ココ◯のモーニングに行った話

真矢野優希

第1話

『ココ◯のモーニングに行った話』



「あっ! 見て、モーニングだってぇ」

 日課になった夕方の散歩の途中、隣を歩く彼女が不意にそんな声を上げた。そしてそのまま立ち止まってしまうものだから置いて行くわけにもいかず、つい私の歩みも止まってしまう。

 秋は日が沈むのが早い。私たちの後ろをライトを点けた車が何台も通り過ぎていく。暗くなる前に帰りたくて彼女の手を引いてみるけど、彼女は散歩中に立ち止まった犬みたいに頑なにその場を動こうとしなかった。

 彼女の視線の先には駐車場のフェンスにくくりつけられた横断幕があって、そこに『ココ◯のモーニング¥390〜 土日祝限定。朝7時から!』の文字が軽やかに踊っていた。

 その横断幕をショーウィンドウの中の服かおもちゃでも眺めるみたいに、彼女はうっとりとした視線を注いでいた。

「モーニングかぁ。そういえば、あんまり行ったことないよねぇ」

「そうね」

「朝ごはんはいつもうちで食べるし」

「そうね」

「や、別におうちで食べるごはんが嫌とかじゃなくてですね、というか作ってるのわたしですし」

「……そうね」

「すしすし」

「……何が言いたいかわかるけどあえて無視していい?」

「やだぁ!」

 ぶんぶんと音でも付きそうな勢いで彼女が首を振る。その仕草もどこか犬っぽくて、それから普段の様子を思い出して、ああ、犬だな、と変な納得をする。そしてこの場合どうすればいいのか、と実家で飼っている犬を思い出して。

「帰ります」

「やだーっ!」

 結局、無理やりにでも引っ張って帰るのが一番なのだった。

 駄々をこねる子どものように手足をばたつかせる彼女に、散歩中のおじさまとか帰宅途中の女子高生が不思議なものを見るような視線を寄越してくるから実に止めてほしいのだけど、言ったところで聞くとは思えないから諦めて彼女の手を引いて帰路に着く。

「このハクジョーもの! けちんぼ! 鬼嫁!」

「ケチなのは認めるけど他二つは否定したいかな」

「じゃあけちけちけちけちけち!」

「それはそれでなんかむかつく」

 ので、デコピンを一発。

「いたぁ!」

「ふふ。ざまみろ」

 そんなことが数日前にあった。



 揺れている、と感じたときには既に被っていた布団を蹴飛ばしていた。その勢いで跳ねるように身体を起こす。深夜なのか早朝なのかもわからない薄暗闇の中、頭がまだ半分も開いていない状態で隣で寝ているはずの彼女の身を案じる。

「ねぇ、起き…………………て、る?」

「おはよー。なんか、すっごい起き方したね」

 彼女は布団の上で胡座をかいて、薄闇の中でもわかるくらいおかしそうに笑っていた。その姿に安堵と嫌な予感が同時に頭を過ぎる。

 ぱち、ぱちとスイッチを入れるみたいに徐々に意識が覚醒していく。枕元に置いたスマホの画面を表示させれば、午前6時を五分ほど過ぎたところ。

「……一応聞くけど」

「うん」

「今日って、何曜日?」

「土曜日だね! さたでーないとふぃーばー!」

「まだ朝なんだけど……」

「大発見だ!」

「……今って、朝の6時よね?」

「そうだよ。早起きさんだね!」

「もう一個質問いいかな」

「どうぞどうぞー」

「コ◯スって、朝の7時からやってる?」

「君のような勘のいいガキは大好きだよ!」

 きゃはー! と抱きつこうとしてくる彼女を躱してもう一度布団にくるまろうとする。……前に彼女に布団を奪われてしまった。

 肌寒さを訴えるようにじとっとした視線を彼女に向けるけど、けらけらと楽しそうに笑う彼女にはどうも効き目が薄いようだった。

 土曜日。朝。モーニング。彼女。

 頭の中でそれらを混ぜて、一纏めにしてみて、さてどうしようかなんて悩むフリをする。

 なんとなく、こうなる予感はあったのだ。数日前のあの夕方に立ち止まってしまったのが運の尽きだと思うしかない。

 それにもう。

 目もとっくに覚めてしまっている。

「歯ぁ磨いて、着替えて、化粧して……あっ、洗濯機も回さないと」

「それはもうやってるよ!」

「……優秀ね」

「えっへん」

 彼女の頭を撫でると、幸せそうに彼女の頬が緩む。それがなんだか許せなくて、反対側の手で「むにーっ」と彼女の頬をつまんだ。餅みたいに柔らかく伸びる感触を楽しんでいると、心のもやが少しだけ晴れるような気がした。



 小雨が降っていたので車で行くことにした。

「運転なら任せたまえー」

「あんた、こっち来てから運転したことあったっけ?」

「……任せたまえー」

「不安だ……」

 そんな私の心配とは裏腹に車は滑らかに発進する。思えば助手席に座るのも久しぶりだった。仕事に行くときや彼女を連れてどこかへ出掛けるときはいつも私の運転だった。

 なので、少しだけ落ち着かない。無意識のうちに、シートベルトを握った手に力が入る。

「大丈夫大丈夫。これでもゴールド(ペーパー)ドライバーだから!」

「その括弧のせいですごく心配になるのだけど」

「ふんふふーん」

 そんなふうに私一人だけあわあわしている間に彼女の運転する車はすんなり目的地に着く。散歩で行ける距離なのだ、車ならすぐ着くに決まっていた。心配して少しだけ損をしたような気分になる。

 広々した駐車場に私たちの車以外は見当たらない。それもそうだ。まだ朝の7時を少し過ぎたばかり、普通の人なら家で休日の朝をのんびりと迎えている。

「……ねぇ」

 こんな朝早く来なくてもよかったんじゃない?

 言いかけて、でも、楽しそうにシートベルトを外す彼女を見て喉の奥にしまい込む。言い淀んだ私を彼女が不思議そうに見つめる。

 その真っ直ぐな瞳を向けられて、私は。

「財布、忘れてない?」

 そんなふうに誤魔化すことしかできなかった。

「へ? ちゃんと持ってるよ?」

 ほら、と彼女が持っていたポーチを掲げてみせる。中身がちゃんと入ってるか聞いたつもりだったけど、まぁいいか。

「えらいえらい」

「褒め方がなんか雑ぅ」

「よしよし」

 雑に褒めて、雑に撫でるとすぐに彼女の不満が止む。なんか、えへえへ、なんて笑顔もくっついてくる。私が言うのもなんだけど、チョロすぎないか、彼女。

 そのまま車の中でいちゃいちゃしてもしょうがないので、車を降りて店内へ向かう。やっぱりというか案の定というか、私たちが一番乗りだった。

 案内された席に座ると、彼女が真っ先にメニューを取ってテーブルの上に広げる。

「何頼もっか!?」

「はやいはやい。まずはゆっくり見させて」

「……! 見て、みてみてみーてぇー」

 ここ、ここと彼女の人差し指がメニューの同じ場所を何度も叩く。子どもっぽい、というかもはや子どもそのものな彼女にやや呆れながら、彼女の指先を見る。

「ハンバーグ定食なんてあるんだ……ハンバーグ? 朝から?」

「すごくない?」

「すごい、っていうか、おもしろいというか」

 そういえば昔、ドラ◯もんのCMでやってたっけ。包みを開けるとミニ◯ラが出てくるやつ。私の地元にはココ◯が近くになかったから、ホイルに包まれたハンバーグには結構憧れたものだった。

 だから気にならないかと言えば嘘になるんだけど、でも、朝からハンバーグか……。

「私はトーストか、こっちの卵かけご飯の朝定食でいいかな」

 朝からそんなに食べられそうにないし。そう言うと、彼女は不満そうに口を尖らせた。なぜ。

「せっかくモーニングに来たんだからハンバーグを食べるべきだと思いまーす」

「せっかくって……。じゃああんたが頼めばよくない?」

「え、ダメダメ。わたしはこっちだから」

 彼女が指差したのはワッフルやバナナ、目玉焼きにハンバーグ、サラダにヨーグルトととにかくてんこ盛りな一皿だった。

「食べ切れるの?」

 思わずそんな心配をしてしまう。

「こーゆーのって意外とこぢんまりしたプレートで来るものじゃない?」

 そうかな。どうかな……。写真に映るナイフとフォークのサイズ的に結構大きなお皿に載って出てきそうだけど。

「わっふるーふるふるー」

 でも、楽しそうにワッフルの歌(仮)を口ずさむ彼女にそれを指摘するのも野暮ったく思えて、まぁいいやと水に流してしまう。なんだかんだ彼女に甘い自分に心の中で苦笑する。

「注文していい?」

「おねげーします!」

「ドリンクバーは付ける?」

「付けまぁす!」

「元気でいいね」

 そして出来ればもう少し声量を落としてくれるとたいへん助かる。いくら他にお客さんが居ないとはいえ、まあ、ね?

 タブレットで注文を終えるのと、彼女が席を立つのはほぼ同時だった。他に誰もいないから焦る必要なんてないのに。そう思っているとこれまたすぐに彼女が戻ってくる。グラスに入った黄色の液体はオレンジジュースだろうか。

「取ってきたから取りに行ってきていいよ!」

「ありがと」

 席を立ってドリンクバーへ向かう。飲み物はジュース類と紅茶とコーヒーの三つに分かれていた。そしてよく見れば紅茶もコーヒーも思いの外種類が多くて驚く。ちょっと悩んで、カプチーノを淹れることにした。

 淹れ終わるのを待つ間、今日はこれからどうしよう、なんてことを考える。いまの天気は良くないけど、午後になると晴れるらしい。だから散歩と買い物くらいは行けそうで。でもそれだと普段の休みと同じだな、って心が曇る。

 それで良いはずなのに、いつも以上を求めているのは何故だろう。朝、早く起きてしまったことの埋め合わせでもしたいのだろうか。

 そんなことをつらつらと考えているといつの間にかカプチーノが注ぎ終わっていた。両手で挟むようにカップを持って席へ戻る。

「カップに入ったカプチーノ……」

「? 二周目行ってきまーす」

 彼女が元気よく飛び出して、すぐ戻ってくる。今度のグラスの中身は泡立っているのを見るに炭酸飲料だと思う。なんか、泡と液体の割合が8:2くらいになってるけど。

 そんな泡まみれの液体を彼女がぢゅぞぞと啜る音に混じって陽気な音楽がどこからか聞こえてくる。なんだか踊り出したくなるような、元気が出てきそうなメロディーは、確かにファミリーレストラン向けだなと思った。子どもが聞けば、それだけで機嫌が良くなりそうだった。

 そして目の前にいる子ども(成人女性)も例に漏れず、にこにこと楽しそうに笑顔を作っている。

 段々と音が近づいてくる。

 そして。

「猫ちゃんロボットだー!」

 ときおりネットでも話題になる配膳ロボットがやって来た。そういえばド◯えもんも猫型ロボットだったなと思ったけど、たぶんそういうことじゃない気がした。

『ご注文の商品をお待ちしました!』

「えっ、なに、可愛い……なにこの子可愛すぎない……?? うち持って帰っちゃダメ?」

「ダメに決まってるでしょ」

「えーなんでぇ!? うちでもさぁ! 配膳してもらおうよぉ!」

「私じゃ不満?」

「……ではないけどぉ。えー……。じゃあ写真撮る。撮ろう。ほらいぇーい!」

 なぜだか猫ロボと並んでピースさせられる。そんな珍しいものでは……まあ、あるか。

 そんな風にはしゃぐ私たちを尻目に、猫はくるりと背を向けて『商品をお取りください!』と自分の職務を全うしていた。なんか、ごめん。

「わー、おいしそ…………ねぇ、これ……」

「……やっぱりそうなるよね」

 注文していた品を取ろうとして、彼女の手が止まる。ようやく事の重大さに気づいたようだった。

「なんかおっきくないこのお皿ー!?」

「……食べ切れそうになかったら早めに言ってね」

 想像の、少なくとも私の想像していたプレートの1.5倍はありそうな大皿が、彼女の前にずっしりと鎮座していた。



「美味しいよ〜。でも美味しいのに全然減らない〜」

 私も別に食べるのは早い方ではないけれど、その私が食べ終わってなお彼女の頼んだプレートは半分減ったかどうかだった。

 彼女の一口が小さい、というのもあるかもしれない。

 よく噛んで食べるから進みが遅い、というのもきっとありそう。

 いろんな理由をカプチーノを飲みながら考える。たぶんきっと、そのどれもが正解だと思った。

 彼女のことは、もう大体がわかるようになっていた。それだけ長い付き合いをしていて、だから今回、私を無理やり起こして連れてきた理由もなんとなく察していた。

「……ありがとね。連れてきてくれて」

「えっ。どうしたの急に?」

「いや、なんか。最近私、疲れてて家のこととかちゃんと出来てなかったでしょ? だからリフレッシュじゃないけど、気分転換も兼ねて連れ出してくれたんだよね?」

「…………もっちろーん」

「その間はなに……?」

「いやぁ」

 へへへ、とイタズラが失敗したみたいに彼女が笑う。その様子を見て、あ……? となってしばらくしてあ……!? と首から上に熱が集う。

「でもでも! 六……七割くらいは心配してたのもそうだし、美味しいごはん食べたら元気になってくれるかなー? っていうのはあったよ! ホントだよ!」

「……うん。そうね、そうよね…………残り三割は?」

「わたしがここのモーニングを食べたかったんですぅ……」

 今すぐ前言を撤回したくなった。彼女に顔を見せたくなくてテーブルに突っ伏す。恥ずかしいとかちっくしょーとか色んな感情が渦巻いて、きっと彼女に見せられない表情をしているのがわかったから。

 どちらも黙ってしまうと、店内に音楽が流れていることを知った。そんなことに今更気づくぐらい、お互い話すことに夢中になっていたのだろう。

 けど今は私たちの間を沈んだ空気が充満していて。

 でもそれを作ってしまったのは私だから自力でなんとかしないといけない。

 お腹に力を入れる。身体を起こそうと息を吸って──。

「…………」

 そっと、頭の上に柔らかいものが載る。

 それが不器用に私の頭を撫でるから、柔らかいものが彼女の手だと知った。

「たくさん、たくさん頑張っててえらいねぇ」

「……褒めるの下手すぎない?」

「も、文句言うならやめるよ!?」

「私の彼女、褒めるの超上手すぎない?」

「それはそれでなんかやだなぁ!」

「じゃあどうしろと」

「んー。黙って聞いてればいいんじゃない?」

「……そうします」

「よろしいっ」

 合格、とでも言いたげに彼女の手が私の頭をわしゃわしゃする。乱れた髪を直すのは……後にしよう。

「いつもお仕事頑張っててえらいっ」

「…………」

「わたしはそういうの出来なかったから、本当に偉いしすごいと思ってるよ」

「…………」

「わたし、今でこそ家事とかするけど、あなたが居なかったら絶対にしなかった。きっと一人じゃ何も知らないままだったし、生きていけなかったと思う」

 だから。

「あなたと出会えてよかった。あなたが居てくれたからわたしの世界が広がったの。本当に、それは、感謝してもしきれないくらい」

「…………うん」

 聞いていて、頬が緩むのを抑えられそうにない。なんだこれ、って背中が熱い。

 だからもう、我慢出来なくて身体を起こす。

 彼女は少しだけ驚いた表情をして、それから、あたたかいものに触れたように顔を綻ばせた。

「ワッフル食べる?」

「……もうお腹いっぱいだよ」

「じゃあ、バナナは?」

「……ちょっと気になるかも」

 よぅし、と彼女がナイフとフォークを使ってがちゃがちゃとバナナを切り分ける。切ったバナナをフォークに刺すと、私の口元まで運ぶ。

「はい。あーん」

「あー……んむ」

「どう? 美味しい?」

「…………あまい」

 表面のバナナが焦げたと思っていた部分は実際はカラメルで、パリっとした甘味ともちゅっとした甘味が合わさってとにかく口の中が甘い。でもしつこい甘さじゃないから無理なく食べ続けられそうだった。

 口直しにカプチーノを飲んでいると、彼女が今度はハンバーグを切り分けている。

「ハンバーグは?」

「……実は、ちょっと気になってた」

「だよね」

 知ってる、と彼女が嬉しそうに切り分けたハンバーグを差し出してくる。それを口で受け取って、噛み締めて、ああ、って身体の内側にじんわりと満ちていく熱に浸る。

「美味しい?」

「……うん」

「よかった」

 満ち足りたように微笑む彼女に眩しさを覚える。……いや、本当に眩しいな。

 おや、と思い窓の外を見れば、雲の隙間から太陽と青空が顔を出していた。いつの間にか外はもう、小雨が止んでいた。

「食べ終わったらさ」

 彼女が言う。

「どこか出かけよっか」

「……あんたの運転で?」

「おふこーす!」

 元気よく指を二本立てて彼女が笑顔を作る。

 心配で、不安で。

 でも、それ以上に。

「楽しいデートになりそう」

 素直な心情を吐露する。

 そういった前向きな言葉が出せるくらいには、今の私は気分が良かった。

 でへえへへ、なんて彼女が身をくねらせる。そんな姿にすら愛おしさを覚えるなんてきっと重症で。

 そうでなければ私たちはきっと、一緒にはいなかった。

「楽しみ?」

「うん!」

「じゃあ残りもぱぱっと食べちゃわないとね」

「……うん」

 肩を落とし、若干涙目になりながら、彼女が残りの料理と格闘を始める。

 そんな彼女の姿を見てようやく。

 自然と、笑みが溢れた。



 外へ出ると水色をした秋の空が広がっていた。

 吸い込む空気は水を含んだように冷涼で、澄んでいて、どこか新鮮さを感じさせる。

 いつもと違う一日が始まろうとしている。そんな予感が心を弾ませた。

「行くよーっ」

 彼女が呼んでいる。振り返って手を振れば、彼女が大袈裟なくらいに手を振り返してくる。

 ああ、って胸に満ちるものが幸せなんだと確かめて。

 来てよかった、なんて。

 そんな月並みなことを思った。

 

 

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