったあいつが悪いから殺したんだ。俺は悪くない。


 ある日、仕事を終えて帰宅すると玄関で泣きながら妻が土下座をしていた。どうしたのか事情を聴くとSNS上で知り合った自称株のプロに言われるままに株を買って、マイホーム資金として貯蓄していた金を全て無くしたと言う。さらに最悪なのがレバレッジを掛けていたため借金が残り、婚前からの俺の貯金に手をつけていたことも白状した。それを聞いた俺は目の前の女が“最愛の妻”から“醜悪な寄生虫のクソ女”に変わったように感じた。


「ママ、何で泣いているの?」

小学校に上ったばかりの息子が泣きながらクソ女に話しかける。


「ママはね。パパに内緒でパパのお金を全部使っちゃったんだよ。悪いママだね」

そう言い終わるとクソ女は声を出して泣き出す。俺の中でクソ女に対する不快感が増していくのを感じる。


 息子を子供部屋に戻らせてからクソ女と今後の話し合いを行う。クソ女は“株で増やして一括で家を買うためだった”とか“最初はお金が増えていた”とか“あなたに内緒にして驚かせたかった”とかほざいていた。まぁ確かに驚かされた。クソ女の馬鹿さ加減に。


「それで、今後どうするつもりなの?最初に言っとくけど俺はお前の借金を一緒に払うのはごめんだから。あと、俺から盗んだ金のことなんだけど、お前の実家にこのことを包み隠さず話して払ってもらうから。家、土地、お前の父親の退職金で何とかなるだろ?」


 俺がそう言うと泣いていたクソ女は目を見開き驚愕の表情で顔を青くしている。泣いて謝れば許してくれて『一緒に借金を返していこう』とでも言うと思っていたようだ。残念だが俺はその程度の謝罪で絆されるほど甘くない。クソ女の甘い考えに虫唾が走る。


「実家には言わないで下さい。私が働いて払います」

クソ女が俯いて呟く。


「いやいや、短大出の腰掛OLしかしたことないお前がどうやって借金払うの?風俗で働くとかしなきゃ無理だろ」

俺はそう言ってクソ女を見下ろして笑った。


「風俗で働いて必ず返します」

クソ女はそう言うと目を見開き俺を見ている。


 このクソ女はこう言えば『そんな所で働かないでくれ。一緒に借金を返そう』と言って貰えるとでも思っていたのだろうが俺の「じゃあそうすれば」

という言葉にクソ女の顔が青くなった。


 その後は弁護士に依頼し借金の任意整理を行った。息子については俺の実家にクソ女が借金した事を話して、しばらくの間預かってもらえるように頼んだ。息子と別れる際にクソ女が涙を流し『お金を返したら迎えに行くから』と言っていた。俺が息子と会えないように意地悪をしていると言っているようで腹が立った。


 クソ女の風俗店面接の日、家庭内別居状態で寝室を俺が、子供部屋をクソ女が使っており、普段クソ女から俺に事務連絡以外の声掛けなど無いにも関わらず。

「面接に行ってきます」

と寝室前でわざとらしく俺に声を掛けてきた。それに対し俺は

「ああ」

とだけ返事をした。


 クソ女は30代前半ではあるが何の苦労もしてないためか割と若く見える。そのためか風俗店の中でも収入が多い高級店に入れることができた。当然、インターネットの情報から店を選んで面接の予約を入れたのは俺だ。事前に収入の半分を俺に、もう半分を借金の返済とクソ女の生活費に充てるように取り決めを行った。家賃や光熱費は払ってやっているのだから寛大な対応だ。


 クソ女の初出勤当日の朝、俺が会社に出勤する前にこちらの顔をチラチラと見てきて、出勤を止めてもらえるとでも思っている様子にイライラした。


 初出勤ということもあり、帰りは深夜ではあるがクソ女を待っていてやることにした。クソ女はフラフラとした足取りで帰ってくるなり、俺の「お帰り」という言葉を無視してテーブルに金を叩きつけると速足で風呂場に向かった。シャワーの音に紛れて嗚咽する声が聞こえてきて、深夜に近所迷惑な奴だなと思った。朝方、俺が会社に行くため起きて子供部屋の前を通ると鼻をすする音が聞こえてきたが、俺はそれを無視して会社に出勤した。


 それ以降、夜中まで起きてクソ女を待つのは非効率で俺の仕事に響くのでやめた。何日かは子供部屋から鼻をすする音が聞こえてきたが、その後は物音一つせず眠れているようだった。


 それから半年間、ほぼ外食の俺とクソ女はほとんど顔を合わせることが無かったが、真面目に働き返済が滞ることは無かった。しかし、出勤日では無いのにクソ女が家に居ない日が増えていった。出勤していない日の分もテーブルに金が置いてあるので間抜けな奴ならなら気づかないだろう。なぜ俺が分かったかというと、クソ女には告げず風俗サイトで出勤日と予約状況でおおよその1日の給料を計算していたからだ。


 そこで俺はクソ女のスマホのメッセンジャーアプリをパソコンでミラーリングすることにした。暗唱番号を変えていないことや、家庭内別居後もクソ女がテーブルの上に無防備にスマホを置きざりにする事が多かったので、簡単にミラーリングすることができた。

 

 ミラーリングしたアプリでクソ女に間男が居ることがわかった。間男とは3ヵ月前に風俗店で出会ったようで3週間前から店外で会っている様子だ。最初は“君のような理想の女性に出会えて幸せ”、“君とのエッチが僕の常識を変えた”、“今まで会ったどの男性より素敵”といった気持ちの悪い文章が並んでいるだけであったが、クソ女の『旦那が借金をして、旦那に無理やり風俗で働かされている』という事実無根のやり取りから間男の庇護欲に火がついてようで、“僕が君を助け出す、離婚して一緒に暮らそう”といった方向に変化していった。クソ女もその気のようで、“一緒になりたい”と返していた。


 金を使い込まれた被害者である俺が、まるで極悪人のように言われていて腹がたった。そして、嘘ばかりついて金を返さず逃げようとするクソ女には制裁が必要だ。そう考えた俺は週末に釣り道具を持ち山に出かける。


 今日の目的は当然、魚を釣ることではない。“トリカブト”を採取するためだ。トリカブトは根であれば半数致死量が0.2gから1gの猛毒ではあるが珍しい植物では無い。特に水辺の付近の森に多いので釣り道具を担いでいれば怪しまれる事も少ない。実際に怪しまれことなく山に入りすんなりトリカブトの根を採取することができたが、すぐに実行に移せば山に入った俺が疑われるのは明白なので機を待つことにする。ついでにそこで魚を釣りSNSに上げてアリバイ工作も行う。


 それから2か月が経ちついにチャンスが訪れる。クソ女は間男と甘ったるい吐き気がするやり取りを続けている中で“日帰り登山に行く”というのだ。その1週間後に俺の10日間の出張が入っている。さらにクソ女の両親が俺の出張5日目に我が家に来るそうだ。クソ女の出勤予定も確認してここしかないと確信し、笑みがこぼれた。


 出張前日、俺はあらかじめ切って冷凍していたトリカブトの根をクソ女が冷凍保存していた中華丼の具へ解凍して混ぜるだけだ。クソ女が休みの日に1週間分の飯を作り置きして冷凍しているのは調査済みで、並び順で食べているようだ。4日目に中華丼があったのは僥倖で、これを俺が出張中に食べれば計画は完遂する。当然、出張のことをクソ女に悟られないように動く、出勤予定を変更し間男と外食などされたら計画が台無しだからだ。そうして上機嫌で俺は出張に向かった。


 出張5日目午後、計画通りに進んだようでクソ女の両親から『玄関前で何度電話しても娘が出ない』と連絡が来たので、『近所に買い物に行っているのでは?自分は出張中なのでわからない』と伝えると数時間後に『帰ってこない、家の中でスマホが鳴っているようだ』ということで、管理会社に連絡し鍵を開けて欲しいと頼んだ。


 1時間後、クソ女の父親が『室内で娘が死んでいたこと、警察が室内の検視をしていること』が告げられた。俺は涙声で上司に連絡し出張を切り上げて急いで自宅に向かう。


 出張先は飛行機を使う距離だったため、自宅に着く頃にはすっかりと日は落ちていた。当然自宅には入れず警察での事情聴取を受けることになった。事情聴取は半日にも及んだが、想定していた内容だったので、『妻が借金をしていたことは知っていた。コンビニで働いていると言っていた。家庭内別居状態で会話は無かった』というような虚実を混ぜて話し、“この状況で混乱している夫”を演じた。


 検視結果を待つ間、ウイークリーマンションを借りて住んでいたのだが検視結果が出るのに1か月もかかり、何度も警察から事情聴取を受けた。しかし、風俗嬢の自殺が多いからなのかクソ女は自殺として処理されることとなった。


 その後は葬儀屋やら雑事に追われ、クソ女の両親から『なぜ相談しなかったのか』と責められはしたが、“小さい子供を抱えて妻に先立たれた可哀そうな夫”を演じて乗り切った。だが、歯を見せるのはまだ早い、もう一仕事残っている。間男への制裁だ。


 クソ女のスマホが警察から帰ってくると、俺はすぐに弁護士事務所へ向かい“最愛の妻に浮気され死別した可哀そうな夫”を演じながら間男とクソ女のメッセンジャーアプリのトーク履歴を涙ながらに見せた。その後、弁護士同伴でアプリから間男を呼び出す事にした。


 間男も事情聴取を受けてクソ女が死んだことは知っていて、ある程度の覚悟していたのだろう、すぐに通話に出て弁護士の声を聞いてもさほど動揺していない様子だった。しかし、“風俗嬢との火遊びだった”、“ひどい旦那から守りたいという同情心からの行動だった”、“自分が自殺の原因ではない”と言っていたが、弁護士から『相手が風俗嬢でも店の外で会ったのなら不倫です』と言われ観念したようだ。


 間男は40代の独身であったが上場企業で働いていたようで、体裁を気にする奴だったので、相場からはかなり割増の慰謝料を吹っかけてもすんなり現金で支払いしてくれた。馬鹿な奴だ。


 クソ女も借金をせず、俺の金に手を付けなければ死ぬ事はなかったのに、本当に馬鹿な奴だ。一連の出来事での被害者は俺で、当然俺は悪くない。


 その後、俺は息子を実家に預け仕事を続けながらクソ女の保険金と間男の慰謝料で優雅に暮らしている。


ハッピーエンド・・・だと思っていた。


「ナガーイ回想はオワッタカーイ?」

そう言ってザンパンマンは気味の悪い笑顔で顔を近づけてくる。奥の暗闇からはいまだに『トン、ピシャ』という生々しい音が聞こえ続けている。


「モウソロソロ、ザンパンが届クヨ。ホラ」

暗がりからこちらに向かい両手にバケツを持ったハタゴが歩いてくる。街灯に照らされたハタゴは全身のいたる所が真っ赤な液体で濡れており、街灯に繋がれた犬はハタゴに向かい吠えている。


「和美ママ~、作業着が汚れちゃったよ。これ取れるかな?」

バケツを地面に置き、顔に付いた液体を袖で拭いながらハタゴが老婆に訊ねた。


「しょうがないね。クリーニング代をあんたのつけから引いとくよ。ハタゴ、もう一仕事だよ」

そう言われたハタゴは「は~い」上機嫌で俺の背後に回り、俺の体と頭を街灯に押し付ける。


「ザンパンマン、新しいザンパンだよ・・・」

そう言って老婆はザンパンマンにハタゴが置いた内の1つのバケツを重そうに手渡す。


 そこでちらりとバケツの中が見えた。赤黒い液体とピンク色の柔らかそうな臓物。

臓物は細かく切られていたので、それがどの部位なのかは判断できないが全身に怖気が走り、俺の全身が震えて歯がカタカタと音を鳴らした。


「キミノザンパンヲ、オ食べヨー」

気味の悪い笑顔でザンパンマンが俺に近づいてくる。


「や、やめろー!!俺は悪く無いんだ!!俺を裏切ろうとしたあいつが悪いんだー!!」

俺はやけどで喉が痛いのも忘れ全力で叫ぶ。ここで誤解を解かなければいけない。あんな物を口の中に流し込まれたら死んでしまう。


 それを聞いたザンパンマンの顔から気味の悪い笑顔が消えて、目が吊り上がる。そして、全身を震わせながら紫色の皮膚がどんどん赤くなっていった。


「うだうだ煩せぇなぁ、人殺しが悪くない訳がねぇだろが、このドクズが!!」

低い声と流暢な日本語でザンパンマンはそう言うとバケツを置いて拳を振り上げる。


“ドゴッ”


 ハタゴによって街灯に押さえつけられているのでガードはおろか衝撃を後ろに逃がすことも出来ずに俺はもろに拳を受ける。前歯が折れて喉の奥に吹き飛び、鉄の味が痛みとともに口中に広がった。


「お前の真っ黒な腹の奥に仕舞いこんで隠していた残犯(ざんぱん)を食え!!」

ザンパンマンはそう言うとバケツに手を入れ臓物をつかむと、朦朧としいる俺の口の中に漏斗も無しで無理やり突っ込む。ハタゴが顎を掴んでいるので吐き出すことも出来ない。


 口の中全体に鉄の味がするが、それが臓物によるものなのか自分の口から出た物なのかは分からない。ヌルヌルとした臓物の感触がとにかく気持ち悪い。


「これで終わりじゃない。まだまだあるぞ」

そう言ってザンパンマンはバケツから臓物を取り出し、口の中に突っ込んでくる。

ハタゴが口を開け、何度も何度も。

 口と喉の中が一杯で息ができない・・・意識が遠のいていくのがわかる。


「アレレ、モウ食ベラレナイノ?白目ムイチャッタヨ。トコロデ和美ママ、コイツノ残犯ッテコレダケナノ?」

「そんわけあるかい、いじめにカツアゲ、詐欺に強姦、人を殺したのだって1人じゃないよ。出世で邪魔になりそうな同僚を釣りに誘って崖から・・・」


 そこで俺の意識は完全に途切れた。



 俺は美味しそうな良い匂いがする事に気が付き目を覚ました。無性に腹が減っており、何でも良いから口にしたい。前を見るとコック帽の老人が美味そうな物を運んでいる。

俺はそこに行きたいので勢いを付けて前に出るのだが、俺と街灯を繋いでいる鎖が邪魔をして美味そうな物の所に行けないのだ。


「ウー、ワンワン」

悔しくて歯がゆい気持ちでそう叫ぶ。


「マルチーズ!!ソレはキミの残犯ジャナイヨー!!」


少し遠く離れた所でまん丸い顔をした紫色の男が、俺に向かって気味の悪い笑顔で笑っている。

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