外伝:大賢者リョウ・ツキシロの観測記録

 世界は、終焉を迎えていた。

勇者が持つ伝説の聖剣は砕かれ、聖女の祈りは虚しく宙を舞い、王国最強の騎士団は塵芥と化した。

絶対的な絶望の象徴として君臨するのは、魔王軍最後の切り札――古龍『アペイロン』。その龍は、物理法則そのものを書き換える権能を持っていた。

​アペイロンが一度啼けば、大地は重力を失って宙に浮き、一度羽ばたけば、時間は逆行し、癒えたはずの傷が再び開く。人の子が生み出すいかなる攻撃も、その事象書き換え能力の前では「存在しなかった」ことにされる。

​「もはや、これまでか……」

勇者が膝から崩れ落ち、誰もが天を仰ぎ、世界の終わりを受け入れようとした、その時。

戦場にそぐわない、静かな足音が一つ、響いた。

​「――なるほど。面白い観測対象だ」

​そこに立っていたのは、一人の男。豪華なローブを纏うでもなく、強大な魔力を放つでもない。ただ、その静かな佇まいと、森羅万象を見透かすかのような深淵の瞳を持つ男。

大賢者、リョウ・ツキシロ。

​「賢者よ!我らの力が通じぬ今、貴公に何ができるというのだ!」

勇者が最後の望みを託し、叫ぶ。

リョウ・ツキシロは、その悲痛な叫びに答えることなく、ただ古龍アペイロンを静かに「観測」していた。彼の目には、荒れ狂う龍の姿ではなく、その権能を構成する無数の数式と、世界の理(ことわり)に干渉する魔法陣の羅列が見えていた。

​「……フム。実に美しい術式だ。世界の初期値(パラメータ)に直接アクセスし、変数を書き換えているのか。これでは、この世界のルール内で最強の武器も魔法も、意味をなさないわけだ」

​彼は、まるで難解なパズルを前にした学者のように、楽しげに呟く。

絶望的な状況であるはずなのに、彼の表情には一片の焦りも恐怖もない。なぜなら、彼にとってこの世界は、解き明かすべき巨大な魔導書であり、目の前の古龍は、その中でも特に興味深い一章に過ぎなかったからだ。

​「リョウ!何か手はないのか!」

仲間の魔法使いが叫ぶ。

「手?……ああ、攻略法のことか。無論、ある」

​リョ-・ツキシロは、こともなげに言い切った。

「この龍の能力の基点は、『観測した事象を書き換える』ことにある。つまり、攻撃という『原因』を観測し、ダメージという『結果』を捻じ曲げている。ならば、答えは一つだ」

彼は、ゆっくりと右手の指を一本、天に向けた。

「――『原因』と『結果』を、切り離せばいい」

​次の瞬間、リョウ・ツキシロはただ一言、世界の根源にアクセスするためのシステム言語を唱えた。

「《

execute(result_only: 'destruction');

》」

​それは、魔法の詠唱ですらなかった。

世界の管理者(システム)に直接送る、たった一行のコマンド。

『結果のみを実行せよ。内容は、破壊』。

​古龍アペイロンは、何が起きたのか理解できなかった。

何の攻撃も、魔法も、予兆もなかった。ただ、自らの存在が「破壊された」という『結果』だけが、絶対の法則として世界に刻み込まれた。

原因なき結果。観測する間もなく、書き換える隙もなく、ただ、無に帰す。

​山のように巨大だった古龍の身体が、音もなく砂のように崩れ、風に溶けて消えていく。

後に残ったのは、静寂と、何が起きたのか理解できずに立ち尽くす勇者たちだけだった。

​「……終わった、のか……?」

「あ、ああ……リョウが、また、やったのか……」

​歓喜に沸く仲間たちを背に、リョウ・ツキシロは欠伸を一つした。

彼の興味は、もはや消え去った古龍にはなかった。世界の法則を書き換えるほどの敵ですら、その法則の穴を突けば、こうも容易く崩れ去る。

​(つまらない)

​それが、大賢者リョウ・ツキシロの本音だった。

全てが読み解けてしまう。全てが予測の範囲内に収まってしまう。この世界に、彼の知性を超える謎は、もはや存在しない。

勝利の余韻に浸る仲間たちに一瞥もくれず、彼は踵を返した。

​「さて。次は、失われた古代文明の『ゼロの魔導書』でも探しに行くか」

​それは、まだ誰も読み解いたことのない、唯一残された謎。

この退屈な世界で、彼が唯一、心を満たすことができるかもしれない、最後の希望。

勝利も、名誉も、仲間からの賞賛も、彼の渇きを癒すことはない。

​大賢者リョウ・ツキシロ。

彼は最強の賢者であり、誰よりも世界を救った英雄であり――そして、この世界の誰よりも、孤独で、退屈しきった男だった。

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深夜のアルバイター、実は元SSS級大賢者だった件 クソプライベート @1232INMN

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