男の決意
窓枠に指をかけ、外の闇を読み取る。白鎧の魔法陣。やや離れて騎兵共の気配。地面は乾いた固い土。石粉が薄く積もっていて滑りやすいかもしれない。ここで転んで無様に死んだら、彼にも笑われてしまう。
掌を一度擦り合わせ、俺は闇の深さを測り直すと床石を蹴った。落ちる。ろくに膝のクッションも使わず両足で体重を受け止め、埃と土の匂いを肺に入れて起き上がる。白鎧の光陣が夜に脈打つ。地面に刻んだ薄い光の筋が、規則正しく明滅している。白鎧の一体が俺を見ている。
(……犬笛に大きな反応なし。やはり見えなくても謎電波で感知できるってわけじゃなさそうだな)
胸に下げた二つのそれは旅装の下に隠れている。準備というわけでもないが、服の上から左手で形を確認し、その存在をあらためて認識する。場合によっては奴らの注意を逸らすために投げてやってもいいし、箱の代わりに使うことになるかもしれない。もちろん、その時に犠牲になるのはエリサの指輪だ。
一歩、踏み出す。変化なし。
五歩。砲撃は続く。弾速は並の矢より少し速いくらい。視界に白い筋、壁で砕ける音が遅れてくる。
十歩。こちらへ一本、来た。首を傾けるだけで抜ける。熱はほとんどない。見た目は光でも、実際は魔力を圧縮して押し出してるに近い。あれを連続でやられるといずれ壁が死ぬが、それ単独で俺には当たらない。
――ここからは少し冒険だ。が、確認は必要だ。
さらに五歩。輪の縁に近づき、胸元から一本のネックレスをひっぱり出す。道中、エリサの指輪に手持ちの革ひもをくくっただけの粗雑なものだ。
光の脈が一拍ぶれ、魔法陣が消える。砲撃が止んだ。いや、奴ら自身が止めたのだ。よし良い子だ。ちゃんと遺物を認識している。
「遺物ハンター御一行様、ご案内。どうぞこちらです」
小さく独り言を落として、右へ歩いて流れる。白い面の三分の一ほどが一斉にこちらを向いた。三分の二は館と周辺を監視している。俺の事を一顧だにしていない。見えない遺物を感知できずとも、謎電波かなにかで連携はしていそうだ。最新兵器に搭載されているC4I、あるいはこいつら自体が群体という第一印象を思い出す。
横陣でじりじり詰めてくる。間合いは二十。十五。十。
少し速度を上げさらに右へ。白鎧の陣も右へ。良い子だ。そのまま付いてこい。
真正面から受けない。横へ。横へ。陣形は攻防一体。正面を抜くより、横に引っ張って薄くする――というのも一応はある。
長杭を一本、飛ばす。盾を貫いて肩を止める――止まらない。いい。壊す必要はない。怒らせて――そんな感情があるとは思えないが――こっちに惹きつけるだけでいい。二本目は足首の継ぎ目に刺して、歩調を乱す。砂糖菓子みたいに崩れるまで削る必要はない。今は。
館の扉が黒の中でわずかに口を開けたのが視界の端で確認できた。こちらからは見えないふりをする。視線をやることはしない。白鎧に視線はないが、こちらの視線には敏い。まあ、こちらの動きに関係なく気づくとは思うが。
長杭を三本、連射。弾き、刺さり、また弾かれる。魔力の消費が尻のポケットから銅貨を落とすように減っていく。イノセントローズ頼みの三割供給。使いすぎるな。命綱はいつでも最低一本分は残せ。
館の口から、馬の影。事前に館内に退避させていた馬だ。僅かによろめく歩幅。鞍に荷物を括っている。鞍上の影は細い。肩を落としている。先ほども見た顔。捕虜の若い男。
夜間なので松明は必須だ。隠密行動とはいかない。しかし、俺が白鎧を引き付けていたもので、迂回しつつ、まんまと仲間のもとへ駆け始める。俺を囮に駆け始める。
白鎧のうち三体が彼を追い始める。いや、追うという感じでもないか。彼に対する備えといったところだ。仮に追ったところで、馬のほうがさすがに速いだろう。男が俺を一瞥した。松明が持ち上がり、振られる。俺に向けてだ。黒曜石めいた砲身が鞍の上でぎらりと光った――壊れていても、アレは“解析”が通らなかった。つまりは――。
**
「館の連中は脱出準備に忙しくて、しばらくここには現れない。アンドレアスはなにも心配しなくて大丈夫」
尋問の後で黒髪の男――セトさんが一人で俺の元を訪れた時、始めは警戒した。しかし、彼は俺に情報など求めなかった。拷問を止められなかったことを謝罪し、事情を説明した。この村が襲われているから成り行きで助けに入っただけだと。そしてこの館の異常性を認識し、今は悔いていると。
その後はひたすら、俺を脱出させる手順の説明だった。彼の仲間――『エロい恰好した女剣士のララ』と『ハーフエルフだが、よく躾けてある奴隷』――と三人で協力して俺を仲間の元へ帰すと。
俺はあのとき、神へ縋った。その後に母さんに。兄さんに。最後に『誰でもいいか助けて』と縋った。そして手は差し伸べられたのだ。
「さっきも言ったけど、セトが敵をひきつけるから、その隙に仲間と合流して」
女剣士――ララさんが、何度目かの念押しをする。彼女は片手で手綱を俺の指に通し、もう片手で肩の縄の角度を調整した。傷んだ俺の身体でも、簡単に落馬しないように配慮してくれているのだ。先ほどまで外れていた肩が呻くが、手綱は握れる。
脱臼を嵌め直し、癒しの魔術を施された両肩は、なんとか持ち上がる程度にはなった。手の感覚は鈍く、あまり力が入らないが、それなりに動く。同じく手当を施された左掌に、もう一枚重ねて包帯を巻き付ける手つきは優しい。横顔をちらちら盗み見るたびに、鼓動が強くなるのを自覚する。
「松明、左手に結わえ付けるね。傷むけど我慢して」
距離が近い。汗と女の匂いが鼻をくすぐる。顔のすぐ前に豊かな胸元が迫る。松明の木材が、包帯越しに焼けた掌へ噛みつくが、耐える。みっともない姿は見せられない。
「よし、こんなもんか」
誘惑的な胸元が遠ざかるが、目線がうまく外れてくれない。谷間のほくろに視線が固定されてしまったかのようだ。強い意志をもって眼球を持ち上げ、ララさんの顔を見る。目が合うと僅かに微笑みを返してくれた。力強さと優しさを兼ね備えた笑顔だ。
「あ、ありがとうございます。……あなたも一緒に脱出しませんか。仲間には俺が事情を説明します」
セトさんは、ララさんのことを『俺の仲間のエロい恰好した女剣士』と言っていたのだ。彼らが男女の関係ならそういった言い方はしないのではないだろうか。
それに、ハーフエルフだという少し耳の長い奴隷。奴隷には見えない身なりをさせている。つまり、こちらがそういう対象なのだろう。魔族の奴隷を――などと言えば眉をひそめる者もいるだろうが、強い戦士というのは、往々にしてそういうところがあるものだ。
それなら、ララさんも俺と一緒に来てくれれば――。
もちろんセトさんを見殺しにする気なんて全くない。仲間と合流したならば、こちらもすぐに皆を説得して救出に――。
「私達のことはいいよ。そんな簡単に仲間を説得できるわけじゃないだろ。もしも上手いこと説得できたら、火球の一発も空へ撃ち上げてくれ。隙を見て抜けるからさ」
「……わかりました。仲間と合流したら、全力で、なんとしても説得します。兄がいるんです。兄ならきっと分かってくれます」
「ありがとう。それには、まずはアンドレアス、あんたの脱出を成功させないとね」
ララさんはまた笑ったが、その笑顔はどこかぎこちなかった。ララさんも無理をしているのだろう。仲間を説得する。この約束は絶対に果たさなければならない。
「あと、この荷物だけど……威力は見たよね。これもセトが命懸けで盗み出したんだ。館の連中に持たせておくと厄介だから、絶対に仲間の元へ届けてね」
「ええ、命に代えても絶対に」
鞍に括り付けられたそれは、むき出しで異様な存在感を放っている。どうも魔族の技術で作られた禁呪の産物らしい。振動で縄が緩んで落としました、なんてことは許されない。ララさんの仕事を信用していないわけではないが、固定具合をあらためて確認する。
そのとき、ララさんが『ん?』とでも言うように扉のほうへ視線をやる。俺もそれを見て静寂に気が付いた。砲撃の音が止んだのだ。
奴隷の少女が扉をゆっくりと開ける。外から比較的静かな戦闘音が流れ込んでくる。
セトさんなのであろう影が、こちらから見て右方向へ後退しながら、神兵へ投射攻撃をしているのが僅かに確認できた。セトさんは夜目が効くのだろうか。そうだとしても、あの数の神兵相手に一人で立ち回るなど、自分には真似できない。
それもこれも俺のためだ。セトさんは罪滅ぼしだと言ったが、見ず知らずの俺のために、そこまで出来る者がどれだけいるだろうか。神に対する罪滅ぼしという意味もあるのだろうが、驚愕と敬意を禁じ得ない。戦士として。男として。信徒として。
「シリスの加護があらんことを」
「汝の上にも」
ララさんが背中を軽く叩く。最後に振り返ってその姿を焼き付けたい欲求を抑え、俺は踵を打ち、馬体が僅かに跳ねる。外気が顔を刺す。松明の火が後ろ髪を舐め、視界が震える。厩の影から、石と土の匂いが吹き上がる。俺は走る。前だけ見ろ。
蹄が乾いた地面を割る音。あまり速度は出せない。松明頼り視界の狭い端で、大きな石などを確認すれば避ける。起伏がありそうな場所も避ける。急な制御で、馬が時々よろめく。左側へ回り、セトさんのいる戦場を迂回する。
(振り返るな。前だけ見ろ。神は前にいる)
体の奥で誰かの声が反芻する。黒髪の男。水をくれた手。焼けた掌に布を当て直してくれた時、ほんの少しだけ痛みが逃げた。俺は走る。俺は導く。俺は、まだ生きたい。
夜間の乗馬に少し慣れてきた。速度を少しずつ上げはじめる。そのとき馬の足音に、別の足音が混じる。横合いから白い影。神兵。近づくな、触れたら裁かれる。分かってる。分かってるから、膝が笑う。鞍の上の“箱”が揺れて、俺も揺れる。
(箱は任せた。落とすな、振り返るな。前だ。生きろ)
彼の声と、女剣士の視線が背中を押す。片手の手綱が汗で滑る。松明を握る焼けた掌が布越しに軋む。痛い。けど走れる。走れ。
焚き火が見えた。遠い野営の赤い輪。俺たちの――白衣騎士修道会の火。歩哨がひとり、影を伸ばして往復している。俺は声を出すつもりが、嗚咽になった。見ろ、俺だ。俺は帰る。俺は――。
「ララさん、セトさん……ありがとう……!」
セトさんが命を懸けているであろう辺りを振り返ると、やはり、はっきりとは見えない。が、セトさんらしき影が戦っているのが見えた。
痛む肩を意志の力で無理矢理ねじ伏せ、松明を上げ、振る。
目が合った! もちろん、顔など見えてはいない。そんな気がしただけ。それでも伝えないと。
「セトさん、俺は生きます! そして必ず仲間と共に助けに戻ります!」
風にさらわれた声が自分でも情けないほど小さくて、笑いそうになる。いい。届かなくていい。あとは行動と結果で示すだけだ。俺は前だけ見て走る。生きる。
次の更新予定
2026年1月2日 20:00 毎週 金曜日 20:00
虚無の皇帝、敬虔の女王 ~卑怯者の建国戦記~ 筆負野ユウ @teewrtt
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。虚無の皇帝、敬虔の女王 ~卑怯者の建国戦記~の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます