早めのお別れ

朝吹

 

 

 そのピエロの人形は、輸入雑貨店の棚に並んでいたいろんな国の人形の中から、「これ、上品な顔ね」と母が選んだ。

 高さ十センチほど。腕と足が付け根から動き、人形は左右に足を投げ出したかっこうで座らせることも出来た。

 紺地に白と臙脂の水玉もようの服を着て、ひらひらした金色の襟をつけ、黒と紫のラメ糸で織られた帽子をつけたそのピエロは、てっきりドイツかフランスあたりの人形だろうと思い込んでいたのだが、足の裏に貼ってあるシールを後から見ると、中国製だった。

 きれいな青い目、つんとした小さな鼻、そして柔らかく閉じた唇まで、ほそい筆で丁寧に描かれ、少女がままごとに使う人形というよりは、飾り物として眺めておくのに相応しく、たまに手にとって手足を動かして遊ぶ他は、わたしはそれを、本棚の上にちょこんと乗せておくことにした。

 それからそのピエロの人形は、わたしの人生にくっついて、進学先や就職先の他県にも、そして結婚した後の新居にも、とことこと小さな足でわたしの後を追いかけてくるようにして、いつも近くに存在していた。


  いま、そのピエロ人形は、生ごみに混じって、市が指定した薄緑のゴミ袋の中にある。


 はあ、とわたしは溜息をついた。

 これが子どもの頃ならば、「お母さん!」と悲鳴を上げて母の許にすっ飛んでいくのだが、大人になるとこういう失敗も、自分の胸に納めて対処しなければならない。

 はああ。

 重い溜息をまた一つつき、わたしは洗面器を傾けて、はっていたお湯を流しにすてた。濁ったお湯は、ちょうど学童用品のパレットを洗った後のような薄汚れた筋を引き、流しから下水へと流れ落ちていった。


 わたしの莫迦。


 掃除をしている時にふと、硝子扉の棚の中に置いてあるピエロ人形と目があったのだ。取り出して久しぶりに人形の顔をみてみると、ピエロはいつの間にやらひどく汚れているではないか。

 何十年も経過した人形は、ひらひらの襟もすでに張りを失い、顔も経年劣化で薄汚れ、さらには老人のようなシミまで浮いている。

 わたしはさっそく、ぬるま湯を用意して、そこに洗剤を薄く溶かし、お風呂にでも入れてあげるような気持ちで服を着たままのピエロをぽちゃんと湯に落としたのだ。するとどうだろう。

 漫画でよくある恐怖表現のごとくに、人形の顔は縦線を引き、たちまちのうちにその顔が湯にとけた。

「うそっ」

 大急ぎで人形を取り出したが、すでに遅かった。

 上品な顔ね。そう云った母の声まで憶えているというのに、ピエロからは、人形の命ともいえる顔、目や鼻や口がきれいに流れ去って消えていた。油彩で描かれているとばかり思い込んでいたその人形の目鼻立ちは、どうやら水彩で描かれていたようなのだ。

 後悔先に立たず。あとに残されたのは、白目を剥いた、まるで今から頭髪をつけて彩色されるのを待っている文楽人形の頭部のような、何とも云えない不気味な一体だった。それはピエロというより、深海魚か宇宙人だった。

 わたしはそれを大急ぎで、ごみ袋の中に投げ込んだ。

 怖ろしかったからではない。気が動転していたわけでもない。顔が消えてしまったピエロ人形は、わたしの知っている、わたしが子どもの頃から親しんできた、清朝後期の美人画のような筆致の、あの品のいい人形では、もうなかったからだ。


 悩まなかったといえば嘘になる。

 今なら間に合う。今ならまだ。

 腐りかけの野菜くずに混じって棄てられているあのピエロを、今ならまだ救出できる。顔は、わたしが描けばよいのだ。そこそこ絵心もあるのだから、まったく同じではなくても、可愛く仕上げることは出来るだろう。たとえ日光東照宮のあの三猿のような悲惨な改悪に近い出来になったとしても、長年連れ添ったピエロ人形なのだからして。


 わたしは翌朝、そのごみ袋をそのままゴミ回収所に出した。

 顔の消えたピエロを棄てた。

 心を決めるにあたり、想い出の品々をひとつひとつ脳裏に想い浮かべてみて、それらがいま、手許にあってもなくても、その品にまつわる愛着には大差がないのではないかという、わたしなりの心理試験を一晩かけてやってみた。

 たとえば、恋むすびのおじぞうさん。

 それは生まれて初めて京都に行った時、あの真っ直ぐな、長い京極通を歩きながら土産物やを一軒一軒みてまわり、「これ」と親にねだって買ってもらった小さな小さな、陶器のおじぞうさんだった。

 いかにも京土産です、といわんばかりのその可愛い地蔵は親指の爪ほどの大きさで、恋が叶うというご利益つきで売られていた御守りだったが、その大きさと、黄みの混じらない、白に近い薄桃色のきれいな色が気に入った。

 で、その恋むすびの御守りがどうなったかというと、まったく憶えていない。失ったか、棄てたか、友だちにあげたか、とにかく憶えていない。憶えていないのだが、空豆のような手触りや、細筆で描かれたあの穏やかなおじぞうさんの顔は、ありありと憶えている。

 よし。

 脳内確認をすませたわたしは、何かを乗り越えたような気持ちで生ごみを運んだ。ピエロ人形を突っ込んだごみ袋を回収場所に投げ出し、振り返らずに家に戻った。いずれわたしが老いて死ねば、遺品などすべて破棄される。人形との想い出や愛着はわたし個人の記憶に繋がれている。失っても、ちんまりと座っていたあの姿は、この先いつでも必要な時にちゃんと想い出すことが出来るだろう。

 その日、わたしは人形を置いていた棚から目をそらして過ごした。




[了]

 

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