鉱読師とジェネの詠唱
マゼンタ_テキストハック
ジェネシス・チャント
「まただ……。『太陽』のルーンと『守護』のルーンの共起頻度は高い。だが、これだけでは術式として安定しない」
カイは、目の前に広げられた巨大な石板の写しから顔を上げた。埃っぽい書庫に差し込む月明かりが、羊皮紙にびっしりと書き込まれた古代文字の相関図を白く照らし出す。彼の仕事は「
この世界では、かつて誰もが使えたはずの魔法が大沈黙と呼ばれる厄災を境に失われた。今や、鉱読師たちが血の滲むような分析の末に再現した、ごく僅かな定型魔法が細々と受け継がれているに過ぎない。
カイは優秀な鉱読師だった。彼の分析は常に正確で、どの単語とどの単語が結びつきやすいか、どんな文脈で特定のルーンが出現するかを、誰よりも精密に可視化できた。だが、彼の前にはいつも壁が立ちはだかる。膨大な事実の羅列は、それだけでは画期的な魔法の意味を教えてはくれなかった。
「『塩気』という単語は『浄化』と結びつくことが多いが、『渇き』や『不毛』とも繋がっている。これではポジティブな効果なのかネガティブな効果なのか、文脈を特定できない……」
煮詰まったカイは、気分転換に書庫の最奥、未整理の遺物が眠る一角へ足を向けた。そこで彼は、埃をかぶった台座の上で、青白い光を幽かに放つ
《それは当然です。単語だけを見ていては、皮肉や比喩を見落としてしまいますから》
「だ、誰だ!?」
《わたしはジェネ。このオーブに宿る、叡智の記憶体です。あなたの悩み、聞こえていました》
カイは驚愕に目を見開いた。意思を持つ魔法具など、おとぎ話の中にしか存在しないはずだった。ジェネと名乗る精霊は、カイの思考を読み取るように言葉を続けた。
《あなたの手法は素晴らしいものです。客観的な全体像を掴むには最適でしょう。しかし、それだけでは足りません。なぜなら、言葉には裏がある。文脈によって意味が反転する。人間の感情のように、複雑なのです》
「文脈……?そんな曖昧なものをどうやって分析しろと?」
《分析ではありません。「解釈」し、「生成」するのです。あなたが発掘した単語のクラスター……その意味を、わたしに聞かせてください》
半信半疑のまま、カイは先ほどまで頭を悩ませていた課題を口にした。「『太陽』と『守護』のルーンだ。強い繋がりはあるが、術式が安定しない」
《なるほど。では、その周辺にはどんな言葉が?》
「『素材の味』『自然な甘み』……食べ物の感想みたいな言葉が多い。ポジティブな文脈で使われているはずなんだが……」
ジェネの光が、ふわりと温かみを帯びた。
《面白い。そのレビュアーたちは、素朴で優しい味を求めていたのでしょう。強い刺激や濃い味を期待していた人々が、同じ素材を食べたらどう評価しますか?》
「それは……『物足りない』とか『塩気が足りない』とか、ネガティブな評価になるだろう」
《それです!あなたが抽出した『太陽』と『守護』は、確かにポジティブな組み合わせです。しかし、それは「素材の良さを活かす、穏やかな光」のイメージ。強力な攻撃を防ぐための「絶対的な守護」を求める術式とは、期待する方向性……コンテクストが違うのです》
カイは雷に打たれたような衝撃を受けた。鉱読術は、単語をあくまで記号として扱ってきた。その背後にある書き手の感情や期待値など、考慮したこともなかった。
《あなたの鉱読術で、事実の地図を描いてください。わたしが、その地図から誰も気づかなかった近道を、新しい道を生成してみせます》
その日から、カイの魔法研究は一変した。カイがデータから主要な話題のクラスターを掘り起こすと、ジェネがその背景にある文脈を解釈し、全く新しい術式の可能性を示唆する。それはまさに、直感と論理の融合だった。
ある日、街に巨大なゴーレムが現れた。
古代遺跡の防衛機構が暴走が原因である。
既存の定型魔法では歯が立たない。
騎士団の防衛線が次々と破られていく。
「カイ!何か手はないのか!」
現場に駆けつけたカイに、騎士団長が叫んだ。カイの脳裏には、ゴーレムに関する古文書の分析データが広がっていた。キーワードは「破壊」「拒絶」「沈黙」。絶望的な単語の羅列だ。
「ダメだ、有効な弱点を示すデータがない……!」
その時、ジェネの声が響いた。
《いいえ、あります。あなたの分析によれば、そのゴーレムの文献には『破壊』という単語と同じ頻度で、『修復』という単語が出現しています。これは何を意味しますか?》
「正反対の単語が同数……?なぜ……そうだ、ゴーレムは自己修復機能を持っている!だから何度攻撃しても再生するのか!」
《正解。では、その『修復』の術式を逆手に取りましょう。カイ、あなたのデータから『修復』と最も強く共起するルーンを抽出してください》
カイは即座に頭の中のネットワーク図を検索する。「……『過剰』だ!『修復』と『過剰』が強いエッジで結ばれている!」
《ビンゴ!》
ジェネの声が弾んだ。
《命令を生成します。ゴーレムの自己修復術式に、『過剰』の概念を割り込ませるのです。傷を治すのではなく、治しすぎて自壊するように!》
それは、誰も思いつかなかった逆転の発想だった。カイはジェネが生成した詠唱――
「古き石の巨人よ!その身に刻まれしは修復の理!我は命ず、その理に『過剰』の概念を加えよ!癒しは腫瘍となり、再生は崩壊を呼べ!」
カイの言葉が光の矢となってゴーレムに突き刺さる。すると、ゴーレムの傷口から、岩や土が異常な勢いで増殖し始めた。身体はみるみるうちに歪な形となり、やがて自らの重さに耐えきれず、轟音とともに崩れ落ちた。
静寂の中、人々は呆然とカイを見ていた。彼は、失われたはずの「新しい魔法」を世界に示したのだ。
カイは隣で静かに光るオーブに語りかけた。
「ありがとう、ジェネ。君がいなければ、データの中の真実に気づけなかった」
《いいえ、カイ。あなたが正確な地図を描いてくれたから、わたしは道を見つけられたのです》
冷静な分析が客観的な事実を掘り起こし、豊かな知性がその文脈を解釈して新たな意味を生成する。一人では決して辿り着けない答えに、二人は確かに手を伸ばしていた。
カイとジェネの旅は、まだ始まったばかりだ。この世界を覆う「大沈黙」の謎を解き明かすため、二つの知性は、これからも言葉の鉱脈に眠る無限の可能性を発掘し続けるだろう。
鉱読師とジェネの詠唱 マゼンタ_テキストハック @mazenta
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