2章2話『耳元で羽音を震わす恋人達』

 高校生、七星凛子は女子らしくいた。


 星葉高校は規則もそれなりに緩く、化粧や染髪にも寛容だった。


 なので、凛子は厚くない程度の化粧をして、特徴的な大きな吊り目をした目元を整えていたし、髪は染めずとも常に艶を落とさず、枝毛を出さない様、日々しっかり手入れをしていたと思う。


 こういう時、性格の憎たらしさも相まって、凛子に私念がある僕としては、どう言ったら正直な評価になるのか本当にわからないのだが。


 おそらく、七星凛子は学校の男子から、やたら人気がある女子なのだろうと認識していた。


 近辺の男子の中で「凛子が良い」なんていう話を、少なくとも十回位はひそひそ聞いた事もあったのと、他のクラスからわざわざ凛子の横顔を覗き見に来た、おかしな変わり者も居るには居た。


 凛子の極めて意志の強そうな、はっきりとした面持ちは、奥手で軟弱な男子共にとって、なんだか恋の迷いを押し除けて、颯爽と手を引いてくれそうな、自立した女性の優位性を感じさせ、加えてその中に、ちょっぴりと性的被虐じみた妖艶な夢を見せてくれる気もするのだろう。


 また、顔から逸れて、今度は身体つきを見たとしても、細過ぎず太すぎず、若干太いといった極めて健康的な肉付きの良い四肢と、それは主張の激しい、大層立派な胸がついているので、それだけでも一部の安直な思考の人間は、簡単に好感を持ってしまい、組みしだかれる様にやられてしまうかもしれない。


 と僕は、凛子の生態を冷静に読み解いていた。


 しかし、僕にはもう、だから一体何だ。という感想しか出て来ない。


 そのくらい、凛子を天敵の凛子として認識してしまっているので、到底凛子本人をを魅力的な虫に例える事は出来やしないのだ。


 いうなれば、こんな女は僕にとって、その辺の道に落ちていた、ちょっとカッコいい棒切れくらいのもんである。


 なのにきっと、凛子本人としては、あたかも自分を清楚と自我を両立した、美しい黒の極地である、カラスアゲハだとでも盛大な勘違いをしているのだろう。


 横に並ぶこちらが恥ずかしくなる程に、大きな胸を張って、堂々として。カツカツ硬い足音を響かせながら廊下を歩いていた。


「マジでムカつく。本当に最悪。何でこんな事になるのよ。ありえない。あんたはキモい虫好きなのに、なんで彼女が出来る訳? ばかばかばか!」


 行きずりの人でも殺しそうな目つきのまま、グロスのリップが乗った唇を吊り上げて、鋭い八重歯を見せる凛子。


 僕への恨みの念が湧き上がって仕方がない。といったその様子に呆れて、僕は文芸部に辿り着くまでに、少しでも凛子の事を諭そうとした。


「いや、凛子よ。恋人がいるという手の届かない上位存在に転生してしまった、青春勝ち組の僕の事が心底憎いのはわかるよ。痛い程わかる。だって、僕がもしも逆の立場で、凛子に彼氏が出来ようものなら、それはもうハリガネムシに寄生されて入水自殺するハラビロカマキリの如く、途方も無い絶望感に苛まれていただろうからね」

 

 飄々と僕がそう放った途端。


 凛子は、ピタッ! といきなり足を止めた。

 それ気が付き、僕も慌てて足を止める。


「え?……それってもしかして。あんたは、あたしが他の人に取られたら嫌だ……って、コト?」


 僕より少しだけ背の低い凛子は、若干顎を引き、上目で僕をグッと睨みつける。


 なんだよこいつめ、たとえ彼氏が出来たとして、僕になにか感想を持たれる事も嫌な位、僕の事が嫌いなのかよ。

 

 と思い、呆れながら言う。


「いや。プライド的に出し抜かれた気になってムカつくのは共感できるって話なだけで、別に凛子が何処の誰に貰われようとも僕としては知ったこっちゃ無いよ。僕は凛子の恋路に全く関与する気無いんだからね、だから、凛子も僕の恋路に訳の分からない変な関与をするのはやめ……」


「……チッ!!!!」


 ──刹那。


 ブンッ!!


 という、聞いた事ないレベルの風切り音と共に、僕の右頬を掠めたのは、凛子の拳だった。


 僕の伸びた前髪が、その音速の一撃で起こした風に揺れて。


 あと半歩でもズレていたら、顔面に容赦なく拳がめり込んでいた事実を告げる。


 あまりの出来事に、ぽかんと開いたままになってしまった僕の口の中を覗きながら、凛子は声を低くして言った。


「蚊が……いたのよ。キモくて煩い蚊だわ。おそらく猛暑が過ぎて、やっと出て来たのね。産卵前の吸血をする、ヒトスジシマカのメスよ」


 凛子は、ゆっくり音もなく手を引くと。

 僕の目の前で、硬く握られていた拳を開く。


 そこには、吸血後の潰されたヒトスジシマカのメスがいて、コントラストのはっきりした真っ赤な血が、べっとりと手のひらにこびり付いていた。


 それを見た僕は、鳥肌を立たせながら身震いをする。


「あ、ああ……あ……」


 僕が情け無い声を上げてしまうのも仕方なかった。

 

 何故なら、その見せつけられた手のひらの指の隙間から見えていたのは、この世のものとは思えない、鬼の様な形相をした凛子の目だったからだ。


「ねぇ? 時羽宙太郎くん。キモい虫好きのあなたは当然知っているだろうけど、蚊の多くはメスしか吸血しないわ。オスは花の蜜や草の汁を吸うばかりで、血を吸う事がないの。だから咬傷こうしょうして人に害があるのは、メスだけなのよ? それでも、何故かオスも人の周りにたかってくるの。それは一体、なんでかわかる?」


 急に丁寧な口調が逆に恐ろしさを倍増させる。


 僕は、何故凛子がキレ始めたのかわからないまま、なるべく凛子の逆鱗に触れない様、端的に説明した。


「そ、それは……メスは産卵する為に血を吸う訳だから。そのメスと交尾する為に、オスはメスのフェロモンに吸い寄せられて、同じ様に人にたかる訳で……」


 ──パンッ!!


 凛子は自身の手と手を勢いよく打って、鼓膜を驚かす破裂音と共に、汚れを払った。


「そう。つまりオスはメスのケツを追っかけて浮かれてるのよ。人様の血を吸った挙句に、耳元で煩い羽音を立ててイチャつくカップルなんて本当に最低。超ウザくてキモいわ。……いい? あたしは無害なオスでも容赦なく殺すから。せいぜいあんたもオスの蚊にならない様にしなさいよ……。この、ばかっ!!」


 ひるがえり、また進行方向を向いた凛子の姿を見ると、凛子は自身のその白い首筋を、細い指先でやさしく摩っていた。


 どうやらさっきの蚊にやられたらしい。


 既に血はたっぷり吸われた後で、ふっくらと腫れてしまったそれは、まるで熱い接吻をされた後のキスマークの様に。


 やんわりと赤く、ぼやけていた。



* * *



 昨日と同じく。

 またしても文芸部の扉の前に立った僕。


 僕の背後には。まるで、真っ赤な上顎を持ち上げて、大きな牙を振り翳して威嚇する、粗暴な大蜘蛛──オオクロケブカジョウゴグモを思わせる様なとても凶悪なオーラを放った、七星凛子が腕組みをして待っていた。


 僕はそのプレッシャーにやられ、頭をぐしゃぐしゃと掻きむしる。


 ああ! もう嫌だっ!!!!


 僕の愛するぴよちゃんを、この最悪な女の毒牙の前に自ら誘き寄せ、追い込むなんて……考えるだけで気がおかしくなりそうだ!!


 いっその事逃げ出したいが、逃げ出せない!


 それは僕がさっきの蚊の様に、捻り潰されてしまうのが目に見えているからだ!


 ちくしょう! ちくしょう! どうすれば……。


 追い詰められた、その時。


 昨日と同じく、ガララっという音を立てて、不意に目の前の扉が開く。


 驚いた僕は飛び退くが、やっぱりそれも昨日と同じ光景だった。


「うわ、また君? って……。今度は何? 後ろにやたらな美人を引き連れて……」


 出て来たのはメガネさんだった。


 限界まで張り詰めていた僕は、もはや二度しか会っていないにも関わらず、メガネさんの顔を見て、ほっと安心した気がして、一息付いた。


 だが、すぐに後ろからの刺す様な視線を感じて、致し方なしに、手早くぴよちゃんを呼ぶ事にする。


「あ、あの! ぴよちゃ……! じゃなくて、ま、繭野さん! 繭野ひよりさんいますか?!」


 緊張した僕は、枝に擬態するナナフシモドキよろしく、背筋をピンと張って上を向きながら端的に要件を叫んだ。


 そんな僕の様子を見たメガネさんは、半目になり訝しむと、後ろの凛子を一瞥し。それから僕に向き戻った後、瞼をさらに落としたジト目に変えて、僕の容姿を確認した。

 

「あー、これもしかして、後ろの子が実は正妻的な感じ? へー、君。変なのに意外とモテるのね」


 この期に及んで、メガネさんが一体何を言ってるのかわからないが、とにかく僕は一刻も早く可愛いぴよちゃんの顔を見たかった。


 すると。


「あー!! また、ちゅうたろー来てるの?! 文芸部に迷惑かけたらだめって言ったでしょ! んもー! ちゅうたろー、めっ! めっ!!」


 その声はもちろんぴよちゃんだった。


 やっぱり手を振りながら、ぷんぷんと怒った様な顔をして部室から現れたぴよちゃんの姿は、そらもうとびっきり可愛くて、癒された。


「ああっ! ぴよちゃん!! 会いたかったよ!」


 それを見た僕はといえば、まるで厳しい外界にもまれ、命からがら巣へと帰還したアシナガバチの如く、大袈裟に再会を喜んだ。


 ぴよちゃんはそんな僕の顔を見て、すぐに何やら異変を察したのか、パタパタと近寄って来ては首を傾げる。


「あれ? どうしたの? ちゅうたろー。おぬし、なんだか元気がない気がするぞ。どうした? 誰かにいぢめられたのか?」


 怒っていた表情を一変させ、眉を顰めて優しい声をかけながら、僕の頭をぽんぽんと軽く叩いてくれるぴよちゃん。


 予想よりも勘が鋭い事にびっくりして、思わず僕は本音を吐いた。


「ああ、ぴよちゃん! そうなんだよ! 僕はいぢめられているんだ! とんでもない極悪の、嫌な女がほら、そこに……」


 目を向けないまま、僕が後方に人差し指を指した所で、その指に弾力のある感触を覚えた。


 え? と思って、振り向くと。

 さっきまで遠くにいた凛子が、気付けば真後ろに立っていて、僕の指が凛子の無駄に大きな胸の谷間に喰われている。


「……あ」


 声を漏らした僕が、瞬時に視線を上げて凛子の顔を覗けば、なんとまあ脱皮したてのヨコヅナサシガメよろしく。

 

 目を瞑り、顔面を鮮烈な赤に染めて、ギリギリと歯を食いしばっていた。


「ち、ちゅうたろー? ぴ、ぴよちゃん? ……何よ、そのあだ名……。あんた達……マジでもう、いい加減にしなさいよ……?」


 ぷるぷると身体を震わせて、凛子の怒りが今にも爆発しそうになった、その瞬間。


「……修羅場なら外でやれ」


 メガネさんのその一言で、場が凍りついた僕達は、またあの公園に向かうのだった。

 

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恋を採れ。─世界で一番ロマンティックな虫─ 五月雨ジョニー @MMZZOMBIE

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