特等席

@sk_o6

第1話 知らない彼

どこか心地よくないチャイムの余韻がひびき、生徒があわただしく席に着く。不協和音のようなチャイムの音と出会って2ヶ月が経とうとしていた。授業の終わりのチャイムならもう少し気分はあがるのにな、なんてことを考えている、けれど、今からは音楽の授業だからいつもより気分はいい。生徒がある程度席に着いた時、音楽教師の矢澤がピアノの前に立つ。いつもより息を整えて、自信があるのか不安そうなのかよくわからない表情ではっきり言った。

「11月に合唱コンがあります。今日はそれのあれこれを決めるんだけど〜...」

怒られる感じではなかったから安堵したものの、気持ちを入れ直す。真剣な眼差しで矢澤の方をみていると、矢澤がとくに間髪入れず聞く。「まず伴奏者決めたいんだけどー、弾きたい人ー!」ここで手を挙げるのは私にとっては慣れっこだ。入学してからクラスで目立つようなことはしてこなかったから緊張はしたものの、うすい緊張の膜がはった音楽室に、角のない矢を放つように、まっすぐ控えめに手を挙げた。「わたし...やりたいです...!」教室がザワザワする。去年までのザワザワとは少し違う音がする。息を整える間もなく矢澤が「えーっと、百合垣さんだよね?おっけーおっけー」つづけて「じゃあつぎ、指揮者やりたい人ー」誰がやるんだろう...伴奏者にとって指揮者は大切な存在だ。歌が始まるまでの、指揮者と伴奏者だけの二人の時間がそのクラスの第一印象を決める。そこで生まれる感情が期待感なのか、不信感なのか、プラスの印象を与えることが出来れば歌う方も気持ちを軽くして歌い出すことが出来る。曲の初めにはふたりで息を揃え、盛り上がるところは一緒に盛り上がり、曲の途中に間奏があればその部分もふたりでよく打ち合わせをする。最後の一拍まで指揮者と伴奏者は足並みを揃える。話しやすい子がいいな、なんて考えながらそれとなく教室全体を見回しているとひとり、手を上げる人がいた。


「おれやります」


はっきり、だけど控えめに。さっきよりもザワザワが大きくなる。そしたらまたすぐに矢澤が「お、いいねーきみは横峰くんだよね!はーい了解」私はまったくピンと来なかった。"横峰くん"頭の中で復唱する。喋ったことはない。高嶺の花な感じの存在で、クールキャラだ。実際クラスの人と喋っているのはあんまり見かけない。というよりいつも休み時間になるとすぐに教室から出ていく。下の名前もしらないし、打ち解けられるかどうか少々不安な気持ちを抱え、曲を決め、あっというまに授業が終わる。心地悪いチャイムの音が響く。音楽の授業の終わりのチャイムは寂しい気がしてあんまり好きじゃない。ぼんやりしながら席を立つと、にこにこした顔がこっちに寄ってきた。風早鈴音だ。綺麗な名前だなって毎日思う。髪は茶色っぽくきれいに巻いていて、顔も名前にあったふわふわした優しい顔。控えめな性格で、声が鈴のように高くて小さい。入学式の時私から話しかけて、そこから仲良くなった。目の前まで来たところで鈴音が「翠彩ってピアノ弾けるの?!すご!!頑張って!」と期待十分の声で言う。妙に懐かしさを感じ、「ありがとうがんばる!」と返した。教室を出ようとするとき、私はふと横峰くんの方に目をやった。横峰くんも教室を出ようと席を立ち、荷物をまとめていた。横峰くんの顔をきちんと見たことがなかった私は、自分の目に映る彼の顔にびっくりし、思わず二度見してしまった。相変わらずの無表情で、センター分けの髪が若干目にかかっていて、肌は色白、鼻筋はスっと通っている。なんて綺麗な顔なんだろう。その顔は、私の彼に対して抱いていた不安な心にひとつ答えを差し伸べてくれる。そんな顔だった。自分の心に落ち着きを与えてくれる、例えていえば水のようななにか。その水顔の余韻が波紋のように私の頭の中に広がる。そしてそれは心臓の鼓動になり全身を駆け回る。なにか嫌な予感がしてすぐに彼から目を話した。心臓がうるさい、音楽室を出て少し遠くなったところで鈴音がいつもよりもより一層小さな声で聞いた。「ねぇ翠彩、横峰くんと喋ったことあるの?」私はドキッとした、今彼の名前を聞くとドキドキする。そのドキドキに蓋をするように「な、ないよー、」と少し大きめの声で返す。鈴音は思っていることが顔に出やすい。そうだよね!という顔で続ける。「えーだよね!喋ったことない人とバッテリー組むの不安じゃない?」バッテリーという表現に軽く吹き出した。ここでいうバッテリーというのはおそらく野球のピッチャーとキャッチャーの2人組ことだろう。この2人は野球の試合をつくるといっても過言ではない。キャッチャーはピッチャーの特性をよく理解したうえで、対戦相手が打てないような配球を考える。ピッチャーはキャッチャーが求めた通りの球をキャッチャーミットに向かって投げ込む。そういえば鈴音は野球が好きだったなーと思い出す。「バッテリーって笑笑でもたしかにそんな関係性かも...」と妙に納得してしまう私に鈴音は得意げに「でしょ?」と言う。そんなたわいもない話をしているときにでも、彼のあの水みたいな横顔は私の頭から離れなかった。だがこの優しい衝撃の正体を、私は受け入れたくなかった。


私の物語はすべて、ここから始まった。

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