第17話 静寂の日々と遅れた裁き

 自動車はロンドン郊外の一見普通の邸宅前に到着した。煉瓦造りの三階建ての建物は、周囲の森に溶け込むように佇んでいる。


「ここがあなたの新しい住まいです」リチャードソン警部が説明した。「必要なものはすべて揃っていますが、外部との接触は禁じられています」


 アーサーは一室に案内された。質素だが清潔なベッドルーム、小さな書斎、そして居間。窓には頑丈な鉄格子がはめ込まれている。


「毎朝、新聞が届けられます」警部が付け加えた。「外部の状況を把握するために」


 こうしてアーサーの隔離生活が始まった。日々は単調で、朝食とともに届けられるタイムズ紙と、夕食時のデイリー・テレグラフが唯一の外界との接点だった。


 初週、アーサーは新聞を注意深く読み込んだ。自分の事件に関する報道は一切ない。すべてが闇に葬られたようだ。


 二週目のある朝、アーサーは国際面の見出しを嘲笑った。

「またか…米ソが中東で睨み合いか」

 彼は紅茶を一口含み、独り言をつぶやいた。

「資本主義と社会主義、どちらも他国を巻き込んでの代理戦争。結局、大国のエゴじゃないか」


 三週目が過ぎた頃、つれてリチャードソン警部が現れた。

「フィルビー=キング局長がお会いしたいそうです」


 MI5本部の局長室。サー・ハロルド・フィルビー=キングは相変わらず威厳に満ちていた。


「ペンドラゴン君、長い待たせをしたな」

 局長は書類の山から顔を上げた。

「調査結果を伝えよう。まず、マルコム・フィッツウォルター卿についてだが…」


 アーサーは緊張して息を飲んだ。


「コードの定期的な変更は、彼の職務権限の範囲内だった。物的証拠も不足している。残念ながら、処分には至らなかった」


 アーサーは失望の表情を浮かべた。


「しかしだ」局長は続けた。「彼には厳重な監視をつける。今後の一挙一動から目を離さない」


 次に、エディ・ウィンチェスターについて。

「あの家柄となるとね…」局長は少し間を置いた。「直接的な措置は難しい。表立ったスキャンダルは避けなければならない」


「では、何の処分もないということですか?」


「そうではない」局長は首を振った。「彼には『庭園休暇』を命じた。実質的な軟禁状態だ。少なくとも当面は、害をなすことはあるまい」


 アーサーは唇を噛んだ。この結果は期待していたものではなかった。貴族の特権、官僚の保身――すべてが思い通りにいかない歯痒さを感じた。


 フィルビー=キング局長はアーサーの失望を見逃さなかった。彼はゆっくりと立ち上がり、驚くべき行動に出た。深々と一礼したのである。


「この結果に不満があることは理解している。組織の一員として、このような形でしか正義を貫けないことを恥じている」


 アーサーは目を見開いた。イギリス対敵諜報部の長官が、一介の分析官に頭を下げるなど、考えたこともなかった。


「しかし、君への報いは必要だ」局長は姿勢を正した。「英国石油の中東子会社への出向を手配した。名目上是り、実質的な長期休暇だ。帰国後は確実な昇進も約束しよう」


 アーサーは言葉を失った。これは思いもよらない厚遇だった。


「局長…このような措置をとっていただき…」


「これで一件落着だ」局長は微笑んだ。「リチャードソンが手続きの詳細を説明する。中東でのんびりするがいい」


 アーサーが退出すると、フィルビー=キングはデスクの引き出しを開け、一枚の文書を取り出した。そこには中東情勢の詳細な分析と、今後予想される混乱が記されていた。


 局長は文書をめくりながら、低い声で呟いた。

「東洋の諺にある『禍兮福之所倚、福兮禍之所伏』…果たして君に、この試練を乗り切る幸運はあるのだろうか」


 彼は椅子を回し、窓の外のロンドンを見つめた。その表情には、深い思案の色が浮かんでいる。中東への転任が、アーサー・ペンドラゴンにとって果たして祝福となるのか、それとも新たな災いの始まりとなるのか――その答えは、まだ誰にもわからない。

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ブリタニア諜報部、偽りの階梯 鏡花水月 @jinghuashuiyue

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