クロノスタシスを君と
永ノ月
前編
「お前さ、思ったより面白くねえよな」
夕暮れの帰り道。先を歩く少年は低い声で切り出した。
なんの前触れもなく投げつけられた鋭利な言葉に私は怯んでしまう。
「な、なんでそんなこというの?」
「いや。友達から聞いてたのと違うっていうかさ。てかいつも俺の話聞き流してるよな?」
私よりも頭一つ分大きな彼が不機嫌な顔をする。威圧感こそあるが、負けじと背伸びをして対抗してみせる。
「ちゃんと聞いてるよ。それより聞いた話って何?」
「今は関係ねえだろ。てかなんでキレてんの?」
冷たく突き放すような口調。
加えて相変わらず上から目線な態度に、抑えていた感情がふつふつと湧き上がってくる。
告白してきたのは彼からなのに。
見ず知らずから始まった関係だったけど、ちゃんと好きになろうと努力していたのに……そんな言い方されるなんて。
「話聞かないのはそっちじゃん。いつも自分の話ばっかしてるし。一方的に話すのは会話っていわないんだけど!」
「逆ギレかよ……めんどくさ。もういいや、別れようぜ」
冷たく言い放ち、彼は足早に去っていく。
私はというと、たった一言言い返しただけでこの恋慕が終わったことを飲み込めず、しばらく茫然と立ち尽くしていた。
夏は始まったばかりで夜が近づいてもなお蒸し暑い。ヒグラシの鳴き声は昼間の連中とは違う、独特の物悲しさを演出している。
フラれた。
そんな言葉ばかりが頭の中を支配し、肩からずり落ちていく鞄はやがて地面に落ちてしまう。
それとは別に冷静な私が脳裏で囁く。
この光景を、あの言葉を生涯忘れることはないだろうと。
「あーもうカスカスカスカスカスカスカスカス」
「おーおー。朝香姫が今日もご乱心でいらっしゃる」
翌朝になっても怒りが収まることはなく、こうして自分の机の上で負の感情を垂れ流している。
それを見かねた友人たちはお菓子や保冷剤を片手に寄ってきて、今にも暴れだしそうな猛獣を宥めてくれる。
「彼と別れたんだってさ」
「うっそ。まだ一週間しか経ってなくない⁉」
「だから余計むかつくんだよ~……」
たった一週間で人の何がわかるというんだ。たいして見る目もないくせに。
「もう忘れちゃいなよ。若き日の過ちとして、ノーカンでもいいんじゃん?」
「そんな簡単に忘れられたら苦労しないよぉ」
初めて付き合った相手と一生を添い遂げる人などごくまれで、多くの人は出会いと別れを繰り返している。
頭ではわかっているけど……初めての経験ってもっと酸いも甘いもある、大切な一ページ目なんじゃないの?
「朝ちゃんも案外ピュアだよね。いつもひねくれたこと言ってるくせに」
「夢を見るのは自由だと思いますー高校生活に希望を抱くのは当然だと思いますー」
「お、いつものに戻ってきた」
「てか一組の足立でしょ? なんであんなのと付き合っちゃったの?」
「それは……」
「ほら席着け。ホームルーム始めるぞ」
ドライな担任教師の登場により会話は遮られる。
机に座る可憐な少女たちを睨み、野生動物を追い払うようなジェスチャーをしてみせる。
私はというと、依然として机に突っ伏してさきほどの問いの答えを考える。
なぜ付き合ったのか。それに関しては「告白されたから」という明確な理由がある。
男子から告白されたのは初めて。しかも高身長の運動部ときた。
ついにモテ期がやってきたのかと舞い上がり、気づけばこの有様である。
「今日は宇田先生が休みになったため一時間目は俺の古典に変更。教科書ないやつは借りてくるように」
そういえば、付き合ったと報告した時の周りの反応は少し鈍かった気がする。
さっきもいってたように彼の評判はあまりよくなかったんだ。
「もうすぐ期末テストだ。部活も休みになるんだからきちんと復習するように」
思ったより浮かれてたんだな。私。
こんなことなら、初めから付き合わなければよかった。
退屈な授業が始まると途端に眠気が襲ってくる。
昨日はほとんど眠れなかったから当然か。一時間目は丸々夢の中コースだな……
…………
……どれだけ寝ただろう。数秒か、あるいは数分か。
薄目で黒板の上の時計を一瞥すると、時計が止まって見えた。
たまにあるよね。見た瞬間がちょうど動いた後で、ほんの少し止まっているように見える現象。
名前は確か……
「あれ? ほんとに動いてない?」
時計が壊れているのか? だとしたら誰かが言い出しそうなものだけど。
ふと周りを見渡して、ぞっとした。
私以外のすべてが止まっている。
「え、え? なにこれ?」
授業は終わったのかみんなは席を立っている。しかし立ったまま誰も動かない。
瞬きもせず揺れもしない。ドッキリだとしてもみんながこんな芸当できるわけがない。
物は試しだ。一番仲のいい女子のスカートをめくってみる。
「攻めてるなぁ」
少なくともドッキリの線はなくなった。
ただ自分の浅い呼吸音と、徐々に早くなっていく鼓動だけが聞こえる。
「夢、だったりして」
仮に夢だとして、いつになったらまた動きだすんだ?
その場合ずっと夢を見続けている? それとも止まった時間はもう動かないとか?
思考が巡るほどに恐怖が競り上がってくる。
落ち着け。なにも私だけが動けるとは限らない。この教室にいなくともどこかにいるんじゃないか。
廊下に出て足早に進んでいく。
三組は授業が終わらなかったのか全員席についている。
「四組は……体育か」
教室はもぬけの殻。
縋るように五組の教室を覗き込む。すると。
「…………あむ」
ついに見つけた私以外に動いている人。彼女はこの状況に置かれながら、落ち着いた様子で菓子パンを頬張っていた。
ようやく仲間が見つかった、そう素直に喜びたかったがそうはならなかった。
その人は話したことこそないが学年でそこそこの有名人で、私も耳にしたことがある。
零沢(れいさわ)優月(ゆづき)。変わっているのは苗字に留まらず、というかすべてが異質で構成された変わり者。
生まれつきらしい混じりのない白髪。同じく透き通るような肌は日本人離れしており、儚げなビジュアルは男女ともにウケがいい。
人気者一直線な要素しかないが、問題はそれ以外。
「あ、あの。零沢さん? だよね」
意を決して声をかけてみる。彼女はこちらに気づいたのか、振り返りながら口の中のものをゆっくりと咀嚼している。
眠そうな表情は変わらず、じっと私の方を覗き込む。
「確か二組の……」
「え、私のこと知ってるの?」
有名人に認知されていたとは。もしや私も結構な人気者だったのか?
「うるさいグループの、うるさい人」
そんな覚え方されるくらいなら知らないでいてくれ。
そう。このちょっと浮いた言動が絶妙に近寄りづらく会話も難しいのだ。
最初は誰もがすり寄ってみるものの、まるで協調性もなくどことなくリズムが嚙み合わない。
結論、遠巻きから見る分には面白い珍獣という意味での有名人なのだ。
「瀬戸朝香。以後お見知りおきを」
もうこいつにかしこまるのは止めよう。
ペースを乱され忘れかけていたが、肝心の問題が解決していない。
「零沢さ。なんであんたと私だけ動けるかわかる?」
「……わからない。けど、わかるかな」
「どっちだよ」
「原理はわからないけど、よく起きるから知っているってだけ」
よく起こる? こんな摩訶不思議な現象が?
少なくとも私は生まれて初めて体験したが、零沢は初めてではないらしい。
「朝香さんは、時間って何だと思う?」
「何って……時間は時間でしょ。時計見ればわかるし」
「時間はどうして一定方向に、同じ方向にしか流れないと思う?」
やばい。全然何言ってるかわからん。
幼稚園生じゃあるまいし、見るものすべてになんでなんでと聞かれても答えられない。
首を横に振って思考放棄のサインを送ると、零沢は続ける。
「物理学的な観点でいうと、時間ってよくわからない存在なの。光や音は五感で感知できるのに、時間は時計を見ないと正確に把握できない。でもそれって人工的なもので自然だとはいえないでしょ?」
「まあ、確かに……」
「だから本当は逆行したり、止まったりしている可能性がある。でも誰も証明できないからずっと謎のままなんだ。今のわたしたち以外はね」
いつも零沢はこんな話をしているのだろう。冗談も大概にしてほしいと鼻で笑われている姿は想像に難くない。
しかし現実はこうだ。私はまったく笑えない。
「時間はたまに止まったり戻ったりしている。逆行についてはわたしも認識できないけど、昔からこういう停止は気づいてたの。朝香さんも今日初めて気づくことができたんだよ。おめでとう」
煽られているのか、思わず手が出そうになるがおそらくこいつは無自覚。手は出さないでおこう。
「どうもありがとう」と皮肉をこめて返すと、零沢は初めて微笑を浮かべて立ち上がる。
「わたしはこれを『クロノスタシス症候群』って名前を付けたの。時計が止まっている間はわたしも朝香さんも自由。やったね」
「くろの、すたしす……」
寝起きで浮かびかけた単語が出され、喉に引っかかった小骨が取れた。
すっきりしたのも束の間、零沢は一冊のノートを片手にのんびりと歩いて教室を出ていく。反射的にその背中を追いかける。
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