外伝⑥:二百箇条の解剖学

 私立・大日本規律学園の創設前夜。

後に『二百箇条の聖典』と呼ばれることになる校則は、まだ白紙の羊皮紙の上にあった。

地下深くの無機質な会議室。そこに集められたのは、号令寺巌が選りすぐった、十数名の専門家たち。彼らは、これから人類史上最も過激な『人間改造計画』の設計図を描こうとしていた。

中央に座る巌が、静かに口火を切る。

「我々の目的は、人間の『脆弱性』の完全な除去だ。今日はその第一歩として、最も根源的な脆弱性、すなわち『自我(エゴ)』の解体方法について議論したい」

最初に発言したのは、長年、洗脳とマインドコントロールを研究してきた心理学者だった。

「自我の根源は、一人称にあります。『私』『僕』という言葉が、個人を他者と区別し、個性を生み出す。ならば、まず一人称の使用を禁じ、生徒番号で互いを呼称させるべきです。【第3条】これにより、彼らは自身を個ではなく、システムの一部として認識し始めます」

次に、元軍隊の特殊部隊で心理戦を担当していた戦略家が続いた。

「個性を削ぐには、外見の均一化が最も効果的です。頭髪は男女問わず丸刈りに【第32条】。服装は言うに及ばず、下着に至るまで【第38条】全てを統制する。爪【第33条】や体重【第34条】まで管理下に置くことで、彼らは自身の肉体すら、自分のものではなく学園からの貸与品だと認識するようになります」

脳科学者が、分厚い資料を提示しながら口を開く。

「感情の源は、大脳辺縁系の化学反応です。これを抑制するには、まず感情の表出を禁じ、『標準無表情』を徹底させる【第19条】。笑い【第92条】や涙【第93条】を流した場合、即座に罰則を与えることで、脳はそれらの感情を発露させること自体に恐怖を覚えるようになります。さらに、ホルモン分泌を常時監視し【第109条】、異常値を示した生徒には薬物投与による『調整』も視野に入れるべきでしょう」

社会学者は、人間関係という側面からアプローチした。

「友情や恋愛は、徒党を生み、反逆の温床となります【第78条、第77条】。これを防ぐには、私語を禁じ、身体的接触を厳禁する【第76条、第81条】。そして、最も重要なのが『相互監視義務』の導入です【第84条、第161条】。生徒同士に互いを監視・密告させることで、信頼関係の構築を根源から断つのです。誰も信じられない環境では、孤独が推奨され【第85条】、個は徹底的に孤立します」

議論は、人間のあらゆる行動、思考、感覚に及んだ。

歩行【第11条】、呼吸【第16条】、まばたき【第17条】といった無意識の行動を規定することで、肉体の完全な支配を目指す。

芸術における創造性【第45条】や、ユーモア【第53条】を否定することで、思考の画一化を図る。

食事【第63条】や睡眠【第68条】といった生理的欲求さえも管理下に置き、人間を動物的本能から切り離す。

彼らは、まるで精密機械を分解し、再構築するように、人間という存在を『部品』の集合体として解剖していった。そこには、悪意や憎しみはない。ただ、より完璧なシステムを構築しようとする、技術者のような純粋な探求心だけがあった。

一つ一つの校則は、単体で見れば常軌を逸している。しかし、それらが二百箇条集まり、有機的に連携した時、初めてその真の目的が浮かび上がる。

それは、人間から人間らしさを一滴残らず抜き取り、空っぽになったその器に、『規律』という名の新しい魂を注ぎ込むための、壮大で、緻密で、そして狂気に満ちた儀式の手順書だったのである。

羊皮紙が、一つ、また一つと、冷徹な条文で埋め尽くされていく。

それは、新しい人類の設計図であり、同時に、旧人類への弔辞でもあった。

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その校則、普通に考えてコンプライアンス違反です クソプライベート @1232INMN

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