よいよい

沙華やや子

よいよい

 37才の紘一こういち。大学を出てずっと、大手自動車会社の本社にて事務をしている。

 ほぼほぼ定時に上がる……まぁたまに残業もあるが、ボーナスもガッツリ戴き、不満はない。あるとしたら、フツー過ぎてつまんないことぐらいか。4つ年下の気立てのいい妻もいるし、娘は小学3年生。優しい良い子だ。トラブル一つない生活。

 恵まれてるんだろうな。一般的にはね。


 でも、俺つまんねぇ。


 妻が綺麗に磨いた革靴で、今日の仕事帰りも向かうは行きつけの居酒屋。大将は大らかで親切だ。

 上司が昔連れてきてくれていっぺんでホレちまった、店。ここの造りは新鮮でほんとにいい。板前のようちゃんは若いのに出来る板さんだ。お通しも絶品だ。今夜は白和えか。うん、イイね。


「大将、店リニュするんだって?」「なんだい? りにゅ、って、絋ちゃん。そんなハイカラな言葉、オイラにゃわかんねぇよ」「ほらぁ店長」手酌で瓶ビールをつぐ紘一。「店を大々的に改装するって言ってたじゃない。儲かってんだねーあはは♪」「おかげさんでね! 陽ちゃんみたいな職人が折角いてくれるんだからよぉ、厨房も広くして、客席も増やそうかと思ってね」「いいじゃない!」

 大将が腕組みをし、束の間黙った。「どしたの、大将」「……ンー今のな、店名だよ『青い宵』ってよぉ、まるで『電球の球』みたいじゃねぇか? 居酒屋店としちゃぁ冴えないんだよね」「え、大将……店名まで変えちゃうの? 店名ってそれこそ店の店たるゆえんじゃないか」「そう思う? 絋ちゃん……でもね、俺もう決めちゃったの」「なんていう名前にするんすか?」紘一はうまい酒を呑んでいる。

 大将が出来上がったイカの丸焼きをカウンターに出した。そして言った。

「決まってないよ。『絋ちゃんに店名を考えてもらう』って決めちゃったの」一口イカ焼きを頬張った紘一が驚愕する。「ぅぅぅうううんん!?」口の中にはあぶられた香ばしさと海のが広がっている。もぐもぐもぐ、ゴックン。ビールで流し込む紘一。

「オレ、っすか?」「そ、絋ちゃん新しい店の名前考えて」「ちょちょっと……待ってください、大将、その前にさ……まず、流行ってる店なのに店名を変えちゃう、って、変わったあとみんな元『青の宵』って判んなくて他の店に行ったりしないかな?」振り返ってホール係がせっせと料理を運ぶテーブル席に目をやる紘一。

「大丈夫、常連さんみ~んなに言って回る手筈だから」「そ、そうなんだー」


「ただいま~」妻がそそくさと玄関まで出迎える。「おかえりなさい、紘一」「パパおかえり~!」「ン、のりちゃん、まだ起きてたの~」娘を抱き上げる紘一。「パパを待っとくってきかなっかったのよ、今夜は」「そかそか。宿題やったの?」「はーい!」手を上げる可愛い典ちゃん。(……宿題、俺もやらなきゃなぁ)

 紘一は結局『青の宵』の新しい店名を考えることを引き受けちゃったのだった。


「『青の宵』に似てるのはどうだ?『宵の宵』……つまんねぇか。ンーじゃあね『しゃっくり大魔神』。吞み過ぎだな、それじゃギャハハ。そうだな、意外や意外『居酒屋マリンブルー』なんて……面白くないか……ウーうー。ン~」懸命に頭をひねる紘一。


 ……「おじいちゃん! ……おじいちゃん! 聞こえますか? もうっ、また! 料理酒飲んじゃったのー?! こんな深夜に!」

 キッチンで老人から料理酒の容器を奪い取る中年女性。

「どうした? 典ぃ?! お父さん、またか……?」眠たそうに眼をこすりつつ階段を下りて来た中年男性。

「そうなのあなた! お父さん見てよ……」 そこいらじゅうにビールやチューハイの空き缶が転がっている。そしてこのおじいちゃん、料理酒をがぶ飲みしているところ娘の典に見つかったのだ。


 が、おじいちゃんはずーっとつぶやき続けている。「『青の宵』に勝てる店……そうだな~『居酒屋海風うみかぜ』なんかどうだ? ……ああ! 典ちゃん!! 宿題やったの?」

 項垂れる典……。


 今の紘一は「つまんなく」なくなったのだろうか……。




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よいよい 沙華やや子 @shaka_yayako

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