第30話 空と手紙と、ふたり
――数年後――
春の風が街を包み込んでいた。
長い冬がようやく終わり、街路樹の桜が淡い色をほころばせている。
亮は駅の改札前に立っていた。
手には、あの日書いた手紙。封はしていない。何度も書き直し、ようやく残ったのは、あの一文だけだった。
――君がいない空の下で、僕はまだ君を想っている。
その文字は滲んでいたけれど、今はもう涙の跡ではなかった。
春の陽光に照らされ、柔らかく光っている。
ふと、改札の向こうから人の流れが途切れた。
視線を上げると、そこに――真司が立っていた。
少し髪が伸びて、前よりも大人びた顔。
けれど、笑ったときの目の形は、何一つ変わっていなかった。
亮の喉が詰まる。言葉が出ない。
ただ、胸の奥で何かが熱く弾けた。
真司もゆっくり歩き出す。
その歩幅は迷いがなく、まっすぐに亮の方へと向かっていた。
「……久しぶり」
そう言った真司の声は震えていた。
亮は何も言えず、ただ頷いた。
二人の間に、春風が通り抜ける。
柔らかな風が、まるで過去の痛みを撫でていくように、そっと頬を包んだ。
「手紙、まだ持ってるんだね」
真司の視線が亮の手元に落ちた。
亮は小さく笑った。
「うん。……でも、もう出さなくていいみたい」
真司が少し目を伏せ、それから顔を上げた。
「僕も……言いたかったこと、たくさんあった。あの時、怖かったんだ。離れたら、壊れてしまう気がして」
「壊れなかったよ」
亮はゆっくり言った。
「ちゃんと、残ってた。――ここに」
胸に手を当てる。
真司の目が潤んだ。
そして、気づけば二人はもう距離を詰めていた。
言葉なんていらなかった。
亮が差し出した手を、真司はそっと握りしめた。
その手は、少し冷たかった。
でも、確かに“生きて”いた。
「また、ここから始めよう」
亮の声が震える。
真司は泣きながら笑った。
「うん。――もう離れない」
人々のざわめきの中で、二人は小さく抱き合った。
遠くで、電車の発車ベルが鳴っている。
春風が桜の花びらを舞い上げ、二人の肩に静かに降り積もった。
――季節がめぐっても、心はあの日のまま。
でも、もう過去には戻らない。
二人の春は、これから始まるのだから。
亮はそっとポケットから手紙を取り出し、封筒を開いた。
中の紙を一枚だけ抜き取り、風に放つ。
ひらりと舞い上がる白い紙。
その裏には、あの文字が書かれていた。
『君がいない空の下で、僕はまだ君を想っている』
風がそれを高く、高く運んでいく。
空の青の中へ消えていくその紙片を、ふたりは並んで見上げた。
やがて真司が小さく笑って言った。
「――もう、“君がいない空”じゃないね」
亮は笑いながら頷いた。
「うん。これからは、“君がいる空”だ」
そして二人は歩き出した。
春の光の中を、肩を並べて。
過ぎた季節の痛みも不安も、全部背中に置いて。
未来という名の道をもう一度、二人で――。
――その空の下で、きっと今日も、誰かが誰かを想っている。
離れても、時が過ぎても。
想いの形は、決して消えない。
それは、涙よりも確かで。
そして、愛よりも静かな光。
――「君がいる空」の下で、二人の物語は旋律を奏でながら、今も続いている。
(終)
放課後の音色 江渡由太郎 @hiroy
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