G○○gle Paradigm Shift

天川

時の撚り糸

 世界的大企業の提供する地図アプリ、今や知らない人のほうが少ないであろう便利機能。

 用途は当然、地図を見ること。今やカーナビのそれより頼りになるかもしれない、更新頻度の早い地図データ。その情報の蓄積量は膨大だ。


 その中にストリートビューという機能がある。


 世界的大企業だからこそ出来る、全世界の道路周辺を撮影したリアルな画像データ。その写真をつなぎ合わせ、あたかもそこに立っているかのような景色を映し出す機能だ。実際、この機能が登場してから地図アプリを頻繁に使うようになった人も多いと思う。

 サービスが始まりたての頃は、やれ自宅の様子が丸見えだの、車のナンバーが知られてしまうだのといろんなクレームもあったが、それも昔の話。今では、このツールがなければ日常が送れないと云うほど生活に食い込んでいる。

 尤も、地図データと違い生の撮影画像を使用するこのストリートビューの更新頻度はかなり遅く、中には五、六年前に撮影された画像がそのまま残っている場所だってある。都市部の更新はそれなりだが、田舎に行くほど古い画像が残っている事が多い。


 その話題が取り沙汰されたのは、あの大厄災「東日本大震災」からまもなくのことだった。嘗ての景色をそのままに残すストリートビューの画像を、更新せず何らかの形で残して欲しい、と。


 この地図データの内部には、失われてしまった記憶の残滓が数多く残っている。それは思い出の場所、あるいは二度と会えない人かもしれない──


 かの大企業は、そんなユーザーの気持ちを汲んで(あるいはそこに需要があると見込んで)古い画像データを部分的に更新せず残す方針を決めた。画面の中だけに残る、過去に触れる擬似体験────偶然撮影された景色の中に見た、懐かしい面影。決して手が届かないと思っていた追憶に触れる情動は、やがて一人の天才の発明を刺激することになる。


 それが実現できたのはほんの偶然、しかし紛れもない真実だ。

 未来において実現されると決定づけられた、プロジェクト。それは、過去への祈りであり未来からの手紙でもある────



 ………………………………



 ……とある地方の村落、稲刈りを終えた田んぼで働く年老いた夫婦がいた。

 あと何年働けるかわからないが、動けるうちは続けようと老体で精を出す姿。刈り取りの終わった圃場には、束ねられ脱穀を終えた稲藁が敷き詰められてたように横たわっている。それを四本ずつ束ねて立てていく……ひどく原始的で手間のかかる作業だが、こうしておかないと上手く乾燥せず藁は使い物にならなくなってしまうのだ。


「あー……こわいつかれたな────」

「休みながらやりなせぇ……」


 老夫婦は、声を掛け合いながら作業を続けている。そんな二人から少し離れて、同じように作業する息子の姿も。

 三人の後ろには、整然と並べて立てられた稲藁の列が続いている。一時期は、刈り取りと同時に機械で細かく刻んで処理するやり方が流行ったこともあったが、結局使い勝手の良い昔ながらの方法に回帰した。新しいものが最善ではないというのは、いつの時代も同じなのだろう。


 そこへ、何処からともなく羽音のような音が近づいてきた。

「……何の音だべ?」

「ヘリコプターでねぇが?」

 そんな声を掛け合いつつも手は止めない。


 だが、やがてその羽音の主が近くまでやってくると、夫は何かに気付いたように空を見上げた。

「あぁ……ドローンだ」

 息子はそう言って両親に歩み寄る。

「なんでぇ……、あれ好きでねぇ……。働いでかせいでるどごの上さ来てぶんぶんやがましい……!」

 しかし妻はそう言って嫌った。

 だが夫は子どものように、そのドローンを招き寄せるように手を振っている。

「くだらねぇごど、やめれ……。かせがねば終わんね……!」

 そう言って妻は諌めるが、夫は……。

「さぁて、誰だべなぁ……総司だべが?」

 総司と呼ばれた息子は、改めてそのドローンを見つめる。その機体には、最近実証実験が始まったというプロジェクトの名前が記されていた。


 何処か納得したような男二人に、妻は訝しんだままドローンを見る。


「これ、何しに来たのよ……?」

 その苛立った妻の声に、嬉しそうに話す夫。

「たぶん、未来がら来たんだべ。誰が、俺らどのつら見ってぇってな……」

 その言葉に驚く、妻。

「はで、まぁ!」


 信じられないというような顔をする、妻。やがて三人並んで、そのドローンに手を振りながら満面の笑みを向ける二人。


「それとも……孫がな?」

「嫁も無ぇのに孫ぁある訳ねぇべ!」

 総司と呼ばれた息子はそう言って笑う。


 しばらく、そうして二人の様子を撮影したドローンは、やがて再び空の彼方へと去っていった。


 ──このドローンは、未来から来た観測者。

 いや、ドローンそのものは今の時代に作られたものだが、その撮影「依頼」は間違いなく未来からもたらされたものだ。


 ある天才が、失われた家族に会いたいと知力の限りを尽くして発明した『時の撚り糸』と呼ばれる情報信号。これは、未来から過去に向かって発せられる囁きのようなかすかな信号だ。発信も受信も、これまでに無い方法で行われ、その信号に乗せられる情報は、ほんの数バイト程度でしかない。しかし天才にとっては、それで充分。


 件の世界企業が始めた新たなサービス、『パラダイム・シフト』


 現代で受信するのは、誰とも知れない未来の人物から発信された、かすかな情報。その「未来からの便り」は本社の一部しか知り得ない秘密の研究所にて受信される。そこに記された情報に沿って、日時と座標を入力。指令を受けた撮影用ドローンが営業所から飛び立つという具合だ。

 

 もはや宇宙の摂理としか言いようが無いが、過去そのものの事象は変えられない。だが観測と記録データだけなら、どうやら時空は許容するらしい。そのことわりに沿っていた場合のみ、は過去に届くという解釈を開発者は示している。


 世界中のどこかで誰かが、未来に閲覧するであろう思い出を記録するサービス──

 今はまだ形も見えていない未来に向けて残す、記憶の遺産。



 ………………………………



 年老いた男は、自らの寿命の終わりを悟り始めていた。

 結局、結婚もせず人生を終えることになったこの男。他人との関わりに喜びを見いだせない偏屈であったが、それでも両親や家族は大切にして生きてきた。男の暮らした時代においては両親など、もはや戸籍上の意味だけのでしかなくなった。親との同居など異常者のすることだとさえ言われるような世相。

 しかし彼は、血縁であるという以上に共に生き働いてきた者として最期まで誠意を尽くし、その死を見送った。そこに不満も後悔もない。ただ、彼らの生きた証子孫を残せなかったことが、罪悪感となって今も残り続けていた。彼の両親は先祖伝来の家と畑を残してくれたが、それも今は森に呑まれた。人の住まなくなった田舎はやがて草生くさむし木々に覆われ、畑であった場所は山林と見分けがつかなくなってしまっている。

 気まぐれに、病床の枕元にある端末で以前住んでいた場所をストリートビューで眺めてみたが、そこに嘗ての風景はなく、糧を生み出してくれた水田はただ木々の生い茂る原野となっていた。辛うじて、見覚えのある電柱とそこから見える故郷の霊峰の位置関係だけが、そこが元は男の所有する水田であったと担保しているのみ。


 思い出さえも失われてしまった事実を突きつけられ、彼は後悔に苛まれる。まだ数年生き残るだけの蓄えはかろうじてあるが、もはや明日死んでも惜しくない心境。いや、いっそ今ここで自分の命を絶ってくれる者がいるなら、そっくりこの金をくれてやっても良いとさえ思う。


 ……ふと、画面隅の文字に目が留まる。

 『パラダイム・シフト──思い出の場所を、取り戻す』


 そういえば、今はそんなサービスがあった事を思い出した。だが、噂で聞く限りその成功率は決して高くないらしい。その上、結果如何に関わらず費用だけはかかる、こんな博打みたいなもので得られるのは、何が映っているかも分からない過去の写真のみ。


 ほんの気まぐれだった。

 賭け事も、宝くじさえも買ったことのない男が、死ぬ間際に金を投げ捨てる行為。


 それでも、何らかの手がかりくらいはあったほうが良いだろうと過去の日記を取り出す。特段、筆まめでもなかったため多くの日付は空欄のままだが、その秋の日には「稲刈り終わり、藁立て、八時から一六時──」そんな雑な文字が記されていた。

 画面に映る、木々が生い茂るだけの場所の座標と日付を入力し、ボタンをクリックした。


 『お望みの結果が得られないことがあります。実行してよろしいでしょうか?』


 ……望んだことが叶った試しなど無い。そんなことには慣れている。

 人生最後のくだらない遊び、男は「Yes」のボタンをクリックした。


 『一分ほどお待ち下さい』


 表示を見て、なぜか自嘲に唇が歪む。

 俺はいつもこうだった、躓くたびに何かに救いを求めて藁をも掴む。結果それは、いつも只の藁で自分を支えてはくれないもんだ。


 ……老人ホームの窓から、整然とした街を見る。

 自分が暮らしたい場所はこんな都会ではなかった。だが、今や田舎に生きることは都会で暮らすより何倍も金がかかる。風も温もりもないこんな干からびた街で死ぬことになるとは、昔は思いもしなかった。だがもう、それもどうでもいい────


「ぴこんっ♪」


 端末から音が鳴る。

 画面には、『撚り糸が届きました』というメッセージが表示されていた。

 何かは映っているらしい。


 男は期待もせずに、「パラダイムシフト実行」のボタンを押す。


 画面に、景色が映し出される────


 そこには、まだ木々に覆われる前のどこまでも広がる田園地帯、刈取りの終わった田んぼには整然と立ち並ぶ稲藁、遠くには民家と学校も見える。懐かしい形をした自動車が数台映り込んでいる、作業中と思しき稲刈り機、青い空……


 そして、

 戸惑ったように笑う自分と、その隣に可笑しそうにこちらを見返し手を振っている、農作業中のあの日の両親の姿が映っていた。


「……あ………ぁあ」


 男の口からうめき声がこぼれた。


 画面を拡大する。

 くたびれた肌着シャツ姿、風呂敷を被った顔、腕貫と麦わら帽子……

 少し腰の曲がりかけた二人の立ち姿に、まだ元気だった頃の面影が残っている。


 同じ時、同じ空の下で一緒に汗を流し働けた。

 その事の尊さを教えてくれた両親に向かって、男は画面越しに感謝の言葉を伝える。


「ありがとう、ふたりのおかげで……いい人生だったよ」

 画面は静かに淡く揺れ、時を超えて結ばれた撚り糸は、男の心に藁の匂いを届けてくれた気がした。

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