後編

「さっきも言ってたけど、零沢はよくこれを見てたの? 他に知ってる人は?」


「たまにいるよ。でも毎回気づくのはたぶんわたしだけ」


「これっていつ終わるの?」


「わかんない。長いなーって思う時もあるし、すぐ終わる時もある」


 いまいち要領が掴めない解答ばかりだが、リズムよく返ってくる返事はざわついた心を静めてくる。

 すぐではないがちゃんと終わることに安心した。すると前を歩く彼女が腕を掴んで止めてくる。


「あんまり他の人にぶつかったり物を動かしちゃダメ。動きだした時にズレちゃうかもしれないから」


 細くて柔らかい指だ。それにひんやりしていて気持ちいい……じゃなくて。

 無理やり振りほどいてジト目を向ける。


「ずれるって?」


「今は時間が止まってるけど、また動きだした時に瞬間移動するみたいになっちゃうの。食べ物とかは一瞬で消えちゃったように見える。だからわたしたちも、動きだす前に元の位置に戻らないとダメだよ」


 すでに自由に動き回ってるけど大丈夫なのか? また動きだすタイミングとかわかるならいいけど。


「ところでどこに向かってるの?」


「いい場所。朝香さんにも教えてあげる」


 そういって連れてこられたのは一階にある職員室。私たちの教室よりも上質なエアコンが設置されており快適な温度が保たれている。

 私たちがうちわや下敷きを仰いで凌いでいるというのにこいつらときたら。


「コーヒー飲む?」


「飲む。ミルクと砂糖も入れて」


「おんなじだ。いいね」


 やけに手際よく準備を進める零沢。これは常習犯だな。

 独特の香りを楽しみつつ職員室を一望する。確かにコーヒーを飲めるのは魅力的だが、わざわざ敵の本拠地に来るものか?

 狙いは別にあるはず。たとえば……


「……期末テストだな」


「おお。勘が鋭いですな」


 零沢がにへっと口角を上げ、私も釣られて悪い笑みを浮かべる。

 普段なら重罪だが、今は誰にも見られないしバレない。まさに完全犯罪だ。


「五組の数学って河野?」


「うん。メモするから、あとで見せてあげる」


 いけ好かない奴だと思っていたが今ばかりは息が合う。悪いことも一緒にやれば友情が芽生える……のかも?

 だが堂々と職員室に忍び込み、作りかけのテストを盗み見るのは得もいわれぬ楽しさがあった。


 コーヒーを淹れたことさえ忘れ、二人で目当ての先生を探してはテストの痕跡らしきものを物色していく。

 完成したデータを見つけた時はさながら宝くじが当たった時のよう。当たったことないけど。


「零沢はいつもこんなことしてるの? テスト以外の時は?」


「コーヒーだけ飲みに来ることもあるよ。止まってる間にご飯食べれば昼休みは暇になるから、おすすめ」


「いや、この時間も暇じゃん」


 他愛のない話をしながらどんどん作業を進める。時折はっとして時計を見つめるがやはり秒針は動いていない。

 これで次のテストは安泰だ。クロノスタシス症候群、万歳。


「朝香さん。時間が止まって、最初は怖かった?」


 ノートに文字を綴りながら、零沢は唐突に尋ねてきた。

 確かに最初は怖かった。自分以外誰も動いてなくて、また動きだすかもわからなかったし。


「まあね。でもまあ、零沢がいて助かったよ。ありがとう」


 素直な言葉をぶつけると零沢の手が止まり、目を丸くしてこちらを見つめてくる。

 かなり距離が近づいていて、思わずのけぞってしまう。


「わたしも最初は怖かった。朝香さんが」


「え、そっち?」


「声大きいし顔もちょっと怖い」


「ちょいちょい喧嘩売ってくるの何?」


 こんなにかわいい顔じゃなかったら引っ叩いてやりたい。渾身のしかめ面も気にせず零沢は続ける。


「でも、この止まった時間で、特別を共有できた。いつもひとりで過ごしてたけど、ふたりだとすごく楽しかった」


 零沢の指が頬に触れる。緩く押されて口角は無理やり上げられる。

 今日一番の無邪気な笑みを零した。儚くて、それでも楽しげな笑みを。


「朝香さんって面白いね」


 瞬間、時間が止まる前の出来事を思い出す。

 面白くない。そう別れを告げられた不愉快な記憶。

 今の今まで忘れられたのは、時間が止まるだなんて無茶苦茶な現象のせいなのか。

 それとも、みんなが避けてた不思議な少女が、存外面白い人だったからなのか。


 私は気負っていた。好かれるために気を遣って、いい人を演じようとしていた。

 だから面白くないと、聞いてた話と違うとまでいわれた。


 気を遣う必要なんてなかったんだ。そう、目の前の少女に教えられた気がする。


「ねえ零沢。もうひとつやりたいことがあるんだけど」


 零沢の手を取って四階まで駆け上がる。

 有無を言わさずやってきたのは一組の教室の前。

 廊下に出ていたので見つけるのは簡単だった。窓側に寄りかかって立つそれの顔を見ると、昨日の記憶が蘇る。


「さっき言ったよね。押したら瞬間移動みたいになるって」


「うん。そうなる」


「じゃあ、今思い切りぶん殴ったら、動きだすと同時に痛みが来るんだよね?」


「そう、なんじゃないかな?」


 確かに終わったことだ。今更寄りを戻したいとか、時間を巻き戻したいだなんて思わない。

 だが、やられっぱなしで終わるのは癪だから。


「面白いとか面白くないとか、一週間でわかるわけないでしょ……」


 足を振り上げる。目標は足の間。女にはない男の最大の弱点。


「お前の話の方がよっぽどつまんないんだよ自分語り野郎が!!」


 ありったけの力を込めた蹴りは命中。ぐにゅんと気持ち悪い感触が伝わりすぐさま離れる。

 こっちの足も痛い。だが相手はその数倍痛いだろう。


「よし。すっきりした」


「大丈夫かな。急に痛くなって、びっくりしちゃうかもだよ」


「それくらいでいいの。天罰天罰」


 心底爽快な気分で振り返ると、零沢は驚いた表情で「あ」と一音だけ零す。


「動きだすよ。時間が」


「えっ今? あとどれくらい?」


「三十秒くらい」


「ほんとに急じゃん⁉ 急いで戻らないと」


 慌ててふたりで走りだす。書き殴ったノートを片手に元いた教室に滑り込む。


「じゃあ零沢! またあとで!」


「またね。サカちゃん」


 颯爽と駆け抜けていく最中、聞き慣れない単語を残して彼女は去っていった。


 サカちゃん……まさか、それ私のこと?

 いやダサい。そんなところ略してあだ名にするやつ初めて見たわ。


「変な奴……」


 席に着いて数秒。パリッとガラスが割れたような音が聞こえた刹那、一気に音が溢れ出した。


 外を走る車の音。鳥の鳴き声。人の会話。

 元に戻ったことで、さっきまでの光景はやはり夢だったのではと錯覚してしまう。

 けれど……ポケットに仕舞ったくしゃくしゃのメモがそれを否定してくれる。


 クロノスタシス症候群。原因もなにもわからないけれど、悪くない体験だった。

 また次のテストが近づいてきたくらいに起こるといいな。


 そんな淡い願望を込めたのは、一週間ほど前の話。


「……」


「…………あむ」


「いや、早くね?」


 たった一週間という短い間隔で、クロノスタシス症候群は再発した。

 今回もまた私と零沢だけ。またも呑気におにぎりを頬張っているところを目撃する。

 こちらに気づくなり、彼女は小さく手を振った。


「また気づいたんだね。サカちゃん」


「その呼び方やめろ。てかこんな頻度で起こるの?」


「いつも不規則だよ。でも二回も気づくのはすごい」


 飛び跳ねるように立ち上がり、零沢は私の手を握る。


「今日は何する?」


「米ついた手で触るなアホ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

クロノスタシスを君と 永ノ月 @nagano2_crown

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ